ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

彼岸の行事「日迎え、日送り」-『滝野つたえぐさ』より

2018年06月30日 05時58分27秒 | Weblog
 『滝野つたえぐさ』(滝野町老連編、平成5年刊)には、今ではなくなってしまった貴重な昔の話が掲載されています。自分自身の小さい頃の思い出と重なるところがあったりして懐かしく読むことがあります。
 「お彼岸の行事について」という題で、河高地区の大久保いと子さんが彼岸の行事であった「日迎え、日送り」について寄稿しておられます。
 彼岸(春と秋)の中日には、日の出前に弁当を持参で家を出て、午前中は東の方へ向かって太陽を迎えに行き、午後は太陽を送って西の方へ向かって歩いたものと書いておられました。
 途中、地区の中に地蔵堂、観音堂、薬師堂で家族の無病息災を祈り、一日中外で過ごしたということです。家の前を通っても家の中には入らなかったとも書いておられました。 昨年の11月に河高地区で歴史ウォーキングが行われ一緒に歩かせてもらいましたが、その途中に地蔵堂にも寄りました。大久保さんは、田んぼの畦でお弁当を食べたり、レンゲ畑、彼岸花などの自然の中で過ごした子供の頃の楽しい一日の事を懐かしんでおられます。そのようすを思い描くとまるで夢のような風景です。
 「日迎え、日送り」の行事の由来は分かりませんが、その奥底にあるのは、縄文人以来の日本人のDNAに由来するものではないかと勝手に思い込んでしまいます。縄文人は彼岸の日の出と山の位置をストーンサークルなどで神聖なものと表現していたという話も聞いたことがあります。河高の地蔵さんはウオーキングでは印象に残る半跏像でした。
 今はもうそうした行事はないようですが、実は今こそ復活したい行事だと思います。日迎え、日送り。お弁当を持って出かける日。いいですねえ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「かとうの歴史発見!」小学生対象に夏休みの活動

2018年06月29日 06時25分41秒 | Weblog
 写真は、この夏休みに企画されている「かとうの歴史発見!~ふるさとの歴史博士になろう~」を紹介します。
 この企画は、加東市の「まちの拠点づくりコンソーシアム」が進めているもので、7月21日(土)から8月5日(日)までの期間に、加東市内の歴史を調べて、その成果を「ZINE」すなわち小冊子にまとめて発信しようという企画です。
 この1回目の7月21日に「歴史博士から話を聞こう」で、私が子供達に加東の歴史の謎と調べ方について話すことになりました。何を紹介すればよいのか、この「ふるさと加東の歴史再発見」ブログに投稿してきた記事をふり返りながら今考えているところです。
 加東市内には、身近なところに歴史を伝えるさまざまな遺物や伝説などがたくさんあります。ぜひそうしたものを自分の目で再発見してほしいと思います。それまでの景色が一変し、意味あるものとして見えるようになります。
 また、今回は、「ZINE」という今流行りの形式で発信するということです。まさに世界に一つしかないZINEができるわけですね。
 大人の人も子供さんと一緒に参加してふるさと加東の歴史発見を楽しまれてはどうでしょう。問い合わせは「やしろショッピングパークBio2階のコンソーシアム(電話 080-3787-5254、メールはiitoko.kato@gmail.com)まで。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月の庭-竹の先のトンボ

2018年06月28日 05時50分53秒 | Weblog
 うっとうしい梅雨空の下、庭の木々は緑色を増しています。そこへトンボが2匹飛んできました。ホバリングしながら、すっと竹の先に止まり、羽をおろして休んでいるようでした。
 子供の頃、同じ庭に大きなオニヤンマが飛んできたことや、イトトンボが飛ぶのをじっと見ていたことを思い出します。トンボはとんがった棒の先に止まるものですが、やっぱりそうかと思いながらしばらく見ていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

竹藪の中に道標-窪田地区の旧道分かれ道に

2018年06月27日 06時08分15秒 | Weblog
 

 

 26日(火)、加東市窪田地区の竹藪の中に道標があるので見に来ないか、という連絡をいただき、県庁からの帰りにわくわくしながら向かいました。
 千鳥川に架かる平安橋から左岸の堤防を数十メートル下流に歩き、堤防下の田圃へ下りる細い道を歩いていくと、上り坂にさしかかったところで道は左右に分かれ、正面に竹藪がありました。
 知人が「あの竹の下」と指さす先に道標の上部が見えました。竹薮の草を刈ったら出てきた、ということでしたが、案内してくれた知人は以前から存在を知っていたらしいのですが、地区の人でも知らない人が多いということでした。
 草をかきわけて見てみると、正面には「右 をの□□・・ たかさご□□・・・」左側面には「左 やしろ□□・・・」、右側面には「すぐ 志んま□□・・・」と刻まれていました。分かれ道の右に行けば、加古川下流の小野、高砂方面、左に行けば、窪田、社方面ということになり、小野・高砂方面から来ると直進すれば新町方面ということでしょう。下部が地中に埋もれて全体をつかむことができませんでしたが、まだ下に字があるのではという感じでした。
 昔のことをよくご存知の地区の方も来られ、この道は旧道で、堤防ができる前は北側を流れる千鳥側の対岸の穂積地区に通じる板橋があり、さらに北野、新町へと通じていたと教えていただきました。以前に対岸の穂積の八幡神社の境内にある大きな道標をこの歴史ブログで紹介したことがありますが、昔はこの道が加古川左岸を高砂まで通じる大事な道だったのではないでしょうか。
 さらに幕末に起こった加古川筋一揆もこの道を下ったのではないか、と話しておられました。市内各地に道標がありますが、圃場整備や道路改良などで元に場所から移されたものが少なくない中、旧道の、しかもまさに分かれ道に立つ道標。少しは動かされたかもしれませんが、ほぼこの場所に建てられたものでしょう。建立年や建立者はわかりませんが、貴重な歴史遺物です。よく今日まで遺っていたものです。大切に保存し、未来に伝えていきたいものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月の夕日-嬉野台地から

2018年06月26日 05時41分43秒 | Weblog
 25日(月)は梅雨が明けたかと思うような晴れの暑い一日でした。6時30分頃、加東市の中心部に横たわる嬉野台地を西に向かって県道を走っていると、西の空にまだ高い夕日が雲間に見えました。
 この位置は加古川の河岸段丘の一番高いところで、標高は100メートルを超え、120メートルほどでしょうか。西に向かって、段々と段丘面が低く広がり、学校や市役所がある面、さらにその向こうには社市街地面、さらに警察や県総合庁舎などのある低位面が西へと広がっているので眺望が開けています。
 手前に見える大きな屋根は県立社高校の体育館です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月-学校道の紫陽花とわが家の甕

2018年06月25日 05時31分49秒 | Weblog
 

 梅雨の晴れ間の一日。近くの学校道の家の庭にあじさいの花が咲いています。何という名前なのかわかりませんが、晴れた朝は、白い花がまぶしく光っています。朝の登校見守りで通学班が通過する合間の楽しみの一つがこの花を見ることです。
 もう一つ。わが家の庭に大きな甕があります。雨水をためて庭の木やゴーヤにやっていますが、去年、藻を入れていたところ、メダカが4匹育っていました。晴れの日に水面をよく見ると、メダカが卵をつけており、さらによく見ると、生まれたばかりのメダカが数匹いました。早速すくって水槽に移しました。この調子だと、水やりに気をつけないといけません。
 6月梅雨の晴れ間の景色でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月の闘龍灘-加古川中流の奇岩

2018年06月24日 07時09分15秒 | Weblog
 ここ何回か、加東市上滝野の闘龍灘を訪れる機会がありました。梅雨の雨で水量は増えて、ドドーと大きな音をたてて落ちる滝の音と対岸、下流まで続く奇岩の風景が広がっています。
 鮎の筧漁で使われる魚道のたもとで一人の男性が岩に腰をかけ、激流となって流れる川をじっと眺めていました。
 県の名勝として知られ、戦前から観光名所となっている闘龍灘。川沿いには哲学者、思想家などが生まれるといいますが、川の流れに人生を想うことがあるのでしょう。
 6月、梅雨の闘龍灘は水量もあり、見応えがあります。ぜひどうぞ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅雨の晴れ間-嬉野からの眺望とぶどう

2018年06月23日 06時18分06秒 | Weblog
 

 22日(金)は梅雨の晴れ間で、気温も上がりました。加東市社の市役所の隣のみのりJAで開かれた会議に出席したおり、5階と6階の階段踊り場からの眺望が開けていました。嬉野台地の西端に位置するJAビル5階の標高はおよそ100メートル。北東の方向には、三草山や清水寺のある御嶽山が遠望できました。
 わが家のクルミに次いで、今日はぶどうの実を紹介します。2種類のぶどうが今年も実をつけて順調にふくらみつつあります。1本は植えたものですが、もう1本は勝手に生えたもので、こちらの方が甘みがあります。やがて色づき、完熟まで待って食べます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クルミの実も大きくなっています

2018年06月22日 06時20分25秒 | Weblog
 6月梅雨の晴れ間となった21日の朝、登校見守りに立つときにクルミの実を見上げると、見た目にも大きくなっているのがわかるほど成長していました。
 裏庭の柿の木も去年はさっぱり生りませんでしたが、今年は生り年のようです。稔りの秋が楽しみな梅雨の晴れ間でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨の朝、またサボテンの花が咲きました

2018年06月21日 06時31分34秒 | Weblog
 20日(水)の朝、事務所に行くと、先日咲いたサボテンにまた一つ花が咲いていました。花に雨粒がついて重くなったのか、花は垂れていましたが、6月の梅雨の朝に咲いた薄いピンクの花と雨粒に瑞々しさを感じました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅雨の登校-社小学校への学校道

2018年06月20日 05時27分53秒 | Weblog
 大阪北部地震で小学生が倒壊したブロック塀の下敷きになって亡くなってしまいました。最初は上空のヘリからの映像で、なぜあんな所にブロック塀があるのか分からなかったのですが、あとでプール側のものだとわかり愕然としました。鉄筋や支え塀のないブロック塀だったのです。誰もこのブロック塀が地震で人命を奪うことになるとは思いもしていなかったでしょう。しかし、現実にそれは起こってしまったのです。
 毎朝、社小学校へ登校する子供達をすぐ近所の学校道の交差点で見守っています。教師を辞めたことがきっかけだったのですが、朝の20分ほどの間に社市街地や松尾、出水、田中などの通学班10班が通っていきます。雨の日には、一列の長い傘の行列が学校へと続く道にまっすぐのびます。半世紀余り前、同じようにこの学校道を傘をさし、長靴をはいて社小学校へ通ったことを思い出します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月の朝-野いちごと百旗から望む五峰山

2018年06月19日 05時49分47秒 | Weblog




 昨日に続いて、爽やかな空気に包まれた6月17日(日)の朝の景色を紹介します。嬉野台地の西端、社市街地の東にある百旗(立)(ひゃくはた、ひゃくはったい)は、源平合戦の三草合戦に由来する古い地名ですが、この百旗墓地を通して西北を望むと、播磨高野と呼ばれる五峰山光明寺の山塊、そして、佐保神社に祀られている佐保大明神が天降ったとされる鎌倉峰(加西市)の山並みが望めます。
 社こども園から百旗墓地に至る小径を歩いていると、野いちごの赤い実が朝日に輝いていました。まさに宝石のように。口に入れてみると、甘酸っぱい味が広がりました。
 次の日の朝に大きな地震が起きようとは思ってもみませんでしたが、この辺りも山崎断層などの活断層があるのでその認識と備えはしておかなければと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月の社中央公園ー朝日と緑と青空の爽快

2018年06月18日 05時25分27秒 | Weblog
 

 17日(日)の朝、朝のウォーキングで社中央公園周辺を歩きました。大陸の高気圧に覆われ、空気も澄んで朝の光と緑がまぶしく光っていました。
 この公園はため池の金屋谷池と周囲の田圃だった一帯を公園化したもので、池の堤を活かして傾斜のある公園となっています。また、池の周囲に遊歩道、そして、円形のステラパークは市民が集うイベント会場にもなっています。
 傾斜の中の木立と遊歩道は四季の変化の中で色や姿を変えて私たちを楽しませてくれます。また、嬉野台地の西端に位置しているので、眺めは広々として、身も心も開放されて6月の色はまさに緑と空の青でした。気分は爽快です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月のゆら野-ハメよけ薬師の屋根が

2018年06月17日 05時42分53秒 | Weblog
 16日(土)は、梅雨とは思えないような爽やかな空気と青空が広がる天気でした。朝から社小PTAのリサイクル運動で廃品を運んだあと、田圃の水を入れに行きました。
 田圃の畦に立って西南を望むと、広々とした平地の中に田中地区の集落があり、その中にお堂の屋根が見えます。田中のお薬師さん、薬師堂です。ハメよけ薬師として知られ、加東四国八十八ヶ所霊場の第八十五番霊場でもあります。
 さらに向こうには加古川の右岸(西)に広がる青野原台地が横たわっています。こちら側(左岸)は河岸段丘の低位面の平地が広がっています。昔から、ゆら野と呼ばれている野です。何とも広々とした景色です。田植えしたばかりの田の水が吹き渡る風に波立ち、光っていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母校社高校の文化祭で

2018年06月16日 05時47分52秒 | Weblog
 

 

 兵庫県立社高校の文化祭を参観しました。美術部では、写真かと見間違う写実的な絵が目に止まりました。傘入れに並んだ雨傘を描いたもの、街の酒屋さんの看板とビール箱などです。酒の看板のある酒屋さんはよく知っている酒屋さんだとすぐ気づきました。3年理系の教室では、生徒手作りの木造トロッココースターに歓声があがっていました。制作費は6万円だったとか。国際交流教室には、兵庫教育大学の留学しているベトナム、ハンガリー、クロアチアなどの学生による紹介もありました。トレセンでは、書道部がパフォーマンスを披露。自分たちの思いを「邁進」の二字に込めて真っ白の紙に書き込んでいきました。
 昼には、生活科学科の生徒が腕によりをかけて作った松花堂弁当をいただきました。黒豆ごはん(丹波の黒豆)、魚の香り煮(ぴり辛)、玉ねぎしゅうまい(淡路産たまねぎ)、野菜のなます、ミニトマトのシロップ煮(加西産ミニトマト)、だし巻き(地元産卵)、じゃぶ煮(但馬料理、「井づつや」で研修)、含め煮などのおしながきを見ながら、一品一品を味わいながらいただきました。
 学校評議員会を兼ねており、母校の後輩たちの活動を頼もしく参観しました。一緒に回った評議員さんは18回生、私は24回生。文化祭を文化部だけの発表から、生徒、クラス参加の形態に変えた生徒会活動に取り組んでからもう40数年が経ちます。そんなことも思い出しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする