加東市立社小学校の校庭の築山に今は庭石として置かれている「令旨塔」の石について、一枚のの写真を手がかりにしてその経緯を探ってきましたが、この令旨塔建設に当時青年団員として熱い思いで関わっていた父の日記から関連する記述を抜き出し、もう一度建設までの過程を見てみたいと思います。
最初に出てくるのは昭和5年の11月22日、すなわち「青年記念日」(令旨下賜記念日)です。青年団の社支部で何か計画しようという支部長の提案があったようです。
そして、11月27日は第1回目の令旨塔を建設するための石取りのことが日記に書かれています。これについてはすでに5月20日のブログで紹介しました。今日はその後の動きを日記から紹介します。
昭和5年
○11月29日
「第二回令旨塔石取り」
仕事が馬鹿につかえてゐるのにまた岩をとりに出かけねばならなかった。八時半頃から足袋もはかず草履をはいて山口と馬瀬の間の河に入った。河の水は馬鹿に冷えてゐる。じつとしてゐられない程だ。一の石、二の石全部が失敗に終る。そして遂に昼食となつてしまつた。唯昼食をする時が一種の興味をもたれてゐるようにも思はれて来る。午後から社町有林に入って二,三の石をあげて滝野の山から又馬鹿に高い所から遊び半分に大岩を崩した。豪快か、痛快か、とかく興味はあった。~後略~
○12月1日
「岩取り」
ゆつくりと眠れる筈に思ってゐたのが電鈴がはげしくなつてまた令旨塔の岩とりとなった。仕方ない。~中略~馬瀬の山奥で昼食をたべた。風が強いのでそ程に美味くなかつた。一日から山の上で飯をたべるなんて。車力の下敷になつたりした。午後六時帰着。~後略~
○12月11日
「岩取り」
~前略~ 拾時過迄に山に出かけた。皆が岩をとりに出かけてゐたので。拾時頃着。体は従前の通りになった。滝野山から崩した岩を二拾□名かかつて二十二三ヶをあげた。昼食の面白さは又格別なものだつた。日曜なので○○○君迄が来てゐた。昼弁当を食べに来たのかも知れない。夕刻に帰った。途中に岩の中に大方右足をしかれてゐたのが助かってよかった。~後略~
○12月28日
「石取り 鴨川に行く 支部長会」
~前略~ 青年の石取りだと言ふので弟に仕事をまかせて行く。呑気でいいんだもの。鴨川から小山まで行った。なんとなく鴨川がなつかしかった。~後略~
昭和5年の日記には附録に「家庭ノート」の頁があり、誕生日や先祖祭の日を書き込むようになっていますが、父は誕生日と「青年記念日」を書き込んでいます。
○青年記念日 十一月二十二日 摂政宮殿下令旨御下賜記念日
父等青年団員にとって、令旨が大切なものとして意識されていたことがよくわかります。
最初に出てくるのは昭和5年の11月22日、すなわち「青年記念日」(令旨下賜記念日)です。青年団の社支部で何か計画しようという支部長の提案があったようです。
そして、11月27日は第1回目の令旨塔を建設するための石取りのことが日記に書かれています。これについてはすでに5月20日のブログで紹介しました。今日はその後の動きを日記から紹介します。
昭和5年
○11月29日
「第二回令旨塔石取り」
仕事が馬鹿につかえてゐるのにまた岩をとりに出かけねばならなかった。八時半頃から足袋もはかず草履をはいて山口と馬瀬の間の河に入った。河の水は馬鹿に冷えてゐる。じつとしてゐられない程だ。一の石、二の石全部が失敗に終る。そして遂に昼食となつてしまつた。唯昼食をする時が一種の興味をもたれてゐるようにも思はれて来る。午後から社町有林に入って二,三の石をあげて滝野の山から又馬鹿に高い所から遊び半分に大岩を崩した。豪快か、痛快か、とかく興味はあった。~後略~
○12月1日
「岩取り」
ゆつくりと眠れる筈に思ってゐたのが電鈴がはげしくなつてまた令旨塔の岩とりとなった。仕方ない。~中略~馬瀬の山奥で昼食をたべた。風が強いのでそ程に美味くなかつた。一日から山の上で飯をたべるなんて。車力の下敷になつたりした。午後六時帰着。~後略~
○12月11日
「岩取り」
~前略~ 拾時過迄に山に出かけた。皆が岩をとりに出かけてゐたので。拾時頃着。体は従前の通りになった。滝野山から崩した岩を二拾□名かかつて二十二三ヶをあげた。昼食の面白さは又格別なものだつた。日曜なので○○○君迄が来てゐた。昼弁当を食べに来たのかも知れない。夕刻に帰った。途中に岩の中に大方右足をしかれてゐたのが助かってよかった。~後略~
○12月28日
「石取り 鴨川に行く 支部長会」
~前略~ 青年の石取りだと言ふので弟に仕事をまかせて行く。呑気でいいんだもの。鴨川から小山まで行った。なんとなく鴨川がなつかしかった。~後略~
昭和5年の日記には附録に「家庭ノート」の頁があり、誕生日や先祖祭の日を書き込むようになっていますが、父は誕生日と「青年記念日」を書き込んでいます。
○青年記念日 十一月二十二日 摂政宮殿下令旨御下賜記念日
父等青年団員にとって、令旨が大切なものとして意識されていたことがよくわかります。