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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

上三草の磨崖仏-600年以上も昔から

2010年04月30日 04時39分16秒 | Weblog
 28日(火)、加東市上三草の「三草ふれあい喫茶」に出かけました。県民交流広場事業で立ち上げられた「三草ふれあい広場」では、ふれあい喫茶をはじめ、マップ部会による地図づくりや交流部会による都市農村交流イベントの開催などさまざまな交流の場づくりが行われています。
 コーヒーとケーキ、そして会話を楽しむ中で、上三草の旧街道沿いにある磨崖仏のことが話題になりました。古い磨崖仏があるということは聞いていましたが、実際に見たことはありませんでした。天気も上々、ふれあい喫茶からの帰りに磨崖仏を探して旧道を上ってみました。
 上三草の家も途切れて、このまま行くと山口へと入っていくなと思いながらゆっくり車を走らせていると、左(西)側に山が張り出し、大きな岩が見えてきます。その岩の高いところ、仏像が彫られているのが目にとびこんできました。
 仏像はそう大きくなく、仏像の下には小さな仏像が二体彫ってありました。道から見上げるほど高いところに彫ってあるので、きっと街道を往来する人はこの仏を見上げながら、手を合わせたことだろうと思いました。
 帰宅して調べてみると、この磨崖仏は1375年に造られたものだそうです。今から600年以上前にこの仏が造られていたとは驚きです。銘文からそのことがわかったということでしたが、道からは銘文は判別できませんでした。
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昭和21年-自由市場、露店商調査

2010年04月29日 06時31分51秒 | Weblog
 敗戦からほぼ一年後の昭和21年(1946)9月、社町(現加東市の社小学校域)は、自由市場、露店商人について調査を実施しています。その調査に関する通知が社区の参考綴に綴じられているので紹介します。


昭和二十一年九月十六日
           社町長  合田常蔵

各区長
組 長 殿

  自由市場及商人ニ関スル件

昨年八月十五日前後より引続き露店及自由市場的の商人数を本月二十五日迄に何分の御回報されます様お願ひ致します。

 自由市場及露店商人調

※項目欄
種目 品目 売上又ハ収入見込 開店年月日 閉店年月日 住所 氏名


備考
一、本年一月一日より引続き開店及閉店のものにより調査されたし(但し九月一日現在のもの)
二、種目欄は物販請負製造簿の区分によるものとすること
三、品目欄は販売高品の主なるものを記入すること
四、売上収入見込欄には閉店迄及開店のものは九月一日現在に依ること
五、鯛焼、回転焼等目下休業状態にあるには町内会部落会長等に依り調査されたしなおう採聞のもの有る場合は洩れなく記されたし
六、備考欄に現在行先不明のものある場合はその旨記入されたし
七、修理業靴及傘その他の修理業者をも洩れなく相当欄に記入されたし
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昭和20年-空襲の敵機へ高角砲発射

2010年04月28日 05時31分07秒 | Weblog
 社区(現加東市社)の「社町役場ヨリノ書類綴」に昭和20年(1945)はじめの空襲に関する書類が綴じられています。
 この通知は、社町、社町警防団から発せらたもので、来襲する敵機に対して姫路海軍航空隊が高角砲で迎撃するので、社町域はその弾が落下する危険区域にあたるため、注意せよという内容です。
 小さい頃、母親からよく聞いていたのは、神戸や姫路が空襲されると、その炎で、空が赤くなっていたということや、ときどきグラマンが飛来してバリバリバリと機関砲を撃ってきた、という空襲体験です。もうその母親もいませんが、こうした文書から当時の状況を知ることができます。通知は次の通り。


 昭和二十年一月二十六日
             社町役場
             社町警防団
各区長
警防団幹部殿

◎警報下高角砲発射ニ関スル件
標記ノ件爾今敵機来襲ノ場合姫路海軍航空隊ヨリ高角砲発射セラルヽニ付社町一般ハ危険区域内ニ有ルニ付警報発令ト同時ニ待避セラレル様特ニ通牒ス
尚通学者一般ノ歩行ハ十分注意セラレ度
◎区長及幹部ヨリ部内一般ヘ偏レナク御指達相成様申添う
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昭和19年-炊き出しの鍋、釜調査

2010年04月27日 06時15分45秒 | Weblog
 社区(現加東市社)の「社町役場ヨリノ書類綴」の中に、昭和19年(1944)の夏に出された炊き出し用の鍋、釜等の調査についての通知が綴じられています。
 「至急」の朱印が押してあり、空襲が激しくなり、戦局がきびしくなるこの時期には、疎開用住宅調査などの書類も綴じられており、防空態勢を整える必要からこうした炊き出し用の鍋や釜そどが必要になっていたのでしょう。

社防第 号
  昭和十九年七月二十八日
               社町長
各区長 殿

 防空警備上必要ナル炊餐器具及輸送用車両調査ニ関スル件照会

標記ノ件左記様式ニ依り至急調査報告相成度此段及照会候也

 調査物資

(イ)一回ノ炊出シ一斗以上ノ鍋及釜、丸鍋、平鍋
(ロ)前号ニ掲ゲタル鍋及釜ニ適合スル移動式竃及三徳
2 輸送車両
 手挽、肩挽、手押、大八車



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昭和19年-佐保座で食糧増産慰安大会

2010年04月26日 06時29分05秒 | Weblog
 昭和19年(1944)、戦局が厳しさを増し、食糧をはじめ物資不足で国民生活も窮乏していく中、食糧増産に励む農家を招き、社町農業会が主催する慰安大会が佐保座で開かれました。社区(現加東市社)の「役場ヨリノ書類綴」にその案内状と入場券が綴じられています。
 佐保座は当時、社町社にあった劇場で、演劇や映画など娯楽の場として社町だけではなく、近隣の町からも多くの人が訪れていたそうです。


謹啓 秋冷の候貴職益々御清適賀奉候
戦局ハ愈々苛烈悽愴の度を加へ量を恃む驕敵に断乎一大反撃を敢行せんとするこの秋銃後の食糧生産の増産確保こそ今より大なるは無しと思考す
この秋に当りあらゆる食糧増産緊急対策に逼迫せる労力資材難を克服し土地改良事業に或ハ旱魃対策に御敢闘を願ひ予期以上の成果を収め豊饒の秋を迎へたることは邦家の為慶賀の至りと存候本会に於てもそれが労苦に対し深く感謝感銘致し居り候
就ては農家各位に聊かなりとも御慰安をと念する意を持って今回佐保座にて(本月廿五日)慰安会を相催し度候条公私御多用中誠に恐縮には候共万障御繰せの上見□御参列被下度此段及び御案内候也

 九月二十四日
         社町農業会長
               大橋実次

       殿


写真の入場券には次のように書かれています。

 食糧増産慰安大会

日時 昭和十九年九月二十五日
場所 社 町  佐 保 座

 入  場  券 (一人一葉限)

晝  晝ノ部  午后一時ヨリ

   主催  社町農業会

 ◇夜ノ入場券ハ晝ハ無効
 ◇子供ノ入場ハ禁ズ


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昭和19年-銀の回収運動

2010年04月25日 05時10分38秒 | Weblog
 昭和19年(1944)、社町役場から各区長、婦人会長宛に「銀回収運動協力」に関する通知が出されています。これは、社部落常会長の「常会協議事項綴」の中にとじられていたもので、アメリカ軍による空襲が激しくなるなど、戦局がきびしさを増している中で出されたものです。
 現代では、レアメタル(希少金属)の回収・再生といったことがあるわけですが、戦時中には金属類、特に航空機に必要な銀を確保することが重要な課題でした。写真はその銀の回収についての隣組回覧です。通知文は次の通り。


昭和十九年十二月十六日
                      社町役場

各区長
婦人会 殿

  銀回収運動協力方ノ件

戦局転換ノ現段階ニ当リ銀ハ軍需資材就中航空機ノ死命ヲ制スル発動機ニ多量ノ銀ヲ要シ銀ハプロペラノ高速回転ヲ助ケ而モ摩擦ニ対スル抵抗力頗ル強ク且又絶好ノ電導体トシテ航空機用通信機ニ必須ノ重要資材ニテ航空機増産上、最モ重要資材ナルヲ以テ本県ニ於テハ今般政府ノ方針則ハ而モ銀ガ不要不急奢侈性タルノ特殊性ニ鑑ミ一物モ余サス根コソギ動員スルノ方針ニテ強力且ツ活発ニ回収スルコト相成候御多用中トハ萬々御察申上候ヘ共何卒婦人会ト御協力ノ上所期ノ成果ヲ収ムル様格段ノ御配慮相煩シ度此ノ段重ネテ御依頼及候也
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昭和19年-座布団供出受領票

2010年04月24日 05時26分04秒 | Weblog
 昨日のブログで、昭和19年(1944)の社区(現加東市社)の文書綴の中に、座布団の供出割当に関する通知があったことを紹介しましたが、同じ綴の中に、「供出座布団受領票」が綴じられているのを見つけました。
 昭和19年3月9日付、社町社(現加東市社)部落会宛の受領票で、受取は兵庫県衣服商業組合となっています。表には、組、隣保、数量、重量、金額の記入欄があり、社区の1隣保から20隣保までの各項目の数字が記入されています。例を挙げると、1隣保の場合は次のように記入されています。

隣保 1
数量 95
重量 11貫670匁
金額 58円95銭

合計欄には

数量 624
重量 189貫31匁
金額 956円50銭

と記入されています。
受領票の右上の註の2に買受価格について次のように印刷されています。

2.買受価格ハ一枚(三〇〇匁)ニ付一円五〇銭トシ各隣保毎ニ拾銭未満ハ切捨テマス


この受領票についての役場からの文書も綴じられていたので紹介します。


昭和十九年三月十日
              社 町 役 場

各区長殿

  座布団受領票送付ノ件

今般座布団供出ニ関してハ格段ノ御配慮に預り御蔭を以て割当数量を突破するの好成績を以て受渡しを了し別紙受領証御回送申上候間代金受領まで御保存□し置き下され度右受領証御送付候

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昭和19年-座布団も供出

2010年04月23日 04時54分00秒 | Weblog
 社区(現加東市社)の「社町役場ヨリノ書類綴」の中に、「協議事項」と書かれた一枚の文書が綴じられています。「昭和拾九年参月貳日」の印が押されていますが、前後に綴じられている文書に繋がりがなく、単独の文書のようです。
 その協議事項の内容が「座布団供出割当」なのです。戦時中、物資不足に対処するためにさまざまな物資が供出されました。この綴にも金属、桐材、藁、薪などの供出に関する文書が綴じられており、この歴史ブログでも紹介をしてきました。しかし、座布団まで供出したことをこの文書で初めて知りました。座布団の綿を使ったのでしょうが、打ち直して布団にする、あるいは火薬の原料になるとか・・・。


  協議事項
一、座布団供出割当ノ件
   各割当表(壱阡五百貳拾枚)一枚ニ付キ目方三百目

社  六一〇枚
山国 一九五
松尾  四五
出水  六七
田中  四六
鳥居  四三
貝原  三九
野村  七八
垂水  三〇
窪田 一〇二
家原  八六
上中  八四
梶原  四七
喜田  四八
計 一五二〇
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昭和19年-決戦貯蓄へ指導者協議会

2010年04月22日 05時39分56秒 | Weblog
 社区(現加東市社)の「社町役場ヨリノ書類綴」に、昭和19年(1944)、貯蓄目標達成に向けて加東地方事務所主催の指導者協議会開催通知が綴じられています。
 戦争遂行のために決戦貯蓄として目標額の達成を図るために開催されたものですが、区長や農会長などの出席者対象者は手弁当で出席との指示も書いてあり、戦局がきびしくなっていた当時の状況が伝わってきます。


昭和十九年五月二十六日
                社町役場
各 区 長
各種団体長 殿

 決戦貯蓄真義徹底指導者協議会開催ノ件

本年度貯蓄目標額達成ニ関してハ夫れく御配慮を戴き居候處特ニ決戦貯蓄の真義認識在て本年度貯蓄増強方策の全面的徹底を期する為加東地方事務所主催のもとに左記通り協議会開催相成候条御多用中とハ御察し申上候へ共何卒御繰合せの上御出席成し被下度御通致成□御依頼申上候

    記

一 開催日時   昭和十九年五月二十八日午前十時
一 場所     加東郡公会堂
一 参集者範囲  一、部落会長 一、同農会長 一、同婦人会長 一、貯蓄係 一、隣保長

 追て出席者ハ当日昼食携行せられる様に御願ひ申上候 
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昭和19年-必勝総武装一斉常会の開催

2010年04月21日 05時24分12秒 | Weblog
 昭和19年(1944)、アメリカのB29による「空襲などいよいよ戦局が厳しくなる中、国民の結束を固めるために一斉常会が開催されることになり、その開催通知が社町長から出されています。社区(現加東市社)の「社町役場ヨリノ書類綴」に綴じられている通知文を紹介します。この頃には、各種通知の内容も戦局の悪化を感じさせるものが多くなっていますし、綴じられている文書の紙質も悪くなり、裏紙の使用も多くなっています。そんな中で、戦争遂行への国民の決意を促す目的で開催されたものです。


 昭和十九年九月六日

             社町長  合田常蔵

   殿

  必勝総武装一斉常会開催ノ件

戦局愈々緊迫セルゝ秋国民下部組織ノ強力ナル結束ヲ固メシヘルハ喫緊事ニ有之此際縣民ニ対シ一段ノ決意ヲ促シ以テ重大時局ニ対処スルノ必要上別記要領ニヨリ一斉常会ヲ開催スルコトト決定相成候条御繰合セ御参加相成度此段通知候也

       記

一、場所  社町役場会議室  (神社参拝後役場ニ於テ開催)
二、日時  昭和十九年九月八日午前七時(佐保神社集合ノコト)
三、常会ノ内容
 1.知事ノ告諭朗読 町長
 2.地方事務所出席ヨリ告諭内容説明
 3.告諭ニ対スル具体的申合事項協議
 4.其ノ他ノ協議事項
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続-山口の宝篋印塔の経文

2010年04月20日 06時47分07秒 | Weblog
 昨日紹介した加東市山口の宝篋印塔には、32文字の経文が刻まれています。ウォーキングの前の学習会で丁寧な解説を聞かせてもらい、その時にはなるほどと理解できたのですが、時間が経つと「32文字の経文」という言葉が鮮明に残っているということで、意味をここで紹介する自信はありません。せっかく書き写していただいた経文ですので、写真で紹介します。


 経 日

若有末世四輩弟子
善男善女為無上道
盡力造塔安置神咒
所得功徳説不可盡
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山口の宝篋印塔

2010年04月19日 05時22分40秒 | Weblog
 17日、加東市山口の公民館は、第1回三草わくわく探検ウォーキングのスタート地点になりました。少し空気が冷たい中、公民館の中で今回の催しの趣旨や見学する歴史遺産、やしろ台地区の自然などについて事前の学習会が行われました。
 その中で、山口地区の中心を通る旧京街道沿いにある墓地の中にある宝篋印塔についての説明がありました。享保年間につくられたもので、およそ290年前のものだそうです。印塔には経文が刻まれており、その説明もありました。
 そのあと、実際に見学してみると、300年近くも経っているとは思えないほどきれいなものでした。市内にはもっと古い時代の宝篋印塔がありますが、山口地区の皆さんが地区の歴史遺産として大切にされ、私たちに紹介して下さったことが嬉しく、今回のわくわく探検の楽しみそのものでした。
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昭和38年-嬉野公民研修所の配置図

2010年04月17日 06時10分16秒 | Weblog
 昭和38年(1963)、兵庫県立嬉野公民研修所の創立20周年に記念誌が発刊されています。昭和18年、県立の学徒錬成場として設置され、戦後は公民研修所に変わって社会教育のセンターとして青少年、成人の公民教育施設として活用されました。
 創立20周年の昭和38年といえば、私が小学校高学年の頃です。松林の中に建物があり、野球場の外の松林の中にキャンプファイヤー場があったことを覚えています。当時発足したボーイスカウトに入団し、飯盒炊さんをこの松林で行ったこともよく覚えています。
 現在は松林はなく、野球場は県立教育研修所に、公民研修所は建物はすでになく、時々臨時駐車場に使われているようです。周辺は道路が整備され、住宅が建ち並び、ずいぶん変わってしまいました。
 
 20周年記念誌に当時の施設の配置図がありました。講堂や寮、ファイヤー場など記憶が蘇ってきます。
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軍隊生活漫画絵葉書-鉄道警備

2010年04月15日 05時12分02秒 | Weblog
 東京武揚堂発行の郵便はがきで、軍隊生活を漫画で描いた絵葉書を紹介します。これは地元の方から提供していただいたもので、今日は「鉄道警備」を描いたものを紹介します。
 つるはしをあげて3人の兵隊が線路の修理をし、その旁らで1人の兵士が警備をしています。荒漠とした満州の原野の冷たい空気。そして、その中をまっすぐに走る鉄道の線路と汗をかきながら作業をする兵隊の熱気が絵から伝わってきます。せりふは次の通りです。


★昼夜分かたぬ 鉄道警備

「サア 鉄道ノ修繕工事ダ・・・ヤレコノサンデー ウントコ ドッコイショ」

「コノ鉄道コソ 満州ノ大動脈ダゾ・・・匪賊ニ破壊サレテナルモノカ」

「匪賊ドモ 出テコイ タダヂヤ スマサヌゾ」
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軍隊生活漫画絵葉書-寝るも起きるも皆喇叭

2010年04月14日 05時23分36秒 | Weblog
 地元の方から提供していただいた戦時中の絵葉書の中に軍隊生活を漫画で描いた絵葉書があります。この歴史ブログで紹介してきましたが、今日は「寝るも起きるも皆喇叭」と題した絵葉書を紹介します。
 小さい頃、大人から起床喇叭、消灯喇叭、突撃喇叭などの話を聞いたことを覚えています。「兵隊さんは可愛そうだね~また寝て泣くのかよ~」とだったと思うのですが、そんな一節をメロディーと一緒に覚えています。
 絵葉書には、喇叭手が起床喇叭を吹いている光景が描かれています。「鳴ッタゾーッ」「ソレッ!!鳴ッタョ}のセリフが挿入されています。起床喇叭は「起きろよ、起きろよ、みんな起きろ、起きないと○○に怒られる~」とか何とかという節だったように思うのですが・・・
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