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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

加東遺産-安国寺と足利義教の首塚①

2008年06月30日 05時02分21秒 | Weblog
 6月中旬、梅雨の合間の晴れた朝、安国寺(加東市新定)へ行ってみました。平日のまだ朝だというのに駐車場にはバスが一台止まっていました。加東市(旧東条町)の友好都市シェラン市(米国ワシントン州)からの訪問団一行が見学に訪れていたのです。山門をくぐり庭に入ると、ちょうど一行が本堂の拝観を終えて出てきたところでした。
 私は寺の裏にある足利義教の首塚に向かいました。本堂の裏には蓮池があり、その畔のこんもりと一段高いところに首塚があります。階段を上っていくと塀で囲まれた一画があり、苔で覆われたその中央に宝篋印塔(ほうきょういんとう)が祀られています。宝篋印塔とは鎌倉時代から造られるようになった供養塔のことです。
 そこへシェラン市の一行がやってきました。引率の方からここに将軍の首が埋められて祀られていると説明されると、目を丸くして驚きながら、「ではボディは?」という質問を返していました。引率の方もこの質問には少し戸惑っているように見えました。これも文化の違いでしょうか。首を切ってその首だけを京都からこの離れた地に運んできて祀るということがよく理解できていないようでした。
 一行の若者は「ショーグン」の首塚よりも蓮池のカエルに興味があったようで、蓮の葉の上のカエルを見つけてははしゃいでいました。足利義教も自分の死後550余年もあとに青い目の少年少女がこうして自分の供養塔を訪れるとは夢にも思わなかったでしょう。

 さて、安国寺は「加東遺産10選」の一つに選ばれています。加東遺産のキャッチフレーズは「世界に一つ!」ですが、「安国寺」はよく知られているように室町幕府を開いた足利尊氏が名僧夢窓国師の勧めによって、北条氏を弔い国の安定を祈って一ヶ国一寺、全国60余州に建立しようとした寺の一つです。寺名は臨済宗東渓山安国寺。開祖は京都東福寺管長、固山一鞏禅師で、暦応2年(1339)に建立されたと伝えられています。開山当時は安国寺の付近に24の搭頭があったといいます。現在の本堂は明治29年(1896)に再建されています。

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昭和12年-戦捷を祝う国旗掲揚

2008年06月29日 05時48分20秒 | Weblog
 昭和12年(1937)年11月、北支における戦捷を祝って各戸に国旗掲揚を行うよう社町長から各区長に伝達の通知が出されています。これまでにも提灯行列や祈願祭、戦捷祝賀会開催などの通知を紹介してきましたが、中国大陸での戦線が拡大していくに従って、国内においても前線に呼応した動きが頻繁に行われていたことを知ることができます。


至急
 昭和十二年十一月七日
              社 町 長
各区長殿

 国旗掲揚方ノ件

北支ノ戦果進ミ敵軍ノ山西最後ノ抵抗線タル要衝太原モ昨六日午前九時遂ニ勇猛果敢ナル皇軍ノ手ニ帰シ城頭高ク日章旗ヲ翻スニ到レリ
 此ノ大捷ヲ祝シ皇軍勇士ノ武運ヲ祝福スベク各戸ニ国旗ヲ掲グル様致度ニ付
御多忙中恐入候ヘ共至急各戸ニ御伝達ノ上祝意表スル様御配慮相成度及御依頼候也
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昭和12年-提灯行列の案内

2008年06月28日 05時59分00秒 | Weblog
 昭和12年(1937)10月28日、上海の陥落を祝って提灯行列を行うという通知が出ています。


 昭和十二年十月二十八日
                  社町長   大橋實次
官衙学校長
町会議員
区長
団体長         殿
軍事扶助委員
青年、国婦、女青支部長
在郷軍人班長

陛下ノ忠勇ナル軍隊ハ北支ニ医大ナル戦果ヲ獲得シ今又不落ヲ誇リシ上海ノ堅陣ヲ一蹴シ武威ヲ世界ニ宣揚サレタリ 爰ニ於テ左記ノ通リ祝賀会、武運長久祈願、並ニ祝賀旗、提灯行列ヲ計画候条御賛同御参列相成度

     左記

一 日時  本日(二十八日)午後四時半
一 場所  県社佐保神社境内
一 順序  祈願祭、祝賀大会、提灯行列
一 各自携行品  小提灯、ローソク、竹竿又ハ旗
        (提灯ハ予テカラ註文シテ居リマシタガ註文殺到デ極ク少数ヨリ準備ガアリマセンカラ出来ル丈ケ御持参願ヒマス)
  各区長ハ区内各戸ニ出席スル事ト携帯品ト尚粗酒ヲ差上マスカラ各デ盃ノ準備ヲ願ヒマス

各団体ノモノハ制服(軍人ハ軍服青年ハ団服)ニテ参集セラレ度
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昭和12年-軍事後援会の宣言と決議

2008年06月27日 05時14分21秒 | Weblog
 昭和12年(1937)8月26日に開催された皇軍武運長久祈願祭、社町軍事後援会総会での宣言、決議文を掲載します。


  宣 言

天業ヲ恢弘シ皇道ヲ宣布シ以テ世界平和ノ維持ト人類福祉ノ増進ヲ図ルハ皇祖肇国ノ大謨ニシテ是我皇国萬世不易ノ一大使命タリ.我帝国ハ恒ニ隣邦支那誘掖庇護シツヽアルニ拘ラス驕慢ナル支那ハ却テ全面的武力抗日ヲ策シ遂ニ今次ノ北支並中南支ノ事変ヲ勃発セシムルニ至リシハ慨嘆ニ堪ヘザル所ナリ帝国ハ今重大ナル時局ニ直面セリ対支問題ヲ根本的ニ解決スルハ實ニ帝国存立上絶対ノ要事ニシテ挙国一致毅然トシテ起チ所信ヲ断行シ国民政府ヲシテ徹底的ニ其ノ非ヲ改メシムルニ非スンバ何レノ時が国是ノ確立ヲ期スルヲ得ン
吾人ハ敢然蹶起シ愈々結束ヲ固クシ国論ヲ喚起シ断乎トシテ我公明正大ナル主張貫徹ニ全福ノ支持ヲい致シ皇軍将兵ニ深甚ナル感謝ノ誠意を捧グルト共ニ銃後ノ護リノ萬全ヲ期スルモノナリ


  決 議

吾人ハ当局ノ固キ決意ニ信頼シ協力一致帝国ノ使命達成ニ邁進センコトヲ期ス
吾人ハ炎天下ニ活躍スル皇軍将兵ニ対シ深甚ナル感謝ノ意ヲ表スルト共ニ銃後ノ後援ヲ全ウシ出征将兵ヲシテ後顧ノ憂ナカラシメンコトヲ期ス
右決議ス

 昭和十二年八月二十六日

        社町軍人後援会
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昭和12年-社町軍事後援会総会と皇軍武運長久祈願

2008年06月26日 09時08分06秒 | Weblog
 昭和12年(1937)8月26日、社町軍事後援会の総会と皇軍武運長久祈願祭が行われています。北支事変が起こり、出動命令が下って郷土から多くの兵士が出征していくなか、町では銃後の後援、兵士の武運祈願などを行っていました。


軍事後援会並皇軍祈願祭執行要綱

一、開催期日  八月二十六日  午後七時
二、当日ハ午後六時消防警鐘ヲ以テ集合ヲ合図ス
三、午後七時 佐保神社境内ニ集合ノコト(時間励行)
四、午後七時十分ヨリ 祈願祭執行
五、祈願祭終了後 元郡公会堂ニ於テ第二回当町軍事後援会開催 公会堂ヘ集合ノコト
六、各戸必ズ一人ハ出席ノコト
七、各区長ハ部内ヲ一纏メトシテ引率ノコト
八、各種団体長ハ便宜団体毎ニ取纏メアラレタシ
九、総会終了後午後八時ヨリ当日開催ノ時局映画会参観ノコト
一〇、各組 消防小頭ハ午後六時ヲ期シ各組ニ於テ集合合図ノ警鐘ヲ打鳴スコト



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昭和12年-佐保神社で武運長久祈願

2008年06月25日 05時20分57秒 | Weblog
 昭和12年(1937)7月7日、北京郊外の蘆溝橋付近で起きた日本軍と中国軍の間の衝突をきっかけに北支事変が起こりましたが、佐保神社では7月の夏季例祭の日に皇軍武運長久祈願祭が行われています。社務所からの案内を紹介します。
 

拝啓今次図ラズモ北支事変ノ突発ヲ見ルニ至リ候ニ就テハ時局ノ重大性ニ鑑ミ来七月二十三日当社夏季例祭日午前八時ヲ期シ皇軍武運長久祈願祭典執行仕度候間何卒御参列被成下度此段御案内申上候                  敬具

 尚当日各種団体及氏子、崇敬者多数参拝シ国民トシテノ熱誠ナル御祈願ヲ籠メラレ度候条何卒御部内各位ヘ御手数乍ラ御伝達ノ上可然御取計被下度此段御依頼申上候
 昭和十二年七月二十一日
              懸社佐保神社社務所
 
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昭和12年-出動兵士の歓送

2008年06月24日 06時09分15秒 | Weblog
 昭和12年(1937)7月7日、北京郊外の蘆溝橋付近で起きた日本軍と中国軍の間の衝突をきっかけに北支事変が起こりました。政府は北支への派兵を決め動員を命令しましたが、7月16日には、出動する兵士の歓送に関する通知が社町長から発せられています。


号外
昭和十二年七月十六日
          社町長  大橋實次

区長
学校長   殿
各団体長

    出動兵歓送ニ関スル件

今回ノ動員下令ニ依リ出動スベキ将兵各位ニ対シ祝意ヲ表シ慰籍ヲ講ズル事ニ就テハ夫々御配意相願フ筈ニ候ヘ共取分ケ郷土出発ノ際ニ於ケル感激ハ出動将兵ノ士気影響スル所實ニ大ナルモノ有之候ニ付挙町一体精神的ニ満腔ノ誠意ヲ披瀝シテ歓送致度ニ付此ノ旨御部内一般ヘ御示達ノ上御見送相成様一般ノ御配慮相煩度
此段特ニ御依頼申上候

 追而 今回ノ充員召集者ハ左記ノ通リニシテ出発時刻等ハ決定次第御通知申上ベク候

    記

  石井重三(喜田)  門脇正次(家原)
  家永輝義(窪田)  北條 薫(野村)
              以上の諸氏
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昭和12年-出征兵士遺家族へ慰問金

2008年06月23日 05時50分07秒 | Weblog
 社区事務所『軍事関係往復文書』(昭和12年7月~14年2月)には、出征兵士の遺家族に対する慰問関係の通知なども多く綴じられていますが、そのうち、社町から出征兵士の遺家族への慰問金を贈ることについての文書、慰安会の案内を紹介します。



 昭和十二年八月十八日
           社町長   大橋實次

各区長
町会議員   殿
各種団体長

謹啓 暑熱ノ折柄益々御清健奉賀候
皇軍連日ノ奮戦ニ感謝ノ意ヲ表スルト共ニ出征兵諸君ノ御家庭ヲ慰ムルタメ郷土出身出征遺家族慰問金トシテ社町民一同トシテ金壱百円也納付致度御賛成相成度候(除出征家庭一戸平均十銭)
右御報国候也



拝啓
 時下厳寒ノ砌御尊堂愈々御清適奉賀上候
  堵而左記ノ通リ町出身出征応召軍人家族慰安ノ
 「観劇ノ夕」ヲ開催可仕候間御来観被下度
 此段御案内申上候            敬具

  昭和十二年二十三日

      社町軍事後援会長  大橋實次

神田栄太郎 殿

         記

一、日 時   十二月二十三日午後五時三十分
一、場 所   社 佐保座
  
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昭和12年-仏教者の武運長久法要

2008年06月22日 05時55分39秒 | Weblog
 社区事務所『軍事関係往復文書』(昭和12年7月~14年2月)には、武運長久祈願祭や出征兵士奉告祭などの開催通知が多く綴じられていますが、そうした行事は佐保神社(県社)で行われています。そのような中、仏教関係者による武運長久法要の案内文があったので紹介します。円妙寺は社市街地の銀座通にあります。


 拝啓 年内余日少なく愈々多端の御事と存じ上げ候 陳者来る十二月二十六日(日曜)午後一時より社町円妙寺に於て第五回国威宣揚武運長久戦時法要を厳修仕り候間御参列被下度御案内申上げ候                  

   昭和十二年十二月二十一日

               社町各宗聯合
                    仏教護国団

  神田栄太郎 殿
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昭和13年-凱旋兵出迎

2008年06月21日 06時05分30秒 | Weblog
 昨日は遺骨で無言の凱旋をした兵士の出迎えに関する通知を紹介しましたが、今日は凱旋兵の出迎え、奉告祭の通知を紹介します。(社区事務所「軍事関係往復文書綴」) 


 昭和十三年三月十一日
           社町長  大橋實次
区長   
町会議員
各学校町  殿
各団体長

  凱旋兵歓迎並奉告祭挙行ノ件

明三月十二日午後四時三十分ヨリ佐保神社前ニ於テ左記凱旋兵諸君ノ凱旋歓迎並ニ奉告祭挙行可仕候条御参列相成度此段及御案内申上候
 尚 御部内一般ヘモ御伝ヘノ上多数御参列相成様御配慮相煩度  社駅着時刻ハ十二日午後三時五十四分

      記

中西儀一(貝原) 田中勲(山国) 大橋精一(出水)

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昭和12年-遺骨出迎

2008年06月20日 05時23分22秒 | Weblog
 昭和12年(1937)の年末28日、社町長から各区長に対して「遺骨出迎」の通知が発せられています。内容は、上福田村出身の兵士の遺骨が凱旋の途中、社町内を通過するため出迎えを、という通知です。12月12日には、南京陥落の戦勝祝賀行事が行われたばかりですが、遺骨となって凱旋する勇士をこうして出迎えたんですね。


  昭和12年12月28日
               社町長   大橋實次

各区長 殿

  遺骨出迎ヘ方ノ件

本日午後二時三十分頃上福田村出身勇士遺骨無言ノ凱旋途次社町通過(加古川ヨリ松尾=社田町)セラルヽニ付御多忙中ニ候ガ御出迎ヘ相成度
此段及通牒方ノ御依頼候也

 追而 重ネテ御手数ナガラ左記各位ニモ伝□□□□□
  町会議員、在郷軍人役員全部、軍友会、青年団、女子青年団、国防婦人会、消防組、役員全部
 追而 社松尾ノ沿道ハ午後二-四時迄弔旗掲揚セラレ度
   一、出迎ヘノタメ集合時刻  本日午後二時三十分
   二、場所  社町公会堂付近沿道


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貞守の道標-田沼時代から

2008年06月19日 04時57分10秒 | Weblog
 加東市貞守(長貞地区)に一本の道標が立っています。この歴史ブログで常夜灯を紹介しましたが(平成19年3月)、道標はそのすぐ近くの用水路に沿った旧道に立っています。
 建立年は安永八年(1779)と刻まれています。江戸時代の半ば、あの田沼意次が老中の頃ですからずいぶん古い道標です。アメリカ合衆国の独立宣言が出されたのがこの3年後ですからね。
 道標の上部には仏様が刻まれており、その下に「左 きよミす たんば 道」「右 大川瀬 あい道」と刻まれています。すぐ側を用水路があり、ゆったりと水が流れていますが、大川瀬からの水だそうです。
 
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昭和13年-国防婦人会の便り

2008年06月18日 06時14分23秒 | Weblog
 昭和13年(1938)の初め、国防婦人会から戦地の兵隊さんに宛てた便りが社区事務所の「軍事関係往復文書綴」に綴じられています。


御親はしい戦地に居らせらるゝ皆様 其の後もお健やかに日々皇国のために御働き下さいまして有り難う存じます
お宅様の方も御一日お元気でお暮らしで御座居ます 何卒御安心下さいませ 私共婦人会は日夜如何にして御慰め申さんと心のみ あせれども良き方法とて思ひつかず唯々此の上は・・・ 大日本神国とて神仏に武運長久を祈願申し上げ□□□出征兵士御家内安全等のため毎月一日十一日二十一日と月三回午前に□□□□集合致し佐保神社の御前にて千度参りを実行致して居ります 尚六名づゝ毎日順番に御参りし心からお祈り申して居ります 其の他戦傷等の通知ありし場合等は夜中にても耳にせしと同時に千度参りを致して御平癒を祈願致して居ります
此の厳寒に御活躍下さる事を思へば私共は何と感謝□し致し様も筆に現す事が出来ません 日本国民総動員下銃後を守つてゐるのですから必ずや近い将来に於いて日本大勝利の上凱旋され嬉しい涙で握手する日を私共会員一同は祈願し同時にお待ち申上げ□□居ります
御無沙汰の罪を何卒お許し下さいませ
延引ながら御慰問致します

  昭和十三年戦捷のはる

      兵庫県加東郡社町社区

            国防婦人会員一同

戦地の
 御勇士様
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昭和13年-支那事変勃発一周年記念

2008年06月17日 05時31分46秒 | Weblog
 昭和13年(1938)7月7日、社町では支那事変勃発一周年を記念する事業が実施されています。この歴史ブログでも今年の2月15日付で社町常会協議事項の内容を紹介しましたが、今日はその事業内容を記した実施要綱のビラを紹介します。

 尽忠報国

 支那事変勃発一周年記念事業社町実施要綱

一、趣 旨
 来る七月七日は支那事変勃発一周年に当り聖戦の意義及時局の重大性を更に深く認識し銃後の熱誠堅忍持久の精神を増進し且物心両方面の総動員態勢を具現し以て挙国一致時艱克服に邁進するの決意を益々昂揚すると共に戦没将兵の英霊に対し感謝をなし併せて出征将兵の労苦を偲ばむとす

二、当日は早朝より国旗を掲げて下さい

三、祈願祭並に追悼祭 黙 祷
 七月七日午前七時より社町元郡公会堂社町忠魂碑前に於て皇軍武運長久祈願並に戦死者の追悼祭を開催致しますから可成多数御参拝下さい(尚正午太鼓を以て合図を致しますから自己の職場居所で一分間の黙祷を捧げて下さい)

四、慰問(町に於て計画を実施す)

五、一菜主義を励行して下さい
 当日は質実剛健勤倹力行を主眼とし衣食住に之を実践する事特に各家庭各勤務先に於は一菜主義を励行し以て出征将兵の労苦を偲び併せて困苦欠乏に堪ふる訓練を行ふこと
尚当日は旅館、料理店、食堂に於ても一菜主義による特別献立を行ふこと

六、一戸一品金物類廃物献納
 消費節約資源愛護の国民訓練として当日家庭内の廃物中特に左記金物類中一品を選び之を献納して下さい
1.献納品目
(イ)鉄類
 古釘、ブリキ缶、金属製玩具、鉄棒片、其の他鉄屑
(ロ)銅、黄銅(真鍮)亜鉛
 古銅錫、古銅鋼、銅又は黄銅製火箸、銅線、黄銅金具片、其の他
(ハ)鉛
 鉛管片、鉛製玩具、其の他
(ニ)錫
 錫箔、錫製チューブ、ブリキ鑵、其の他
(ホ)アルミニユーム
 古弁当箱、古アルミニユーム鍋、アルミニユーム製匙又は箸、アルミニユーム箔(煙草の銀紙)アルミニユーム製チューブ(歯磨容器)其の他
2.注意
(イ)献納品は家庭内の廃品を以て充て特に之がため物品を購入は絶対せないこと
(ロ)献納品の量は各戸の自由とす
(ハ)献納品は今回は金物類のみとし「ボロ」等の消毒を要するものは取扱はず
3.蒐集
 七月七碑午前九時迄に献納品を取纏めて置かれ度(国防婦人会員は之を慫慂す)
 午前九時頃より青年団員が集めに行きますから献納品をお渡し願ひます

                      社町役場
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昭和13年-徐州陥落祝賀

2008年06月16日 06時08分50秒 | Weblog
 昨日は南京陥落祝賀の提灯行列の通知を紹介しましたが、今日は続いて、翌昭和13年(1938)、社町長から区長はじめ各種団体長宛てに出された徐州陥落を祝う行事の開催通知を紹介します。


昭和十三年五月二十日
          社 町 長

区長殿
学校、団体長殿
官衙長殿

    徐州陥落祝賀ノ件

要衝徐州モ神速ナル皇軍進撃ニハ一支ヘモナク我ガ手ニ陥ツノ報ニ接シ茲ニ絶大ナル捷報ヲ祝福シ殉国勇士ノ冥福ヲ祈ルト共ニ参加将兵ノ勇戦奮闘ヲ感謝シ併セ益々御健勝ヲ祈願スルタメ左ノ通リ祈願祭並ニ祝賀大提灯行列ヲ催シ度付御部内一般ヘ御伝達多数御参加ヒ下様御配慮相煩度御通知□及依頼候也

    記

一、日時   五月二十日午後七時
二、集合場  県社左補神社境内
三、式順
1.殉国勇士ノ慰霊(本日午後一時ヨリ町長各種団体長各霊前ニ参拝ス)
2.祈願祭
3.祝賀(大提灯行列)
(註)出席ニ関シ左記事項ヲ一般ニ指示セラレ度)
1.出席者ハ提灯、又ハ旗、ローソクヲ各自携帯セラレ度
2.酒ハ少々準備致居ルニツキ各区毎ニ所要ノ盃、肴ハ御準備セラレ度
3.各戸一名以上ハ参加スル様セラレ度
4.各種団体員ハ団体ノ制定セシ服装ニテ参加セラレ度
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