ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

コスモスまつり-11月3日に加東市沢部で

2015年10月31日 05時04分22秒 | Weblog
        

           

 国道175号を北上し小野市から加東市に入り、広々とした田園地帯をしばらく走ると、左手に一面に咲き誇ったコスモス畑が広がっています。

 加東市沢部地区。11月3日(火)にコスモスまつりが行われます。先週は河高地区でコスモスまつりが行われ紹介しましたが、加東市の市花であるコスモスをもう一度満喫することができます。

 国道から信号を左に折れ、コスモス畑に入る道へと車を走らせました。西には今まさに沈まんとする雄大な夕日、その光を受けて、赤やピンク、白のコスモスが光っています。当日はコスモスの摘み取りや地元の皆さんのおいしい食べ物の接待もある筈。ぜひ、お越し下さい。

 国道175号、加東市沢部の沢部交差点。目標物は小倉屋柳本社工場(加東市沢部655)の白い建物、正城自工社店、沢部公民館とグラウンド、加東伝の助のゴルフ看板などがあります。
 中国自動車道滝野社インターからは175号を南方向(小野方向)へ走って数分です。
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西戸(秋津)の道標-山田錦の里に立つ

2015年10月30日 05時04分37秒 | Weblog
 

 加東市秋津の西戸公民館から北の山、ゴルフ場へつながる道路を少し走ったところの分かれ道の田圃の畦に二本の石柱が立っていました。
 畦の草がきれいに刈られていたのでよく目立ちます。車を降りて見てみると、道標です。しかし、字がよく読めません。「西国供養」「四國」「右」「天保」「文政八酉三」などの文字がかろうじて読めました。今からおよそ170~190年前に建立されたもののようです。近くにある今寺や清水寺への遍路道を示す道標だったのでしょう。今は秋の穫り入れを静かに見守っているようでした。
 
 
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刈り取りあとの田に朝霧と満月-涌羅野

2015年10月29日 05時08分56秒 | Weblog
 28日(水)、雨上がりの朝、いつものようにウォーキング。加東市社の静かな市街地を通り、明治館の広場の忠魂碑へと歩きます。そこから次は、佐保神社へ。参拝して境内を北に抜け、西浦(小字名)の若宮さんを通り、持寶院の大師殿へと向かいます。その途中の新池の堤に出たところで西に向かって大きく視界が広がります。
 西の空には低く傾いた満月がかかっています。その下は地平線のように青野原台地が見えます。その手前に加古川、そして、涌羅野(ゆらの)とよばれる広い平地が広がり、その真ん中を国道175号が南北に走っています。私が立っている新池の堤は加古川の河岸段丘の台地面で標高50メートルぐらいでしょうか。涌羅野(ゆらの)面は35メートルぐらいだと思います。
 刈り取りの終わった田圃に朝霧が涌いていました。一月降りに雨が降り、たっぷり水分を含んだ田圃に雲のように涌いています。その向こうを見ると、青野原台地の直下を流れる加古川に沿って白く霧が涌いています。
 涌羅野の名の由来は分かりませんが、このように霧が涌いている景色を見ると、ぴったりの名前のようにも思いました。
 これから秋が深まり冬へと向かいます。涌羅野に朝霧が出る季節です。
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菊花と盆栽と能舞台-フラワーセンターの秋

2015年10月28日 04時25分12秒 | Weblog
           

   

 25日(日)、秋晴れの下、強風が吹きましたが、空は青く、日差しに満たされて、県立フラワーセンター(加西市)では白鷺フェスティバルが開かれました。
 芝生広場には特設の能舞台が設けられ、日本の伝統文化である踊りや加西市に伝わる根日女伝説が演じられました。
 センターでは県連合菊花展も開催されており、見事な大輪の菊花や盆栽が展示されていました。日本の花、菊はやはり美しい。
 日本人はありのまま自然を季節の移ろいの中で楽しみますが、自然をより自分の感性に合わせて加工し人工的に造り出した自然を楽しむことも得意です。菊花や盆栽づくりなどはその典型ともいえます。
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JR加古川線と風とコスモス畑

2015年10月27日 04時31分07秒 | Weblog
                 

 25日(日)、風が強い日でしたが、加東市河高地区の田圃一面に咲いたコスモスの花が秋の日差しにまぶしく光り、揺れていました。
 コスモスは加東市の花です。毎年、市内でコスモスまつりが行われますが、今年は河高地区と沢部地区で行われます。河高地区で一足先にまつりが行われました。
 コスモス畑がJR加古川線沿いに広がっており、ちょうど電車が上り電車(加古川方面行)が踏切の音とともにガタコンとやってきたのでシャッターをおしました。加古川の流れにそって下るのに電車は上りです。来年も、と思いますが、平成27年の秋を彩るコスモスは今だけのもの。記録に残しておきたいと思います。
 
 
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秋津住吉神社秋祭り-農村歌舞伎で楽しむ

2015年10月26日 04時53分43秒 | Weblog
       

 25日(日)、加東市秋津(常田)の住吉神社の秋祭りが行われました。住吉神社では春に秋津百石踊りが行われますが、今日の秋祭りでは境内の舞台で農村歌舞伎が行われ、多くの参拝客の拍手喝采を受けました。

 今日は秋晴れのまぶしい日差しがある一方、境内の幟がばたばたと音をたてるほどの強風が時折り吹く天気でした。午前の神事に引き続き、午後には地区の子供による巫女の舞が奉納されました。2人の子供には大喜多宮司から認定書が渡されました。

 午後1時30分、舞台では地元の秋津保育園の園児による歌舞伎が二幕披露されました。うらしま太郎とおとぎ話八人衆です。難しい台詞を語り、見得をきる姿に境内からはおひねりが投げられ、拍手喝采でした。続いて、地元青年男女による白波五人男。台詞を端折って即興をやるなど地元ならではの演技で笑いの渦が起きました。

 そして、2時からいよいよ神戸の農村歌舞伎保存会の皆さんによる鳴神「雷神不動北山桜北山岩場」の神戸バージョンが開幕しました。本殿前の花道から美女が登場、舞台では鳴神上人、小坊主が演じます。背景や不動明王の掛け軸も手作りの素朴な仕立てで代表者から解説も入り、また、即興の台詞や境内からの声やおひねりもあり、大いに盛り上がりました。特に鳴神上人と美女のやりとりに境内からは大きな拍手と笑い声が起こり、農村歌舞伎ならではの舞台と観客が一体となって楽しむという光景が現出しました。とにかく、強風でお不動さんの掛け軸は飛び、幟のはためく音で台詞の声がかき消されるなどハプニング続きでしたが、それさえ乗り越え、取り込んで舞台は盛り上がりました。とにかく、笑った。縁者も観客も大いに歌舞伎を楽しむことができました。

 山田錦の里の古い神社の境内で、昔ながらの農村歌舞伎を楽しむことができました。
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東条川疏水「加東のため池7号」-山国の王子ヶ池

2015年10月25日 04時41分09秒 | Weblog
 加東市山国の原田池から見た夕日の絶景を紹介しましたが、その南には王子ヶ池があります。この池は日の出の絶景ポイントです。私は近年の初日の出はこの王子ヶ池の堤で拝むことにしています。
 この池も東条川疏水ネットワーク博物館のため池です。写真の標識が建てられていました。「ため池-加東7号」で、東条ダム(鴨川ダム)からの用水が県営嬉野線で送られてきています。
 
この王子ヶ池には昔から言い伝えがあります。故吉田省三先生の『北播磨の伝説』に紹介されています。伝説はだいたい次のような話です。

 昔、山国の人がこの地に池を造ろうとしましたが、何度も失敗したので、地神さんを鎮めるために人ばしらを立てることにしたのです。人ばしらには身よりのない男がなり、箱に入って鐘をつくので音が聞こえている間に完成させるようにと言いました。村人は7日の間日に夜をついで作業を続け完成ささせました。村人は感謝の気持ちをこめて男の箱を埋めた場所を高く土を積んだと伝えられています。今でも池の底には小高いところがあるそうです。
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社小学校からの風景-半世紀の変化

2015年10月24日 04時28分40秒 | Weblog


 先日、加東市立社小学校のオープンスクールに行ってきました。3階の教室から見える風景は昔と比べてずいぶん変わりました。
 およそ半世紀前の昭和39年(1964年)、私は社小学校の5年生でした。東京オリンピックが開催され、10月10日の開会式のようすを校長室のカラーテレビで掃除の時間にそっと視たような記憶があります。赤と白の日本選手団のユニフォームが鮮やかでした。
 写真はその頃の運動場での体育の授業風景です。担任は宮田賢三先生です。当時は木造校舎でしたが、現在は鉄筋コンクリート造り。そして、運動場の東に国旗掲揚台がありました。そして、その東側は田圃や池が広がり、嬉野や遠く三草山まで見通しがきいていました。
 下の写真は今の風景です。見る方角は少し南に振っていますが、JAみのりや市役所が嬉野台地に聳え、その手前、運動場の東は住宅街に変わっています。
 半世紀の時の流れが風景を変えたということですが、同じ場所で校舎は変わっても社の子供達が元気に勉強する姿は変わりません。やがてこの子供達も成長し、親となり、この地に立ち戻ることがあるかもしれませんが、さて、未来はどうなっているのでしょうか。
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加東四国第十四番「今寺」への道標

2015年10月23日 05時15分18秒 | Weblog
  

 秋の日差しがまぶしい午後、加東市秋津の県道小野藍本線、西戸地区の集落を過ぎて走っていると、左の山側の道沿いに一本の道標が立っているのが目に飛び込んできました。ここから先は道幅も狭くなり、大川瀬渓谷を右の崖下に見ながら三田市境へと入っていきます。

 加東四国八十八ヶ所霊場の第十四番、今寺への道を示す道標でした(写真)。
 上部に仏の坐像、下部に「四国八十八ヶ所巡拝」「右 相野」「左 今寺」と刻まれていました。 側面には明治三十八年八月二十八日の建立年が刻まれています。

 「本郡鬼門の守護の神 今寺毘沙門十四番」と加東郡霊場和讃に詠われる今寺(吉祥寺)への道を示しています。御詠歌は「今寺や 今もむかしに変りなく 朝夕涼し 松風の音」と八十八箇所巡拝帳に記されています。

 写真は(一般社団法人)加東市観光協会が今年発刊した「平成の加東四国八十八箇所巡拝帳」です。和讃、御詠歌が印刷されています。2000円で発売され、すでにこの巡拝帳を持って八十八箇所を全部回った人もおられると聞きました。巡拝帳は加東市河高の県道沿いの河高交流プラザの観光協会で購入できます。

 

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上田桑鳩の揮毫-中東条村の忠魂碑

2015年10月22日 05時41分01秒 | Weblog
  

 加東市新定の記念碑山には、中東条村の忠魂碑と日露戦役記念碑があります。以前にこのブログで紹介しましたが、その忠魂碑の揮毫が昭和を代表する書家、東条ゆかりの上田桑鳩によるものと知り、あらためて訪れてみました。初めてこの忠魂碑を見たときに、自然石に太々と刻まれた「忠魂」の文字に圧倒されたことを鮮明に覚えています。その後、加東市東条で上田桑鳩顕彰事業の催しが開かれ、この「忠魂」の揮毫が上田桑鳩によるものと知り、もう一度訪れてみたいと思っていたところでした。
 県道小野藍本線の東条診療所の向かい側に山側へと入る小道があり、地蔵さんの脇を過ぎ、分かれ道を右にのぼっていくとさらに小高いところ、きれいに整備された一角にたどりつきます。ここに中東条村の忠魂碑、記念碑があります。
 忠魂碑は昭和27年の建立で、日露戦役記念碑は明治39年建立と刻まれていました。忠魂碑の裏側には、「昭和廿十七年建立」「桑鳩 上田容熙書」と刻まれていました。
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加東の夕日絶景ポイント-山国原田池

2015年10月21日 04時55分20秒 | Weblog




 加東市は夕日の美しいまちです。
 地形的に加東市中央部に標高100メートル超の嬉野台地が広がり、西に向かって河岸段丘によって次第に低くなり、標高30メートルの加古川まで広々とした平野が広がっています。
 そして、西には青野原台地が地平線のように広がり、遠く姫路方面の山がその地平線上にまるで海上の島々のように点在しています。

 加東市社から嬉野にかけて、どの地点に立っても広大な西の空に沈みゆく夕日を見ることができます。今日はその絶景ポイントの一つ、山国の原田池に沈む夕日を紹介します。

 原田池は標高100メートルよりほんの少し低い台地上にある広い平池です。山国地区の広大な農地を潤すため池ですが、この池の畔に立つと、遙か青野原台地に沈みゆく夕日が池面に映り、それはまるで海岸で眺める夕日のようにも見え、播磨の内陸で見ているとはとても思えません。この原田池も東条ダム(鴨川ダム)からの用水が送られてきています。東条川疏水ネットワーク博物館の一部でもあります。
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明けの明星と木星、火星?

2015年10月20日 04時08分12秒 | Weblog
 空気が澄んで夜明け前の空には明けの明星が光っています。その少し左下には木星、そしてその近くに火星?が見えます。太陽系の惑星が東の空高く光っているのを見ると、この地球もそのグループだったんだなあと急に宇宙を感じるのが不思議です。ただし、星は好きですが、あれは本当に木星と火星なんだろうか、とよく分かりません。
 写真は18日(日)、早朝に家から出て東の空を見て写したものです。
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一面のコスモス畑-加東市河高

2015年10月19日 05時29分41秒 | Weblog
 コスモスは加東市の市花です。コスモスの名を冠した団体やイベントは少なくありません。何より、秋のこの季節になるとコスモスまつりが行われます。

 加東市河高の交流センターの東、JR加古川線沿いの広い田圃が今、ピンクや白のコスモスの花盛りで秋の日にまぶしく光っています。好天続きで周囲の黄金色の稲穂、青空、北の播磨高野光明寺の山並みを眺めることができ、心が解き放たれます。

 天気のよいうちにぜひ一度コスモス畑で心を遊ばせてみて下さい。国道372号の河高交差点から北へ少し走ったところ、JR加古川線社町駅下車北へ3分ほどです。河高交流センターには加東市観光センター、食事もできます。また、近くには県立播磨中央公園、播磨高野で知られる古刹光明寺もあります。秋を満喫していただけると思います。
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赤穂義士の寺-観音寺の裏に石柱

2015年10月18日 04時45分57秒 | Weblog
 加東市家原の「赤岸」は「赤穂義士」が訛ったものと言われていますが、赤穂義士の墓があることで知られる観音寺の前の交差点は「赤岸交差点」になっています。

 観音寺の境内の奧に赤穂義士四十七士の墓碑が主君浅野内匠頭を囲むように配置されている一角があります。その東は竹林が鬱そうと茂っており、普段は入ることができませんが、先日墓の側を歩いていると、きれに草が刈られており、通路ができていました。ためしに入ってみますと、四十七士の墓を裏山から眺めるという初めての体験をしました。

 塀に沿って歩いて行くと、端にあたる所に低い石柱があるのに気がつきました。石柱には「大悲山観音寺」と刻まれていました。ふだん、草に埋もれて誰にも気づかれることなく立ち続けていたんでしょうね。いつ、だれが建てたのかは不明です。
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状ヶ池の道標とため池標識-東条川疏水ネットワーク博物館

2015年10月16日 04時38分14秒 | Weblog
  

 加東市の市庁舎(社)と社中学校(木梨)の間を国道372号が通っています。そこに状ヶ池があります。池と池をめぐる一帯が公園となっており、池面には水鳥が泳ぎ、春には桜の花見で賑わう市民の憩いの場となっています。

 この状ヶ池は、赤穂義士の一人吉田忠左衛門にゆかりのある池で、状ヶ池というその名前も主君浅野内匠頭の江戸城内の刃傷事件を知らせる「状」(手紙)に由来すると伝えられています。当時、この地方は播州浅野家の領地で、郡代であった吉田忠左衛門は池の普請を監督していたのですが、この知らせで急遽赤穂に戻ったのです。その後、村人が池を完成し、「状ヶ池」と呼ぶようになったということです。

 さて、この状ヶ池も東条川疏水ネットワーク博物館の登録ため池で、加東35番、貝原線のため池となっています。遠く鴨川ダム(東条ダム)からの水が送られてきているわけです。また、すぐ側に東条川疏水ネットワーク博物館の道標も建てられています。
昭和池、三草山、嬉野支線水路なども記されており、谷を越えて昭和池からの水が送られていた歴史を伝えています。

 
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