ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

夏の終わりに-嬉野台地から丹波方面に湧き上がった雨雲を望む

2021年08月31日 05時45分42秒 | Weblog
 

 30日(月)、午後4時頃、加東市の中央に広がる嬉野台地を車で西に走っていると、北の方角にもくもくと湧き上がる雲が見えました。
 車を止めてしばらく眺めました。あの雲の下はおそらく激しい雨が降っているのだろう、などと想像しながら。あとで知ったのですが、あの雨雲は丹波から京都、そして滋賀県南部へと移動しながら雨を降らしたようでした。
 夏空もそろそろ見納めでしょうか。大地には緑の稲田が広がり、田圃によっては、穂が出ているのを見ます。
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明治26年発行の尋常小学校生徒用修身書巻四からー第十三課「養生」

2021年08月30日 05時12分12秒 | Weblog
 

 今日も昨日に続いて、尋常小学校生徒用修身書巻四から、第十三課「養生」を紹介します。この課では、肥前唐津城主であった寺澤廣高を取り上げ、藩主自らが、その行動で示した「養生」の大切さを教えています。

 第十三課 養生
寺澤廣高は、肥前の國唐津の城主なり。常に養生を心がけ、毎日午前四時に起き出でて、二時の間、職を勤め、食事前必ず馬に乗りて、馬場を駆け廻り、食事後は、武芸を学びて、身体を健にし、用事なければ、午後六時にいねて、身体を休め、精神を養ひたり。されば平生は勿論軍に臨みても、人に後れを取らざりき。廣高常にいへるやう、「夜ふけまで、無用の事を語りあへば、徒らに精神をつからせ、明日の勤めをも妨ぐるものなり、」とて、召し使ひの人人へも、早く暇を与へ、眠りにつかしめたりとぞ。暁には、早く起きんことを要し、夜は、熟眠せんことを要す。

このように戦国時代から江戸時代を生きた武将の生活ぶり、その奥にある考え方や精神を簡潔に記述して、子供らに規則正しい生活の大切さを教えたのです。子どもは文から馬場を駆ける城主の姿などを想像しながら話を読んだのでしょう。夜更けまでスマホを手に無用の事を語りあえば云々と言い換えれば現代にも通じる教えです。
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明治26年発行の尋常小学校生徒用修身書巻四からー第四課「兄弟」

2021年08月29日 06時08分43秒 | Weblog
 

 修身教科書では、まず「孝行」が一番最初に出てきます。孝行は、道徳の基本であるとされています。次に「兄弟」、そして「朋友」と続きます。身近な人間関係について大切なことを学んでいくようになっています。
 今日は尋常小学校三年生が使っていた巻四から第四課「兄弟」を紹介します。

 第四課「兄弟」
兄弟の親しみを全くせんには、兄は、弟を憐みいたはり、弟は、兄をあがめうやまひて、小利を争ふことなきにはしかず。
本多忠勝、病みて死せんとする時、黄金一万両を、次男忠朝(ただとも)に分つべきことを遺言せり。忠勝死したる後、長男忠政之をききて、「父の遺したまへるものは、皆我が物なり、」とて、金を渡さざりしに、忠朝少しも争ひうらみず、「兄上は、家来も多ければ、其の金を納めおきて、扶助の料にあてらるべし、我は、家来も少ければ、金の入用なし、」といひたり。
忠政之を聞きて、深くはぢいり、しひて金を渡しければ、いなむに言葉なく、「さらば入用の時まで、あづけおきたし、」とて、生涯受け取らざりき。

 本多忠政は姫路藩の初代藩主。弟の本多忠朝と父の遺言をめぐるエピソードですが、弟忠朝は一人占めをしようとした兄と争うことなく辞退した態度に、兄の忠政は自分の態度を深く恥じ入り、遺言にあった金を渡そうとしましたが、忠朝は受け取らず、必要な時まで預けておきます。と答えた、という話です。遺産相続をめぐる争いは今もある話で、最近の週刊誌には「終活」特集が多く、見出しにもよく見かけます。昔からある話ですが、「小利を争うことなきにはしかず」と書き、このエピソードを紹介して教えたのですね。
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夏の終わりの夕空-たなびく茜雲と関電タワー

2021年08月28日 06時21分25秒 | Weblog
 

 26日の夕方、日が西に沈んだ午後6時40分過ぎ、外に出てみると、空の雲が夕日の光を受けて茜色に染まっていました。真上の雲も、東の雲も、そして、西の空にたなびく雲も。
 隣の駐車場から西の方角に見える関電タワーが空にたなびく茜雲を背にひとり立っていました。一日の終わりを告げているかのようでした。
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明治26年発行の修身教科書(巻五)よりー細川藤孝のエピソード

2021年08月27日 05時06分37秒 | Weblog
 

 昨日に続いて、明治26年発行の修身教科書(巻五)より、細川藤孝のエピソードを紹介します。
 細川藤孝(のち幽斎)は、NHK大河ドラマの明智光秀で、光秀と足利将軍との間にあって光秀の頼れる存在だったように描かれていました。光秀の娘は藤孝の子忠興の妻(ガラシヤ夫人)となり、光秀と親戚関係でもありました。その細川藤孝が取り上げられています。

第二十課 学藝

細川藤孝は、其の少かりし時、戦場に出で、敵の乗りすてたる馬を見て、其の主を求めたれども、見あたらずして引きかへしたり。然るに従者、馬の鞍の上をなでて、「未だ乗り下あたたかなれば、遠くは行かじ、古歌にも
  君はまだとほくは行かじ我が袖の、
      たもとのなみだかわきはてねば。
といふことあり、早く追ひかけたまへ、」といふに、「よくこそ気づきたれ、」とて追ひ行きて、之を撃ち取りたり、是より心を和歌にひそめ、遂に其の奥義を極めたり。後石田三成の軍勢、其の居城を攻めて、糧を絶たんとせし時、後陽成天皇、藤孝を惜しませたまひ、寄せ手にさとして、囲みをとかしめたまへり。
 藝は身を助く

 藤孝は文武両道に秀でたことで知られています。昨日紹介した塚原卜伝に剣術を学んだとも。また、修身書にある通り、僅か五百の兵で、石田側の一万五千の大軍と籠城戦を戦い、2ヶ月も持ちこたえたことも知られています。古今和歌集を伝授する当時唯一人の教養人を助けようと天皇が勅令を出したほどと伝えられています。学問は身を助くとはこのことをさしています。人物伝の中に教えを伝える修身の手法は確かに心に残る方法だと思います。
 
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明治26年発行の修身教科書(巻五)よりー剣豪塚原卜伝のエピソード

2021年08月26日 05時55分51秒 | Weblog
 

 今日は明治時代の尋常小学校生徒用の修身書から剣豪塚原卜伝のエピソードを紹介します。塚原卜伝といえば、小さい頃、修行中の若い宮本武蔵がすきを狙って切り込んだところ、鍋の蓋で受け止めた話が思い浮かんできます。剣豪とはすごいものだと思ったものです。映画の一場面だったかもしれません。

第十一課 油断をつつしむ

塚原卜伝、弟子たちを伴ひて、道を行きけるに、垣につなげる馬、足をあげて弟子をけりたり。然るに其の人巧みに身をかはしてさけければ、見る人其の早わざをほめたるに、卜伝は、更に感心したる色なかりき。後ある人相謀り、卜伝を試んとて、其の通らんとする小道に、馬をつなぎたるに、卜伝は、之を見、遠くさけて通りたり。人人望みを失ひ、其の事を卜伝に語りければ、卜伝、「馬は、はぬべきものなれば、傍に近づかぬこそよけれ、」といひたり。誠に用心の深き人といふべし。

 油断大敵

以上です。こういう剣豪のエピソードから学ぶことは実は多く、また、ずっと残るものです。挿絵もついていました。
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明治26年発行の「高等小学校用の修身書」より-第二十課「兵役の義務」

2021年08月25日 04時56分07秒 | Weblog
 

 昨日紹介した修身書は、尋常小学校用ではなく、高等小学校用でした。正しくは『實験 日本修新書 巻六 高等小学生徒』(渡邊政吉著、金港堂書籍株式会社、明治26年10月13日発行)で、8銭4厘となっています。
 今日は、その第二十課「兵役の義務」を紹介します。

古語に「治に居て、亂を忘れず、」といへることあり、實に至言といふべし。若し一家無事に狎(な)れて、油断の心を起すときは、必ず火気盗難のうれへをまねくべく、一國平和を恃(たの)みて、武備をおこたるごときは、内亂外寇あるに臨みて、俄に狼狽するを免れず。さればこそ、家は、夜ごとに戸をとざして、非常をいましめ、國は恒に兵を備へて、要害をまもらしむるなれ。
兵は、國を護り民を安んずるに、欠くべからざるが故に、我が國にては、年ごとに、二十歳の男子若干人を徴集して、之に充て、常に軍事を習はしめ、三年の間、國を護るの務めに服せしむ、之を兵役の義務といふ。此の義務は男子の代わる代わる負担すべきものなれば、何人も丁年に達したる時には、進みて其の選びに当たらんこと務むべし。
 汝等皆其職ヲ守リ、朕ト一心ニナリテ力ヲ國家ノ保護二尽サバ、我國ノ蒼生ハ、永ク太平ノ福ヲ受ケ、我國ノ威烈ハ、大ニ世界ノ光華トモナリヌベシ。

 この課では、兵役の義務についての理解と心構えを学ぶようになっています。「家は、夜ごとに戸をとざして、非常をいましめ、國は恒に兵を備へて、要害をまもらしむるなれ」の譬えは今の時代にも通じます。まさに「若し一家無事に狎(な)れて、油断の心を起すときは、必ず火気盗難のうれへをまねくべく、一國平和を恃(たの)みて、武備をおこたるごときは、内亂外寇あるに臨みて、俄に狼狽するを免れず。」も今の日本の状況に通じます。
 
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明治26年発行の修身教科書(巻六)よりー第一課「孝行」

2021年08月24日 05時24分26秒 | Weblog
 

 今日も明治26年発行の修身教科書の記述を紹介します。旧家のご先祖が八城(※社)尋常小学校で使っていたものです。「巻六」ともなると、明朝体の活字になっています。その第一課は「孝行」です。すべての道徳の基本は「孝行」であると言われる通り、「孝行」が最初に挙げられています。

第一課 孝行
父母の恩は、山よりも高く、海よりも深ければ、寸時たりとも、其の恩を忘れては、かなふまじきことなり。されど子たるもの、常に父母の膝下にありて、其の慈しみを蒙る時は、之に狎れて、深く其の鴻恩を感ぜず、或は父母の膝下を離れ、或は父母の失せたる後に至りて、始めて其の惠みの鴻大なるを悟り、追慕の情を起し、後悔の念を発するもの多し。
かくては、いかに心を苦しめ、思ひを焦すとも、其のかひなかるべければ、幼き時より、常に父母を慕ひてよく仕へまゐらせ、後にいたりても、悔い怨むことなからんやうに願ふべし。小澤蘆庵の歌に、
 子を思ふ道にまどひて今ぞ知る、
       ちちぶの山のふかき惠みを。
とありて、早くより孝行を竭くすべきことを警められたり。

「父母の恩は山よりも高く海よりも深ければ」の言葉はよく耳にしてきました。「親孝行したいときに親はなし」という言葉もよく聞きます。親に対する孝行を道徳の基本と考え、小さいときから学校でしっかり教えていたんですね。加東市には「孝女ふさの碑」があり、戦前から修身教科書や国語教科書に取り上げられていました。この歴史ブログでも「孝行ふさ」について紹介していますので、検索してみてください。
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明治26年発行の尋常小学生徒用修身教科書よりー第二十課 勤勉

2021年08月23日 04時47分28秒 | Weblog
 

 昨日の続きで、今日は第二十課「勤勉」を紹介します。

昔京都に、圓山應擧(※円山応挙:まるやまおうきょ)といへる畫工(がこう・えかき)あり、「生き物の姿を写すは、手ぢかの物より始むるにしかず、」とて、一年余りの間、日日祇園の社にゆきて、雞(にわとり)をながめゐたり、やがて之を額に畫(えが)き、其の社に納め、ひろかに人人の評をききけるに、或る日野菜売りの翁之を見て、「雞の傍に草を描かざりしは、尤も妙なり、」といひければ、應擧すみやかに翁をとひて、くはしくその事をたつねたりとぞ。應擧は、かくの如くつとめはげみて、怠らざりしかば、遂に名高き畫工となりたり。
 為さずんば、なんぞ成らん。

 円山応挙の寺として知られる大乗寺(兵庫県香美町香住)には、2,3度訪れました。最初は若い頃、職員旅行だったと思いますが、どこからみてもこちらを見ているような絵があり、不思議な感じを受けたのをよく憶えています。


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明治26年発行の尋常小学生徒用修身教科書よりー第十四課 縝密

2021年08月22日 05時59分39秒 | Weblog
 

 今日は、明治26年発行の尋常小学生徒用修身教科書「日本修身書巻三」から、第十四課「縝密」を紹介します。

野田文蔵(※のだぶんぞう)は、算術の達人なり。或るとき大岡忠相(※おおおかただすけ)、まねきよせて、百を二つにわれといひけるに、かろがろしくこたへず。そろばんをかりうけて、ていねいに計算を為し、五十なりとこたへければ、忠相大いに感心し、「かくてこそ、大切の役目をまかすに足れるなれ、」とて、勘定役といへる、重き職をさづけたり。
 念には、念を入れよ。

 漢和辞典で調べると、「縝密」は、「しんみつ」と読み、「注意深い」という意味です。大岡忠相は江戸町奉行で、「大岡裁き」でよく知られていますが、勘定役を選ぶのに、算術の達人の野田文蔵が簡単な計算にも算盤を使って慎重に答えたことを評価して間違いのない男だと判断したというエピソードです。最後に大きな字で「念には念を入れよ」と書いてあります。計算が速いだけでは、大事な役目を任せられない、ということです。
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明治時代の修身教科書-尋常小学校1年生は絵で学んだ

2021年08月21日 05時49分01秒 | Weblog
  

 近隣の旧家のご先祖が使った古い教科書を見せていただきました。このブログで、兵庫県の地誌の教科書の記述を紹介してきましたが、今日は、修身の教科書を紹介します。明治26年発行の『實験 日本修身書入門巻一 尋常小学生徒用』(金港堂書籍株式会社刊)です。
 ご先祖が八城尋常小学校(※後の社尋常小学校)の1年生で使った教科書は、全頁に絵が書いてありました。
 第一課は「親の恩」親鳥が松の木の枝の巣で待つひな鳥に餌を運んでいる図です。親の恩を営巣、子育てをする鳥の姿で教えたのでしょう。
 第二課は「孝行」炉端で暖をとりながら茶を飲む母親の肩をたたく子どもの姿が描かれています。
 修身教科書のはじめには、孝行が挙げられ、親の恩に報いることの大切さを教えています。
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明治12年の小学校教科書「兵庫縣管内地誌略」に記された加東郡(現加東市・小野市域)③

2021年08月20日 05時06分53秒 | Weblog
 

 昨日の続きを掲載します。

中央ニ曠原アリ、嬉野ト云フ、南ハ東條川ノ北岸松澤村ヨリ、北ハ下久米村ニ至リ、東ハ天神町村ヨリ、西は社村ニ亘リ、東西二里、南北一十四丁余。社村ハ一小市場ニシテ、郡役所ノ在ル処ナリ、佐保神社アリ、郡中ノ大祠トス
小野ハ郡ノ南部ニ位シ、國中の一小城市ニシテ、一柳氏ノ旧邑ナリ

 嬉野台地の位置や広がりが記述され、社村の商業、小野の城下町としての特徴を記しています。写真は同書の奥付です。
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明治12年の小学校教科書「兵庫縣管内地誌略」に記された加東郡(現加東市・小野市域)②

2021年08月19日 06時06分05秒 | Weblog

 ①に続き、加東郡の記述の続きを掲載します。
 五峰山、加古川(滝野川)の記述に続いて、三草山、御嶽(岳)山、三草川、東條川について記述されています。
 「元暦ノ戦」とは源平合戦の三草合戦のことをさしています。「土井村」の名が出ています。鴨川が流れるこの村は、戦後建設された鴨川ダム(東条ダム)の湖底に沈んでいます。それにしても難しい漢語がでてきますね。

三草山ハ、北境三草村ノ上ニ峙(そばだ)チ、丹波ノ境ニ亘リテ、巘𧮾錯緲タリ、三草川其陽ヲ流レテ滝野川ニ注ク。元暦ノ戦、平氏営ヲ此ニ設く
御岳山ハ、平木村ノ東ニ在リテ、摂津丹波ト界ヲ分テリ、山中清水寺アリ、白雉中ノ勅創ニ係リ、有名ノ古刹ナリ。
二水山ヲ夾ミテ発シ、土井村ニ会合シ、西流シテ東條谷ニ入ル、之ヲ東條川トス
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ミンミンゼミの声が聞こえてきました 

2021年08月18日 04時56分08秒 | Weblog
 

 お盆の間の晴れた15日の午後3時過ぎ、庭の木々で鳴くセミの声の中に「ミーンミンミンミンミン」というミンミンゼミの鳴き声が聞こえてきました。この声を聞くと、夏休みも後半という感覚があります。夏の終わりを告げるのはホイツク(ツクツクボウシ)の鳴き声ですが、その前に聞こえるのがミンミンゼミです。
 クマゼミ、アブラゼミは姿を捉えるのは易いことなのですが、ミンミンゼミは声はするけど姿を捕らえるのは難しいのです。しかし、すぐ近くのナンキンハゼの幹に止まって鳴く姿を写真に撮ることができました。
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雨の日、網戸で交尾のアブラゼミ-自然にハート形

2021年08月17日 05時32分30秒 | Weblog
 

 降り続く雨。セミたちも幹にしがみついてじっと待っています。すだれにも何匹ものアブラゼミが止まって雨をしのいでいます。
 ふと、目に飛び込んできたのは、網戸に止まった2匹のアブラゼミが交尾中の姿でした。短い命の期間に子孫を残す努力をしているその姿に感銘を受けました。それ以上にその姿がハート形になっていることに気づいてさらに感動でした。
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