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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

加東の初夏を彩る「花き盆栽展」

2015年05月31日 05時33分59秒 | Weblog
       

          

 30日(土)、加東市社の社中央公園ステラパークで「花き盆栽展」が開催されました。会場には加東市の初夏を彩る見事なさつきの盆栽が展示され、子ども写生大会も行われました。我が家の子ども達も小さい頃は写生に来ていたことを思い出しました。また、公園芝生広場には市内のボランティア団体や障害者施設、社高校家庭クラブ、花と緑の協会など多くの店が並び、ステージでは兵庫教育大学チアリーディングの演技や銭太鼓の演奏なども披露され賑わいました。
 加東市では、春は桜まつり、初夏はさつき盆栽展やバラ園(播中公園)、夏は大花火大会(東条湖)、秋は菊花展、コスモスまつりと季節每に花をテーマにしたまつりが開かれます。豊かな自然とふるさとの特産物、そして人情が花開くまつりは地域を元気にします。
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朝の佐保神社辺り 

2015年05月30日 04時54分35秒 | Weblog
   

 朝、5時30分頃にウォーキングに出て、約30分のコースを歩きます。以前に比べると短縮コースですが、社の市街地を南に向かって歩き、南端の明治館広場にある忠魂碑に参拝、ここから北に向かって、佐保神社参道から神社参拝、境内を抜けて西浦の若宮神社、新池の堤を歩き、持寶院大師堂へお参りします。

 ウォーキングでいろいろな発見があるのも楽しみの一つです。家を出てすぐ近くに創価学会の東播文化会館がありますが、その門前の八重桜に今頃花が咲いているのを見つけました。しかも一輪はピンク、もう一つは白でした。もう初夏というのに珍しい。商店街では燕が飛び回っています。電線にとまって歩いていく私をみているような燕を撮りました。さらに明治館の西の森にはアオサギが営巣しており、ギャーギャーと奇怪な声で鳴いています。ときおり、大きな翼を広げて飛び立ち、ぐるりと旋回して巣に戻ります。近寄ってみると、巣の中にこどもがいるようでした。

 朝日に照らされて、石も木もそしてアオサギも濃い太陽光の栄養を吸収しているようにも見えました。私も朝のウォーキングで自然の力を吸い込んで元気が湧いてくるのを感じます。
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昭和14年-郷土出身兵戦死者の町葬執行計画②

2015年05月29日 05時25分01秒 | Weblog
 昨日に続いて、昭和14年(1939)2月に行われた郷土出身兵の戦死者の合同町葬儀の執行計画を紹介します。

きのうの続き


一三、諸要員差出ノ件
  左記要員ヲ責任指揮者ニ附シ差出サレ度
 1.会場設備要員
    社区   青年団員 一〇名
    上中区  同     五名
     左記携行ノ事
      杭  四尺一〇本   縄(カヒナハ)二メ□
      木鎌一丁、カケヤ一丁、荷車一台        両区共
 2.儀仗兵(責任者 青年学校長)
   イ.式場迠ノ議場兵 二名宛 上中二名、社区四名(七日午前十時頃迠ニ集合セ     シメ軍装ノ後午前十一時三十分迠ニ葬家ニ到ラシム各区ノ青学生ヲ使ハレ度)
   ロ.式場内ノ儀仗兵 指導員ヲ長トシ生徒六名(当日午后一時迠ニ編成完了ノコト)
 3.式場取締(各□係長)
    場内取締及整備 分会員 長以下五名
    場外取締    青学生 長以下十一名
      当日午后一時迠ニ編成シ係員ノ指示ニ従ハレ度
 4.式場案内
    軍部  分会員  二名
    其ノ他 青年団員 長(支部長)以下十一名
      同右
 5.接待
    国防婦人会 二〇名
    女子青年団 二〇名
      当日午后〇時三十分迠ニ集合シ各休憩所及案内所每ニ□□勤務セラレ度
 6.休憩所ノ準備及取締
    小学校教員ニテ整備願ヒ度
    左ノ休憩室ヲ夫々準備セラレ度
     軍部長官、特招寺院、遺族、官公衙長、一般寺院、神職教導職、郡聯合分 会、軍友会、一般来賓
 7.救護係
    小学校教員 三名
 8.式場整備係
    小学校教員 二名
    青年団員  五名
      正午迠ニ小学校ニ集合シ式場係ノ指示ヲ受ケラレ度

一四、其ノ他
    香料、供花、弔辞、弔旗等ハ従前通リ供花ハ町ニ一任サレ度

一五、前日ノ準備ニ関シテハ従前通リ

一六、各葬家ノ行事等ハ時局柄ヲ考慮セラレ大体慣例ニ依リ行ハレ度

一七、遺骨退場ノ葬列ノ指揮者ハ各関係区長ニテ□□セラレ度

    遺骨葬場 迎送ノ要図(省略) 

  ※写真 左端 公葬場(社小学校) 学校道  右端(田町通り)
     


                         

  
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昭和14年-郷土出身兵戦死者の町葬執行計画①

2015年05月28日 04時34分48秒 | Weblog
 昨日のブログで昭和14年(1939)2月に行われた郷土出身兵の戦死者の合同町葬儀に関する通知を紹介しましたが、今日はその執行計画を紹介します。

  町葬執行計画

一、町葬勇士名
  故陸軍歩兵曹長  依藤武雄君
  故陸軍歩兵曹長  波根五郎君   三柱ノ英霊ヲ公葬ノ礼ヲ以テ合同葬儀ヲ執行ス
  故陸軍歩兵上等兵 時本清太郎君

二、葬儀委員及同任務分担  別紙ノ如シ

三、会場  社小学校〃庭

四、公葬日時及行事時刻
 二月七日午后二時執行
   行事予定時刻

 1.葬家集合        午前十時
 2.同 開式        午前十一時
 3.同 式終了       午前十一時四十分
 4.遺骨葬家発       正午(出発前十五分ニ葬列ヲ整ハシム)
            依藤 正午  波根 〇時三十五分  時本 〇時三十五分
 5.社田町小学校ヘノ道路着 午后〇時四十分
 6.葬列式場着       午后一時
 7.公葬開式        午后二時
 8.同 閉式        午后三時三十分
 9.遺骨退場        午后三時三十分

五、葬場整備  従前通り

六、葬家参列者
   上中 依藤家 町長
   社  波根家 分会長
   〃  時本家 助役

七、葬家ヨリ葬列指揮及参列者
   両区〃長ニヨリ選定シ指揮スル両区民

八、遺骨葬列順序 大略別紙ノ通リ

九、同〃葬場着及退場ノ際迎送スルモノ  従前通り(別紙添フ)

一〇、町葬執行執行順序 従前通り

一一、墓地ヘノ葬列  従前通り(来場ノ通り)

一二、野砲 左ノ時期ニ煙火ヲ打上グ
 1.葬家葬列出発  正午
 2.遺骨葬場着
 3.公葬開式    午后二時
 4.同 閉式
 5.遺骨葬場退場開始

                         つづく

  
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昭和14年-社小学校校庭で戦死者の町葬

2015年05月27日 03時42分30秒 | Weblog
 社区事務所「軍事関係往復文書綴」の中に、昭和14年(1939)に戦死した郷土出身兵の町葬執行の通知が綴じられています。
 この歴史ブログでは、これまで、このような町葬について紹介してきましたが、終戦70年の節目の年である今年、あらためて戦争に関する資料を紹介したいと思います。




昭和十四年二月四日
                  社 町 長
区  長 殿
各種団体長殿

     町葬執行ノ件

故 陸軍歩兵曹長 依藤武雄   同  波根五郎 同 上等兵 時本清太郎君ノ合同町葬儀ヲ来ル二月七日午后二時ヨリ執行可致ニ付左記御了承ノ上一般ヘ御示達方願上度及通知候也

       記

一、遺骨葬場出迎ノタメ二月七日午後0時三十分迠ニ小学校道路ニ参集セシメラレ度(前 回ノ位置ニ於テ)

一、各戸ニ弔旗掲揚セシメラレ度
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玉垣に大阪商人の名-佐保神社境内

2015年05月26日 04時54分35秒 | Weblog
 佐保神社(加東市社)の広い境内には多くの建物や石造物があります。石造物には建立者の氏名や年代などが刻まれており、それらを読むことで神社と崇敬者との関係を知ることもできます。
 地元の村々の名や人名が多いなか、遠く大阪、京都、神戸などの地名も見られます。特に大阪は目立ちます。商業を通して社と大阪の関係が深かったことを示しているのでしょうか。
 本殿の背後(北)の森との間を区切る玉垣を見ると、大阪博労町四丁目、大阪唐物町二丁目などの地名が刻まれている円柱型の玉垣がありました。そして、屋号らしき文字と店印が刻まれています。きっと商人が寄附したものでしょう。
 
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陸上自衛隊青野原駐屯地39周年

2015年05月25日 04時52分44秒 | Weblog
     

 24日(日)、青野原駐屯地創設39周年の記念行事が行われました。まぶしい日差しの下、観閲行進やアトラクション、訓練展示などが行われ、訪れた多くの人がその迫力ある訓練のようすなどを楽しみました。39周年をもじって「地元にサンキュー」と地元への感謝を込めた駐屯地祭りにしたいという自衛隊の思いがよく表れていました。
 自衛隊音楽隊の軽快な演奏で戦闘服に身を包んだ隊員のきびきびした行進、迷彩色のミサイル発射部隊の装備車両などが披露されました。特に訓練展示では、空砲ながら大砲、戦車、機関砲などが仮想敵部隊に対して攻撃を加える場面は迫力満点でした。
 地元に自衛隊駐屯地がある町として、駐屯地と地元住民との交流は、創立記念行事、観桜会、盆踊りなどの行事を通じて行われています。また、防衛協会はじめ自衛官募集や隊員父兄会などの活動も行われています。青野原駐屯地は北播磨、丹波地域の災害に対して救援活動も行っています。
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佐保神社稲荷社の百度石

2015年05月24日 05時06分34秒 | Weblog
 一昨日のブログで、佐保神社(加東市社)の境内の稲荷社の新しく建造された鳥居を紹介しましたが、今日はその参道に立つ百度石を紹介します。佐保神社には瑞神門を入った正面、能舞台の前に人の背丈ほどの高さの立派な百度石がありますが、稲荷社の百度石は高さ50センチほどの円柱形の小さなものです。しかし、百度石の文字は深く太く刻まれ存在感があります。
 百度石の文字の反対側に「大阪北区堂島船大工町 関蔵治」「社町 岸本芳松」と読める地名と名前が刻まれていました。建立年は「大正五年八月□□」と刻まれています。約100年近く前に建立されたものだとわかります。佐保神社には大阪堂島の地名が刻まれた玉垣や記念石塔が他にもあります。米穀取引所が社にあったことなども関係があると考えられます。また、商売を通じて社と大阪の町が結びついていたこともあるのではないでしょうか。
 
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加東市メモリアルガーデンのアサミローズ

2015年05月23日 05時00分59秒 | Weblog
      

 20日(水)、日差しがまぶしい午後、市老連の総会に出席するために加東市市役所を訪れました。白亜の庁舎の南面にはメモリアルガーデンがあり、鮮やかな緑の芝生と噴水の水が涼しさを演出していました。その噴水の向こうに一角の赤色の花が目に止まりました。ミニバラ園です。ここには加東市掎鹿谷に在住のバラ育種家、浅見均さんが開発した品種のバラが寄贈され植樹されています。
 
 そういえば、今、まだ名前の付いていない品種の名前が募集されていると聞いていました。近づいてバラの花を観賞しましたが、私のようにバラに素養のない人間でも気品のある深い色あいに惹き付けられました。

 ぜひメモリアルガーデンで楽しんでみて下さい。また、加東市下滝野には県立播磨中央公園のバラ園もあります。 
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佐保神社境内の稲荷社に真新しい鳥居が

2015年05月22日 05時04分13秒 | Weblog
 加東市社の佐保神社の境内には多くの小宮がありますが、瑞神門を入って左手の手水舎の奧に稲荷社があります。唯一のコンクリート造りの社殿ですが、この稲荷社の鳥居が新しくなった、という話を神崎宮司さんから聞いていましたので早速参拝をしました。
 20日(水)の早朝、白木の真新しい鳥居が建てられ、朝日に光っている姿は清々しいものでした。最上部はまだ紙の覆いがつけられたままの状態でした。

 『佐保神社誌』(大正12年刊)によれば、稲荷神社の祭神は倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)。明治31年に社殿が焼失し、翌年再建されたとあります。当時の境内地図を見ると、稲荷社は宮前の一段低い所、今の県道(旧175号)が通っている辺りにあったようです。県道敷設で移築されたのでしょうか。
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大川瀬から鴨川ダム(東条湖)へ-隧道の出口

2015年05月21日 09時22分13秒 | Weblog
 昨日のブログで紹介しましたが、東条湖(鴨川ダムによってできた湖)には東条川上流の大川瀬から取水して隧道などで水が送られています。その吐口を湖上から間近にみることができ、感動しました。
 兵庫教育大学附属小学校の教員だった昭和56年(1981)に授業作りの調査で大川瀬導水路取水口に行ったことがありました。取水堰は幅約45メートル、高さ約3.5メートルあり、ここからダムまでは約5キロメートル。水は隧道を3キロ、開渠部分を2キロ、そしてまた隧道を300メートルの旅をして東条湖に注がれます。その出口を見ることが出来ました。
 あらためて写真を掲載し、紹介します。
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東条湖水天宮で安全祈願 高瀬舟で湖上遊覧

2015年05月20日 04時26分30秒 | Weblog
      



 19日(火)、加東市黒谷の東条湖上に浮かぶ岩場に祀られている水天宮の祭りが行われました。
 水天宮はダム(堰堤)近くの湖上に突き出た岩場の上に社殿に祀られています。昭和34年(1959)に建立されたもので、ダム建設によって湖底に沈んだ大小の神々を鎮めるとともに、涙をのんで立ち退かれた土井の人々への感謝、湖の安全と観光の発展を祈って水神様を祀ったのです。
 岩場からは広い湖を見渡せ、ダム本体のすぐ近くにあり、ダムの向こうに広がる豊かな東条谷の田園、さらに六甲連山を遠望できるという絶好の場所にあり、その岩場にに水天宮の社殿が建てられたのでした。桜の頃には岩場のある半島の公園で花見を楽しんだという話もでました。
 観光協会、加東市、地元地区、観光施設関係者、そして元土井部落住民らが参列し厳かに神事が行われました。
 神事の後、グランド赤坂の高瀬舟に分乗して満水の東条湖を一周しました。東条湖はその形から「雲龍湖」という名にしようという話もあったとも聞いていますが、たしかに上空から見たその形は大きな頭と細長い胴体をもつ龍のようでもあります。また、の東条湖には、東条湖八景とよばれる絶景の場所があり、それらは、水天宮、不動岩、妹背岩、屏風岩、五ヶ所渓谷、鞍馬峡、鷲の巣窟、蓬莱峡と名付けられ、湖上巡りの観光船で賑わいました。
 今日は湖面を吹き渡る涼風を受けながら高瀬舟で湖の奧深くまで遊覧できました。屏風岩、鷲の巣の岸壁は湖面から見上げる巨大さで迫力がありました。また、大川瀬ダムからの導水路(隧道)の吐出口も湖面から見ることができました。30分余りの短い時間でしたが、満水の湖から緑の美しい景色を満喫しました。
 湖畔のグランド赤坂では、遊覧時間30分(大人1000円、小人500円、10名以上の団体割引900円)で高瀬舟が運航されています。天気の良い日にぜひ乗船してみて下さい。当日申込みでいけるそうです。

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社町社現役及応召者氏名(昭和12年) ③

2015年05月19日 06時02分26秒 | Weblog
 昭和12年(1937)7月7日に起きた支那事変によって動員された郷土兵の一覧をのつづきです。


      社町社現役及応召者氏名

徴集等   兵種官等級   所属部隊又ハ鎮守府  氏名生年月日  家事担当者

昭一一  未補、 歩    歩三九補充隊    藤木治太郎    藤木さく
下町             九中隊       五・一・一一  

〃一一  〃          〃       内橋重一     内橋重太郎
田町             七中隊       五・一〇・一

〃一一  〃          〃       神崎壽寛     神崎壽景
宮前             七中隊       五・三・一〇 

〃一一  〃          〃       大島岩吉     藤野岩松
下仲             第二機関銃隊    

     予 歩 上     沼田部隊堀尾部隊 藤本正敏     藤本順二 
田町             朝倉部隊第二機関銃隊

     現 歩 上     沼田部隊野条隊  加古正次     加古栄太郎
西浦

     〃 歩 一     三九、補充隊   石井千太郎    石井りう
老松              九中隊

     現 海一水   呉海軍第一特別陸戦隊 近藤安治郎    近藤進太郎
田町              砲隊三中隊

     後 輜 特              田井秀夫     柏木多助
西浦                       三八・一二・一七

     現 海三水   呉海兵団第二十四分隊  大野 力    大野チヨ
東条              九教□

老松                      羽山要太郎    羽山八重子

老松                      宗接 進     宗接玉一

田町                      藤原 武

下仲                      藤岡宇一     藤岡小繁

下仲                      岸本 猛     岸本賢次

                                    以上                      





  
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社町社現役及応召者氏名(昭和12年) ②

2015年05月18日 05時19分38秒 | Weblog
 昭和12年(1937)7月7日に起きた支那事変によって動員された郷土兵の一覧を紹介しています。この中には、忠魂碑に英霊としてその名前が刻まれている方もあります。昨日に続いて紹介します。


      社町社現役及応召者氏名

徴集等   兵種官等級   所属部隊又ハ鎮守府  氏名生年月日  家事担当者

昭 八  予 騎 一    騎一〇補充隊    臼井清二     臼井ゑい
本町             二区隊五班     二・一〇・二  

〃 三  後 歩 伍    歩三九補充隊    高瀬泰治     高瀬林之助
宮前             歩兵砲隊      四一・一二・一

大一四  〃 歩 一    歩三九補充隊    近藤武雄     近藤りゑ
老松             第二機関銃隊    三八・十一・四 

大一五  〃 歩 二    歩三九補充隊    臼井 幹     臼井晴雄
本町             五中隊       四〇・四・二一

昭 五  予 歩 一      〃       近藤之祐    近藤熊太郎
田町             三中隊       四三・三・一〇

〃 五  〃 〃 上      〃       末廣泰治     末廣いう
東条             一中隊       四三・六・一八

〃一一  未補、歩       〃       松本林平     松本周次
下町             六中隊       五・九・二三

〃一一    〃        〃       門脇啓一郎    門脇よし
田町             七中隊       五・四・二一

〃一一    〃        〃       藤野茂雄     藤野佐七郎
老松             七中隊       五・七・二一

昭一一    〃        〃       門脇 修     門脇甚之助
田町             九中隊       四・一二・二一

 
                                   つづく
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社町社現役及応召者氏名(昭和12年) ①

2015年05月17日 05時13分52秒 | Weblog
 昭和12年(1937)7月7日、北京郊外の盧溝橋で日本軍と中国軍が衝突し、支那事変(北支事変)が起こりました。
 出動令が発令され、わが郷土からも多くの兵が応召され出発していきました。佐保神社で奉告祭を行い、社駅で見送りが行われました。当時の社区の軍事文書綴こは応召兵の奉告祭、見送りに関する通知が数多く綴じられています。この歴史ブログでも数多くの奉告祭の通知を紹介してきました。7月末から8月始めにかけては、80人超の兵が出発しています。その氏名一覧が文書綴に綴じられています。徴集年、出身町内、兵種官等級、所属部隊、生年月日、家事担当者(保護者?)が記入されています。


      社町社現役及応召者氏名

徴集等   兵種官等級   所属部隊又ハ鎮守府  氏名生年月日  家事担当者

大一三  後 歩 一    歩三九補充隊    臼井竹一      臼井芳太郎
田町             九中隊       四〇・七・一九  

昭一〇  予 輜 特    沼田部隊本部    柏木昌丈      柏木多吉
西浦             小行李四班     四・一・一八

〃一一  未補衛生兵 礒谷兵団鮎川部隊  貝原宇一郎     貝原芳太郎
田町             三分隊       五・七・一二

〃 六  予 騎 上              細川武雄      細川徳松
東浦                       四四・一〇・二

〃 七  予 歩 一    朝鮮竜山歩七九   近藤末吉      近藤よしゑ
老松             補充隊第二中隊十一 二・九・四

〃 九  予 砲 一              出井芳雄      出井芳松
下町                       三・三・三一

〃 三  後 歩 一              中村光義      中村国次
田町                       四〇・一二・一三

〃 八  予 歩 一              服部 勲      服部やゑ
下町                       二・二・二一

〃一一  予 輜 特    礒谷兵団沼田部隊付 宮野新吾      宮野とし乃
東条            堀尾隊大行李班    五・一〇・七

〃 七  予 騎 上              川崎伍一      川崎鶴市
田町                       四・七・二五

                                つづく      







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