明治23年(1890)といえば、わが国で初めて総選挙、すなわち衆議院議員選挙が行われ、第1回の帝国議会が開かれた年です。この年の6月11日付の神戸又新日報(こうべゆうしんにっぽう)に板垣退助の播州遊説のことが報じられています。
記事によれば、6月7日、加古川駅に降り立った板垣退助は加東郡(現加東市、小野市域)自由主義者の有志に出迎えられ、人力車十数台を連ねて市場村(現小野市)に向かった。加東郡、加西郡(現加西市)、多可郡(現西脇市、多可町域)の三郡自由同盟会、自由青年会のメンバーが出迎え、夜に談話会が開かれた。翌8日、市場村を出発し、社村に到着。午後から社村の持寶院を会場に演説会を行った。持寶院には二千人の聴衆が詰めかけ、約1時間30分にわたる演説を聴いた、とある。その後、板垣退助は多可郡へ向かっている。
この記事から、同年7月1日に実施される第1回衆議院議員選挙の直前に播州自由主義者の応援のために播州各地を遊説していた板垣が社村の持寶院に来て演説をしていたことがわかります。写真は現在の持寶院の山門です。
記事によれば、6月7日、加古川駅に降り立った板垣退助は加東郡(現加東市、小野市域)自由主義者の有志に出迎えられ、人力車十数台を連ねて市場村(現小野市)に向かった。加東郡、加西郡(現加西市)、多可郡(現西脇市、多可町域)の三郡自由同盟会、自由青年会のメンバーが出迎え、夜に談話会が開かれた。翌8日、市場村を出発し、社村に到着。午後から社村の持寶院を会場に演説会を行った。持寶院には二千人の聴衆が詰めかけ、約1時間30分にわたる演説を聴いた、とある。その後、板垣退助は多可郡へ向かっている。
この記事から、同年7月1日に実施される第1回衆議院議員選挙の直前に播州自由主義者の応援のために播州各地を遊説していた板垣が社村の持寶院に来て演説をしていたことがわかります。写真は現在の持寶院の山門です。