ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和6年-社町公会堂で満州事変の映画会

2014年06月30日 04時14分19秒 | Weblog

 昭和6年(1931)の秋、同年9月に勃発した満州事変について、新聞社による映画会が開催されています。10月16日の夜に社町公会堂(元加東郡公会堂、現在の明治館)で開催されるという通知が当時の区長雑書綴に綴じられています。この日は佐保神社秋祭りの日でもあり、その夜に開催されたのですね。通知文は次の通りです。

 

 昭和六年十月十二日

                       社 町 役 場

各区長殿

来ル十月十六日午後七時社町公会堂ニ於テ大阪毎日新聞社主催ニ係ル満州事変ニ関スル活動写真会開催相成候条多数観覧致ス様御取計相成度此段及通知候也

 追テ別紙ビラ各戸ニ御配布相成り度

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平池公園の大賀はす-二千年の時を超えて咲く

2014年06月29日 05時34分13秒 | Weblog

 28日(土)、加東市立米田小学校で開催された福田地区ふれあい敬老会に出席しました。会場の体育館には心地良い風が吹いて、扉の向こうには緑一色に広がる豊かな水田と平池が望めます。その平池に緑の中に点々とあるピンクが目に入りました。そうだ、大賀はすだ。去年はザリガニが繁殖してほぼ全滅状態だったのですが、今年は市職員が苦労して咲かせたと聞いていました。さっそく訪れてみました。多くの人がカメラをもって大賀はすを撮っていました。

 大賀はすは、大賀博士が2000年以上前の弥生時代の遺跡から発掘した種を発芽させたもので、この平池公園のものは鳥取県農業試験場から譲り受けた15粒の種を発芽させ繁殖させたものです。2000年の時を超えて咲く蓮の花のピンク色は鮮やかで、気品が漂っていました。

 7月上旬まで楽しむことができるということです。ぜひ2000年の時を超えて咲く大賀はすを楽しんで下さい。

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昭和12年-元加東郡公会堂で支那事変講演会

2014年06月28日 04時51分42秒 | Weblog

 昭和12年(1937)の秋、支那事変について従軍記者による講演会が元加東郡公会堂(今の加東市明治館)で開催されています。同年7月7日、北京郊外の盧溝橋で日本軍と中国軍が衝突し、支那事変(北支事変)が起こり、出動令が発令され、わが郷土からも多くの兵が応召され出発していきました。特に7月末から8月始めにかけて80人超の兵が出発しています。そうした中で開催された従軍記者による講演会は兵士の家族のみならず、多くの国民が関心をもったことでしょう。通知は次の通りです。

至急

 昭和十二年九月二十八日

                        社町長  大橋實次

区長 各学校長 団体長 殿

        支那事変講演会開催ノ件

今回東京日日大阪毎日新聞社ヨリ支那事変従軍記者ヲ特派セラレ左記ニ依リ講演会開催可仕候条貴部内一般ヘ御伝達ノ上多数御聴講相成様御配意相成度此段及通牒候也

        記

支那事変講演会要項

一、日時  九月二十九日午後七時

一、場所  社町元郡公会堂

一、講師  東京日日大阪毎日新聞支那事変従軍記者     今尾 登 氏

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昭和12年-横川省三等六烈士を偲び元社公会堂で映画会

2014年06月27日 05時09分57秒 | Weblog

 昭和12年(1937)、加東郡の元公会堂(現在の明治館)で映画会開催の通知が社町役場から各区長に対して出されています。

 ハルピン財団法人六烈士事績保存会の趣旨に賛同して、横川省三ら烈士の遺業を偲ぶとともに、国民精神の振起を目的として開催されています。

 横川省三は明治時代の人で、日露戦争の前に民間人でありながら命を受けてシベリアに潜入しシベリア鉄道の爆破という特殊任務についていたのですが、ロシア軍に捕らえられ、銃殺されました。その忠烈なる愛国心にロシア軍も敬意を払ったことで知られています。

 映画の宣伝ビラが綴じられていないので内容が分かりませんが、公会堂ではこうした映画会や時局講演会などがよく開かれていました。その通知文は次の通りです。

 社通一第 号

   昭和十二年七月十六日    社 町 役 場

各区長殿

今般ハルピン財団法人六烈士事績保存会(志士横川省三外五人)ノ趣旨ヲ賛同シ来ル十八日午後七時ヨリ元郡公会堂ニ於テ別紙要項ニヨリ映画会開催志士ノ遺業ヲ偲ビ一ツハ以テ時局多端ノ折柄国民精神ノ振起ノ一助トモ致度候条御部内ヘ御吹聴ノ上多数参観可致様御取計相煩度御依頼ニ及ビ候

 追テ 別紙宣伝ビラ送付候間御手数ナガラ至急各戸ヘ配布方御配慮ニ預度候

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昭和12年-軍艦拝観の案内

2014年06月26日 04時48分24秒 | Weblog

 昭和12年(1937)、7月に神戸港に入港する海軍第二艦隊の軍艦の見学に関する通知が社町役場から各区長、団体長に対して出されています。今も自衛艦の一般公開などが行われていますが、当時もこうした機会に軍艦の見学をしていたのですね。ただ、見学ではなく、拝観となっているところに時代の違いを感じます。ちなみに第二艦隊は巡洋艦などを中心として編成されていた艦隊だそうです。

社通一号外

 昭和十二年六月二十二日

                       社 町 役 場

各区長殿

各団体長殿

   軍艦拝観ニ関スル件

第二艦隊来ル七月十八日神戸入港ニ祭シ同日ヨリ五日間一般ニ拝観許可相成予定ニ有之候条貴部内ニテ希望者有之候ハバ左記ニ依リ其ノ人員ヲ本月二十八日迠ニ御報告相成度此段及照会候也

 追而 拝観ニ関スル詳細ハ不明ニ付決定次第御通知申上候

      記

人員 男女別ニ

第二艦隊編成表(参考)

 第四戦隊 高雄、摩耶、足柄     

 第五戦隊 羽黒、那智

 第二水雷戦隊 神通、第七駆逐隊、第十九駆逐隊

 第二潜水戦隊 迅鯨、第一二、二九、三〇潜水隊

 第二航空戦隊 加賀、第二二駆逐隊

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昭和11年-青野ヶ原に飛行機爆撃演習

2014年06月25日 05時29分44秒 | Weblog

 昭和11年(1936)11月、青野ヶ原の陸軍演習場(現在、陸上自衛隊青野原駐屯地がある)に浜松飛行隊が爆撃演習を行うということで、演習地周辺に立ち入らないよう警戒を求める通知が出されています。警戒範囲は加東市、小野氏、加西市の広い範囲にわたっています。

 社通一第二六一〇号ノ一

  昭和十一年十一月十三日

                 社 町 役 場

各区長殿

  飛行機爆撃演習地警戒ニ関スル件

浜松飛行第七聯隊ハ左記ノ通リ青野ヶ原陸軍演習場ニ対シ爆撃投下ヲ実施相成候ニ付当日ハ演習場内ニ立チ入ラザル如ク一般ニ御通知相成度御依頼申上候

 追而 当日ハ主ナル危険道路ノ入口ニハ赤旗ヲ以テ標示シアル由ニ付申添候

     記

一、十一月十六・十七日終日 十八日午前中

一、演習危険地域ハ鶴池ヲ中心トシテ四方ニ半径二千米以内ノ陸軍演習場内並ニ之ニ通ズル道路

 北 高岡廠舎

 東 河合村復井

 南 河合村大寺

 西 九会村繁昌     内地域

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昭和11年-天皇陛下行幸に国旗掲揚

2014年06月24日 05時39分13秒 | Weblog

 昭和11年(1936)秋、海軍の特別演習が阪神沖で行われ、これに合わせて社町では国旗を掲揚するようにとの通知が出されています。当時の社区(現在の加東市社)事務所の諸通達綴にその通知が綴じられています。

第二五三七号一

 昭和十一年十月廿四日

                       社 町 長

各区長殿

 国旗掲揚ニ関スル件移牒

天皇陛下海軍特別大演習御統裁後観艦式御親閲ノ為阪神沖ニ行幸被為在候ニ付テハ本月二十五日、二十八日、及二十九日ノ三日間各戸ニ国旗掲揚相成様致度為念及移牒候

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昭和13年-靖国神社臨時大祭に佐保神社で遙拝式

2014年06月23日 05時03分51秒 | Weblog

 社町社区(現在の加東市社)の「会議ニ関スル書類綴」(昭和十年一月起十三年拾月マデ)の中に区長から各評議員に宛てた通知(手書き)が綴じられています。昭和13年(1938)4月26日に靖国神社臨時大祭にあわせて佐保神社で遙拝式を挙行するので参拝されたし、というものです。通知文は次の通りです。

 

 左記の通り町内へ御伝達願上候

 明二十六日休日トシ国旗掲揚スル事 縣社佐保神社ニ於テ靖国神社臨時大祭遙拝式挙行セラルルニ付午前十時迠ニ各戸一人宛ハ(婦人会員又ハ戸主)必ズ参拝スル事

 右遙拝式ニ参列能ハザルモノハ家内ニ於テ午前十時十五分靖国神社ニ対シ一分間黙祷祈念スル事

 昭和十三年四月廿五日

                     区長  神田栄太郎

各評議員 殿

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ため池太陽光発電のパネルが-猪ヶ谷池

2014年06月22日 06時32分12秒 | Weblog

 国道372号を加東市社の市街の外縁にそって大きくカーブしながら嬉野台地に上っていくと、左に猪ヶ谷池が目に飛び込んできます。現在、その池面に太陽光発電のパネルが並び、設置工事が行われています。

 ため池での太陽光発電は、兵庫県北播磨県民局が小野市内のため池で実証実験を進めてきましたが、ここ加東市のため池でも実際に姿を現しました。写真のように現在フロート式のパネルが設置されつつあります。池面での発電は効率もよく、水質などにも影響がないということで、注目が集まっています。ため池で発電。かつて不毛の台地とよばれた嬉野。雨の少ない北播磨地方で水を確保するために多くのため池が築かれ水田を潤してきました。そのため池の水面を活用して発電が行われようとしています。

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昭和12年-消防組の秋季演習案内

2014年06月19日 04時50分41秒 | Weblog

 昭和12年(1937)の夏、社町消防組の秋季演習が行われています。その案内文が当時の社区事務所の諸通達綴に綴じられていました。町会議員と区長に宛てたものですが、「本日四時より・・」・とあり、その日に送られたもののようです。組頭の大橋実次は、社町長、後に日本運送の社長となる人物です。黄色く変色した一枚の薄い紙片ですが、今から77年前、郷土を守る消防の活動の一端を知ることができます。

拝啓冠省

 本日午後四時ヨリ社町消防組ノ秋季演習及防空下ニ於ケル消防トシテノ演習ヲ実施仕候ニ付酷暑折御多忙中恐縮ニ御座候ヘ共斯界指導ノ為メ万障御繰合セ御隣席ノ栄ヲ□リ度右御案内申上候 

                                                         敬白

 八月七日                     組頭  大橋実次

町会議員

区長     殿

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昭和18年-こんにゃくも配給

2014年06月18日 05時01分17秒 | Weblog

 この歴史ブログでは、戦時中の物資の配給について、当時の関係文書をもとに紹介していますが、今日は、こんにゃくの配給に関する通知を紹介します。

 現在のように物が溢れている時代からは、へえ、こんな物も配給だったのか、と驚くことが多いのですが、こんにゃくもその一つです。一人当たり半枚となっています。通知とともに、社区内の21組への各組割当数量表が添付されています。各組長の署名捺印もあり、厳密に配給が実施されていたことがうかがえます。

 

 昭和十八年十二月二十九日

                   社 町 役 場

社 区長殿

 コンニャク配当ノ件

左記ノ通リ配当候ニ付及通知候也

    記

一、配当数量  一一八五枚

一、基礎  人口(一人約半枚割)

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解体工事に入る社庁舎(旧社町役場)

2014年06月17日 05時14分36秒 | Weblog

 15日(日)、加東市役所の社庁舎前の駐車場で加東市消防操法大会が開催されました。社庁舎は新庁舎建設で解体され跡地は駐車場になる予定で、今は立ち入り禁止となっています。

 この庁舎は社町のシンボルとして昭和47年(1972)に竣工しました。鉄筋3階建(一部4階)、床面積2732㎡、建設費用は2億2千万円。嬉野台地の西端、紺碧の大空に白く映える新庁舎は伸びゆく社町のシンボルでした。42年前、私は大学に入学し、故郷を離れた年でした。嬉野に見慣れた庁舎のある風景も今年が最後となるのですね。

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昭和18年-凍豆腐の配給

2014年06月16日 05時34分08秒 | Weblog

 戦時中の配給について、昭和18年(1943)当時の社町社区の文書綴に綴じられている凍豆腐の配給に関する通知を紹介します。

 凍豆腐、私達は高野豆腐と呼んでいますが、これも配給だったんですね。この歴史ブログでは配給についていろいろ紹介してきましたが、あらためて70年余り前の戦時中の厳しい物資の状況を知ることができます。この通知に添えられている配給一覧を見ると、各組、社区には21の組がありましたが、高野(豆腐)、海苔、鶏卵、油揚、菓子、盆酒の配布量(数)が記入されています。

 

 昭和十八年八月十二日

                             社町役場

社区長殿

   凍豆腐配当ノ件

今般一般家庭用豆腐ヲ配給致ス事ニ相成候条貴部内左記ノ通リニ付配給要領ニ依リ配給相成度及通牒候也

   記

一、貴区配当量  三一五〇個

一、配給要領

1.配給ハ農家ニシテ自家用凍豆腐ノ委託加工ヲナシタル家庭ヲ除ク其ノ他家庭ノ分ト合シ大体見積リニヨリ割宛タルニ付貴区ノ状態ニ依リ適宜配分相成度

2.割当ハ別記ノ人員ヲ基礎トセリ

                

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加東市社商店街にも新しい観光案内板が

2014年06月14日 04時13分58秒 | Weblog

 加東市社の商店街、商工会館近くの駐車場の入口に観光案内板が設置されています。以前、このブログで加東市役所(旧社庁舎)駐車場に設置されている案内板を紹介しましたが、社市街地とその周辺の地図と5ヶ所の寺社などの名所が写真と解説で紹介されています。

 明治館、佐保神社、持寶院(大師殿)、観音寺(赤穂義士墓碑)、千鳥川桜堤公園の5ヶ所。この外、中央公園や裁判所、ショッピングセンターなど官公庁、学校などの位置が示されています。

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昭和30年代半ば-三草小学校の前で

2014年06月13日 04時57分14秒 | Weblog

 昨日に続いて、友人が持ってきてくれた母上の写真を紹介します。昭和30年代半ばのものらしく、三草小学校の子供達と学校の前を流れる三草川の橋に並んでの記念写真のようです。

 写真には松並木や当時の木造校舎が写っています。今はやしろ国際学習塾の建物になり、三草川もコンクリートの護岸や堰がつくられ、橋もコンクリート橋に架け変わっています。川沿いの松並木だけが当時の風景を伝えています。

 それにしても、先生や子供達の笑顔が明るいですね。

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