不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

下滝野で地蔵盆の踊りの輪

2012年08月25日 03時50分28秒 | Weblog
 24日(金)、加東市下滝野の公民館の西側の公園で地蔵盆の踊りが行われました。この公園の北東の隅には、土地蔵のお堂があります。お堂には12体の地蔵さんとお大師さんが祀られているとのことですが、お堂の中には、ねがい石とよばれる穴のあいた丸い石が納められていて、耳の不自由な人がよく聞こえるようにとお供えしたものと言われているようです。また、子宝にめぐまれるようによいう願いからとも言われているとのことです。
 毎年8月24日の地蔵盆には、子ども達はお菓子をもらって楽しみます。夜は盆踊りで賑わいますが、この日は幼くして亡くなった子どもが父と母に会える日で、お堂に祀られている子どもの霊が五峰山に登って愛宕さんで母親に、さらに上の役の行者の祠で父親に会うことができると伝えられているとのことです。
 公園には地区の各組の桟敷がこしらえられ、地域の老若男女が集まり踊りを楽しみます。また、公民館側では中学生が青年の指導でやきそばなどをつくって接待をし、行列ができていました。まさに地区あげての取り組みでした。
 8時を過ぎると、地区に継承されてきた下滝野馬鹿音頭の歌と拍子に合わせて踊りの輪ができました。踊り手の会話に「夏の踊りも残り少なくなったなあ」という声が聞こえ、夏の終わりを感じる夜になりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉馬阿弥陀堂で踊りの輪

2012年08月24日 05時20分30秒 | Weblog
 23日(木)、加東市吉馬では阿弥陀堂の前の広場で盆踊りが行われました。午後8時を回る頃には、地区の老若男女があつまり、櫓の太鼓に合わせて踊りの輪が大きくなりました。
この阿弥陀堂は加東四国八十八ヶ所の第七番霊場で、吉馬開発の祖、高瀬吉兵衛翁の記念碑があります。境内には北向き地蔵が祀られており、毎月21日には地区の人がお参りします。9月の彼岸には念仏講の高齢者と子供たちによる大数珠繰りが行われています。高瀬吉兵衛翁から11代目の高瀬俊介氏は現在吉馬の区長をつとめておられますが、今年も地域の歴史、信仰、心の拠り所となっている阿弥陀堂の前で三世代がそろって賑やかに祭りができることがうれしい、また、地域の歴史文化の継承という点でも大切な祭りと話しておられました。お堂の前のそう広くない広場での盆踊りは、やっぱりいいですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ステラパークの夜明け

2012年08月21日 05時37分38秒 | Weblog
 日に日に秋の気配が感じられるようになりました。日中は猛暑が続いていますが、朝晩はぐっと涼しくなり、朝のウォーキングも爽やかな気分で楽しんでいます。
 この写真は加東市社の中央公園ステラパークの夜明け、午前5時半過ぎの風景です。嬉野台地の西端に位置し、社の市街と遠く青野原台地、光明寺の五峰山、加西の山並みを望むことができる夕日スポットなのですが、実は朝日もなかなかいいんです。早朝の清浄な空気をいっぱい吸い込んで360度の広大な景色を展望して心を広げることができます。一度訪れてみませんか。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山王神社その2-本殿と境内

2012年08月20日 04時54分14秒 | Weblog
 昨日紹介した加東市厚利(あっとし)の山王神社の続編です。昨日は珍しい屋根の形の石鳥居の写真を紹介しましたが、今日は本殿と森閑とした境内の写真を掲載します。
 本殿の中央部が神輿を修める部屋で、左右に神様が祀られて拝殿となっているその造りは初めて見ました。また、その壮麗で重厚な造りの本殿屋根は歴史の重みを感じさせます。
 境内に立って見回すと、そびえ立つ大杉、古い石灯籠、木立の中の小宮さんが静かにそこに在る、という感じに包まれ、時の流れが止まったようでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

厚利(あっとし)の山王神社

2012年08月19日 05時20分57秒 | Weblog
 加東市厚利の県道小野藍本線からまっすぐに山側に続く道、そして目に入るのが普通の石鳥居の上に三角形の屋根のような形がのっている鳥居です。これが山王神社の鳥居で山の中腹に山王神社の本殿屋根が少し見えます。この珍しい石鳥居は大正5年の建立と刻まれていました。
 神社の下まで車を進め、緩やかな坂道を上ると森閑とした境内に入ります。
 境内の本殿前の脇に文化財の説明版がありました。読んでみると、本殿、絵馬が市の文化財(東条町時代)に指定されています。
 本殿は鎌倉時代の創建で、江戸時代元禄の頃に再建だそうです。その本殿は中央が大きな引き戸で閉まっており、神輿を納める部屋になっていて、左右に拝殿というか、神様を祀ってある形になっています。「近例を見ない」珍しい形式だと書かれていました。屋根も千鳥破風、軒唐破風向拝がつけてあり壮麗な感じを漂わせています。
 絵馬は表面が剥げてよく判別できませんでしたが、山王神社の祭礼のようすが描かれているようです。幟が林立し、神輿が練り、多くの参拝者で賑わうようすが描かれているとのことでした。
 山王神社には大山咋神(おおやまくいのかみ)、大己貴命(おおなむちのみこと)のほか二神が祀られています。この地に山王神社があるのは、厚利(あっとし)が近江日吉神社の荘園であったことに由来するとされています。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

社小学校-校庭の柳の木

2012年08月18日 05時48分12秒 | Weblog
 この写真には私が通った社小学校の懐かしい風景が写っています。社町立社小学校(現加東市立社小学校)の校庭の一角に柳の木が数本ありました。この写真の後方に写っているのがそれです。子供とくらべても大木だったことが分かります。写真を見ていると、木の形、登ったこと、夏休みに蝉を採りに行ったことなどいろいろな場面がよみがえってきました。白く光っている運動場の向こうに本館と一年生の校舎の間にあった東の便所もうっすらと写っています。この写真はいつ頃のものか定かではありませんが、私より上の世代だと思います。昭和30年代はじめ頃でしょうか。今はもう柳の木はありませんが、写真や記憶の中に懐かしさとともに残っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終戦記念日の忠魂碑

2012年08月15日 07時25分13秒 | Weblog
 8月15日の朝は曇りで空気は湿っていました。大東亜戦争が終わってから67年目の8月15日。いつもウォーキングで参拝している忠魂碑ですが、今朝は特別な思いで碑の前に立ちました。
 加東市社の市街地の南端に元加東郡公会堂、現在は明治館という名になっていますが、この敷地に忠魂碑があります。周囲は石の玉垣で囲まれ、その中に、大きな自然石で組んだ台石の上にさらに3本の石碑が聳えています。
 太く伸びた松の枝のために正面から見ると、碑が隠れてしまっていますが、中央には忠魂碑、大正15年3月(1926)建立、両側に英霊尊名碑、昭和28年(1953)建立が立っています。
 忠魂碑の揮毫は陸軍大将、川村景明。川村大将は薩摩出身の陸軍軍人で、日露戦争では鴨緑江軍司令官として奉天会戦などで活躍した人物です。日露戦争後は子爵となり、大正4年には元帥、その後在郷軍人会会長をつとめています。大正時代のはじめには、全国的に忠魂碑建設ブームが起こりましたが、川村大将は多くの忠魂碑の揮毫をしています。
 両側の英霊尊名碑には、明治10年の西南戦争から大東亜戦争まで、この故郷(旧社町、現社小学校区)から出征し、戦陣に散った英霊のご尊名が刻まれています。その数は、240柱余りにのぼっています。ちなみに、各戦役の数は以下の通りです。西南戦役(4)、日清戦争(5)、日露戦争(7)、日独戦役(第一次大戦・2)、満支事変(31)、大東亜戦争(195)。私の母方の叔父2人の名もあります。
 日本は大東亜戦争に負けました。そして連合軍の占領下には各地で忠魂碑を破壊されないように隠して守りました。占領が終わった後、再び忠魂碑を建てて英霊を御霊を鎮めたのです。祖国を、ふるさとを、そして家族を守るため、アジアを西欧白人支配から解放し、独立と繁栄を築くために故郷から出征して戦った英霊の尊い犠牲のおかげで今日の日本の平和と繁栄があることを忘れてはなりません。そして、感謝と同時に皇室の弥栄と、日本の真の独立と繁栄、アジアの平和と繁栄、郷土の繁栄と人々の幸福を実現することが今の私たちの誓いとしなければならないと思うのです。
 今朝もそんな思いを祈りとし、「海行かば」を歌ってきました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蓮の花が咲きました!

2012年08月13日 08時06分36秒 | Weblog
 我が家の庭の蓮が咲きました。8月8日(水)の朝、大きく膨らんでいた蕾が割れて白い花が見えました。そして、9日(木)の朝、白い八重の花が開きました。ちょうどその日は仕事で外泊だったのですが、メールで見ました。感動ですね。実物を見たのは10日午後でした。
 この蓮は去年に植えたもので、3,4種類の蓮を植えました。古い大きな火鉢に植えたのですが咲きませんでした。今年は大きな丸い葉が次々と出てきて期待していたところですが、たった1本、花がついたのです。1週間ぐらいで蕾が膨らみ開くと聞いていましたが、それ以上かかりました。
 白い八重のこの蓮。種類は分かりません。8月8日、末広がりの縁起の良い日に開花し、丸一日かけて咲いた花です。加東市には大賀蓮で知られる平池公園がありますが、今日は我が家の蓮を紹介します。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家原の毘沙門堂-加東四国三十一番霊場

2012年08月12日 06時27分15秒 | Weblog
 加東市家原、国道175号交差点のそばに立派なお堂があります(写真は今年1月撮影のもの)。これは毘沙門堂です。加東四国八十八ヶ所霊場の三十一番霊場になっています。
 家原はイエハラと読みますが、エーバラと発音されていたようです。加古川の支流、千鳥川のほとりにある家原は、古代、中世の古くから川港、船着場として人々が住んでいたと聞いています。お堂の辺りの字名は堂ノ元(下)。この一帯は弥生時代の住居跡も発掘され、後期には環濠集落が形成されていたというぐらい古い地です。そこにあるのが毘沙門堂で、昨日11日には家原地区の夏まつりが開かれ、隣接の公民館の前の広場ではやぐらを囲んで盆踊りの輪ができ、大勢の人が集まって楽しみました。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

懐かしの東条湖空中写真-その2

2012年08月06日 06時04分17秒 | Weblog
 前々回の東条湖の空中写真に引き続き、もう一枚の写真を紹介します。これも前回の写真の持ち主から提供を受けたものですが、東条湖をさらに広く見渡すことができます。東条湖はその形から「雲龍湖」という名にしようという話もあったとか。また、観光地としての東条湖には、東条湖八景(水天宮、不動岩、妹背岩、屏風岩、五ヶ所渓谷、鞍馬峡、鷲の巣窟、蓬莱峡)が名付けられ、観光船で湖上を巡ったのでした。まさに関西の仙境という名にふさわしい観光地でした。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和29年-社小学校講堂でNHK放送記念②

2012年08月04日 04時41分39秒 | Weblog
 以前に社小学校の講堂でのNHK放送記念の写真を紹介しましたが、別の角度からのもう一枚の写真がありました。装飾模様のついた白壁、雄大な富士山の絵の額、木の椅子などの造りに懐かしさを感じます。
 昭和29年(1954)8月7日とありますから、私の生まれた翌年、今から58年前の夏のことです。この写真に写っている児童が6年生だったとすれば、今はもう70歳ぐらいでしょうか。後ろ最上段には当時の先生の姿も見えます。真ん中には藤原静子先生のお若い頃の姿も見えます。
 今はもう思い出の中にしかない木造校舎の2階の講堂。この写真から10年余り後、私は高学年として講堂に入ることがありました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

懐かしの東条湖空中写真

2012年08月03日 05時14分10秒 | Weblog
 8月1日の夜、東条湖(加東市)では大花火大会が行われました。豊かな水を湛える東条湖の夜空と湖面に色とりどりの大輪の花火が映えました。
 さて、この東条湖は鴨川をせき止めて造られた戦後第一号の国営鴨川ダムによってできた湖です。この歴史ブログでもその建設経緯、湖底に沈んだ土井の立ち退きなどの話を掲載してきました。今日はその東条湖が建設され、関西の仙境、奥座敷としての観光開発が行われる初期の東条湖の空中写真を紹介します。東条湖観光に関係した方から提供を受けた写真です。
 手前の湖とダム堰堤、水天宮。ダムの向こうに広がる緑の田園と丘陵。鴨川の流れと東条川の流れが木々の連続により見分けることができます。道路に沿って集落が点在しているのも見渡せます。今と比較すると大きな建造物がなく、のどかな田園の町東条町の風景があります。
 「天恵の地形、土井は池になる」といわれた地形の特徴がこの空中写真でよくわかります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平田の薬師堂-加東市岡本

2012年08月02日 05時57分06秒 | Weblog
 加東市の東条地区。市立東条中学校から東に向かって南山インターパークにつながる道がほぼまっすぐに延びています。東条川を渡って右手、ほんのすぐのところ、田圃の中に大木の緑がこんもりとした一角が見えます。田圃の中を細い道が緑の杜に向かって延びています。
 そこにはお堂があり、古い石塔が並んでいました。あとで地元の方に「平田の薬師堂」だと教えていただきました。お堂の中には薬師如来が祀られているとのことで、年のはじめには伝統の行事も行われているとのことで、地元の人々の厚い信仰の地となっています。大木の木陰は涼しく、田圃を吹き渡ってくる風が心地よく感じます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三草小創立百周年-講堂での講演

2012年08月01日 05時32分42秒 | Weblog
 アルバムにあったこの写真。昭和47年(1972)12月20日、社町立三草小学校(現加東市立三草小)の創立百周年記念行事の一こま。講堂で講演しているのは石古勲社町長のようです。演題に「ヨーロッパ・・・」とあるのが見えます。加東市社庁舎にあるメモリアルガーデンは石古町長時代に造られヨーロッパ風の庭園として今も語り継がれています。そんな話だったのでしょうか。
 100周年からもう40年が経っています。今年は創立140周年ということでしょうか。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする