ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和12年-税務署庁舎改築を協議(社区)

2009年04月30日 06時32分59秒 | Weblog
 今から70余年前の昭和12年(1937)の社町社(旧社町、現加東市社の地域)の評議員会の会議録には、税務署庁舎の改築、署長官舎の新築等の問題に関する協議の記録が残っています。
 社税務署は明治時代に社村の持寶院西隣の一条院廃寺跡に設けられましたが、その庁舎が古くなり改築が必要となるなかで、西脇町への移転運動が起こり、地元社町としての対応が必要となっていたようです。社町に存置するために地元負担で庁舎改築、署長官舎新築などを行うことが協議されています。その記録部分を紹介します。写真は社税務署で、のちに社町役場として使用された建物です。


○昭和十二年一月二十五日  正評議員会
 場所    西浦倶楽部
 開会時   同日午後七時
 閉会時   同日午後十一時

「区長会長席ニ就きキ開会ヲ宣シ去十九日区長会ニ於テ協議アリタル諸般ノ事項ニ付先ツ第一ニ予テ御謀リシテ居リマス税務署ヲ西脇町ヘ奪取セントシテ運動ヲナシ居ル事実明白トナリタルニ依リ之レカ阻止対策トシテ署長官舎ノ新築税務署ノ改築等ヲ必要トスル所以ヲ町長ヨリ提示サレ区長会ハ之レニ同意ヲ与ヘタル旨ヲ述ヘ事秘密ニ属スルヲ以テ可成ヒソカニ行動スルノ必要ナル意味ヲ強調シテ了解ヲ求メ」



○昭和十二年二月二十七日  参与員正評議員会
 開会時   同日午後七時
 場所    西浦倶楽部
 閉会時   同日午後九時半

「区長会長席ニ就キ開会ノ旨ヲ告ケ税務署ノ建築ヲ必要トスル理由ニ付キ説明ヲナシ尚ホ本件即チ社区寄附云々ニ就キ左ノ如キ説明ヲナシタリ税務署ノ件ニ就テハ新聞紙上ニ種々ナル記事モアル如ク西脇町ノ或有志ノ如キハ根強ク運動ヲ続ケテ居ル様デアリマスガ当町ニ於テハ常ニ怠ラズ相当深ク町長ノ方ニ於テ調査致サレテ居リマス今分デハ梢々楽観ノ模様デスガ政界ノ動キニ依リ何時変化ヲ来ス事カアルヤラ想像モ出来マセンカラ将来ノ安全ナル方法トシテハ此ノ際ニ於テ当局ノ希望ヲ充タス事ガ第一ナリトシ庁舎ノ改築署長官舎ノ新設等ヲ計画シテ大阪税務監督局ニ中ル事ニナツテ居リマス」

「夫レニ就キテ昨日午後五時頃町長ヨリ電話ガアリマシテ役場ニ参リマシタ所税務署ノ建築費トシテ二万円ヲ計上セナケレバナラヌガ之レヲ低利資金ヲ借リ入レテスル積リデ居ツタ所県庁ト打合セノ結果都合ガ悪イト云フ事ニナツタノデ今更致方ナク明日町会ニ提出ノ必要アリ形式上社区ヨリ寄附ノ申出ニ依ルヨリ外ナキ事ニ立チ至リテ居ルカラ承諾セラレタシ而シテ金策ニ就テハ区ニ迷惑ヲ掛ケル様ナ事ハセヌト云フ事デアリマシタノデ私トシテハ一慮見デ承諾シテモ効力如何ヲ疑ハレルノ理由ヲ話シマシタ所立会ノ区選出ノ町会議員副区等ヨリモ種々話モ出テ実行ノ場合ノ条件等モアリマシテ此際拒ム事ノ出来ナイ事情ニナリマシタカラ応諾シマシタ次第デアリマス」

「然シナガラ実行ニ際シテハ之レカラ接渉スル余地ハ充分残シテアリマス依テ本日忙ギ御集会ヲ御願ヒ致シマシタト云フ旨ヲ述ベテ了解ヲ求ムル旁々協議ニ入リ二三ノ質問アリタル後已ムヲ得サル事ナレハ他日正式ニ寄附ノ申込ミノ必要ヲ生ジタル場合ハ夫レニ対スル反証ヲ取リ替ス事トシ具体的ノ立案アリタル上再度協議スル事ニ決定ス」
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昔懐かしいふるさとの姿が-社で写真展

2009年04月28日 05時37分58秒 | Weblog
 加東市商工会会館(加東市社)のロビーで、昔懐かしい社の姿が写真や地図でよみがえっています。社地区地域づくり協議会が開催している「春のフェスティバルinやしろ」の一環として行われている写真展で、昔(昭和時代を中心とした)の社の姿を伝える貴重な写真が展示されています。(ブログの写真は昭和30年代はじめの社市街地の空中写真)

 写真展にはこの歴史ブログでも紹介してきた写真も出展されていますが、写真の前で足を止め、幼かった頃の思い出を語り合う参観者の楽しそうな会話がうれしく感じました。写真には今はもう無くなってしまった建物、樹木、看板、祭、そして人々の姿が当時の空気とともによみがえっています。これを一緒に、共通の過去として懐かしむことで一体感が生まれてくることも大切なことだと思いました。
 写真の中には自分の家族や知人の顔があったり、自分の人生に刻まれた思い出の風景があったりします。例えば、義士祭で赤穂義士に扮した人々の写真がありますが、その中に若き日の父の姿があります。好きだった大高源五に扮した父と心の中で会話を楽しむこともできるわけです。

 こうしたふるさとの過去の姿を記録した写真を現在の私たちの共通財産として、未来に伝えていくことが大切なことだと思っています。また、ぜひとも子ども達に見させたいと思うのです。親や祖父母、さらに先人が生きてきた過去のふるさとの姿を写真を通して知り、ふるさとと自分とのつながりを持つ機会とさせたいものです。写真展が今回で終わることなく、さらに点数を増やして、さらに常設できるような形にしていくことができれば、あるいは、小学校などで展示する機会をつくるなどの工夫も考えていけば、それだけ私たちの過去の記憶が豊かになるわけで、素晴らしいことではないかと思っています。写真展は29日まで開催されています。
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昭和12・13年-社町軍事後援会の活動

2009年04月27日 05時43分31秒 | Weblog
 昭和13年(1938)2月、社町軍事後援会の事業報告がなされています。期間は12年8月から半年のものですが、この間に上海、南京の戦勝もあり、提灯行列が行われています。一方、出征兵士への慰問袋の発送、家族への慰問などの活動や戦傷兵の平癒祈願、そして、戦死した兵の遺骨出迎え、町葬参列なども行われています。


八月
二八日 祈願祭
    第二回軍事後援会総会ヲ開キ今次事変ニ対シ活動ニ入ル
九月
 一日 幹部会ヲ開キ援護資金募集並ニ事業ニ関シ協議
 九日 特別扶助家庭慰問
一〇日 出征応召軍人家庭訪問
一八日 満州事変記念日ニツキ家族慰問会ヲ開ク

十月
 一日 祈願祭
 八日 第一回慰問袋発送(上海方面)
一二日 第一回慰問袋発送(北支方面)
一七日 祈願祭
    皇后陛下ヨリノ御下賜金伝達
二〇日 軍事扶助委員会ヲ開催シ農繁期ニツキ対策協議
二八日 戦捷祝賀提灯行列(上海戦捷)
三〇日 慰問文発送

十一月
 一日 祈願祭
一八日 宮野幸重君戦傷死ノ公報ニ接シタルタメ家族弔慰ヲナシ供花料ヲ贈ル
二〇日 大橋八郎君ノ公葬ニ会長参列
    香料ヲ贈ル
二二日 大橋初治君戦傷ノ報ニ接シ家庭慰問
    平癒祈願祭
二三日 第二回慰問袋発送

十二月
 一日 祈願祭
自二日 故宮野君ノ霊前通夜参拝遺骨出迎
至四日 
 八日 会長ヨリ慰問文ヲ送ル
一〇日 故宮野君町葬
一二日 戦捷祝賀提灯行列(南京陥落)
一四日 軍事扶助状況視察 県社会課属
一八日 軍事扶助委員会ヲ経テ軍事扶助家庭及本会扶助家庭ヲ慰問シ慰問金ヲ贈ル
二二日 第三回慰問袋発送
二三日 第二回家族慰安会
二八日 軍事扶助委員ニ経テ家族慰問 県及愛国婦人会ヨリノモノヲ共ニ贈ル

一月
 一日 祈願祭
    戦捷祝賀会
一七日 故長谷川實君公葬ニツキ香料ヲ贈ル
二二日 服部、吉田両君戦傷ニツキ家庭慰問ヲナシ慰問金ヲ贈ル
二三日 同上平癒祈願祭

二月
 一日 祈願祭
 二日 第四回慰問袋発送(一月分)
一一日 祈願祭
二三日 第二回慰問袋発送     
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昭和10年-皇太后陛下から高齢者に真綿の御下賜

2009年04月25日 04時45分42秒 | Weblog
 昭和10年(1935)、皇太后陛下から高齢者に対して御下賜品があるということで、対象となる満90歳以上の高齢者調べの依頼が社町長から区長宛てに出されています。皇太后陛下とは大正天皇の皇后、貞明皇后のことです。
 別紙に、対象となる弘化2年1月20日以前生まれの人の住所、氏名、生年月日、戸主の名など16人が書き込まれています。一番古い人は文化8年(1811)、次に文政5年(1822)が2人、天保時代は元年(1830)をはじめ12人、そして弘化元年(1844)が1人になっています。これは1935年の調べですから、文化8年生まれの人は124歳、文政5年生まれの人は113歳、天保元年では105歳になります。文化5年生まれの人はナポレオン皇帝の時代に生まれているわけですからすごいですね。              




 昭和十年二月十五日
                社 町 長
各区長 殿

 皇太后陛下御下賜品ニ関スル件

今般 皇太后陛下ニ於カセラレテハ厳冬ノ折柄高齢者ノ身ヲ御労ハリアラセラレ予テヨリ御手許ノ諸費ヲ御節約遊ハサレタル剰余ヲ以テ全国ニ於ケル九十歳以上ノ高齢者ニ対シ真綿一包宛御下賜相成候旨通牒有之候条昭和十年一月一日ニ於テ満九十歳以上ノ者ニシテ現ニ貴部内ニ居住スル者有之候□□□□□□候ヘ共明十六日限リ御回答相成度此段及照会候也
  追テ 役場戸籍簿ニテ調査致シ候処左記ノ通有之□□尚該当者ナキ場合ト雖モ書面ヲ以テ報告相成度

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昭和9年-陸軍の秋季演習(社町)

2009年04月24日 06時13分48秒 | Weblog
 昭和9年(1934)、陸軍第十師団(姫路)の秋季演習に関する通知が社町長から各区長宛てに出されています。陸軍の演習に伴う宿泊や防疫などに関する事例はこのブログでも紹介してきましたが、今回の通知では、井戸や堀、肥壺などの標示についても要望が出されています。それほど夜間にはこうしたところに落ちる兵隊さんが多かったのでしょう。私の少年時代にも嬉野には野井戸が多く、人が落ちたということもよく聞きました。また、道路が舗装されていなかったので、肥壺の表面の泡の上に土埃が積もると周囲と見分けがつかなくなり夜などは肥壺に落ちる人もいたと聞きました。そんなことを思い出しながらこの通知を読みました。


 昭和九年十月八日
             社 町 長
各区長殿

  秋季演習ニ関スル件

本年度第十師団秋季演習ハ但馬地方ノ予定ノ処此度ノ風水害ノ為メ加東郡ヲ中心トスル東播地方ニテ実施セラルルコトニ変更セラレ候条別紙地方ニ対スル希望事項抽記及送付候ニ付昨年モ第四師団ノ秋季演習アリ本年モ重ネテ実施スルハ地方一般ニ対スル多大ノ迷惑ヲ煩ス次第ナルモ災害ノ関係上已ムナキ次第ニ有之御諒承ノ上町一般ニモ右意伝達相成度キ当局ノ意モ有ル処ナレバ特ト御配慮相煩度此段及依頼候也
  但シ宿泊ハ社ノミノ予定   社ハ十月十六日 宿泊ノ予定


  秋季演習ニ関シ地方ニ対スル希望事項
                第十師団司令部
  作物収穫
一、早稲等ニシテ収穫量ニ影響ナキモノハ十月二十二日迄ニ努メテ刈取ヲ行フ様一般ヲ指導セシメラレ度

  危害予防
二、演習殊ニ夜間ノ行動ニ於テ堀、井戸、溝渠、肥壺等ニ陥リ不慮ノ危害ヲ蒙ルコトハ例年往々遭遇スル所ニシテ軍隊ハ此ノ点ニ深ク憂慮シツツアリ其ノ原因ハ之等所在ノ認識困難ナルト一ハ其ノ側墻ナキニ依るルコト多キヲ以テ適宜囲墻ヲ設ケ或ハ明瞭ニ之ヲ標示スル等適宜ノ方法ニ依リ危害ヲ防止スル如ク設備セラレ度シ

  防疫
三、本年度伝染病発生シタル家屋ニハ相当ノ標示し置カレタシ
  右標示ハ夜間ニ於テモ明瞭ナル如クセラレタシ
四、七月一日以降伝染病ノ発生シタル家屋ハ宿舎ニ充テザル事ニ取計レタシ
五、宿舎使用ノ寝具等ハ予メ日光ニ曝シ十分ニ乾燥シ且可成清潔ナルモノヲ使用セシメラン
六、軍隊通過ノ際沿道ニ於テ供給セラルル湯茶ハ甚ダ感謝スル所ナルモ必ズ一度充分煮沸シタルモノニ限リ且蓋ヲ附セラルルヲ希望ス

  損害賠償
七、損害賠償金ハ通常軍隊側ト町村吏員ト所有主ト立会調査ノ上決定スルモノトス              
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大正13年-旱天に請雨祈祷

2009年04月23日 04時47分05秒 | Weblog
 大正13年(1924)の夏、この年は田植え時期から雨が降らず、何十年に一回という大旱魃になったのですが、雨乞いの祈祷も行われていました。(「社町社区長 雑書綴」)
 天理教会所(当時は社市街地、現一区にあった)、持寶院、そして佐保神社で祈祷が行われています。その効果はあったのでしょうか。(写真は昭和10年代の持寶院)


大正十三年八月五日
            社 町 長

各区長 殿

拝啓昨日会同ノ節御協議申上候請雨祈祷ノ件左記ノ順席ニヨリ執行可仕候間後部内多数参拝可致様後配意被下成度及通知候也

     記

一、八月八日  午前七時  天理教会所ニ於テ祭典執行(一時間位デ終了ノ見込)
一、同  日  午前八時  持寶院ニ於テ祈祷執行
一、同  日  午後七時  佐保神社ニ於テ祭典執行
       右何レモ時間励行第一番ニ天理教会所ニ参拝ノコト
一、貴職ハ勿論御部内什長ハ必ズ参拝ノコト其他有志多数参拝可致様御取計下サル度
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大正13年-関東大震災から一周年

2009年04月22日 05時02分17秒 | Weblog
 大正12年(1923)9月1日、関東地方をマグニチュード7.9の大地震が襲い、死者9万余、行方不明1万3千余という大きな被害を出した関東大震災が起こりました。その1年後、大正13年9月4日付で社町長から各区長等宛に県知事の言葉が伝えられています。(「大正十三年四月起 雑書綴 社町社区長」より)
 震災後僅か一年で国民の心が弛んでいることを嘆き、国内外の厳しい状況を踏まえて節制勤勉の生活を!と訴えています。震災そのものが国民への反省を促す天の誡めとも言っています。当時の状況はどうだったんでしょう。文中から85年前の兵庫県人口は200万だったということもわかりました。


社通第一四九三号ノ三
  大正十三年九月四日
             社町長  松本兼蔵
各区長
青年支部長 殿
婦人会長

関東地方震災一周年記念日ニ当リ知事ヨリ別紙ノ通勤倹奨励ニ関スル希望発セラレ候ニ付周知方可然御取計相成度此段及通知候也

昨年九月一日関東地方ヲ襲ヘル第震災ハ実ニ未曾有ノ惨事ニシテ挙国皆憂色ニ鎖サレタルカ  畏クモ国民精神作興ニ関スル詔書ヲ渙発セラレ国民ノ嚮フ所ヲ昭示シ給ヘルハ洵ニ恐懼感激ニ禁ヘサルナリ然ルニ災後僅ニ一箇年ニシテ早クモ既ニ民心緊張ヲ欠キ綱紀弛頽ノ風アルハ痛嘆セザルヘカラス顧フニ我カ対外貿易趨勢ハ遂年輸入ノ超過ヲ示シ大正八年以降ノ累計ハ実ニ二十七億七千百余万円ニ達すセリ若シ夫レ此状態破綻ヲ生スルニ至ルヘシ素ヨリ今日ノ情勢ハ世界的不況ノ影響ニ因ルモノ多シト雖モ亦近時我カ国民生活ノ浮華放縦ニ流レ節制勤勉ノ美風ヲ失ヘルニ因ラスムハ非ス昨年ノ大震災ハ則チ我カ国民ニ一大反省ノ機会ヲ与ヘタル天誡ナリト謂フヘシ今ヤ我邦ハ内ハ災後復興ノ急務ニ迫ラレ外ハ国際上ノ難局ニ面シ内治外交頗ル多端ニシテ一歩其方策ヲ謬ラハ悔ヲ千載ニ遺スノ危機ニ立テリ国民ノ精神ヲ振作シ国力ノ充実ヲ図ルコト今日ヨリ急ナル秋ナカルヘシ一人勤労スルハ則チ以テ一人ヲ養フニ足ルヘク一人節約スルハ則チ以テ一人ヲ済フニ足ラム而カモ二百万県民ノ勤労ト節約トハ単ニ二百万ノ生活ヲ安固ナラシムルヲ得ルノミニアラサルヘシ刻下ノ時局ニ善処スルノ途唯勤ト倹トアルノミ翼クハ互ニ相戒メ相率イテ各其ノ業務ニ励精シ家産ヲ治メ国本ノ培養ニ努メ以テ国家ノ興隆ヲ期スルニ遺憾ナカラシムルコトヲ茲ニ震災一周年ニ方リ敢テ各人ノ自制発憤ヲ切望ス

 大正十三年九月一日   兵庫県知事 平塚廣義
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清水寺で鴨川桜まつり

2009年04月20日 05時21分44秒 | Weblog
 19日、新緑がまぶしい播州清水寺(加東市平木)で「桜まつり」が開かれました。根本中堂西側の広場にはステージが設けられ、地元鴨川小学校の児童による和太鼓の演奏や御嶽太鼓の演奏などが披露されていました。また、根本中堂東側ではお茶席も設けられ、社茶道協会の皆さんのお手前でお茶をいただきました。
 講堂西側の本坊では、木彫仏像展も開催されていました。寺宝の「銅造菩薩立像」(県指定文化財)も間近に拝むことができましたが、仏師の宮沢博さんから仏像を彫るようになったきっかけをお聞きしてその機縁の不思議さに驚きました。宮沢さんは社町に進出した工場の工場長として造成された敷地を歩いていて足元にある小さな金銅仏を発見。その後鑑定してもらったところ鎌倉時代のものとわかり、仏像の厨子を自分で作ったのが仏像を彫るきっかけになったということだった。その金銅仏も展示されていましたが、本当に小さな仏像でした。
 清水寺には懐かしい思い出があります。まだ大塔があった頃、その大塔から瀬戸内海の光る海が見えたこと、草深い山道をかきわけて南朝忠臣赤松氏範の墓に案内してもらったこと、ボーイスカウトで講堂に宿泊した夜、空ではなく同じ高さで稲光を見たこと、夜の登山道で大きなヒキガエルに躓いたこと等々何とも懐かしい思い出になって今もよみがえってきます。
 
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昭和10年-海軍記念日の講演会

2009年04月19日 06時10分26秒 | Weblog
 昭和10年(1935)、日露戦争戦勝30周年にあたるこの年、海軍記念日に記念講演会が開催されています。
 海軍記念日は、明治38年(1905年)5月27日、世界史に輝く日本海海戦が始まった日に因んでいます。戦前は陸軍記念日や海軍記念日など軍に関係する記念日があり、国旗の掲揚や忠魂碑前での式典、あるいはこうした講演会などの行事が行われていました。戦後生まれの私たちはまったく経験がありませんが、当時の人たちはこうした講演などを聴いて胸躍らせたことでしょう。写真は昭和16年当時の元郡公会堂(現明治館)です。



昭和十年五月二十日
                社町長
区長
各種団体長  殿
 〃 役員

  海軍記念日講演会開催ノ件

来ル五月二十七日ハ日露ノ大捷ヨリ三十周年ノ海軍記念日ニ当リ候ニ付キ記念講演ヲ催スベシ講師派遣方ヲ申請中ノ処割当ノ都合上左記ノ通リ派遣セラル様相成候条御多忙ノ御事トハ存候ヘ共御部内一般ヘ伝達ノ上時節柄多数御聴講相成様御配慮相煩度御依頼申上候

   記

一、日 時   五月二十八日午後二時
一、場 所   社町元郡公会堂
一、講 師   海軍機関大佐  江 本 誠 氏
一、演 題   日露海戦 
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孝女ふさ-明治の修身教科書

2009年04月17日 05時23分39秒 | Weblog
 加東市上三草の旧道沿いに孝女ふさの碑があります。この歴史ブログでも紹介してきましたが(今年2月11日)、明治26年、金港堂書籍印刷発行の『実験日本修身書巻一尋常小学生用』の中の「孝行」の項にふさの話が掲載されていることに気づきました。
 この本はずいぶん以前にコピーをして製本していたものですが、ふさのことが出ていることに気づきませんでした。「ふさ」は、幼い頃からよく働いて親に孝行をつくしましたが、その生き方が修身教科書(小学校修身書巻四の第八孝行)に「孝行」の模範として取り上げられていました。この国定教科書以前の明治26年発行の修身教科書に「ふさ」の名があったわけです。本文は次のとおりです。


第二課  孝行

ふさは、つねに
父母のげふをたすけ、また
よくそのこころをなぐさめたり。
父母のげふをたすくるは、
子たるもののつとめなり。


 
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昭和3年-農会が米に関する講演会を開催

2009年04月16日 05時28分08秒 | Weblog
 昭和3年(1928)の「社町社 雑書綴」に社町農会が主催する「米に関する講演会」の通知が綴じられています。講師は米の研究の世界的権威の北海道帝国大学の田所教授となっています。すごい人を招聘したんですね。


 
社農第一四六号ノ一
 昭和三年八月九日     社町農会

各区長
農業改良奨励員
生産検査員     殿
農会役員

  講演会開催ノ件

来ル本月十二日午前十時ヨリ元郡公会堂ニ於テ 米ニ関スル講演会ヲ郡農会主催ノモトニ開催有之候ニ付甚ダ火急ニ候ヘ共貴職ハ勿論貴部内一般ニ御観誘ノ上多数聴講方御配意相煩度此段及御依頼候也
 追ツテ
 講師ハ 米ノ研究者トシテ世界的権威タル北海道帝国大学教授 田所哲太郎博士ニ有之
 斯カル名士ヲ招聘シ得タルハ県其他ノ多大ナル援助ニヨル義ニシテ此上モナキ好機会ニツキ徹底的周知方御取計相成度申添候

 尚同博士ハ十一日来郡自動車ニテ郡内一部分ノ稲立毛ノ状況ヲ巡視ノ予定ニ候間貴地通過ノ際ハ御便宜御与ヘ被下度候
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大正14年-天長節拝賀式の案内

2009年04月15日 05時16分41秒 | Weblog
 大正14年の「社町社区長 雑書綴」に天長節拝賀式の案内が綴じられています。天長節とは天皇誕生日のことで、老子の「天長地久」からとって、天皇陛下の誕生日を天長節、皇后陛下の誕生日を地久節と呼んでいました。
 小学校で行われる拝賀式の案内には10月31日となっていました。実は私の誕生日が10月31日なのでびっくりしましたが、よく調べてみると大正天皇の誕生日は8月31日だったのです。本来の天長節は8月31日ですが、もっと気候のよい10月31日に天長節祝日として祝ったということのようです。今回初めて知りました。その案内を紹介します。


拝啓十月三十一碑午前九時天長説拝賀式挙行可致候ニ付御参列被下度此談御案内申上候 敬具

 大正十四年十月二十八日
 
      社尋常高等小学校長  田中正一

     殿
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大正14年-牛の伝染病発生

2009年04月14日 05時08分54秒 | Weblog
 大正14年6月(1925)、近畿各府県で発生していた牛の伝染病が兵庫県でも発生し、その警報が出されています。伝染病は牛肺疫(ぎゅうはいえき)と呼ばれる肋膜肺炎で恐れられていたようです。その警戒ビラが「雑書綴」(大正十四年四月 社町社区長)に綴じられていますので紹介します。(写真)


恐るべき牛の伝染性肋膜肺炎発生!

予て大阪、滋賀、京都の各府県に於て発生せる牛の伝染性肋膜肺炎(一名牛肺疫)は六月十三碑県下川辺郡神津村下河原に発生せり

其症候の主なるものは
(一)四十度以上の高熱を発す
   但し熱の割合に食欲あり
(二)時々咳嗽す
(三)水様又は粘液様の鼻漏あるもの多し
予防心得左の如し
(一)此際成るべく牛の売買交換を見合すこと
(二)牛舎には猥りに外来人を出入せしめざること
(三)牛舎は常に清潔にすること
(四)飼料に注意し、出所不明のもの又は常に牛の通行する路傍の青草及び不潔なる飲料水を与へぬこと
(五)他の病牛に接近せしめざること
(六)牛に異常ある時は直に獣医の診断を受くること
(七)消毒薬(千倍の昇汞水又ハ二十倍の石炭酸水)にて牛舎の出入毎に人の手足履物を消毒すること

 大正十四年六月              兵庫県
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田町の定門地蔵尊-眼病の地蔵さん

2009年04月13日 04時32分11秒 | Weblog
 加東市社の田町筋は西田町、中田町、東田町の三つの町内に分かれていますが、中と東の田町町内の境の路地に「定門地蔵」があります。今では東田町の皆さんが維持管理のお世話をされていますが、広く田町筋の住民の信仰を集めていた地蔵さんです。
 「定門地蔵尊」には「眼なし地蔵さん」と呼ばれている眼のない仏像が安置されており、眼病の治癒を祈る人が多いそうです。祖父もよくお参りをしていましたが、叔父が眼が悪かったからと聞いています。
 この地蔵さんがいつ頃から祀られているのか由来はわかりませんが、門の石柱は昭和三年の建立と刻まれています。石柱の一本には「慈眼視衆生」、もう一本には「定門地蔵尊」と彫ってあります。「慈眼」とは観音様が衆生を救う慈しみの眼という意味らしいのですが、そうした仏教の言葉が彫ってあります。
 この「定門」は田町筋の小字名の「上門」に由来するものなのかよくわかりません。本町から道池に向かう田町筋は、西田町、上門となっており、上門の南北に北上門、南上門の小字名がついています。田町筋の東にあった道池の水門に関係のある字名ではないかという説に今は傾いています。
 かつてこの地蔵さんの前の路地は子ども達の絶好の遊び場でした。紙芝居のおじさんもここにやってきました。昭和30年代のよき時代の思い出を語りながら、花吹雪の下でおじさん達が花見をしていました。
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大正14年-大探検実談会の開催

2009年04月12日 05時04分33秒 | Weblog
 大正十四年四月「雑書綴」(社町社区長)の中に社町役場と社尋常高等小学校主催の講演会開催の案内が綴じられています。当時、講演会の開催そのものは珍しくありませんが、冒険探検談といった内容で滅多になさそうなものなので紹介します。また、この案内状の冒頭に「本日午後七時半・・・」とあるように、当時の案内、通知文には「本日・・・」が多く、当日配布のビラだったこともわかります。


大正十四年九月五日

        主催 社町役場
           社尋常高等小学校
     殿

  南洋諸島、印度、大洋州、支那
   大探検実談

本日午後七時半ヨリ元郡公会堂ニ於テ日本最初ノ冒険探検家、大日本海外事情研究会長清家謙長氏ヲ聘シ標記講演会開催可致候条貴部内多数御出席相成様周知方御取計ヒ相成度以特使及通知候也


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