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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和19年-乳幼児体力検査

2010年05月31日 05時17分38秒 | Weblog
 昭和19年(1944)の夏、ちょうど終戦の一年前のこと、社町(現加東市)では、乳幼児体力検査が行われています。社町長から各区長宛に出された通知を紹介します。(「昭和十七年以降 社町役場ヨリノ書類綴 社区」)
 別紙に計147名の対象となる乳幼児と親の氏名一覧が付けられていますが、その中には今、加東市あるいは社地区のリーダーとして活躍されている方々の名前もあり、そうか、当時は乳幼児だったんだなあ、とあらためて65年の年月の流れを感じたところです。


 昭和十九年八月四日
               社町長 合田常蔵
各区長殿

 乳幼児体力検査執行ノ件

昭和十九年度乳幼児体力検査ヲ来ル十日午前七時ヨリ社区公会堂(東条町)ニ於テ執行可致候条別紙受検者ニ各々御通知相煩し度此段乃通知候也

 右ノ時間ヲ励行出頭ヲ手配願上候

午前  時ヨリ
午後  時迠   社
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昭和19年-酒の配給量も減る

2010年05月27日 05時03分23秒 | Weblog
 昭和19年(1944)、戦局がきびしさを増す中、社町長から区長に対して、酒類の配給量変更の通知が出ています。この通知は社区(現加東市社)の「社町役場ヨリ書類綴」に綴じられているもので、この歴史ブログでも当時の酒の配給等の文書を紹介してきましたが、今日は減量に関する通知を紹介します。戦時といえども、冠婚葬祭等に酒はつきもの。しかし、物資不足の中、配給量は決まっていました。その量もいよいよ減量ということで、長引く戦争と戦局悪化の状況の中で生活もきびしくなっていくようすがうかがえます。

 昭和十九年四月十八日
               社 町 長

各区長殿

 冠婚葬祭用酒(指定酒)配給量変更ノ件

今年度酒類配給量ニ付テハ製造ノ減石ニヨリ各用途共相当減少スルハ止ムヲ得サル處ニテ標記指定酒ニ付テモ従来ノ量ニテハ到底不足ハ免レサル状態ニ有之今回県酒類配給協議会ニ於テ四月ヨリ左記ノ通リ改正本日ヨリ実施相成候条貴部内一般ニ周知セシメラレ度此段及通知候也

       記

婚礼、葬式、入営、応召、       }  清酒(又ハ合成清酒) 壱本   
退営、帰還、法要(満中陰ニ限ル)   }  若クハ 麦酒 五本
                          焼酎 八合
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昭和19年-桐の増植運動

2010年05月26日 05時49分14秒 | Weblog
 昭和19年(1944)、戦局がいよいよ厳しさを増す中、桐の木の増植運動について、社町長から区長に通知が出されています。
 桐材が軍需物資、特に航空機に使われたことはこの歴史ブログでも紹介してきましたが、乱伐の結果、少なくなってきたので増植しようというものです。通知文は次の通りです。


 昭和十九年四月二十一日
             社 町 長
各区長殿

 桐樹増植ニ関スル件

桐材ハ昨年十月農林省ヨリ物資動員計画ニ基ク生産割当命令ヲ発セラレ本県ニ於テモ之レガ完遂ニ鋭意努力致シ居候然シ過去ニ於ケル乱伐ノ結果立木モ僅少ト相成リ此ノ儘推移スレバ前途甚ダ憂慮ニ堪ヘサルモノ有之今回兵庫県桐材統制組合ヨリ該運動ニ関シ通牒ノ次第モ有之候ニ付貴部内一般ニ桐材増植方奨励相成度
 追テ希望ノ向有之候得バ取纏メ御申込相成度申添候


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昭和18年-たくあん用大根配給調査

2010年05月25日 05時12分04秒 | Weblog
 昭和18年(1943)の末、社町役場から各区長に対して、たくあん用の大根の需要量調査依頼が出されています。戦局がきびしくなる中、たくあん用の大根の配給を行うための調査ということです。日々逼迫する銃後の国民生活の状況の一端を知ることができます。


昭和十八年十一月二十四日
             社 町 役 場
各区長殿

 沢庵用大根需要量調査方ノ件

今般郡農会斡旋ノ下ニ食料品組合ニ於テ沢庵用大根ヲ配給致ス由申越候ニ付貴部内需要者並ニ数量御調査ノ上左記ニ依リ至急御報告相成度
此段及照合候也
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昭和19年-公会堂で慰問演劇大会

2010年05月24日 05時28分57秒 | Weblog
 昭和19年(1944)、昭和18年度の産米供出完遂感謝慰問の演劇大会が開催されています。戦局がきびしくなる中でのこうした演劇大会は人々の数少ない楽しみの一つだったのではないでしょうか。会場となったのは元加東郡公会堂で、こうした演劇や映画会をはじめ、講演会や会議などに使用されていました。現在は加東市明治館として使用されています。
 通知に使われている紙は、「家庭用食糧米配給基本人員集計報告書」の裏紙で、通知文は次の通りです。


 昭和十九年四月二十一日
            社 町 長

各農会長 殿
各 区 長  殿

    演劇大会開催ノ件

昭和十八年産米供出完遂感謝慰問演劇大会左記日時場所ニ於テ開催致シ候条貴部内一般ニ伝達方御取計相成度此段及通知候也

      記

一、日時  四月二十四日午後六時
一、場所  元郡公会堂

 追テ当日午後五時ヨリ産米供出功労者表彰式ヲ公会堂ニ於テ開催致シ候条御出席相成度候
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昭和20年-終戦1ヶ月前の組長会

2010年05月19日 04時47分26秒 | Weblog
 昭和20年(1945)7月15日、すなわち終戦の玉音放送が行われる8月15日のちょうど一ヶ月前、社区(現加東市社)の組長会が開催されています。終戦前後の時期の文書が綴じられている社区の「参考綴」にその通知がありました。
 当時の組長会では、松根油採取の勤労奉仕のことなどが協議されたようです。社区公会堂の建物は現在も社市街地の銀座通りに残っています。


拝啓
本日午後七時三十分社区公会堂ニ於テ臨時組長会開催仕度候条御出席相成度此段御通知申上候也

 昭和二十年七月十五日
               社 区 長
各組長殿
 第一組㊞  第二組㊞  第三組㊞
 第四組㊞  第五組㊞  第六組㊞
 第七組㊞  第八組㊞  第九組㊞
 第十組㊞  第十一組㊞  第十二組㊞
 第十三組㊞  第十四組㊞  第十五組㊞
 第十六組㊞  第十七組㊞  第十八組㊞
 第十九組㊞
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昭和18年-菓子(ボーロ)の配給

2010年05月17日 05時05分27秒 | Weblog
 昭和18年(1943)、戦局がきびしくなる中、菓子も配給になっていました。ここに社町社区(現加東市社)の配給関係文書綴がありますが、その中に菓子の配給についての文書と購入券が綴じられています。


(文書)

 昭和十八年九月二十九日
           社町役場

社区長殿

  八月分菓子購入券配当ノ件

八月分追加菓子購入券左記ノ通リ配給候条及通知候也

 一、菓子(ボーロ券)二四四枚
 一、基礎      戸数


(配給券)

 第  号
    配給券

 種類名  ボーロ
 型式大サ 五〇貫
 数量   四〇〇
 配給価格
 配給機嫌 五月廿日

 右ハ社町各御店ニテ本券引換(現金ヲ添へ)ニ現品ヲ受領セラルベシ

  昭和拾八年五月拾九日
    社町長   合田常蔵 兵庫県加東郡社町長印
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昭和18年-タイヤ、チューブの配給

2010年05月16日 04時54分53秒 | Weblog
 今日は戦時中のタイヤチューブの配給について紹介します。文書は社町社区(現加東市社)の配給関係綴に綴じられていたものですが、物資不足の中、貴重だったタイヤ、チューブの配給について、配給条件、順序などについての注意事項が書き込まれています。


昭和十八年十一月十七日
              社町役場
社区長殿
  
 一般用自転車タイヤ、チューブノ配給ニ関スル件

今般ヨリ一般用自転車タイヤ、チューブノ割当配給ヲ別紙加東郡自転車タイヤ、チューブ配給要綱ニヨリ実施スルコトト相成タルニ付左記注意事項ニヨリ配分相成度
此段及通知候也
 追而第一回分配当ハ末期ノ通リ購入票同封送付申上候

     記

配給上ノ注意事項

一、部内自転車中、左ノ者ハ各他ヨリ申請シ優先的ニ配給セラルルニ付之ヲ除キ他ノ者ヲ対照トスルコト
1.官公署ニ勤務セルモノノ使用車(役場、農会、産業組合モ含ム)
2.中等学校以上ノ通学スルモノノ使用車
3.国民学校及青年学校其ノ他ノ学校ノ教職員ノ使用車
4.大向上(特ニ軍需工場)勤務セルモノノ使用車
5.医師、産婆、保健婦、生活必需品仕分配給者ノ使用車

二、社町ノ自転車鑑札以外ノ町村ノ鑑札ヲ附シアルモノハ配給セザルコト
  (町内在住者ハ必ス町ノ鑑札ヲ受クルノ要アルニ付)

三、今回ハ少数ノ配給ナルニ付部内中最モ必要者ニシテ破損ノ大ナルモノヨリ適当ノ方法ヲ 講ジ配給ノコト

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昭和18年-新家庭設置に鍋、釜など配給

2010年05月15日 04時46分06秒 | Weblog
 この歴史ブログで、鍋や釜など家庭用器物の配給について紹介しましたが、新しく家庭を設けるときにはこうした生活必需品の配給が行われました。
 社町社区(現加東市社)の配給書類に新家庭用物品配給申請書が綴じられていましたので紹介します。鍋や釜などの他に「日の丸」が入っています。当時の世相を表しているように思います。



    新家庭用物品配給申請書

昭和十八年十一月二十三日
             世帯主  花田竹男㊞
社町町長殿

今般社町社八九八番地ニ於イテ新家庭設置スルニ付キ左記物件新家庭用トシテ配給証明書付相受度此ノ段及願上候也

        左 記

一、釜     一個
一、弁当箱   一個
一、鍋      〃
一、大取     〃
一、蒸釜     〃
一、日ノ丸   一枚
一、湯沸    一個
一、バケツ   二ヶ
一、蚊帳    六畳一枚
               以上
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明治40年建立の忠魂碑-高岡地区

2010年05月14日 05時13分47秒 | Weblog
 過日、ある会合の場で、加東市高岡にある忠魂碑のことが話題にのぼり、滝野工業団地から高岡に抜ける道路の東の一段高くなっている所にある墓地のさらに最も高い場所に忠魂碑があることを教えていただいた。地区では丁寧に守っておられるとの由で、市内の忠魂碑を訪ねている私にとってはぜひ一度お参りしなければという思いにかられました。
 さっそく、時間をつくって車を走らせ、教えてもらった通りに走ったのですが、一度は見過ごして通り過ぎてしまいました。Uターンして墓地の近くに車を止めて忠魂碑を探すと、確かに墓地の一番高くなっているところに立派な石碑が建てられているのが目に止まりました。
 墓石の間を歩いてその下までたどり着くと、階段の下から見上げる位置に大きな石碑が立っています。階段を上ってみると、「忠魂」の文字がはっきりと目に飛び込んできました。忠魂碑です。石碑には、海軍1、陸軍8計9人の英霊の戒名が刻まれていました。
 側面には「明治四十年四月建設」の文字が読み取れます。石碑の裏側には、9柱の郷土出身戦病没兵士の履歴が簡潔に記されています。生年は明治13、4、5、6年あたりで、没年が明治37年が多く、澳門(マカオ)や旅順などの大陸の地名が出てきます。「旅順港強行・・・」もあり、日露戦争の旅順港封鎖作戦で戦死されたのか、などと思ってしまいました。9柱の英霊の短い生涯を石に刻み、その偉勲を後世に伝えているのがこの碑であるわけです。碑の立っている場から見える村の景色は時代とともに変化してきているでしょうが、英霊の御魂は郷土を見守るようにここに静かに生き続けているのを感じました。
 
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昭和18年-燐寸(マッチ)の配給

2010年05月13日 04時37分35秒 | Weblog
 昨日に続いて、社区(現加東市社)の戦時中の配給に関する書類綴の中の、燐寸(まっち)の配給に関する書類を紹介します。酒、塩、豆腐、縫糸、卵、海苔、タイヤチューブ、鍋、バケツ、ビール、地下足袋・・・と生活必需品や食料などさまざまな物資が配給となっていた当時ですが、燐寸(マッチ)もその一つだったのです。

 昭和十八年八月十六日
            社 町 役 場

社区長殿

  燐寸配当ニ関スル件

八月分家庭用燐寸左記ノ通リ配当候条實需ニ応ジ適正ニ配給相成度此段及通牒候也

     記

一、貴区割当分   並型(小箱袋入)  二〇二包
          家庭用小型(箱入) 二六一個
          家庭用大型(箱入)  四四個
一、配給基礎    第一回ナルニ付   戸数
一、配給ハ別紙ノ券ノ通リ
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昭和18年-縫糸の配給

2010年05月12日 05時35分59秒 | Weblog
 社区(現加東市社)の戦時中の配給に関する書類綴の中に、縫糸の配給に関する書類が綴じられています。当時は、さまざまな物資が不足し、配給になっていましたが、縫糸もその一つだったんですね。文書は次の通りです。写真は昭和10年代の社商店街の風景ですが、販売所に指定されている丹波屋さんが写っています。



 昭和十八年五月二十五日
           社 町 役 場
各区長殿
   縫糸購入補助券送付ニ関スル件

本年度第一回縫糸入荷シタルニ入荷数量少ナキト且相当長期ニ亘リ配給無キタメ之ガ円滑ナル配給ヲ期スベク縫糸購入補助券ヲ発行スルコトニ相成候条左記事項御留意ノ上適切ナル配分方御取計ヒ相成度此段及通知候也

     記

一、配給補助券(従来ノ購入券ヲ便宜使用セリ)ハ東京糸、木綿糸(白、黄、黒ノ三種)
  ミシン糸(八〇〇番綾巻 一二〇〇番カタンノ二種)ニシテ各区配当ハ別表ノ通リ
二、配給期日ハ五月二十八日以後トス
三、販売所ハ社町社丹波屋糸店トス
四、購入ニ際シテハ左記衣料切符ヲ要スルニ付注意相成度
   東京糸 木綿糸(白黒) 綾巻ミシン糸-制限 切符二枚ト点数
   木綿糸(黄)-制限 切符三枚ト点数
   一二〇〇番ミシン糸-制限 切符四枚ト点数
  (註)制限切符ハ五匁券ニ付他ニ数種ノ糸アルニ付之ニヨリ制限切符ノ埋合□ナス
五、本補助券ハ各戸ニ一枚トシ第二回、第三回ノ配給ヲ顧慮シ配給家庭ヲ控置ヒ下度(配分ノ円滑ヲ図ルタメ)
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昭和18年-家庭用酒の配分台帳

2010年05月11日 05時08分32秒 | Weblog
 昭和18年(1943)当時の社町社区(現加東市社)の「購入券配給書類」の中に、「家庭用酒類配分台帳」が綴じられていました。その名の通り、家庭で飲む酒類の配給台帳ですが、大きさはA4、インクは赤で、隣保の世帯、氏名、月別の配給量などが記入できるようになっています。
 その下段に割当方法が記載されています。読んでみると、割当基準に従って配分しながらも「互譲と共助」の精神で円満、適正に配給が行われるように、と書かれています。


割当方法

配給量 隣保迄ハ世帯数ヲ基準トシ隣保内ニ於ケル割当 原則トシテ世帯中ノ成年男子ヲ対象トナスモ非常飲者並ニ女世帯者ハ成ルベク常飲者ニ之ヲ割愛スル等隣保内ニ於テハ飽迄互譲ト共助ノ精神ヲ以テ円満ナル割当ニ留意スルモノトス
尚又隣保中ノ成年男子数ガ世帯数ヨリ少キ隣保ニアリテハ町内会長又ハ部落会長ノ了解ノ下ニ其ノ幾分カヲ多キ隣保ニ割愛スル等適正ニ方法ヲ講ズルコト

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昭和5年-社尋常小学校一年生の写真

2010年05月10日 05時24分07秒 | Weblog
 今日紹介する写真は、昭和5年(1930)の社尋常小学校入学の一年生の写真です。
 黒板には「昭和五年度 入学 尋一竹組 男22、女26、」と書いてあります。子ども達の服装を見ると、男子は着物が多く、女の子は白い前掛けをしているのが目立ちます。
 教室の掲示は黒板上のよく見える場所に、カタカナの五〇音、1から10までの数字の一覧、そして、きまりが貼ってあります。「一、(ガク□□)ヲヤスムナ」「二、ケンクワヲスルナ」「三、キレイナコトバヲツカヘ」「四、ゲンキヨクアソベ」と書いてあります。
 今から80年前の小学校の教室のようすが伝わってくる貴重な写真です。
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昭和21年-役場からの各種調査依頼

2010年05月09日 04時24分06秒 | Weblog
 昭和20年(1945)の終戦前後の文書が綴じてある社区(現加東市社)の「参考綴」の中に、敗戦の翌21年の6月30日付で区長から各組長に宛てて出された各種調査依頼の文書が綴じられています。
 別紙は、役場からの依頼文が綴じてあるのですが、裏紙が使われており、印刷の字も読みにくい状態です。


別紙ノ通り
一、住宅緊急措置会ニ依ル 余裕住宅調査
             七月二日迄ニ申告ノコト
二、税務調査上必要ニ依ル 自動車、荷車、牛馬車、リヤカー、耕牛馬、及家禽等調査
             七月三日迄ニ申告ノコト
三、負債申告(本年三月三日現在)
             七月五日迄ニ申告ノコト
四、陸海軍将校ノ申告
             七月十日迄ニ申告ノコト

各様式ニ依り日限迄ニ町役場ヘ必着スル様御報告相成度御依頼申上候
 
           昭和二十一年六月三十日  社区長

各組長 殿
            
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