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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

社の百旗から五峰山を望む

2013年12月31日 06時51分56秒 | Weblog
 加東市社の百旗(ひゃくはた、ひゃくはったい)の墓地から北西を望むと遠くに五峰山の山塊がどっしりと横たわるように望めます。百旗の地名の由来は昨日のブログで紹介した通りですが、義経も同じ景色をみたのでしょうか。
 五峰山との間には、社の市街地、千鳥川、中国道の滝野社インターと周辺の街並み、滝野の街並みが広がっています。手前のピラミッドは百旗墓地の無縁墓の塔です。冬の晴れの日は澄み切った空気で眺望が開けます。嬉野台地の西端にあたるこの場所には加東市の新庁舎も建設されました。最上階からの展望はさぞかし雄大でしょう。新年の楽しみにしたいと思います。
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百旗のお地蔵さん

2013年12月30日 06時44分08秒 | Weblog
 加東市社の市街地の東、道池交差点の東に社の墓地の一つ、百旗墓地があります。百旗(ひゃくはた、ひゃくはったい)という地名は源平合戦で知られる三草山合戦で平氏を奇襲し、敗走する兵を追ってこの辺りまで来た義経軍は百本の旗を立てて陣を張ったという伝承に由来するとされています。
 この百旗に地蔵さんがあります。社郵便局から墓地へ通じる狭い道路が旧国道372号に合流する手前の民家と民家の間にこの地蔵さんがあります。
 百旗墓地の入口にあたる場所であり、旧京街道の社村と木梨村の村境で、社村の入口にあたります。衆生救済、社村の守護を祈って祀られたのでしょう。
 地蔵菩薩の台石には寛延四年と建立年が刻まれています。西暦1751年にあたりますから今から約260年前に建てられた古いものです。
 願主は社邑、福田屋喜左衛門と刻まれています。当時、社には毎月6日(4,9,14,19,24,29)に市がたてられ店を構える商家が出現していた(『新修加東郡誌』)とあり、福田屋喜左衛門もその一人だったのではないでしょうか。
 お地蔵さんには、小さな鏡餅がお供えしてありました。そしてお地蔵さんの向こうには滝野の五峰山がくっきりと見えました。
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滝野総合運動公園から五峰山を望む

2013年12月29日 08時27分35秒 | Weblog
 加東市河高に滝野総合運動公園スカイピアがあります。運動公園の芝生広場から東には、眼下にJR加古川線、その向こうに加古川の流れ、さらに広々とした播州平野の中に田圃と町が点在し、さらに遙か六甲連山が望めます。
 雄大な景色を見ていると心も晴れ晴れとしてきますが、北には播磨高野、太平記の古戦場で知られる五峰山の峰々が衝立のように屹立しています。その手前を中国自動車道が走り、古代から人が住んだ跡のあるこの台地の長い長い時間の流れを感じます。
 冬の加東市の景色の一つ。スカイピアから五峰山を望む。好きな景色です。
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昭和4年-郡公会堂で耕地整理の映画会

2013年12月28日 06時01分35秒 | Weblog
 昭和4年(1929)の秋、元加東郡公会堂(現加東市明治館)で兵庫県耕地整理協会主催の活動写真会が開催されています。
 当時、郡公会堂では盛んに活動写真会が開かれました。明治45年に建築された公会堂は加東郡議会が開かれていましたが、郡制廃止の後公会堂として政治経済文化の殿堂として様々な催しに活用されていました。
 現在は明治館として加東市の行事などで使用されていますが、つい先日も赤穂義士祭の佐保亭演芸会が開催されました。
 今日紹介するのは、当時の社町社の「雑書綴」に綴じられている案内状です。

 昭和四年十月五日
                 社町役場
各区長殿

 活動写真会開催ノ件

来ル十月八日午后一時ヨリ左記要領ニ依リ活動写真会開催相成候条貴部内一般ヘ御吹聴ノ上多数ノ参観方可然御取計相煩し度此段及御依頼候也

     記

一、期日  十月八日午後一時
一、場所  社町元郡公会堂
一、映画  農林省保有、開墾及耕地整理、土地改良、耕種培養ノ色々 十巻
一、主催  兵庫県耕地整理協会 
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冬の社中央公園ステラパークの星座モニュメント

2013年12月27日 05時41分03秒 | Weblog
 加東市社の市庁舎に隣接して社中央公園があります。金屋谷池を取り巻く一帯が公園になっており、回遊路も設けられています。中央図書館の南に面してステラパークと名付けられた円形のステージ付きの公園と金屋谷池の西側には堤の傾斜を利用した遊具のある芝生公園もあり、子供連れの家族には人気の公園です。
 ステラパークのステラは星、星座、宇宙といった意味なのでしょう。円形の公園の周囲は遊歩道、中央部は芝生公園になっており、星座のモニュメントが配置されています。写真は私の星座であるさそり座の石造モニュメントです。冬の夕日を浴びてさそりが大きなはさみを挙げているようなイメージでしょうか。
 この公園は夕日がきれいなスポットとして推薦です。加古川の河岸段丘の高位段丘である嬉野台地の西端に位置しており、中位段丘にある社の市街地、さらに低位段丘にある県民局や警察署、国道175号の市街からさらに西方には加古川、青野原台地、姫路方面まで雄大なパノラマを見通せます。特に公園内の金屋谷池の堤の上から西の彼方に沈む夕日は素晴らしいの一言です。
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兵庫教育大学キャンパスの「郷土の森」

2013年12月26日 05時19分34秒 | Weblog
 加東市には兵庫教育大学があります。国立の教員養成大学として社町に設置され35年が経ちます。教員をめざす学生が学ぶ学部と現職の教員が学ぶ大学院から構成される新構想の大学院大学として日本の教師教育、教育の実践研究のメッカとして先導的な役割を果たしています。
 大学のキャンパスは豊かな自然に恵まれた嬉野台地にあり、加東市のシンボル三草山も望めます。広々としたキャンパスの一角に「郷土の森」があり、さまざまな木が植えられています。掲示板があり、そこには大学院で学んだ全国の現職教員が修了の記念に出身都道府県の代表的な樹木を植えたのがはじめで、創立10周年を機に「郷土の森」として整備した、とありました。
 卒業記念に植樹はよくありますが、全国各地の樹木が植えられた「郷土の森」があるのは珍しいのではないでしょうか。各々の樹木には名前と都道府県名の名札が掲げられています。修了生にとっては教育への志を確かめ学びの日々を懐かしみをもって振り返ることができるし、大学を訪れる人にとっては全国の珍しい樹木を楽しむことができます。今は冬で少しさびしい感じもしますが、蕾を準備している豊後梅(大分県)もありました。
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四十七義士の墓碑-家原観音寺

2013年12月25日 05時30分40秒 | Weblog



 赤穂義士の墓碑がある加東市家原の観音寺。菩提所には中央に浅野内匠頭ら浅野家四代の碑があり、その傍に大石内蔵助、主税父子が従い、周囲を義士が囲むという配置で墓碑が並んでいます。
 境内の菩提所入口にその配置図が掲示されています(写真)。そこには忠臣蔵で知られる義士の名前を見つけることができます。吉田忠左衛門、堀部安兵衛、神崎与五郎、大高源五、磯貝十郎左衛門、片岡源五右衛門、寺坂吉右衛門・・・。
 浅野家四代の大きな碑の前に線香を手向けたあとは、塀にそって義士一人一人の名前が刻まれた墓碑を巡り、線香や賽銭を供えながらこの人は云々と話が広がります。
 東京の泉岳寺、赤穂の花岳寺ともう一ヶ所、この家原観音寺の三ヶ所に四十七義士の墓(碑)があります。当地の人々はこの家原観音寺の菩提所で、義士の忠義を称え、遺徳を偲ぶことができるのです。
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冬の夜の光-社中央公園ステラパーク

2013年12月24日 05時00分17秒 | Weblog
 23日(月)、天皇誕生日の夜、加東市社の社中央公園ステラパークは光に彩られました。
 5回目の「地球にやさしいクリスマス・イブ」が開かれ、いつものイルミネーションに加えてピンクの照明、中央の芝生には2000個の廃油キャンドル、図書館からは緑のレーザー光線が夜空にのびて訪れた人々を笑顔にしました。
 この冬の催しは1回目は加東市鴨川のやしろ鴨川の郷で行われ、3回目からステラパークに会場を移して行われています。夏は踊りに、春と秋はつつじや菊花展とともにフェスティバル、そして冬はイルミネーションとクリスマス・イブ。ステラパークは四季を通じて市民の交流の広場となっています。
 今から40数年前、社市街地から嬉野にあった社中学校(現兵教大附属幼小所在地)への通学路だったこの辺りは、金屋谷池と田圃があるばりの寂しい風景でした。半世紀の時を経てこうして人々が集う場になっていることに感慨が深まります。
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冬の田の畦のあおさぎ

2013年12月23日 05時12分52秒 | Weblog
 この写真は12月14日の赤穂義士祭の日、江戸の刃傷事件を赤穂に知らせる早籠にちなんで行われる加東市中学校駅伝競走大会の会場で撮したものです。
 数年前からコースが変更され、義士の墓碑のある観音寺の西に広がる田圃の中の農道がコースとなっています。この日は空は晴れているのですが冷たい北風の吹く典型的な瀬戸内気候区の播磨内陸地方の冬の天気でした。
 寺からスタート地点に歩いて向かう途中、ふと田圃の畦にあおさぎが立っているのが目に入りました。すぐ近くだったのですが、驚く様子もなく、静かに立っています。そばで見ると意外に大きく感じました。あおさぎは佐保神社の大けやきの枝に営巣しています。その前はやはり近くの善龍院の木々に営巣していました。その鳴き声と糞には困ったものですが、こうして近くで見ると威厳のようなものを感じました。
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義士祭で川柳披露-やしろ川柳

2013年12月22日 05時22分31秒 | Weblog


 12月14日の加東市赤穂義士祭が行われた家原観音寺境内に川柳やしろの皆さんの句が掲げられていました。参拝の皆さんがドラム缶たき火で身を温めながら川柳を肴に談笑する風景が見られました。
 思わず「いいね」を連発してしまいましたが、いくつか紹介します。

米あまり瑞穂の国の田が荒れる   哲男
減反にあくびしている耕耘機    まさ子
チャイナさん領土拡大ほどほどに  三郎
大丈夫振込むほどの金がない    民子
露天風呂女の愚痴がよく響く    宣子

 境内では社連合区の役員さんらが恒例の福引きのお世話をされていました。私も地区役員だった頃に一緒にやりました。1回60円。ポッキー1箱と福引き。私は10回で5等が4枚でした。スナック菓子の袋詰めを4袋ももらいましたが、特等は清酒2本、1等はみかん箱といった具合で、欲しかったバケツが当たって喜んでいる人もありました。

 
 

 



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社市街地と関電タワー

2013年12月21日 05時21分49秒 | Weblog
 写真は加東市社市街地と関電タワーの風景です。関電タワーは社のランドマーク。加古川の河岸段丘の中位段丘に社の市街地が形成され、今建設中の加東市役所は高位段丘である嬉野台地の西端に位置します。遠くからも関電タワーが目印になりますが、市街地の街並みにも馴染んだ風景を見せてくれます。
 タワーの手前左手には神戸新聞北播総局の入るコミュニティーセンターの建物がありますが、この地は、かつて加東郡役所が置かれ、旧加東郡(現在の加東市と小野市域)の行政の中心だった場所でもあります。北に向かって緩やかに下る坂道の途中から見た風景ですが、私の立っている辺りは左手に善龍院があるところです。右手前にはかつて神姫バスの車庫がありました。
 ふと見上げる関電タワーと社市街地の風景に昔を重ね合わてしまいました。
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社保育園の加東伝の助とはばタン

2013年12月20日 05時50分53秒 | Weblog
 ライオンズクラブの年末恒例の活動であるサンタクロース訪問が行われました。
 ライオンズクラブではメンバーが手分けをして市内の幼稚園、保育園を訪問し、プレゼントを配ったり、マジックや腹話術を披露していますが、今年、私は他のメンバーとともに米田保育園と社保育園に行ってきました。
 米田保育園では園児から「サンタさんは何歳ですか?」という質問が出て、「何歳だと思う?」と聞き返すと元気な声で「2歳!」という声が返ってきました。2歳児の園児は何歳?と聞かれると「2歳」と答えるんだなと思いました。
 社保育園は園児の数が160人くらいだそうでその数と元気に圧倒されそうでした。部屋の壁面には一年間の行事の絵が貼ってありました。その中に一際目立つのが加東市のマスコットキャラの「加東伝の助くん」と兵庫県の「はばタン」の絵でした。共同製作のような貼り絵に見えましたが、園児は毎日この絵を見ながら過ごしています。
 保育園の頃の記憶は殆どありませんが、それでも先生の顔や遊具、昼寝など妙に鮮明な記憶の場面もあります。懐かしい思い出ですが、こうして市や県のマスコットキャラを掲げることで、愛着をもたせることが、やがてはふるさとへ意識を醸成することにもつながっていくと思います。
 元気な園児と楽しく温かい掲示に私達も元気をもらいました。
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冬の夜明け-大池の向こうに熊野神社の杜が

2013年12月19日 04時58分13秒 | Weblog
 ほぼ毎朝歩いていますが、四季を通じて、夜明け前の時間帯が一番好きです。世の中はまだ静かに眠っています。昼間はトラックが音を立てて走る幹線道路もこの時間帯はほとんで走っていません。
 東南の方角の空がほんの少しオレンジ色に変わり始めるとき、ちょうど社市街地の南の大池の辺りから山国方面を見ると、熊野神社の杜がこんもりと盛り上がってみえます。池の水面には白い湯気が立ち始めていました。本当に静かな風景です。
 静かに静かに夜から昼へと地球が回転しているのを感じます。宇宙船から見る地球の夜明けの映像と重なります。
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三草藩武家屋敷-加東市上三草

2013年12月18日 06時17分24秒 | Weblog
 加東市上三草、やしろ国際学習塾の白い屋根の建物がひときわ大きく目立ちます。
 三草川に面し、京街道筋のこの地は、江戸時代は三草藩陣屋や藩士の屋敷がありました。近代に入り、陣屋跡には三草小学校が建てられ、移転後はやしろ国際学習塾が建設され現在に至っています。
 その国際学習塾の西側に武家屋敷が昔の佇まいをそのままに残しています。加東市では郷土の重要な歴史的及び文化的資産としての保存及び活用を図るため、武家屋敷条例を制定して公開しています。三草藩武家屋敷旧尾崎家の標柱が門の脇に立てられ、屋敷を見学できます。
 
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山国加茂神社の石灯籠

2013年12月17日 04時37分14秒 | Weblog
 加東市山国はその名が示すように嬉野台地の西部に位置する標高百メートル余りの高台にある大きなです。集落の真ん中を県道神戸加東線が走り、国道372号が社地区との境辺りを大きくカーブしながら走っています。
 その372号を見下ろすように山国の集落の北辺の高台に加茂神社があります。加東市には多くの神社がありますが、加茂神社の名はあまり聞きません。祭神は別雷命とあります(『加東郡誌』)。別雷命を祀る神社は上賀茂、下鴨神社が知られています。賀茂氏の神社で、かつて加東郡(現在の加東市小野市域)は加西郡(現在の加西市)は賀茂郡であったことからすると、この地域に関係の深い神社なのでしょうか。
 境内には石灯籠一対あり、建立年は文政9年(1826)と刻まれています。今から190年ほど前、幕末に近く、日本の沿岸に外国船が姿を見せていた頃です。境内には大木があり、地面から斜めに太い幹が空に向かって伸びています。
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