ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和34年-正覚坊保育園の視察

2008年07月30日 07時06分07秒 | Weblog
 今日紹介する写真は、昭和34年(1959)5月29日に社町議会厚生委員会が正覚坊保育園(現、加東市上田)を巡視した時のものです。
 写真を見ると、当時は境内に園舎があり、視察する議員さんと園児たちが写っています。 
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昭和34年-東条湖をバックに

2008年07月30日 05時54分01秒 | Weblog
 この写真には、昭和34年(1959)5月20日の日付と「東条湖を背景に建委の一行」の書き込みがあります。社町議会建設委員会の巡視の際に撮影されたものではないかと思います。
 写真の背景には満々と水をたたえる東条湖が写っています。湖の後方少し左側にダムの上部が見えます。
 東条ダムは、戦後間もない昭和24年に工事が始まりました。戦後初の国営水利事業であり、コンクリートダムも珍しいものでした。当時の技術の粋を集めて突貫工事が行われ、昭和26年、ダムは完成し、同年11月には貯水式が行われました。
 ところで、写真には議員さんらの脇に写っているのはオート3輪というのでしょうか、ハンドルもバイク型のものです。小さい頃に見たような気がしますが懐かしいですね。 
 
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昭和34年-伊勢湾台風で増水の加古川②

2008年07月29日 06時13分49秒 | Weblog
 昨日に続いて、昭和34年(1959)の伊勢湾台風の社町内の被害状況を写した写真を紹介します。
 これは、同じ加古川ですが、福田橋付近の増水のようすを写したものです。橋のすぐ下まで増水しています。
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昭和34年-伊勢湾台風で増水の加古川

2008年07月28日 06時20分27秒 | Weblog
 この写真は昭和34年(1959)9月27日の日付で、「伊勢湾台風町内の被害一こま」(町内とは加東郡社町)と記入されています。場所は大門橋(加東市大門)で、加古川の大増水の様子がよく分かります。
まだ小学校に上がる前のことですから私にはこの台風の記憶がありませんが、大きな被害を出した台風としてその名はよく耳にしていました。この写真は父が町内の被害が出ている箇所を写してまわった一枚のようです。
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地蔵祭り-正覚坊保育園

2008年07月27日 06時26分14秒 | Weblog
 26日(土)、昼間の猛暑が幾分やわらいで西の空に赤みがさし始めた頃、加東市上田の正覚坊保育園に浴衣姿の親子が集い、地蔵祭りの行事が行われました。いつも子どもを見守っているお地蔵さんに感謝し、お礼をささげる祭りです。
 献灯、献花、献水の儀式や歌を通して、みんなでお地蔵さんに感謝の気持ちをささげます。幼い頃にこうした宗教的情操を育む機会があるということは本当によいことだと思いました。子ども達も保護者のみなさんも表情になんともいえない優しさがありました。現代の日本に一番欲しいのはこうしたやさしい笑顔ではないでしょうか。
 
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北野の天神さん-伝統の奉納子ども相撲

2008年07月26日 06時18分55秒 | Weblog
 7月25日(金)、加東市北野の北野天満宮の祭がありました。北野天満宮は旧国道175号線沿い、滝野大橋と中国自動車道滝野・社インターの中間点あたりにあります。道路をはさんで向かいに東光寺がありますが、この道路ができるまでは天満宮と東光寺は一つの境内だったとのこと。ちょうど境内の真ん中を道路が貫き、今のような配置になったということでした。
 さて、朝から神事、御神輿の町内御巡行、そして、午後には子ども相撲と腕相撲などの楽しい催しが行われました。私は午後の子ども相撲を見せてもらいましたが、驚いたことが2つ。まず子どもの多いことにびっくりしました。聞いたところでは小学生が110人ぐらいいるらしく、単学級の学校1校分にあたります。そしてもう一つは、男の子は全員まわしをしめて相撲をとるということです。東光寺会館では男の子がパンツも脱いでまわしをしめてもらいます。おしめをつけている小さな子もおしめをとってまわしをしめる、これが伝統なのだそうです。最近はまわしをしめることもほとんどなくなっていることやパンツの上からまわしをしめるといったことが多いなか、これが北野の天神さんの子ども相撲の伝統や、として大切に守っていこうとする姿勢に共感しました。東光寺の境内では女の子による腕相撲も行われていました。
 御神輿は天保8年(1837)につくられた古いものですが、修理されて見事な輝きを放っていました。かつては太鼓屋台もあったそうですが、昔から水陸交通の要衝として栄えてきた北野の元気さ、さらなる発展を今日のお祭りで実感しました。
 
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昭和38年-サンタと園児

2008年07月25日 05時38分48秒 | Weblog
 この写真は、昭和38年(1963)の12月25日のクリスマスの日、加東郡社町上田(現加東市上田)の正覚坊保育園にサンタクロースが訪れたときのものです。
 当時はお寺の境内に園舎があり狭かったと聞いていますが、プレゼントをもって目の前に現れたサンタさんに園児が喜んでいるようすがよく分かります。この写真に写っている可愛い園児たちも今は50歳前後になっておられるでしょうね。
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ラジオ体操-80周年

2008年07月24日 15時28分05秒 | Weblog
 7月24日(木)、加東市河高の滝野総合公園多目的グランドで「夏期巡回ラジオ体操・みんなの体操」が開かれました。
 夏休みに入って、各地区では朝のラジオ体操が行われていますが、今日は加東市からの生放送が全国、世界に向けて発信されるとあって、会場の多目的グランドには5時過ぎから続々と市民の皆さんが集まりはじめ、集合時刻の5時45分にはグラウンドいっぱいに広がりました。関係者の方によれば目測で3000人を超えていたということです。
 ところで、ラジオ体操が生まれてから今年で80周年だそうです。昭和3年に制定されたということですから、もう日本人のDNAに刻まれているといってもいいでしょう。
 この歴史ブログでも、昭和13年(1938)のラジオ体操の案内ビラを紹介したことがあります。制定されてから10年後のものだったんですね。加東市社の持宝院境内で行われるラジオ体操の案内文を再掲します。


本年も明八月一日 毎日午前六時より

涌羅野山大師堂前にて
ラジオ体操を致します
体育奨励国民精神総
動員の意味を体得せられ
男も女も老も若も誘ひ合せて
御参加下さい

 七月三十一日

   主催  涌羅野義塾
       有隣女学校

   後援  社区有志

(八月一日は応召兵歓送の為め取り止めます)


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昭和30年代-農作業風景

2008年07月23日 05時24分30秒 | Weblog
 この写真は、昭和30年代の農作業風景の写真です。秋の穫り入れで、脱穀をしているところです。場所は松尾(現、加東市松尾)の田圃だと思います。
 当時の農作業は家族親類一族総出の作業でした。学校も農繁期の休みがありました。私も保育園の頃、母親と一緒に実家に泊まりこみ、実家から通った覚えがあります。実家の近くに墓地があり、うっそうとした松林の中に一本道を通って行くのですが、その松の枝にはカラス天狗がいて、可愛い子どもを見つけるとザアーっと飛び降りてきて子どもをつかんでまた飛び上がっていく、というような話をおじいさんから聞かされて、それが怖くて空を見上げながら足早に林を抜けていった覚えがあります。
 そんなことを思い出させてくれる懐かしい脱穀作業の写真でした。
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昭和43年-社町役場前で

2008年07月22日 05時41分31秒 | Weblog
 この写真は、昭和43年(1968)の新年を迎え、社町役場職員の記念写真のようです。後方に写っているのが旧社町役場です。現在は社連合区(加東市社地区のこと)の駐車場と消防会館になっています。
 職員が整列している場所は役場前の道路(田町から社小学校に通じる学校道)から一段低くなっていますが、今は関西電力社営業所の駐車場になっているところです。
 40年前の懐かしい旧役場と半鐘。この記念写真に写っている職員もほとんどの方がもう退職されているはずです。
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昭和40年-社小学校体育の授業

2008年07月21日 06時21分31秒 | Weblog
 今日紹介する写真は、昭和40年(1965)頃の社小学校5年生の体育授業風景です。季節は冬でしょうか。運動場には水でかいたポートボールのコートが黒く見えています。ゲームに入る前の準備体操。先生と児童の白い体操服がまぶしく光っています。
 今から40年以上前の写真ですが、運動場から望む東の方の景色が今とはまったく違います。運動場の東には一段高くなっているところに国旗掲揚柱が白く光っています。その後方には田や林が広がっていて、遠くに三草山が見えています。家は一軒も見えません。今では開発によって住宅地になっており、この角度から見える風景は家ばかりです。
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昭和26年-昭和池の魚とり

2008年07月19日 06時35分53秒 | Weblog
 この写真は、昭和26年(1951)10月に行われた昭和池の魚とりのようすを写したものです。
 昭和池は大正13年(1924)の大干ばつの経験から三草山の麓の谷をせき止めて造られた巨大な農業用水の溜池で、昭和3年に工事が始まり、9年に完成、昭和池と命名されました。
 その堰堤は、高さ30メートル、幅(長さ)約200メートルの巨大な土堰堤ですが、写真は底が見えるまで水が抜かれた状態で、その土堰堤の上から写したものだと思われます。余りに巨大過ぎて、人がほんとうに小さく見えます。
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昭和26年-社祭の一こま

2008年07月18日 07時09分50秒 | Weblog
 この写真は昭和26年(1951)の社祭り(現在の加東市社地区)の一こまです。4月12日の日付があります。今はこうした春の社祭りはありませんが、年輩の方は当時のことを懐かしそうに話されることもあります。
 場所ははっきりしませんが、建物の玄関の看板に兵庫県の文字が見えます。市街地にあった兵庫県の地方事務所あたりでしょうか。きれいに着飾った少女の行列のようです。社の市街地のにぎわいの雰囲気がつたわってくる写真でした。
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昭和26年-佐保神社秋祭奉納相撲

2008年07月17日 10時52分19秒 | Weblog
 この写真は、今から半世紀余り前の昭和26年(1951)の佐保神社(加東市社)の秋祭りの奉納相撲大会のものです。
 相撲をとっているのは中学生のようです。私も中学生の頃(昭和40年代前半)には学校代表として加東郡中学校相撲大会に出場しました。声援をうけがんばったときの興奮は今でもよく覚えています。
 今では相撲大会にかわって剣道大会が行われています。相撲場も撤去されてしまっています。当時の写真をよく見ると、行司の衣装は本格的ですし、観戦する人も多く、境内も深い森になっていたことがわかります。
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懐かしい校舎-昭和30年代

2008年07月16日 05時43分14秒 | Weblog
この写真は昭和30年代はじめ頃の社小学校の木造校舎です。2階が講堂で、1階は3年生の教室に使われていたと思います。講堂は白壁だったこと、「八城学校」と書かかれた額が掛けられていたことなどが記憶に残っています。学芸会やお話の会もこの講堂で開かれていました。
 校門を入ってすぐ左手にこの校舎がありましたが、今は植え込みになっています。数年前にPTA役員をしたときに草刈りをしながら、3年生の教室の窓から飛び出して先生に叱られたことや下駄箱、廊下のようすなどが不思議に鮮明によみがえってきました。
 
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