ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

大賀ハス-加東市の平池公園の朝

2022年06月30日 06時29分05秒 | Weblog
 

 28日(火)の朝、田圃の水を見に行き、田中の薬師堂のお堀のハスを見たあと、平池公園(加東市東古瀬)へ足を伸ばしました。
 平池公園の大賀ハスが咲いているのは、先週の土曜日に福田小学校の体育館で敬老会が行われた時にデジタルカメラを望遠鏡代わりにしてズームした時に確認していました。その日は時間がなくて見学できず残念でしたが、28日の朝は、写真愛好家と思われる方々が数人居られただけでした。
 ちなみに大賀ハスは大賀一郎博士が2000年以上前の弥生時代の遺跡から発掘した種を発芽させたもので、この平池公園の大賀ハスは社町時代に鳥取県農業試験場から譲り受けた15粒の種を発芽させ繁殖させたものです。一時は大賀ハスが一面に咲くことで知られるようになり、観光バスで遠方から見学に来られる盛況ぶりでしたが、ザリガニの被害に遭うなど維持管理に苦労もあったようです。今はハス池の一角に大賀ハスがピンク色の美しい花を咲かせていますが、少なくなりました。
 芝生広場を挟んでハス池があり、そこには様々な種類のハスが植えられ花を咲かせていました。この芝生広場では、地元の福田地区の皆さんによって、毎年7月の20日頃に「平池まつり」が行われ、盆踊りや小学生、保育園児の歌や器楽演奏、兵庫教育大学の学生らのよさこい踊りや外国人留学生の歌、地元女性コーラスグループや銭太鼓グループも出演する賑やかな催しが続けられていました。池の中央や周りには多くの露天が並び、打ち上げられた花火が水面に映える賑やかなまつりでした。平池まつりが加東の夏の到来を告げるシンボル行事になっていましたが、何年か前にその幕が閉じられました。
 2000年の時を超えて咲く大賀ハスを眺めながら、心がふわっとなっていくような静かな一時でした。
 
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田中の薬師堂のお堀のハスの花

2022年06月29日 04時30分16秒 | Weblog
 

 28日(火)の朝、わが家の田圃の水を見に行きました。今年も周辺では一番遅い田植えだったために、苗はまだ小さく、田圃は一面水ばかりが目立つ状態でした。
 隣の田圃にアオサギが数羽降りて長い首を伸ばして餌をとっていました。そこへ農道をウォーキング中の材木屋さん。私の顔を見るなり、「お薬師さんのハスがきれいに咲いとるで」と一言。さっそく見に行きました。
 田中地区の集落の北にある薬師堂は、加東四国八十八ヶ所霊場の第八十五番霊場であり、また、昔から 「ハメ除け薬師さん」で知られ、お堂の床下の砂をいただいて帰り、置いておくとハメ(※マムシのこと)が出てこないと言われています。
 隣接の広場の一角に祠があり、きれいに整備され、周囲が堀になっていて、そのお堀に白いハスの花が朝日を受けて光っていました。
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「皇國の護り」よりー巡洋艦「愛宕」の勇姿

2022年06月28日 04時56分37秒 | Weblog
 

 今日は、帝国陸海軍の写真冊子「皇國の護り」(昭和8,9年頃大阪朝日新聞社発行)より、「世界に誇る一萬噸巡洋艦」を紹介します。
 戦艦より小さく、駆逐艦より大きい、その中間に位置するのが巡洋艦だと聞いています。この写真は「愛宕」です。今の海上自衛隊では、全部護衛艦と呼んでいるそうです。
 私は小学生、中学生の頃に巡洋艦の「鳥海」の絵を描くのが得意でした。なぜ「鳥海」だったのかはよく覚えていませんが、その姿が美しいと思ったことは確かで、この「愛宕」の写真を見たときに記憶が蘇ってきました。
 
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「皇國の護り」の表紙

2022年06月27日 05時49分54秒 | Weblog
 

 これまで紹介してきた「皇國の護り」(昭和8,9年頃の大阪朝日新聞社発行)の帝国陸海軍の写真冊子の表紙です。
 虫喰いの穴があいていますが、大海原を航進中の艦隊の勇姿が描かれ、手前には艦載機も見えます。
 当時の少年は、この写真冊子の頁をめくりながら、海と空と大陸を駆ける帝国陸海軍の勇姿に心を躍らせたことでしょう。今から90年ほど前のことです。私の母方の叔父も水兵で、南海に散華しました。社の忠魂碑の英霊尊名碑にその名が刻まれています。
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大きくなったクルミの実 

2022年06月26日 05時59分51秒 | Weblog
 

 梅雨なのに雨が降りません。空はもう梅雨明けのように晴れた日が続きます。庭のクルミの木は青々と葉を茂らせ、その先に青い小さいリンゴかと思うほどに大きくなった実がいくつもつけています。
 もうすぐこの木にクマゼミが鈴生りになって鳴く真夏がやってきます。
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風の谷-山田錦の田に吹き渡る風

2022年06月25日 08時03分23秒 | Weblog
 

 24日(金)の午後、加東市内を車で走っていました。梅雨の筈ですが、昨日も今日も梅雨が明けたような空で、風が吹いています。
 東条地域は酒米の王様、山田錦の特A地区で知られる特産地です。田植えの済んだ田に風が渡り、さざ波が立っています。県道沿いの高い法面の青々と伸びた草が大波のように風に揺れています。ずうっと向こうまで緩やかに低くなりながらこの谷は続いています。
 車を止めて、風を体で感じながら、しばらく風景を眺めていました。ふと、頭に浮かんだことばが「風の谷」でした。
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「皇國の護り」よりー装甲自動車や装甲列車など

2022年06月24日 05時35分57秒 | Weblog
  

 今日も「皇國の護り」(昭和8,9年頃、大阪朝日新聞社発行の写真冊子)から陸軍の装甲自動車、装甲列車などの頁を紹介します。
 戦車は知っていましたが、このような装甲車や装甲列車があったことは知りませんでした。広い大陸の戦地では、鉄道がある限り、大量輸送は鉄道が利用されたとのこと。列車を守るために先頭に軽機関銃と兵士12,3人を積んだ装甲車がつけられ、地上を走るときには、鉄輪をゴム輪につけ替えて走行したと書いてあります。
 人馬がぬかるみを乗り越えて野砲などを牽引したといったイメージがあったのですが、馬ばかりではなく、こうした特殊装備をした自動車が活動していたとは。
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「皇國の護り」より-戦車の威力

2022年06月23日 05時17分34秒 | Weblog
 


 今日は、「皇國の護り」から、陸軍の戦車の写真を紹介します。この写真冊子は、昭和8,9年頃に大阪朝日新聞社が発行したものと思われます。
 小学生や中学生の頃、日本の戦艦や戦闘機の絵をよく書いていました。しかし、戦車については、米軍やドイツ軍の戦車の絵を書いていたように思います。 
 叔父が中国戦線で戦車乗りだったと聞いていました。叔父は名前のあとにタンクを付けて呼ばれており、それが勤務する会社の営業での交渉・突進力だったのか、戦車乗りに由来するものなのか、よく分かりませんが、馬力を感じる叔父でした。
 解説には、鉄条網をいとも簡単に乗り越え、雪中や氷上でも自由自在に駆け回った、と書いてあり、敵陣地を突破する勇姿はまるで陸上の戦艦のようだとも書いてありました。
 日本の戦車の絵をなぜ書かなかったのかを考えてみると、写真やマンガにもなっていなかった、ということもあったのではないか、と思います。
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「皇國の護り」よりー魚雷や40センチ砲の砲弾、砲塔内部写真

2022年06月22日 04時51分50秒 | Weblog
 

 今日も「皇國の護り」(昭和8,9年頃の大阪朝日新聞社発行の写真冊子)から、魚雷や40センチ砲の砲弾、砲塔内部の写真を紹介します。
 魚雷や砲弾は、水兵と比べて、如何に大きかったかが一目で分かります。戦艦の砲塔の内部の写真では、砲身と砲弾を詰める穴の部分が写っています。あの穴に砲弾を押し込み、発射するのですから凄いものです。
 戦艦大和の主砲は46センチ砲で、その発射音を録音で聞いたことがありますが、シュルシュルといった音だったように思います。
 
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飛行艇ー「皇國の護り」より

2022年06月21日 05時30分36秒 | Weblog
 


 今日も「皇國の護り」(昭和8,9年頃大阪朝日新聞社発行)に掲載されている飛行艇の写真を紹介します。
 以前、新明和工業の飛行艇製造工場を見学したことがあります。有名なUS-2の高い性能に感銘を受けました。前身の川西航空機の飛行艇製造技術を継承し、世界一の性能を誇っています。
 写真の一つは「九〇式第一号飛行艇」です。「帝国海軍が誇る巨大なる大空の精鋭」が「波を蹴ってスタートの刹那」とキャプションが入っています。もう一つは、「一四式水上偵察機」の水上滑走の光景です。飛行艇は、偵察や戦闘、人員輸送などに使われたようです。
 今は、US-2は海上自衛隊の救難艇として活躍しており、辛坊治郎氏を救出したことでも知られています。世界では、消防飛行艇としても使われているとのことでした。波が高くても、短距離で離発着できるUS-2は図抜けた性能を持っています。
 2枚の写真には、何か郷愁のようなものを感じます。
 
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空母「加賀」-「皇國の護り」より

2022年06月20日 05時17分49秒 | Weblog
 

 昨日に続いて、昭和8、9年頃大阪朝日新聞社発行の「皇國の護り」の写真冊子から、今日は空母の写真を紹介します。
 戦後、日本は航空母艦を保有していませんでした。しかし、戦前の海軍は広い太平洋で航空部隊を展開するために多くの空母を持っていました。ミッドウェー海戦で4隻の空母を失い、その1隻が加賀でした。
 その加賀が太平洋の海底で発見されたというニュースはまだ記憶に新しく、今、こうして冊子に掲載された加賀の勇姿に出会えたことも不思議な感じがしました。
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超弩級戦艦「長門」の雄姿-「皇國の護り」より

2022年06月19日 06時11分40秒 | Weblog
 

 昨日に続いて、昭和8、9年頃に発行されたと思われる「皇國の護り」(大阪朝日新聞社発行)から、海軍が世界に誇る超弩級戦艦「長門」の写真を紹介します。
 解説には、世界七大戦艦の一つに挙げられ、40センチ砲はじめ、純国産品ばかりの立派な戦闘艦です、と誇らしく書いてありました。
 長門は、終戦時、唯一稼働可能な戦艦でしたが、アメリカ軍に接収され、その後、ビキニ環礁での核実験の標的艦とされて沈没しました。
 この冊子が出来た頃にはそうした運命を辿るとは誰も思いもしなかったでしょう。 
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「皇國の護り」昭和8年頃の大阪朝日新聞発行の帝国陸海軍紹介冊子

2022年06月18日 05時46分30秒 | Weblog
 

 加東市社の旧家にあった戦前の本などの中に、少し虫が喰ったあとがあるカラー刷り表紙の小冊子がありました。「皇國の護り」と第され、大阪朝日新聞発行と印刷されていますが、どこにも発行年月日は印刷されていません。
 表紙をめくると、大元帥陛下、次に陸軍、海軍の大臣や大将、そして、海軍の戦艦の写真へと続いていきます。海軍大臣などの名前からこの冊子は昭和8,9年頃のものだと推測できます。
 連合艦隊第一艦隊司令官末次信正中将が金剛艦上で主砲の36センチ砲の下で撮した写真は、そのピカピカに磨かれた砲身の巨大さで迫力満点でした。次のページには、世界に誇る超弩級戦艦長門の威容が掲載されていました。
 私も小学生、中学生の頃には戦艦や戦闘機の絵を描いていました。かなり正確に描けていたように思います。
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兵庫県蚕業試験場写真 昭和4年の講習部卒業記念写真

2022年06月17日 05時09分14秒 | Weblog
 

 加東市社の旧家に保存されていた古い本の中に2枚の写真が紛れ込んでいました。裏には、「昭和4年十一月三十日 兵庫縣蚕業試験場 講習部(八ヶ月)研究科第四回卒業記念写真」と書き込まれています。
 インターネットで、「ヒョーゴアーカイブス」を調べてみると、この兵庫県蚕業試験場は、「かつて西日本の養蚕業の中心地だった但馬地域、旧日高町に1918年に作られた県立蚕業試験場」とありました。1918年ですから大正7年のことで、今から104年前のことです。写真は昭和4年、1929年のもので、設置されてから11年目の試験場の景色です。
 また、養父市の養蚕業で調べてみると、「明治30年、全国で3番目の養蚕学校として兵庫県立簡易蚕業学校が養父市八鹿町に設立されました。学校は、現在の県立八鹿高等学校や県立但馬農業高等学校に受け継がれています」とありました。明治30年は1897年、125年前 のことです。
  
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梅雨入り オオカナダモの花とナミテントウムシ

2022年06月16日 05時01分12秒 | Weblog
 

 近畿地方も梅雨入りしました。庭の大甕の水面に咲く小さなオオカナダモの白い花を近寄って撮してみました。3枚の白い花びらは透き通るような薄さで、黄色い雄しべがアクセントのようについています。極く小さな花ですが、生命の営みが伝わってきます。
 ふと見ると、甕の縁を小さなテントウムシが動いていました。黒地に二つの赤い斑点がありました。調べてみると、ナミテントウムシの一種で、西日見られる見られるようです。テントウムシといえば、ナナホシテントウしか知りませんでした。ナミテントウムシのナミは「並み」だそうです。並みでもよい。何か一生懸命生きているという感じが伝わってきます。
 
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