毎朝、庭にヒヨドリがやってきます。杏の花が咲いてからは昼間もやってきては、花をついばむ姿が見られます。そんなヒヨドリが地面近くの紫陽花の枝に止まり、しばらく見ていると地面に降りて、何か黄色いものを口にくわえて飛び去りました。近くにキンカンの木があるので、落ちた実でも拾ったのでしょうか。
29日(金)の朝、産土の神である佐保神社(加東市社)で県議選必勝祈願を行いました。拝殿でひんやりとした空気に包まれながら、佐保大明神に必勝祈願を行いました。
選挙に用いる候補者タスキ、まほろばWithのハチマキ、必勝だるまなどもお祓いを受けました。小さい頃から境内で遊び、ボーイスカウトの活動をし、また、若い頃から秋祭りでは上組屋台を担ぎ、大人になってからは早朝ウォーキングで参拝し、と産土の神である佐保神社に守られて生きてきました。
その佐保神社で今回も必勝祈願の朝でした。
選挙に用いる候補者タスキ、まほろばWithのハチマキ、必勝だるまなどもお祓いを受けました。小さい頃から境内で遊び、ボーイスカウトの活動をし、また、若い頃から秋祭りでは上組屋台を担ぎ、大人になってからは早朝ウォーキングで参拝し、と産土の神である佐保神社に守られて生きてきました。
その佐保神社で今回も必勝祈願の朝でした。
私の議員活動を凝縮した言葉が「まほろばwith」です。「まほろば」とは我が国の古歌に「大和は国のまほろば・・・」と歌われ、「国の中心にあって人々が集まる良き地良き所」という意味をもつ言葉です。しかし、「まほろば」は大和の国だけを指すものではなく、「人々が住み集う良き地」、真ん中の場、を意味します。
私達の兵庫県、北播磨、加東市は、日本の中心にあって、豊かな自然と古い歴史・文化に恵まれ、古くから農業や産業がさかんな土地でした。その素晴らしい地域資源(宝)を承け継ぐ私達が、その価値をより高め、磨きをかけて、真の「まほろば」を創り上げていくことが、地域の活力を高め、自立へと結びつくものと確信します。
「まほろばwith」は、まさにまほろばづくりをwith(共に)取り組んでいこうという意味です。これは地域創生の眼目とも一致しています。私は新時代のまほろばづくりは、地域創造力運動だと
思っています。
「住めば都」という言葉がありますが、「住んでいる地域をまほろばにしていく」のは誰でも何処でも良くしていきたいと思う気持ちは同じだと思うのです。全国どこでもこの「まほろばづくり」に取り組んでいる、それが地方(地域)創生だということです。地図上の真ん中でなくても、自分が住んでいるところが「まほろ」(真ん中)なのです。
私は、新時代のまほろばこそ、兵庫県、北播磨、加東だと確信し、磨きをかけていきたいと思っています。もちろん、観念論ではありません。安全安心の防災、減災対策。産業振興、観光振興の基盤となる道路整備、ふるさとへの愛着と誇りを育む教育、健康長寿社会実現のための医療、介護の充実等々具体的な課題解決のために知恵と汗を絞っていかなければなりません。
日々、発信しているふるさと加東の話題もその一貫です。これからも続けていきます。写真は今日も庭の杏の花をついばみに来たヒヨドリです。
私達の兵庫県、北播磨、加東市は、日本の中心にあって、豊かな自然と古い歴史・文化に恵まれ、古くから農業や産業がさかんな土地でした。その素晴らしい地域資源(宝)を承け継ぐ私達が、その価値をより高め、磨きをかけて、真の「まほろば」を創り上げていくことが、地域の活力を高め、自立へと結びつくものと確信します。
「まほろばwith」は、まさにまほろばづくりをwith(共に)取り組んでいこうという意味です。これは地域創生の眼目とも一致しています。私は新時代のまほろばづくりは、地域創造力運動だと
思っています。
「住めば都」という言葉がありますが、「住んでいる地域をまほろばにしていく」のは誰でも何処でも良くしていきたいと思う気持ちは同じだと思うのです。全国どこでもこの「まほろばづくり」に取り組んでいる、それが地方(地域)創生だということです。地図上の真ん中でなくても、自分が住んでいるところが「まほろ」(真ん中)なのです。
私は、新時代のまほろばこそ、兵庫県、北播磨、加東だと確信し、磨きをかけていきたいと思っています。もちろん、観念論ではありません。安全安心の防災、減災対策。産業振興、観光振興の基盤となる道路整備、ふるさとへの愛着と誇りを育む教育、健康長寿社会実現のための医療、介護の充実等々具体的な課題解決のために知恵と汗を絞っていかなければなりません。
日々、発信しているふるさと加東の話題もその一貫です。これからも続けていきます。写真は今日も庭の杏の花をついばみに来たヒヨドリです。
兵庫県150周年を記念して、県教育委員会が『ふるさと兵庫魅力発見!』(A5判159頁)を作成しました。県下の全中学生に配布され、総合学習などで兵庫県のことを学習する時の資料として活用されることになっています。
完成を心待ちにしていましたが、1.兵庫県ってどんなことろ、2.豊かな自然を生かした兵庫の産業、3.兵庫を支えた歴史、4.受け継がれる伝統、5。兵庫のものづくり、6.未来につながるふるさと兵庫、の6章構成で、兵庫五国の特色がカラー写真と解説で分かりやすく説明されています。
中学の社会科教師だった頃、地理の「身近な地域」の学習で、兵庫県の学習資料を作成するのに苦労したのですが、こんな素晴らしい資料があれば、もっと楽しく学習することができたのに、と悔しい思いをするぐらい、素晴らしい副読本の出来に嬉しくなってしまいました。
この副読本は大人、兵庫県民が読んでも惹き付けられる内容で、県民必携のポケットブックといえるものになっています。加東市に関するものでは、かとう伝の助くん、山田錦の主産地、播州針の産地、国宝朝光寺、闘龍灘のアユ釣解禁などが取り上げられています。また、自ら調べを深めることができるように工夫されており、より深く調べをするためにインターネットで検索するためのQRコードもつけられています。生徒が「ふるさと兵庫」をいっぱい発見し、好きになってくれるものと期待がふくらみます。
これで、兵庫県版道德副読本、兵庫県版高校地歴副読本と合わせて3冊がそろい、兵庫県の子供達はふるさとのことをたっぷりと学ぶことができます。
26日(火)の朝、佐保神社(加東市社)への参道を歩いていると、大けやきの樹上で忙しく飛び回りながら巣作りをしているアオサギの姿がありました。
参拝をおえて、境内の恵比寿神社へと歩き始めると、その側の地上に一羽のアオサギがいました。しばらく見ていると、掃き寄せられた落ち葉の小山で、巣の材料の小枝を探しているようでした。樹上のアオサギはそれなりに大きいとおもうのですが、地上の近くで見ると、大きいと実感しました。
25日(月)、加東市立社こども園の閉園式が行われました。その歴史は旧社町時代の昭和26年(1951)の社保育園設立に始まり、昭和30年の町村合併で誕生した新社町立の保育園となり、その後、園舎の新築移転(昭和41年、平成11年)を2度、平成28年には幼保連携型認定こども園に移行し、加東みらいこども園の開園(平成31年4月)を機に68年の歴史を閉じることになったものです。
私は昭和32年4月に入園し、3年間通いました。当時は、現加東市立社小学校の講堂の南の庭園辺りに木造園舎と園庭がありました。園庭にはすべり台などの遊具がありました。また、お昼寝や学芸会などをしたことを憶えています。先生のことも憶えています。60年余り前のことですが、建物や遊具の形などが頭によみがえってきます。また、現社小学校の運動場の東の辺りに園舎があった頃に我が子が通っていました。その子が親になって、子供が保育園やこども園に通うようになっています。今日、卒園していった園児たちもやがて大人になって、保育園、こども園時代のことを懐かしく思い出すのでしょう。
写真は、私が通っていた頃の園舎と園庭の遊具での集合写真です。
彼岸が過ぎ、春の光が満ちてきました。24日の朝、青空が広がり、庭の杏の花が朝日を浴びて薄桃色に光っていました。ヒヨドリが来てついばんでいきます。
昼間は少し曇ったり、小雨がぴりぴりしました(この辺の方言)。しかし、夕日が西に傾く夕方6時頃、嬉野台地の西端辺りに位置する加東市役所や税務署の辺りには夕日がまばゆく道路や交通標識を照らしていました。春を感じる朝日と夕日の一コマでした。
佐保神社の瑞神門に向かって右側に大きな石灯籠があります。この石灯籠は佐保講の寄進によるもので、石垣の上部の玉垣には、伊勢参りの道中の同講の宿の名が刻まれています。この石灯籠は日本五大石灯籠の一つに数えられると郷土史を研究しておられた先生に教えていただきました。
さて、門前からこの石灯籠を望むとその向こうに旧家の塀と屋敷が見えます。塀のところで二手に分かれた道は商店街へとつながっています。この景色は子供の頃から変わりません。おそらくもっと昔から変わっていない景色なのでしょう。
さて、門前からこの石灯籠を望むとその向こうに旧家の塀と屋敷が見えます。塀のところで二手に分かれた道は商店街へとつながっています。この景色は子供の頃から変わりません。おそらくもっと昔から変わっていない景色なのでしょう。
庭の杏が一気に開花しました。まるで約束のように小学校の卒業式の頃に咲きます。その杏の木の枝にヒヨドリがやってきて、さかんに花にくちばしを入れていました。ついこの前まで、柿の木の枝に止まってじいっとしていたのに春到来とともに忙しそうでした。
各地から桜の開花が伝えられています。ソメイヨシノの標準木が5,6輪咲くと開花だそうです。今年は長崎、福岡が1番、2番、靖国神社の桜も開花宣言がなされました。
兵庫県の内陸部にある加東市では、瀬戸内の臨海部より1週間ほど遅れて開花します。毎年、桜の前に庭の杏の花が咲きます。小学校の卒業式の頃です。つぼみが膨らみ一気に開きそうです。
兵庫県の内陸部にある加東市では、瀬戸内の臨海部より1週間ほど遅れて開花します。毎年、桜の前に庭の杏の花が咲きます。小学校の卒業式の頃です。つぼみが膨らみ一気に開きそうです。
去年、近所の先輩から貰った沈丁花の挿し木に小さな白い花が咲きました。小さい頃、わが家には大きな沈丁花の木があり、いいにおいが漂っていたことをよく憶えています。
先輩との立ち話から沈丁花の話になり、挿し木を貰って、鉢に植えて庭に置いていたものです。顔を寄せてみると、いい香りがしました。
先輩との立ち話から沈丁花の話になり、挿し木を貰って、鉢に植えて庭に置いていたものです。顔を寄せてみると、いい香りがしました。
19日(火)、神戸新聞に加東市畑の朝光寺の仏像が国の重要文化財指定を受けたことが報じられていました(写真は新聞記事、TVニュース)。
この仏像は木造千手観音立像で、京都の三十三間堂の仏像と同じものであるということです。そのことは話には聞いていましたが、仏像の台座の墨書きから証明されたようです。
朝光寺は、本堂が国宝、鐘楼が重文、多宝塔が県指定文化財、そして、5月5日のこどもの日に奉納される鬼踊りは県の無形民俗文化財に指定されており、まさに宝の寺です。建造物だけではなく、多宝塔や山門の下には鹿野川が流れ、つくばねの滝もあります。
今年の鬼踊りは御代替わりとなって最初のこどもの日に行われます。重要文化財が一つ増えた朝光寺が一層輝くことでしょう。
この写真は昭和の終わり頃、30年余り前、兵庫教育大学附属中学校の教員をしていた頃のものです。体育祭の応援合戦に使う竹を生徒と一緒に取りに行き、担いで帰る姿です。この時の中学生はもう40代半ばになっています。
場所は、加東市社の市役所、中央公園、中央図書館がある辺りですが、この写真からはおよそ想像もつきません。写真左側の田圃は、現在図書館が建っています。田圃の向こうに中三昧の墓地が見えます。手を挙げているのが30代半ばの私です。人も風景も平成の時代の間にずいぶん変わりました。
場所は、加東市社の市役所、中央公園、中央図書館がある辺りですが、この写真からはおよそ想像もつきません。写真左側の田圃は、現在図書館が建っています。田圃の向こうに中三昧の墓地が見えます。手を挙げているのが30代半ばの私です。人も風景も平成の時代の間にずいぶん変わりました。
毎朝、庭の柿の木の枝にやってくるヒヨドリ。まず、一羽がやってきてパートナーを待ちます。17日の朝も雨が降ったりして寒い朝でしたが、二羽が少し距離を置いて枝に止まってしばらくじいっとしていました。
しばらくしてふと窓を見ると、窓に近い手前の柿の木の枝にヒヨドリが止まっていました。まるで、こちらを観察しているかのように頭を小刻みに動かしながら見ていました。ときどき目が合ったような気がするほどでした。
しばらくしてふと窓を見ると、窓に近い手前の柿の木の枝にヒヨドリが止まっていました。まるで、こちらを観察しているかのように頭を小刻みに動かしながら見ていました。ときどき目が合ったような気がするほどでした。
16日(土)、わが家の隣の建物の縁の地面につくしが出ていました。忘れていた、今年もいつもと同じ場所に出ていたんですね。気がつかなかったのがすまないような、しかし、出会えたのが嬉しいような気がしてカメラを向けました。
このブログでも何度も紹介してきたつくしと同じ命が今年もしっかり生きていたんですね。
このブログでも何度も紹介してきたつくしと同じ命が今年もしっかり生きていたんですね。