まだ若い頃、町内の大先輩から旧制中学校時代に使用していたという修身の教科書をいただきました。「新制準拠 昭和中学修身書 巻二」昭和12年発刊の100頁余の本です。
その第十一課は「親子」です。その中に、次のような一節がありました。少し長いのですが、読みやすい文なので紹介します。
父母の子を愛する情は東西共にかはりはないが、日本の家庭では、殊に子供を大切にする。家の貧富貴賤によつて、生活の上にはそれぞれの差別があつても、一体の風習は子供を大切にする。子供は父母の宝といふのみでなく、家の宝として尊重される。子が生まれた時の父母の心は、家の後継ができたのを喜び、家の益、繁昌っして行くのを祝ふのである。親族も朋友も皆同じ心で祝賀するのである。七夜までの中に名を附ける。「行末は立派な人になつて御国の為にもなれ」と祖先の名に因んだり、めでたい語などを選んだりして命名する。三十二三日目には産土神にお宮詣をして、誕生した事をお知らせする。三つ、五つ、七つと、だんだん成長すれば七五三の祝といつて、その年々の十一月にお宮に参詣する風習もある。男の子の袴着の祝、女の子の帯の祝、父母はひたすらその子の成長を楽しむのである。三月三日の雛祭は、女の子の節供、五月五日の端午は男の子の節供、一家中の歓喜は子供等の為に傾けられる。美しい雛人形、勇ましい鯉のぼり。かういふ楽しい日は年々に繰返されるのである。盆やお歳暮の贈物にも、父母は子供を喜ばせようと苦心し、親類・知友からも、お子様へと心をこめた品物を送る。わが国の都市ほどおもちゃ屋の多い所はないといふのも、小さい国民をかはいがる国風の盛んなことを証明するのである。
我が国の家庭には、お父さんんもお母さんも、お祖父さんも、お祖母さんもいらっしゃる。日本の子供は父母の慈愛の外に、祖父や祖母の愛も受ける。祖父母は孫をいつくしんで老を慰める。家の中には神棚があり仏壇があつて、祖先の位牌を祭つてある。我が国の家は先祖からの家で、先祖と一緒に住んで居つて、だんだんと子孫に伝はつて行くのである。家には家の系図もあり、先祖から伝はつた品物もある。新しい家や別家した家にはさういふもののないところもあるが、本家にさかのぼり源を正せば、皆それがある。家には家の紋もある。
父母はわが家の神わが神と
心つくしていつけ人の子
と本居宣長は歌つた。父母は子等を家の宝と思ひ子等は父母を家の神とあがめるのが、わが国古来の道である。親しい懐かしい親愛の情に、貴い有難い敬愛の情が湧いて、父母に対しては神に対するやうなつつましやかな心持になるのである。それ故、言語・動作にもそれがあらはれてくる。外国の家庭では、親子夫婦・兄弟姉妹の間の言葉はすべて対等であるが家の神として事へ奉る父母に対しての言語は固より別でなければならぬ。先祖と同居してゐるわが家庭では目上と目下に対する言葉には明らかな差別がある。
親代わりの世話をし、いたはつて下さる兄姉に対しても、敬語を使はなければならぬ。兄姉はあくまで幼少な弟妹をあはれみ、弟妹はどこまでも兄姉を目上の人とあがめ、兄弟仲よくして父母に事へ、父母の心を慰めて、ここに美しい家庭が成り立つのである。父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和する家庭が存立するのである。
西洋人は「日本は子供の楽園である」といつてゐる。「日本は子供をかはいがる国である」と。西洋の読本にも書いてある。我等がこの国に生まれたのは、非常な幸である。
〇
明治天皇御製
たらちねの親につかへてまめなるが
人のまことの始なりけり
この一節を読みながら、80年余り前の日本と今の日本の状況を比べてしまう。そのままのところもあり、ずいぶん変わってしまったところが多いという感想です。日本は子供の天国だと言ったのは、明治のはじめに日本にやってきた西洋人が各所で見た光景、子供たちの笑顔、それを楽しそうに見ている大人達のようすを書き残したものです。イザベラバードもその一人です。NHKの朝ドラのBS放送で「マー姉ちゃん」を視ていますが、何より登場人物の会話の言葉の美しさに聞き惚れています。わずか80年余り前の日本とは思えません。