ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

社小学校創立120周年記念の空中写真ー平成4年(1992)

2022年03月31日 06時03分59秒 | Weblog
 

 今から30年前の平成4年(1992)の社町立社小学校の空中写真です。創立120周年にあたり、その記念に校庭に人文字で校章を描き祝っています。
 写真を見ると、運動場の右手(東)に社保育園が見えます。また、上(北側)には社幼稚園も。写真の上(北側)を流れているのは千鳥川です。堰が見えますが、あの辺りは、私が小学生の頃、水泳をしていた場所です。私が小学生だった昭和30年代後半は木造校舎でした。講堂(体育館)もプールも、卒業後にできたものです。時代とともに母校も変わっていきますが、母校への愛着は思い出とともに深まるばかりです。
 
 
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31年前の風景-嬉野から三草山を望む

2022年03月30日 04時51分48秒 | Weblog
 

 この写真は、今から31年前の平成3年(1991)の3月18日の日付が入っています。春のやわらかい日差しに映えて白く光っている建物は、兵庫教育大学の附属小学校の校舎です。右には大学の官舎が写っています。この写真は、位置関係から、隣接する兵庫教育大学の附属中学校の3階から撮ったものだと思います。
 当時、私は附属中学校に勤務していました。嬉野台地の上には広大な空が広がっています。中央に霞んで見えているのは、源平の古戦場で知られる三草山です。その向こうには丹波の国に通じる街道がのびています。3階の渡り廊下から眺めるこの広々とした景色が好きでした。
 附属中学校の3階は、標高100メートル超になります。附属小学校から兵庫教育大学の官舎が建っている辺りは、元は、私が学んだ社中学校の校舎と運動場があった場所です。道を挟んで北側には県立社高等学校があり、私は昭和40年代の13歳から18歳までの6年間をこの嬉野台地で学びました。
 兵庫教育大学の附属学校勤務は昭和56年から20年余りになりました。人生の半分近くをこの台地で生きたということになります。地に赤土、天に紺碧の空、多くの青春が通過していった嬉野台地です。
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義経は社に来たのか-平成12年の兵教大附属中社会科授業

2022年03月29日 06時10分30秒 | Weblog
 

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を毎週楽しみに視ています。三谷流の演出に戸惑いながらも当時の関東武士団の姿が身近に感じられて、こんなだったかもしれないなと想像してしまいます。
 源平合戦という古代と中世を分かつ大きな戦いは、義経や弁慶、平家の悲話など歴史ロマンに満ちています。日本中に合戦の舞台があり、東西の武士が日本国中を移動して戦いを展開しました。
 兵庫県では、一の谷の合戦が有名ですが、その前哨戦として三草山合戦(三草合戦)が知られています。三草山合戦は、加東市上三草にある三草山の麓を中心に平家の陣を義経率いる源氏が急襲し破った戦いです。義経はこの戦いに勝利し、一の谷に向けて兵を進めます。敗れた平氏は四国へと逃げていきました。
 さて、今日紹介する写真は、平成12年(2000)の秋に兵庫教育大学の附属中学校で行われた研究発表会での社会科歴史の公開授業風景です。「義経は社に来たのか」をテーマに探究学習を展開し、生徒自身が課題を設定し、仮説を立て、文献調査や現地調査などを行いながら験証するという授業の一こまです。
 立体地図模型を使って、地域に残る義経伝説を追いながら説明する生徒、窓辺には指導していた私の姿や御指導をお願いした堀内和男先生(郷土史家・故人)のお姿もあります。義経伝説は社はじめ加東市内に数多く残っています。それらを現地で体感しながら調べていく。まさに五感を使った社会科授業でした。そんな当時のことを懐かしく思い出しています。当時の中学生も今では30代半ばになっています。歴史への興味関心を持ち続けてくれていたなら嬉しいのですが。
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佐保神社の大けやきの樹上に今年もアオサギが営巣 

2022年03月28日 05時26分15秒 | Weblog
 

 

 27日(日)の朝、ウォーキングで忠魂碑から佐保神社、そして大師殿のいつものコースを歩きました。
 佐保神社の瑞神門への参道には数本の大けやきがあり、その樹上に今年もアオサギが営巣していました。目に入る限りのアオサギを数えてみると、30羽を超えていました。
 高い所に止まっているので、一番早く朝日を受けて光っていました。その姿に似合わないギャーギャーという鳴き声が周囲に響いています。境内の奥のケヤキの木の樹上にもアオサギが営巣を始めていました。
 糞害などもあり、枝伐りが行われたのですが、効果は一時的なものでした。また今年もこうしてアオサギの観察が始まります。
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雨の中、隣の駐車場の桜が開花 庭のアンズの花を吸うヒヨドリ

2022年03月27日 05時40分50秒 | Weblog
 

 26日(土)、9時頃から雨が降り出しました。雨の中、隣の連合区の駐車場の桜の木に花が咲いているのが目に入りました。
 2階の窓から見ると、まだほんの少しですが、枝の先に花が咲いているのが見えました。私はこの桜を自分の標準木に定めて、毎年開花を宣言しています。社の桜の開花です。
 庭のアンズは今が満開。雨の中でもヒヨドリがやってきてはくちばしを花に入れています。蜜を吸っているのでしょうか、枝を飛び移りながらせっせと花をつついていました。いよいよ春本番到来です。
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平成7年(1995)の佐保神社秋祭-雨合羽を着た上組太鼓屋台

2022年03月26日 05時49分06秒 | Weblog
 

 今から27年前の平成7年(1995)、佐保神社の秋祭りの写真がありました。私も40過ぎで元気に上組太鼓屋台を担いでいました。
 写真を見ると、宮入りか、下向か覚えていませんが、透明合羽を着けた状態で境内を練っています。大した雨ではないようですが、きっと修理で新調したものがあったのではないかと思います。
 新型コロナウイルス感染のために2年続けて秋祭りは中止になりました。今年こそはという思いを込めて、写真を紹介します。
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30年前の加東市社の市街地空中写真

2022年03月25日 05時33分55秒 | Weblog
 
 この写真は、今から30年ほど前の平成4年(1992)頃のわがふるさと加東市社の市街地の空中写真の一部です。おそらく社小学校の120周年の際に撮影されたものだと思います。
 社町時代ですから、現在の加東市庁舎はありません。社町庁舎や体育館が見えます。社小学校に隣接して社保育園も写っています。まだ移転前で、移転先の武道館のとなりの敷地がまだ更地です。その後、その地に新築移転され、さらに現在は一部を残して加東市みらいこども園に移り、跡地は駐車場になっています。
 細かく見ていくと、30年の歳月の間の変化が次々と見えてきます。変わったものと変わらないもの、そして、そこに暮らし、働き、学んだ人々も通り過ぎていきました。私もまだ30代後半だったんです。
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昭和7年第18回衆議院議員選挙兵庫県第三区の結果

2022年03月24日 06時14分21秒 | Weblog
   

  

 これまで昭和7年(1932)2月20日に実施された第18回衆議院議員選挙の兵庫県第三区の候補者について、旧家に保存されていた挨拶状や推薦状などを紹介してきました。(写真:小林絹治、多木久米次郎、青木雷三郎、高橋守雄、横田孝史の順)
 選挙の結果は次の通りでした。
 当選者は、小林絹治、多木久米次郎、青木雷三郎の3人です。3人とも立憲政友会です。トップ当選の小林絹治は24497票、続いて、多木久米次郎が19589票、3位の青木雷三郎が16282票でした。立憲民政党の高橋守雄は15754票でした。そして、横田孝史は536票でした。横田孝史は民政党系であり、この票が高橋守雄に入っていると、青木雷三郎と逆転したかもしれません。民政党内の混乱が政友会の議席独占を許したのかもしれません。
 この第18回総選挙は、犬養毅の率いる立憲政友会の圧勝でした。しかし、この3ヶ月後、5.15事件が起こり、犬養は青年将校に暗殺されます。戦前の政党内閣は終わりを告げました。
 当時の父の日記をめくってみると、大橋實次さん(旧社町長、社市場社長、日本運送創立者)の下で、小林絹治の応援に事務所に出入りし、演説にも立っていたようでした。当時の地方新聞などで三区の選挙について調べてみたいと思います。
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アンズの花が咲きました

2022年03月23日 05時04分21秒 | Weblog
 

 先日の雨と風で庭の梅の花が散ったかと思っていると、今度はアンズの蕾が膨らみ、薄い桃色の花が咲き始めました。
 先日も紹介したラッパスイセンも次々と黄色い花を開いています。木々の枝の先に小さな緑の葉がつき始め、いよいよ春の到来を感じる頃となりました。
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昭和7年第18回衆議院議員選挙兵庫県第三区ー多木久米次郎の推薦状(選挙区各市郡有志)

2022年03月22日 04時22分20秒 | Weblog
 

 昭和7年(1932)2月に実施された第18回衆議院議員選挙の兵庫県第三区の立候補者のうち、昨日紹介した多木久米次郎の推薦状を掲載します。選挙区内の1市7郡の有志の連名で出されています。

拝啓陳者
国家財政の逼迫といひ対支問題の進展といひ時局益々重
大の折柄内閣交迭により衆議院解散と相成候ことは内治
外交の刷新を期する絶好の機会に有之新内閣成立以来未
だ二ヶ月に過ぎずと雖も政策転換の影響顕然たるに鑑み
吾人は此際国民多数の後援に依り一層政府の力を強大な
らしめ外は軍部と外交の協調により飽まで国威国権を擁
護すると共に内は正貨の流出を防ぎ衰頽せる産業の復興
を図り以て更生日本の実現に努めざるべからずと存候
 前代議士
    多木久米次郎君
は多年地方の産業殊に農村振興に尽瘁せられつつあるの
みならず我等選挙区民の意思を體し現内閣を支持鞭撻し
て国難突破に邁進せしむべき境遇と主張とを有せらるる
点に於て絶対の資格者たるを確信し一致推薦仕候間何卒
全区民諸君の御賛成御援助により当選相成候様致度此儀
只管奉懇望候                 敬具
  昭和七年二月
           兵庫県第三選挙区
                明石市有志
                明石郡有志 
                美嚢郡有志
                加東郡有志
                多可郡有志
                加西郡有志
                加古郡有志
                印南郡有志
有権者各位
      兵庫県加古郡別府町別府三四〇番
         選挙事務長  多木常三郎
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昭和7年第18回衆議院議員選挙兵庫第三区-多木久米次郎の立候補挨拶状

2022年03月21日 05時37分34秒 | Weblog
 

 昭和7年(1932)2月に行われた第18回衆議院議員選挙の兵庫県第三区に立候補した多木久米次郎を紹介します。多木久米次郎は加古郡別府村(現加古川市)の出身で、わが国初の人造肥料を生産し、多木製肥所、後の多木化学を設立した創業者、実業家です。村会議員や県会議員を経て、明治41年第10回衆議院議員選挙で初当選し、その後、計5回の当選を果たしています。また、昭和14年には貴族院議員になっています。その多木久米次郎の立候補挨拶状を紹介します。

立候補御挨拶
謹啓いよいよ御健勝不相変為国家御精励の段欣慕
の至りに存候
偖今や我国は内憂外患並び起り国歩極めて困難の
秋に際し現内閣成立以来内には秕政百出の後を承
けて大に之を釐革し外は軟弱外交の弊を矯めて不
羈独立の外交を行ひ既に大に失墜せる国威国光を
挽回して東洋の平和を確立し帝国の利権を保全す
ると共に世界の平和に貢献せむことを期し外交に
力め軍事に尽し列国の干渉を斥け毅然たる一大決
心を以て時局に処せんとする時茲に総選挙行はれ
全国津々浦々に至るまで論戦正に酣にして朝野国
を争ふに当り不肖微力を揣らず解散後の選挙とし
て之を避くるは責任を果すの道にあらずと信じ且
つ老友犬養氏は数十年来の知己にして切なる希望
拒むに由なく各位の御諒解を俟たずして立候補し
たるは真に敬意を欠くの点に於て恐縮に堪えざる
も赤心の存する所御諒解を乞ふ
喋々を要せず各位の一票は只だ清き一票にあらず
して国家の盛衰興廃に係はる権威絶大なる一票な
り諸君の名誉大にして責任又重く今日地方の疲弊
困憊は畢竟此一票の行使を誤りたるに職由せずん
ばあらず不肖茲に立候補せし所以のものは老友を
扶け政府を激励して此重大時局に善処せしめんと
するの微衷に外ならずといへども諸君の深甚なる
御同情を得ざれば空しく犬死せんのみ伏して願く
ば七十年の苦節を憐み国家の為深厚なる御同情と
御援助とを賜り度右立候補御挨拶旁々謹んで得貴
意候                  頓首
  昭和七年二月  日
        衆議院議員候補者
         多 木 久 米 次 郎 拜
有権者各位

       兵庫県加古郡別府町別府三四〇番地
           選挙事務長  多木常三郎






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昭和7年第18回衆議院議員選挙兵庫第三区-青木雷三郎の立候補挨拶ビラ

2022年03月20日 05時58分58秒 | Weblog
 

 昨日の犬養毅の推薦状に続いて、今日は青木雷三郎本人の立候補挨拶状を紹介します。これまで紹介してきた候補の文章と比べて読み易いように思います。また、投票用紙の具体的な書き方まで示しているのも他にはなたっかものです。


謹んで立候補の御挨拶を申上げます
  昭和七年二月

                   青 木 雷 三 郎
既に御承知の如く第六十議会は解散となりました。来る二月二十日に
は総選挙が行はれます。私は昭和五年の選挙に於て皆様の厚き御同情
と熱烈な御後援を賜りましたに不抅落選を致しました事は全く不徳の
致す處と深く慚愧に堪えぬ次第で御座います。
今回は同志各位より是非前回の雪辱戦をとの切なる御勧めによりまし
て更に立候補致しましたが又も非常に大苦戦で御座います。
前回の雪辱戦でも御座いますから何卒皆々様の厚き御同情におすがり
申し是非共当選の栄冠を得たいと存じます。幸ひ当選の栄を担ひ得ま
した節は此の重ねての御高恩に相酬ひ申上げ度い念願で御座います
私は重大なる時局の秋に当り政見の要領のみを申上げまして皆々様の
公平なる御判断に愬ぇ度いと存じます

〇重大なる時局と国民の審判
我国は今や重大なる時局に臨んで居ります。内には経済界に未曾有の難局を控え、外には満蒙問題を中心として帝国の運命を決すべき国際的危機に直面してゐるのであります。此際に於きまして政府の採るべき経済政策の適否は直ちに国民死活の問題となり、満蒙問題を中心とする対支外交の成敗は、即ち帝国存立の死命を制するのであります。
今回の総選挙は、この二大問題を中心として全国民が現政友会内閣の政策と、前民政党内閣の政策とを比較判断し、前民政党内閣の執った政策を支持するか、或はまた現政友会内閣の政策を是とするか、にあるかと思います。

〇我等の政策と私の覚悟
政策の詳細は演説会に於て申上げたいと思ひますが、要するに積極進取の経済外交が我党の本領であります、此際に於て国民はただ暗黒に向ふか光明を取るか、景気が不景気か、積極か消極か、進取か退却か、自主か追随かその何れを取るか何れを可とするかは言はずして自ら明瞭であろうと信じます。私は我党の政策実現の為に団々乎として勇往邁進せんとする覚悟であります 
 謹んで貴下の賢明なる御判断を仰ぎます

 衆議院議員      あを き らいさぶろう
            青  木 雷 三 郎
 候補者        アオ キ ライサブロウ

                 明石市相生町二丁目二〇三番地

    何れを書いて下   青 木 雷 三 郎  
    さいましても有   あをきらいさぶろう
    効で御座います   ア  ヲ   キ
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昭和7年第18回衆議院議員選挙兵庫県第三区ー青木雷三郎への犬養毅の推薦状

2022年03月19日 05時47分31秒 | Weblog
 

 これまで連続して紹介してきた昭和7年第18回衆議院議員選挙兵庫県第三区の立候補者について、小林絹治、横田孝史、高橋守雄の3人に続いて、青木雷三郎を紹介します。青木は立憲政友会の候補であり、第16回選挙で当選しています。後に明石市長を務めています。
 今日は、立憲政友会総裁の犬養毅の推薦状を紹介します。

                        青木雷三郎君
敬啓茲に衆議院議員総選挙に臨み吾党候補として右其人を推薦致し候
目下焦眉の急務外ニハ満州の前後処置内ニハ危急旦夕ニ迫る経済的困難あり
更に根本問題としてハ内ハ産業立国の大主義実施に係る諸般の改革
外にハ日華両国永遠の親和を確立する等都へて吾党の大責任を尽すへき時期と念じ謹て之を輿論に訴る候可候
此意御亮察奮て御賛成被為下度特ニ御以来申上候
不具
 昭和七年一月
     立憲政友会総裁
            犬養 毅
              東京麹町区内山下町

 同党の候補である小林絹治への推薦状と同じ文面のものです。
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春の朝の光に輝く黄色-スイセンとレンギョウ

2022年03月18日 04時55分01秒 | Weblog
 

 17日(木)の朝、庭のラッパスイセンが一輪黄色い花を開いていました。朝のまぶしい光を受けて春を告げているようでした。
 登校見守りに立っている近所の通学路の角の家のレンギョウも黄色い花をつけ、これも朝の光に輝いていました。この家の庭には、まだ寒い頃からロウバイが黄色い花をつけ、続いてこのレンギョウが咲きます。
 黄色の花の次の色は?待っているのはアンズの淡いピンク、そしてソメイヨシノの桜です。もうすぐ近くに来ているようです。
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昭和7年第18回衆議院議員選挙兵庫県第三区ー民政党 高橋守雄の立候補宣言③

2022年03月17日 05時21分08秒 | Weblog
 

 昭和7年(1932)2月実施の第18回衆議院議員選挙、兵庫県第三区において民政党の公認候補として立候補した高橋守雄の立候補宣言を紹介していますが、今日はその3回目です。

階級相互の利害を融和して社会の円満なる発達を図り人をして各其處を得せしめざる可からず、正義に立脚して外交の刷新を期するは其六なり、表に平和を粧ふと雖も国家対立の状日に顕なるに際し国際信義と平和の確立に努力し特に東亜民族の興隆東洋永遠の平和の為めに周到の用意を致さざる可からず、以上は実に吾人が抱懐せる所見の一端なり唯だ夫れ普選の実施に依り国民の総意を以て庶政を整備し興国の大本を定め蕩々たる皇道の精華を四海に布かんとするに際し憂国の至情禁ずる能はず宿昔の微衷を更張し一貫の操守を堅持して以て邦家の為に誓って淬励の誠を致さんとするの念愈々切なるを覚ゆ、是れ茲に立候補を宣すると共に有権者諸賢の批判を請はんとする所以なり
   昭和七年二月
               民政党公認
               衆議院議員候補    高 橋 守 雄
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