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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

大師殿の門柱-役所だった頃のもの?

2014年12月31日 09時26分35秒 | Weblog

 加東市社の持寶院の境内に大師殿があります。この歴史ブログでは何度も紹介をしてきた社の聖地めぐりのスポットの一つで、加東四国八十八ヶ所霊場の仕上げの道場として知られ、堂内には日本一の木像の大師像が安置されています。

 この大師殿の入口に寺院には不似合いの石柱が門柱として立っています。この大師殿は大正時代に建てられたものですが、それ以前、明治維新から役所が置かれていました。元は、一乗院という寺院があったのですが、明治維新の頃には廃寺となっていました。そこに飾磨県の出張所が置かれ、その後は税務署、加東郡役所が置かれていました。税務署時代の写真(『加東郡誌』)を見ると、立派な石造の門柱が写っています。加東郡公会堂の門柱と同じような形のものです。大師殿にお参りする度に、この門柱は昔の役所時代のものではないかと思っています。そうだとしたら、明治時代の兵庫県、加東郡の行政の歴史を伝える貴重な遺産だということですね。

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明日は大晦日-持寶院で除夜の鐘

2014年12月30日 05時59分52秒 | Weblog

 明日、12月31日は大晦日。加東市社にある慈眼寺持寶院では、恒例の除夜の鐘、ぜんざいの無料接待が行われます。

 毎年、11時40分頃に友人と門前に並び、除夜の鐘を撞く順番を待ちます。鐘を撞いたあとは、本堂で奉賛会の皆さんによるぜんざいのお接待を受けます。冷えた体に甘く温かいぜんざいがしみわたります。

 本堂の次は、大師殿にお参りします。大師殿では護摩木をささげます。日本一の木像大師像で知られるお大師様のお顔を拝し、この一年の感謝と来る年の無病息災、家内安全をお祈りします。これが明日の大晦日の除夜の鐘の行事です。どうぞお越し下さい。

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恵比須神社-佐保神社境内

2014年12月29日 09時03分36秒 | Weblog

         

 28日(日)の早朝、ウォーキングの途中に佐保神社に参拝しました。境内の西側には小宮が並んでいますが、北西の一角に恵比須神社が祀られています。年明けの1月9日、10日は社えびす祭りが賑やかに行われます。佐保神社参道や市街地周辺に「社えびす」の幟があげられている風景をこのブログで紹介しましたが、その恵比須神社の写真を紹介します。参道、拝殿、本殿、背後に恵比須蔵があります。えびす祭ではこ参道に御神酒、御札、福飴、吉兆などの売場が設けられ、多くの参拝者で賑わいます。私も恵比須講の一員ですが、年々講員が減少していて残念な思いです。

 

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明治45年創建当時の門柱-元加東郡公会堂

2014年12月28日 06時03分29秒 | Weblog

 加東市社の市街地の南端に明治館があります。この建物は元加東郡公会堂で、今から100年余り前に建てられた歴史的な建築物です。この歴史ブログでは、この元公会堂で開催されてきた会議や講演会、活動写真会などを紹介してきていますが、まさに近代加東郡の政治、経済、文化の殿堂としての役割を果たしてきた建物です。修理が行われ、現在は加東市明治館として活用されています。

 その建物の正面、道路に面して2本の高い石柱が立っています。その脇に小さな石柱が置かれ、「創建当時の門柱」社町と刻まれていました。この門柱は加東郡公会堂として建てられた当時の門柱だったのです。100年の歴史を今に伝えています。

 加東郡公会堂について-歴史ブログの記事再掲(2014.2.8)

 明治22年(1889)、町村制が実施され、加東郡(現在の加東市、小野市域)に15の村が発足しました。そのうち、加東市域には社村をはじめ9ヶ村が発足しました。
 明治29年には郡制が制定され、県の下に正式な自治団体としての郡が置かれました。すでに加東郡の郡役所は社に置かれていました。そして、郡制の実施にともない、郡会が設けられ、選挙された議員による郡議会がつくられました。
 明治44年12月に郡会において、加東郡公会堂を社村に建設することが決議され、翌45年(大正元年)に完成しました。郡制の下では、この加東郡公会堂で郡会が開かれ、旧加東郡の重要な問題が議論されていました。大正末に郡制が廃止されたあとは、社町の公会堂として利用され、さまざまな団体の会議や集会、文化的な催しに使われ、政治・文化の中心としての役割を果たしてきました。
現在は明治館として地域の催しや文化団体の練習などに使われています。明治建築の趣を現在に伝える貴重な建築です。

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昭和8年-社町(旧)社区の溜池調査報告

2014年12月27日 05時31分27秒 | Weblog

 昨日、昭和8年(1933)に行われた農業水利溜池調査依頼を紹介しましたが、今日はその報告を紹介します。社町社区事務所の用箋に赤字で記された報告が社町社の文書綴に綴じられています。(現在の加東市社)

 農業水利溜池調査書  堤体瘠薄ト漏水甚大

( 所在地大字名   調査順位   溜池ノ名称  水面積   灌漑耕地面積   記事 )

社町社  一  蓮池   三九二〇  二〇〇〇〇  漏 灌漑不足 半分

社町山国  二  猪ヶ谷池  一町二反  六町     堤体瘠薄

社町社  三  皿池  七反九畝十九歩  十二町    堤体瘠薄

社町社  四  若ヶ谷池  二反七畝廿歩  一町四畝   灌漑不足 三分

社町山国  五  猪ヶ谷池  一町五反  六町  堤体瘠薄

   昭和八年三月廿八日

                           区長  増 田 政 次  

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昭和8年-農業水利溜池調査

2014年12月26日 07時59分10秒 | Weblog

 兵庫県は全国一のため池王国ですが、中でも降水量の少ない北播磨には昔から多くのため池が築かれてきました。現在、老朽化したため池の調査や補修が行われていますが、昭和8年(1933)当時の文書綴の中に、農業水利溜池の調査依頼書が綴じられています。危険状態や貯水量不足などを調査報告せよというものです。

社通一第五〇八号一

  昭和八年三月廿七日          社 町 長

各 区 長  殿

   農業水利溜池調査ニ関スル件照会

昭和八年度ヨリ本県ニ調査斑ヲ設置シ首標ノ施行可相成筈ニ有之候處右ハ溜池ノ現状ヲ詳細ニ調査シ将来欠潰ヲ防止シ若クハ用水ノ充実等ニ付実施的計画資料ヲ得ラレントスル趣旨ニ有之候付テハ右記事項ニ付調査ノ上四月五日迠ニ御報告相成度此段及照会

  追テ万一期日迠ニ御回答無之向ハ勝手ナガラ該当無キモノトシテ処理可致為念申添候

    記

一、危険ノ現状ニアリト認ムル溜池

 所在地 大字名 調査順位 溜池ノ名称 同上水面積 灌漑耕地面積 記事

 備考

 一、危険ノ現状トハ堤体瘠薄トナルモノハ餘水吐ノ断面狭少ナルモノ或ハ漏水甚シキモノ等ナリ

 二、調査順位ハ調査ノ急ナリト認ムルモノヨリ順次番号ヲ付スルコト若シ記載順ナル場合ハ備考ニ其旨説明スルコト

一、貯水量不足ト認ムル溜池

 所在地 大字名 調査順位 溜池ノ名称 同上水面積 不足数量概算 記事

 備考

 一、調査順位ハ前項備考ノ二ト同ジ

 二、同一溜池ニシテ前項ト兼ヌルモノハ前項調査表ニ記載シ記事欄ニ不足水量ノ概算ヲ説明スルコト

 

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佐保神社参道に社えびすの幟

2014年12月25日 04時53分19秒 | Weblog

 今年もあと数日を残すのみとなりました。朝歩いていると、佐保神社(加東市社)の参道入口の交差点、道標の立っている上に「社えびす」の幟が立てられていました。

 年明けの1月9,10日の2日にわたって「社えびす」、「やしろのえべっさん」として親しまれているえびす祭りが行われます。この日は、市内の各神社でもえびす祭が行われますが、佐保神社の境内にある恵美須神社には多くの人が福をもとめて参拝し、飴を買ったり、福引きをしたりして一年の福を占います。

 佐保神社境内の恵美須神社は、享保年間に山氏神社(社市街地)の鳥居前から移転された(『佐保神社誌』)とあります。私もえびす講の講員で、当番の年には御札づくりや参拝者の接待などの仕事をやります。幟を見ながら、早や一年が過ぎたんだなあと思ってしまいます。

 

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ステラ・パークの夕日

2014年12月24日 05時12分01秒 | Weblog

 23日(火)、天皇誕生日に加東市社の社中央公園のメインにあるステラ・パークで「地球にやさしいクリスマス・イブ」が開かれました。午後5時前に会場に行くと、ちょうど西の地平に夕日が今まさに沈もうとしているところでした。

 このステラパークは、嬉野台地の西端に位置し、社の市街地を眼下にしながら、加古川をはさんで、さらに西に広がる青野原台地を望める絶好の場所になっています。市内でも有数の夕日の美しいスポットです。今日は特に夕日が美しく、青野原台地の南端のさらにその向こうの低い山に沈む夕日の輪郭がはっきりと見えるほどでした。空には、青から茜色へと色が変化し、飛行機雲も照らされて輝いていました。

 手前には中央公園内の金屋谷池の水面も空を映しています。天気の良い日の夕方、この美しい夕日の見えるステラパークへ一度来てみて下さい。きっと素晴らしい展望が開けています。

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冬の陽に輝く東条湖

2014年12月23日 05時17分47秒 | Weblog

 22日(月)、加東市の下鴨川から東条黒谷へと車を走らせていると、冬の陽に白く輝く東条湖の湖面が目に飛び込んできました。冬になり、葉が落ちた木々の間から湖面が見えるようになっていたのです。湖面の遙か向こうの地平には六甲連山が連なっています。

 東条湖は戦後の食糧増産のために国営ダムとして建設された鴨川ダムによってできた湖です。湖の底には土井がありましたが、昭和23年(1948)に立ち退きが決まりダム建設が始まりました。昭和26年に完成し水が貯められてこの湖ができたのです。

 この歴史ブログでは鴨川ダム(東条ダム)の建設、そして水利システムなどについても多く投稿してきましたが、湖を見下ろしながら、あらためて、土井のことを語り続けておられた藤原栄さんのことなどを思い出しました。いい天気の日には冬の東条湖を見に来ませんか。

 

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昭和7年-社町消防組の新年初出式案内

2014年12月22日 04時49分30秒 | Weblog

 今年もあと一週間を残すのみとなりました。新年の準備が行われていますが、昭和7年(1932)の年末、社町消防組組頭から町会議員、区長宛てに新年の初出式の案内が出されています。消防の初出式は小学校の校庭や元加東郡公会堂前などで行われていたようです。当時の社町社(現加東市社)の雑書綴に綴じられている案内文を紹介します。

昭和七年十二月二十八日

               社町消防組々頭  黒石丑吉

各 町会議員 区長 殿

拝啓本年モ余日無之御繁多の御事と奉存候 左記日時場所ニ於テ昭和八年度本町消防組初出式挙行可致候条厳寒之折柄誠ニ恐縮之至りニ御座候ヘ共御臨席ノ栄ヲ得申度此段御依頼申上候

一、日時  昭和八年一月一日午前八時

一、場所  社小学校々庭

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昭和7年-社町婦人会の支会長会案内

2014年12月21日 04時58分07秒 | Weblog

 昭和5年(1930)の文書に社町婦人会の会則原案があることをこのブログで紹介しましたが、同じ5年には婦人会が主催する敬老会も開かれています。今日紹介するのは昭和7年(1932)の4月、婦人会の支会長会の案内通知です。社小学校の読書室での開催となっています。

 昭和七年四月六日

                        社町婦人会長

各 幹事 支会長 殿

拝啓 春暖の好季弥〃お勝の御事を御慶び申上げます さて 甚だ 唐突では御座いますが 明七日午后一時 小学校読書室で 支会長会を開催いたしますから 御多用ではございませうが 御繰合はせの上 御出席下さいますやう 右御通知申上げます

 

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昭和4年-社の佐保座で在郷軍人会総会・家族会

2014年12月20日 06時00分17秒 | Weblog

 昭和4年(1929)、加東郡社町の在郷軍人会分会の総会と家族招待会が佐保座で開かれています。佐保座は当時、加東郡社町社、今の加東市社の市街地の銀座通りにあった劇場で、当時の娯楽の殿堂として、近隣町村からも多くの人が訪れていました。その案内状が当時の社区の文書綴に綴じられています。

拝啓 時下愈々ご健勝お祝致します 

さて来る拾月拾弐日午後六時から社町社佐保座に於て社町分会第三回総会及家族招待会を催します 就ては御多用中夜分遠路恐縮で御座いますが奨励の為御臨席の栄を得度存じます

右御案内申し上げます

  拾月九日

                      社町分会長   上 月 安 治

社区長 殿 

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昭和4年-元加東郡公会堂で家畜衛生活動写真会

2014年12月19日 04時54分48秒 | Weblog

 加東市社の市街地の南端にある加東市明治館は、明治45年に加東郡公会堂として建てられた由緒ある建物です。現在は明治館として催しなどに使用されていますが、昭和4年(1929)の社区(現加東市社)の文書綴に家畜衛生の活動写真映写会の案内が綴じられています。活動写真は大正時代に普及しており、昭和初期にはこの元公会堂で各種の活動写真会が開催されています。写真は昭和10年代のものです。

昭和四年九月廿七日  加東郡畜産組合

                   社 区 長

各区長 殿

    活動写真映写ノ件

来ル廿九日午后七時ヨリ社町公会堂ニ於テ縣聯合会主催家畜衛生ニ関スル活動写真映写会開催相成候ニ付多数参観相成候御配意相煩度此段及通知候也

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昭和4年-種痘通知書の配布

2014年12月18日 04時26分30秒 | Weblog

 昭和4年(1929)、当時の社町社(現在の加東市社)の区長雑書綴に種痘通知書配布に関する通知が綴じられています。

 日本では明治時代から天然痘の予防として種痘の接種が義務づけられていました。通知文によると、元加東郡公会堂(現加東市明治館)、社小学校で実施されるとあり、区長に対してその通知書の配布を依頼しています。この歴史ブログでは、昭和6年の同様の文書を紹介していますが、その時の会場が黒石医院となっていました。

 

 昭和四年五月四日

                                  社 町 長

社区長殿

  昭和四年度接種痘通知ノ件

首題ノ件左記ノ通リ施行候条貴下一般ニ御伝達相成度候也

 追記 御手数乍種痘通知書ヲ御配布相成度

  左記

期日 第一期一回接種者 五月十五日 午前八時ヨリ

場所 元郡公会堂内ニ於テ

期日 第二期一回、二回、接種者 五月十六日 午後一時ヨリ

場所 社小学校内ニ於テ

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昭和4年-社町社区の正副評議員・参与委員会案内

2014年12月16日 04時32分23秒 | Weblog

 「昭和4年四月 雑書綴 社町社」と表紙に書かれた文書綴の中に当時の社区の評議員・参与委員会開催の案内が綴じられています。現在の加東市社にあたる区域にあたりますが、区長から参与委員・正副評議員に宛てて毛筆で回覧になっています。参与委員には、原、松本、肥田ら5人の押印が、評議員には、林、堀本、高瀬、臼井、本多、内橋、川崎、三木、増田、岸助ら18人の押印があります。昭和4年(1929)ですから85年前。社区では、役員会の案内が達筆、候文だったんですね。もし、日本が戦争に勝ち、国語改革もなかったとしたら、現在も漢文かな混じりの候文調で書いていたんだろうか、などと想像してしまいます。(写真)

拝啓

明三月四日午后七時揃ヒ西浦倶楽部ニ於テ正副評議員並ニ参与委員会開催仕度候間御参会相成度御案内申上候也

  昭和四年三月三日

         社町社区長   肥田安兵衛

          仝 出納役   神崎壽景

参与委員 殿

正副評議員 殿

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