ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

早暁の地軸-関電タワー

2011年08月30日 05時26分15秒 | Weblog
 昼間の暑さはまだまだ続きそうですが、朝晩はだいぶしのぎやすくなってきました。早朝の静かな社の街には昼間見えない風景があります。
 新池の静かな水面に映る関電タワーがまるで地軸が天地を貫いているように見えました。佐保神社から若宮さん、そして持寶院大師堂へと抜ける小径を歩いていると、新池の堤の上から東を望むと関電タワーが見えます。四季を通じて早暁の地軸は趣を変えて見えます。
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田町の歴史を冊子に

2011年08月29日 04時52分44秒 | Weblog
 「ふるさと加東の歴史再発見」ブログの投稿回数は1200を超えました。平成18年6月からスタートして、もう5年余りの月日が過ぎました。これまでに郷土史グループや団体、大学などの研修でこのブログに紹介してきたふるさとの歴史をまとめて発表する機会もつくっていただきました。そして、今回、「ふるさと加東の歴史再発見シリーズ」の第1号として、「社やしろ田町たまち中田町なかたまち」と題して、私の生まれ育った加東市社の田町通りの中田町を中心とした話題を集めて小冊子に編集しました。

 26日(金)の夜、中田町町内会で納涼バーベキュー大会が開かれ、その場で発刊した冊子とともにプロジェクターで懐かしい写真を映してふるさとの懐かしい記憶を辿って話が弾みました。

 冊子はA4判28頁で、29の話題を紹介しています。法蓮寺の大道標の由来、田町通りにあった御大神宮さんの歴史、かつて社一番の繁栄を誇った田町通りにあった市場など貴重な写真とともに紹介しています。今後もこの歴史ブログをもとにシリーズで発刊していきたいと思っています。今回の冊子のもくじはつぎの通り。

懐かしの社、田町、中田町
も く じ
懐かしい写真
はしがき
昭和42年-中田町地図
田町にあった御大神宮さん
田町通りの歴史と加東米穀取引所御大神宮さん
田町の神様を祀り続ける
田町の法連寺
田町の法連寺の道標
田町の定門地蔵-眼病の地蔵さん
紙芝居の路地
昭和30年代の社を空から見ると
昭和33年-道池町分譲広告
社の小字名
田町にあった牛市場
道池の道標-今は地蔵さんの門柱に
道池があった頃
大正2年の新聞広告より
懐かしい店の名前
佐保神社と社市街地の成り立ち
社の田町にあった市場
昭和20年-隣保の人員報告から
昭和20年7月-社区内の組(町名と戸数)一覧
昭和2年-田町大黒屋旅館で慰労会
社銀行
旧役場あたり
昭和30年前半-煙突のある風景2葉
登校前-昭和30年代はじめ
昭和20年代半ば、田町通りの市場の前で
昭和30年代はじめ-百旗への道
東田町の田圃で煙火の打ち上げ-税務署新築を祝って
お風呂屋さんの塀
 
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阿弥陀堂の前で盆踊り-吉馬

2011年08月24日 04時53分17秒 | Weblog
 23日(火)、加東市吉馬地区の阿弥陀堂の前の広場で盆踊りが行われました。夕方の激しい雨で一時開催が危ぶまれましたが、夜には雨も上がり、阿弥陀堂前には地区の老若男女が集まり、にぎやかに盆踊りが行われました。
 この阿弥陀堂は加東四国八十八ヶ所の第七番霊場で、「三草ふれあい広場」の「わたしの村の自慢マップ」には次のように紹介されています。

 阿弥陀堂と北向き地蔵

 集落の中央にある阿弥陀堂には、高瀬吉兵衛翁の記念碑があり、吉馬の開発由来が刻まれています。境内には北向き地蔵が祀られており、毎月二十一日には村人がお参りし、お堂はふれあいの場となっています。九月の彼岸には念仏講の高齢者と子供たちによる大数珠繰りが行われています。

 このように地区の歴史、人々の心の拠り所となっている阿弥陀堂の前のそう広くない広場で行われた盆踊りは、懐かしさとともに地区の皆さんの絆を感じさせてくれました。
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谷を越えた昭和池からの水路-昭和8年

2011年08月23日 05時39分34秒 | Weblog
 加東市藤田地区の墓地がある嬉野台地の西端の山中に今は使われていない昭和池からの水路が残っています。「昭和池廃線水路」と書かれた説明看板が小雨の中ポツンと立っていました。
 この看板の背後の山中を水路が通っているのです。そして、今日は雨で視界が悪く見通せませんが、北の方角に三草山があり、その山麓の昭和池からの用水路が千鳥川の谷をサイフォンで渡ってこちらの嬉野台地まで繋がっています。サイフォンの長さは900メートル。向こうの呑口、こちらの吐口のコンクリート構造物は今も残っており、サイフォンの管が一部露出して見ることもできます。
 この水路が築造されたのが昭和8年(1933)で、もう80年ほど前のことです。戦後、鴨川ダム(東条ダム)が造られ、ダムからの水が嬉野台地にも引かれて、昭和池からの水に換わりました。
 この廃線水路の遺構が今も台地の各所に見ることができます。この歴史ブログでもそうした用水路、ため池、ダムといった施設を紹介してきていますが、これらを単に農業施設という狭い範疇にとどめず、この地域の特色ある風景として、あるいは産業遺産として、また、自然や風景にとけ込んだ私たちの貴重な財産、資源として見直していくことが大事だという思いがずっとあったからです。
 30年余り前、社会科教師としてこの嬉野台地の開発を題材として教材づくりに取り組みました。その時にこの昭和池から台地へと送られていた用水のことを知りました。子ども達を今看板の立っている場所に連れてきてサイフォン跡を見せてきましたが、こうして今は説明板も立てられているので、子どもの学習や地域、グループなどで見学会などをやってもいいのではないかと思うところです。
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社の門⑥南のゲート

2011年08月22日 09時57分50秒 | Weblog
 社の門シリーズの最後は市街地の南の門です。
 社の市街地は台地上に形成されており、北、西、南の3方は低地から坂を上って市街地に入り、東方面はもう一段高い台地へと上る地形になっています。
 南のゲートはその坂の下、市街地を南北に貫く本通りが環状線(旧国道372号)と交差する地点から少し坂を上ったところにあります。
 環状線は、昭和30年代はじめに市街地を取り巻く環状道路として建設され、社町発展の動脈の役割を果たしました。環状線のうち、道池交差点までが国道372号線となり、トラック便をはじめ交通量も多い道路となっています。現在では、拡大した市街地のさらに外側に372号バイパスが建設されました。
 さて、写真のゲートは、旧道の南側から撮影したものですが、この坂道を上ると、左手に明治館(旧加東郡公会堂)があります。坂の途中に橋があり、その下を下川が流れています。この下川は白川が訛ったものとも言われ、三草山合戦で平家を破った源義経の軍が社まで来て陣を張り、米を洗ったところ、川がそのとぎ汁で白くなったことから白川と呼ばれたという言い伝えもあります。
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社の門⑤-銀座通りのゲート

2011年08月20日 05時34分23秒 | Weblog
 加東市社の市街地を取り巻く環状道路には市街地から外側に向かって3本の道路が道路が放射状に延びています。山国口から東南へ(加東神戸線)、嬉野口から東へ(兵庫教育大学、東条方面)、そして道池から北東へ(372号篠山方面へ)です。
 その嬉野口交差点には、目印となる時計台のある六角形の社交番があります。社中央公園の緑の芝生が背後にまぶしく光っています。
 さて、その嬉野口から少し北に行ったところに商店街に入る三叉路があります。この通りは銀座通りへとまっすぐに繋がっており、ゆるやかに下り坂になっています。その入口に社の東のゲートが立っています。このゲートは他のゲートとちがって円形ではなく三角にとんがっています。
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山国観音堂の盆踊り

2011年08月19日 05時21分36秒 | Weblog
 18日(木)夜、加東市山国の観音堂前で盆踊り、花火大会が行われました。初盆供養の伝統行事として山国地区では大切に続けられている行事です。近年は地区のみならず、近隣から踊りと花火を楽しみに来られる人も多くなり、観音堂のまわりの駐車場は満杯の盛況です。役員さんをはじめ、老人会、女性会、子ども会、消防団など地区の各団体で構成される実行委員会の皆さんが総出で、進行、警備、踊り、おでん、ポップコーン、かき氷などの接待に汗をかいておられました。この伝統行事の盆踊りを盛り上げるため、地区の皆さんが心一つになっておられるのを実感しました。
 高台にある山国で打ち上げられる花火が遠くの地区からもよく見えるために認知度は年々高まっています。今年は天気予報で午後から雨の予報も出ていたので心配しましたが、観音堂の背後に花火が上がり、夜空に高くパッと大輪の花が咲きました。
 踊りのはじめは「山国ふれあい音頭」。山国地区の自然や歴史、産業、そして人々の願いが表現されています。生カラオケでさらに盛り上がります。また、やぐらの上で太鼓をたたくのは地区子ども会の子ども達。次々とやぐらにのぼって、練習した腕前を披露しました。この地区の将来を担う子ども達。大きくなってもこの踊りのことを忘れることはないでしょう。すべてが地区住民手作りの盆踊り。踊りに汗だくになりながら、心から楽しませてもらいました。
 参考に山国ふれあい音頭を紹介します。

山国ふれあい音頭
  作詞 石井貴代子  作曲 岸本眞知子  歌手 友原幹雄・宮野浩子

ア、ソレ

一、水の恵みは 王子ケ池に
  昇る朝日を 水面にうつし
  山田錦の穂はそだつ
 ア、ヨイショ
  ふれあい音頭で よい よい よいよ
 ア、ソレ
  山国よいとこ よい よい よいよ

二、信州諏訪の 蔵元と
  まごころこめて さなえうえ
  実りゆたかな 山国の
 ア、ヨイショ
  ふれあい音頭で よい よい よいよ
 ア、ソレ
  山国よいとこ よい よい よいよ

三、無病息災 願いをこめて
  観音さんに 手を合わせ
  老いもわかきも 輪になれば
 ア、ヨイショ
  ふれあい音頭で よい よい よいよ
 ア、ソレ
  山国よいとこ よい よい よいよ

四、緑ゆたかな 権現さんに
  今年も豊作 願いつつ
  力あわせて のぼりたて
 ア、ヨイショ
  ふれあい音頭で よい よい よいよ
 ア、ソレ
  山国よいとこ よい よい よいよ

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社の門④-佐保のゲート

2011年08月18日 05時26分37秒 | Weblog
 社市街地の4つめのゲートは、佐保神社(加東市社)の参道と市街地を東西に抜ける道路の交差点近くにあります。
 市街地から西の方面を見ると、すぐ下の旧国道175号線(県道東古瀬穂積線)との交差点から国道372号がまっすぐにそのまま西に延びて、ゆるやかな長い下り坂になっているのが見通せます。
 かつては市街地から西方はどこまでも田圃が広がっていたのですが、今では国道175号線との交差点まで、県総合庁舎、警察署、イオン社店をはじめ大型店、ボウリング場などが建ち並ぶ賑やかな通りになっています。
 神姫バスはこの交叉点から社市街地の本通りに入ってくるルートを走っていました。写真を撮っている場所が本通りとの交差点、「三階」とよばれていた辺りです。現在でも環状道路に抜ける近道となっており、狭い道路をひっきりなしに車が往来します。
 ゲートの柱の足元に古い道標が立っています。西国三十三番霊場の巡礼道だったことから、法華山と清水寺への道を指しています。
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東条黒谷の伝統行事-柱祭りの炎

2011年08月17日 05時41分24秒 | Weblog
 16日(火)夜、加東市の旧東条町の黒谷地区の若宮八幡神社の境内で盆踊りが開かれました。地区の老若男女はもちろん、他地区からの踊り手さんや大阪の若者らも参加して、踊りや余興のビンゴゲームを楽しみました。お寺や神社の境内での盆踊りが少なくなっているなか、懐かしい雰囲気に酔うことができました。
 
 さて、この黒谷地区では8月16日に「柱まつり」が行われ、「ヤマ」とよばれる松の木を軸にしてつくられた大きな木の柱を燃やす伝統行事が行われてきました。盆踊りはその祭りの前に行われているものです。

 10時過ぎ、盆踊りが終わり、柱祭りが始まります。神主さんと黒谷地区の役員さんらが若宮八幡宮の本殿前で神事を行い、松明に火がつけられました。その火を八幡神社を少し東に下ったところにある民家の前につくられた「ヤマ」まで歩いて運びます。
 「ヤマ」の根本の部分に点火され、しばらくすると炎が上がりはじめました。炎は一気に「ヤマ」を立ちのぼり、夜空に火の粉を舞い上げます。
 「ヤマ」は8月7日に当番の人々が伐り出して今日16日まで乾燥させておいたものを組んてつくったものです。軸となる松の木のてっぺんには御幣がつけられています。これは雨が降っても風が吹いても7日に伐りだし、16日に組むということが決まっているということです。
 あっという間に炎が「ヤマ」を包み、側にはおれないほど熱が伝わってきました。そして、ついに御幣に火がつき、夜空に火の玉のように舞い上がっていきました。
 「柱祭り」については、これまでにもこの歴史ブログで紹介してきましたが、地元の方から教えていただいたことを再掲します。

 この「柱まつり」について、地元の方からいろいろ教えていただきました。全国に黒谷という名の村が四ヶ所ほどあり、このような火まつりをしているということです。京都の大文字の送り火に関わりのある地域に黒谷というところがあるらしく、東条の黒谷も鴨川の清水寺に近く、西門(さいもん)という字名があるように清水寺に関係も深く、16日の火まつりという共通点がある、といった話でした。この「柱まつり」の歴史的な由緒などはよく分からないということでしたが、お盆の精霊送りの行事の一つだろうということです。また、「柱松」とよばれる行事が各地にあるらしく、お盆の精霊送り、豊作祈願、疫病退散など人々の願いが込められた伝統行事であることに間違いがないでしょう。「小さい頃からこのヤマの火を見て育ってきたんや」というお年寄りの言葉にあるように地域の伝統行事を大切に継承していこうという熱い思いが伝わってきました。
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社の門③-北のゲート

2011年08月16日 05時27分33秒 | Weblog
 加東市社の本通りは、善龍院あたりから下り坂になり、やがて旧国道175号(現県道東古瀬穂積線)に合流、赤岸交叉点へと向いますが、社の街の北のゲートはその合流点の手前に立っています。
 逆に、北から社市街地に向かって南下してくると、道路は二股に分かれ、旧国道はゆるやかに右へカーブを切りながら市街地がある台地の西端を南へ向かいます。商店街へは左のゲートのある坂道を上っていきます。
 かつては本通りが県道でまっすぐだったわけですが、台地の下に産業道路がつくられ、バスも下の道を走るようになりました。今ではさらに西の田圃の中を175号線が走っています。道路は西へ西へと移っていっているということです。
 
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社の門②-若宮神社前のゲート

2011年08月15日 05時08分58秒 | Weblog
 佐保神社の北(本殿の裏)に若宮神社があります。神姫バスの社営業所から商店街へと通じる坂道があり、坂の途中で若宮神社の参道と交差します。そのすぐ下に西のゲートが立っています。
 朝夕、バスを利用する通学、通勤の人がこのゲートをくぐります。坂下から上ると、ゲートをくぐったところで、右に行けば佐保神社、左に行けば若宮神社。若宮さんの方へそのまま歩くと、新池の堤を通り、持寶院へと通じます。
 佐保神社秋祭りの太鼓屋台の町内巡行も上組屋台は商店街からこの交叉点まで下りてきますがここで引き返します。宵宮はこのゲートをくぐり、下の旧国道まで出て左折し、佐保神社の参道へと向かいます。カラー舗装された道路があざやかです。 
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社の門①-田町ゲート

2011年08月14日 04時55分39秒 | Weblog
 佐保神社(加東市社)の門前町、そして西国巡礼道の宿場町としての成り立ちをもつといわれる加東市社の市街地には、その出入口にあたる道路にゲートがあります。社の商店街の活性化をねらいとしてつくられたものと聞いていますが、本通りの北と南、銀座通りの東、田町通りの東、神姫バスから商工会館への入口、そして佐保神社参道の交差点の計6ヶ所です。
 かつて、尼将軍北条政子は佐保神社に鳥居を奉納しました。八丁四方と、一里四方の計8ヶ所に鳥居が建立されたと伝えられています。現在も佐保神社の西に鳥居があり、この地区の名前が鳥居になっています。現在の鳥居か。それぞれ形が少し違っています。
 今日は田町通りの入口、道池交差点から市街地に入るところに立っているゲートを紹介します。この地は元は道池という大きな池の底でした。昭和30年代はじめに埋め立てられ分譲されて市街地になりました。田町通りの東の端になるわけですが、旧道の通りに入る所から道路は旧に狭くなり、今は西向きの一方通行になっています。
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日本一木像大師の大師殿屋根葺替え中

2011年08月13日 05時24分00秒 | Weblog
 加東市社の持寶院の大師殿の屋根の葺き替え工事がだいぶ進みました。朝のウォーキングコースに大師殿への参拝を入れています。工事中の参拝もできるように配慮されていて、中に入ると堂内にも足場が組まれ、お大師様の頭上に天上板が置かれています。いつものように正面に座り、見上げるとお大師様の大きな目と目が合います。早朝のこの時間が心の姿勢を正してくれます。
 大師殿については、この歴史ブログで何度も紹介してきましたが、日本一の木像大師像が安置されており、加東四国八十八カ所の巡礼の仕上げがこの大師堂ということになっています。
 大師堂は、大正14年(1925)に建てられました。設計は武田五一京都大学名誉教授によるもので、文化庁の有形文化財に指定されています。
 弘法大師像の高さは一丈六尺(約4・8メートル)とされ、木像の大師像では日本一といわれています。仏様の身長が一丈六尺と伝えられていることから、この大師像の高さもこれにちなんで、一丈六尺にしたものではないでしょうか。
 ぜひ一度お参りしてみて下さい。
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謎の石球-社の路地

2011年08月12日 04時17分53秒 | Weblog
 加東市社の市街地のほぼ中央に加東市商工会館があります。以前は社町商工会館、その前は神戸銀行社支店だった建物です。また、この場所は社銀行、東播銀行などがあり、歴史的に社の金融、経済の中心だったところです。
 さて、この商工会館の北側は神姫バス社営業所と商店街を結ぶ道路になっています。南側にある路地は昔からあったもので、市街から営業所に行くにはこの路地を通っていました。今では商工会館の南にあった家も取り壊されて駐車場に変わりました。
 その路地の溝に不思議な物体があるんです。過日、商工会館で商工会の職員研修に出席したあと、職員の方から”変な物”があるから見てくれと案内されました。暗がりではっきり見えなかったのですが、溝の上に直径数十センチの楕円球形の石球があるのです。五輪塔の石球か、それとも庭石か、あるいは・・・いろいろ想像しましたが溝に食い込んでいます。わかりません。
 数日が経って、地域の古老にたずねてみると、昔からある・・・としか分かりませんでした。ただ、狸がよく出てきたという話もあり、何か怪しいものかとも思いました。さらに地元の方に聞いてみると、それは商工会館の南にあった家の庭の石燈籠の石だと教えられました。その方も長年不思議な石だと思っていたところ、そのように教えてもらったということでした。一件落着、のようですが、その燈籠の石がなぜこのように溝に挟まっているのかが不明です。また調べてみようと思います。
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道池交差点の二宮金次郎

2011年08月11日 05時19分18秒 | Weblog
 早朝の街角は静かだ。昼間は車がひっきりなしに走るこの道池交差点(加東市社)も嵐の前の静けさのように車一台、人一人も通らない瞬間がある。
 かつては道池という大きな池だったこの辺り。昭和30年代に宅地に生まれ変わった。京都、丹波から播磨への旧道が通り、また、旧社町の中心市街地のまわりを走る環状道路が建設され、やがて国道372号線となって交通の要路であった道池交差点。国道がさらに外側の環状道路に移ったあとも通行量は多い。
 その道池交差点にあるガソリンスタンドに二宮金次郎像がひとり今朝も変わらず柴を負いながら勉強に勤しんでいる。近頃は学校でも見かけなくなった二宮金次郎像、歩きながら本を読んでいては危険だから座っている像もあるという。社小学校の子どもたちは毎朝この交叉点を通っている。金次郎の姿が目に入っているだろうか。学校の校門を入ると、また金次郎が迎えてくれる。
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