ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

社小学校奉安殿の前で記念写真

2010年07月31日 05時40分23秒 | Weblog
 この写真は、社小学校(現加東市立社小学校)の奉安殿前での記念写真です。昭和10年代前半のものと思われます。町内の友人の家にあったものですが、写真に写っている先生の顔を一人ひとり見ていると、私が小学校高学年の時(昭和30年代後半)の校長先生の姿がありました。私の記憶の中にある先生のイメージに比べて、とても若くりりしいお顔でした。
 奉安殿は昭和10年(1935)に落成しています。校門を入ると正面に奉安殿があり、最敬礼していたと聞いています。敗戦後、取り壊され、現在は築山になっています。
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社の上組太鼓屋台と青年

2010年07月28日 05時32分35秒 | Weblog
 この写真は加東市社の上組屋台と青年です。撮影された時期ははっきりしませんが、昭和20年代ではないかと思われますが、調べてみないとはっきりしたことは言えません。
 上組屋台の太鼓倉で青年達が晴れやかな笑顔で記念写真におさまっています。私たちの世代の親の世代の人たちです。その息子たちが太鼓の伝統を受け継いで今は上組太鼓保存会の役員世代になっています。
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昭和40年頃-嬉野球場でバレーボール

2010年07月26日 05時41分09秒 | Weblog
 昨日に続いて、昭和40年頃、嬉野球場でバレーボールに興じる人たちの写真を紹介します。昨日はグラウンドの西にあった嬉野公民研修所の建物が写っていましたが、今日はグラウンドの向こうに、旧社中学校の校舎、社町学校給食センターの建物、中学校の運動場の西の木々が見えます。球場の外壁には「トヨペット」「ヤマサカマボコ」「板文」「清泉」などの広告も見えます。バレーボールをしている女性の溌剌とした動きと表情から掛け声が聞こえてきそうです。この場所は現在県立教育研修所の建物が建っています。
 向こうに見える社中学校の辺りは、現在、兵庫教育大学附属小学校や幼稚園の校地となり、給食センター辺りには民間住宅が建ち並んでいます。風景は大きく変わりましたが、運動場の木々は当時の姿のままにさらに大木となり、子ども達に緑陰を提供しています。
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昭和40年頃-嬉野公民研修所でバレーボール

2010年07月25日 06時24分45秒 | Weblog
 この写真は、昭和40年頃、嬉野公民研修所の東側のグラウンドでバレーボールに興じている人たちを撮したものです。
 現在は県立教育研修所の敷地になっています。また、向こうに見えている白い建物は嬉野公民研修所の建物です。また、松の木が見えますが、当時、この辺りには松の木が生えていました。現在は建物も松の木もなく、研修所跡は空き地となっていて、臨時駐車場などに使われています。
 
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大畑-半分の道標

2010年07月24日 06時00分11秒 | Weblog
加東市大畑の県道神戸加東線の小野市との境のすぐ近くを走っていると、消防団詰所脇の溝とフェンスの基礎のブロックとの間に道標のような、しかし背の低い石柱が目にとびこんできました。ふだんは気がつきませんでしたが、車を止めて近寄ってよく見てみると、上半分がなくなっている道標のようです。高さは50センチほどあるでしょうか。表面にうっすら見える字は「西國」「供養」「同・・」のようです。西国巡礼の道標だと思われます。
 梅雨が明けてまぶしい夏の陽射しと緑の草に埋もれるように、この半分欠けた道標がひっそりと立っている。県道周辺の山林からはひぐらしの鳴き声が聞こえてきます。何か昔にタイムスリップしたような静けさを感じました。
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東条ダムの水の旅-台地を潤す豊かな水

2010年07月23日 05時00分11秒 | Weblog
 東条ダム(鴨川ダム)から始まった水の旅はおおよそ標高100メートルの高さを流れていきます。幹線水路は嬉野台地の東の山中をゆったりと流れて、途中、ポンプアップされて台地の東端、依藤野へ上がり、台地をゆっくりと西に向かって流れながら田を潤していきます。
 道路よりも高いところを流れているので、道路とぶつかるところは道路の下を管でくぐります。そして、反対側に噴き出した水は水路に分流されながら、さらに台地に広がる田圃に送られていくのです。
 5月の末に水が流れてくるのですが、それまでは水のない井戸のように見えます。写真は、県道から兵庫教育大学に通じる道路との交差点近くの分流点ですが、水のない台地に太陽の光に輝きながら水がぐんぐん噴き出してくる風景は人の心を満たしてくれます。29年前のものです。
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東条ダムの水の旅-山中を縫うように

2010年07月22日 05時05分52秒 | Weblog
 東条ダム(鴨川ダム)から延びた水路はダムのすぐ下の水門から長い旅に出ます。水路橋(昨日紹介)を渡り、山裾を縫うようにゆっくりと流れていきます。今日は山裾を流れる第一号幹線水路の風景を紹介します。
 29年前に社会科の教材づくりのために水路を追って調査をした時に撮影したものです。山裾を静かにカーブしながら流れる水路。やがて、台地にポンプアップされたり、サイフォンで谷を渡ったり、池に入って、さらに流れて、分水されて田を潤す水の旅。まだ心臓であるダムから出たばかりの大動脈を流れている風景です。
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東条ダムの水-水路橋を流れる

2010年07月21日 05時11分57秒 | Weblog
 東条ダム(鴨川ダム)から長い水の旅に出た水は、第一号幹線水路を流れます。この歴史ブログの7月8日投稿の記事で、ダム近くの加東市黒谷を通る県道から見た水路橋の写真を紹介しましたが、その水路橋を上から眺めたのが今日のこの写真です。全長62メートルの長い水路橋です。普段は下からしか見ることができません。高い橋の上をダムの水がゆったりと流れているのです。
 29年前に撮影した東条ダムの水の流れの一枚です。
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東条ダムの水の旅-嬉野台地へポンプアップ

2010年07月20日 04時29分12秒 | Weblog
 東条ダム(鴨川ダム)から出た水は、幹線水路をゆったりと流れ、隧道や水路端を通りながらやがて嬉野台地の裾を曲がりくねりながら走り続けます。嬉野台地は独立した台地なので、ここでポンプアップして水を台地に送り上げます。水路から水を取り入れ、ポンプ小屋から一気に約30メートル上げるのです。管の内径は約40センチ。吹き出し口はコンクリートの頑丈な構造物になっています。
 台地の一番高い所にポンプアップされた東条ダムの水は、台地を東から西へとゆっくりと流れながら田を潤していくます。かつて、不毛の台地といわれた嬉野台地が豊かな水田に姿を変えたのは、この東条ダムの水が送られてきたからです。
写真はポンプアップされて水が噴き出す口ですが、29年前に取材した当時のものです。水は流れていませんが、田植えの前の頃、この口から勢いよく水が噴き出します。
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東条ダムへ-大川瀬導水路取入口

2010年07月19日 05時47分23秒 | Weblog
 東条ダム(鴨川ダム)へは、上流の大川瀬から水が取り入れられています。29年前に水源を辿って、大川瀬の取り入れ口までバイクで行ってみました。
 ものすごい岩壁の下に大川瀬導水路取入口があります。取水堰は幅約45メートル、高さ約3.5メートルあります。ここからダムまでは約5キロメートルの水の旅が始まります。隧道を3キロ、開渠部分を2キロ、そしてまた隧道を300メートルという旅です。
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東条ダム-水の旅の始まり

2010年07月16日 04時34分43秒 | Weblog
 東条ダム(鴨川ダム)からの用水は、血管のように延びる水路を通って、加東、小野市域の広大な農地に送られています。その水の旅の始まりが写真のゲートなのです。
 ダム堰堤の下の見下ろすところに水路の出発点があります。はじめは暗い隧道の中ですが、やがて開渠に出て、谷を水路端で渡り、山裾を縫うように走り、またポンプアップで台地へ引き上げられ、あるいはサイフォンで大きな谷を渡ります。その長い水の旅の始まりがこのゲートなのです。ただし、この写真は29年前の調査で撮影したものですが、今も変わらぬ姿であるのでしょうか。
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東条ダムからの水の旅-山中の分流点

2010年07月15日 05時11分28秒 | Weblog
 東条ダム(鴨川ダム)からの幹線水路は、谷を水路橋で渡り、隧道でくぐり抜け、山すそを曲がりくなりながら延びています。その水路を辿っていくと、やがて、安政池(加東市松沢)の東側の地点で二股に分かれます。一方は嬉野台地から曽根サイフォンへと向かう線、もう一方は安政池から嬉野台地の西端へと流れ、今の兵教大附属小の辺りへ向かいます。
 山中の分流点。29年前の写真ですが、今も変わらず田の命の水がゆったりと流れているのです。
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昭和池からの水-藤田サイフォン吐口

2010年07月13日 05時48分21秒 | Weblog
 昨日は昭和池から嬉野台地に延びる幹線水路に設けられた藤田サイフォンの呑口の写真を紹介しました。今日は谷を渡って台地の北端に噴き出す吐口の写真を掲載します。
 この写真は29年前に撮影したものですが、現在も変わらずほぼこの姿で存在します。しかし、道路から離れた場所にあることから、知る人も少なくなる一方です。かつて、昭和池からの水が谷を渡り、この台地に噴き上がって、さらに水路を走って、遠く福田地区へと延びていたのです。その歴史を今に伝えているのがこの写真の構造物です。
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昭和池からの水-藤田サイフォン呑口

2010年07月12日 06時46分51秒 | Weblog
 昨日紹介は、昭和池から嬉野台地へ通じる水路のうち、藤田サイフォンの全景を写真で紹介しました。
 今日は、そのサイフォンの呑口、すなわち昭和池から長い旅に出た水が水路から管に流れ落ちるところの覆いとなっている施設の写真を紹介します。昨日の全景写真の白い矢印の地点にあり、29年前の当時もすでに使われておらず、山の中にひっそりとコンクリートの四角い構造物があるだけでした。
 「第参合サイフォン呑口」と白い寺が浮き彫りになっていました。この施設を含めて昭和池第三号サイフォン(藤田サイフォン)をまるごと地域の歴史遺産としてもう一度光を当てていきたいものと思います。
 
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昭和池から嬉野台地へ-藤田サイフォン全景

2010年07月11日 05時19分57秒 | Weblog
 29年前、兵教大附属小に勤務し、4年社会科の教材研究で嬉野台地の開発を調べました。その時に、昭和池からはるばる水を引いて嬉野の開発が進められたことを知り、その水路を辿ってみました。
 三草山の麓に築かれた昭和池。そこから水路や隧道で水路が延びる。しかし、嬉野台地に水を送るには、千鳥川(久米川)の谷を渡らなければならない。そこで、長大なサイフォンが築かれたのです。
 写真の白い矢印が藤田サイフォンの呑口です。サイフォンは谷を下り、川の下を通り、嬉野台地側(写真右)に駆け上がって吐口に噴き上がってきます。この写真は吐口側から呑口を望んで撮ったものです。
 29年前、すでに使われていませんでしたが、昭和池幹線水路旧福田線の藤田サイフォンは偉大でした。今は水が走らなくなったこのサイフォンですが、先人の開発の大切な遺産として記憶しておきたいと思うのです。
 
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