ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

アンズが満開-ヒヨドリが啄む

2017年03月31日 04時34分05秒 | Weblog
 

 3月も末というのに今年は桜がまだ咲きません。しかし、庭のアンズが満開になりました。薄い桃色の花がまっすぐに伸びた枝にまるで人工的にくっつけたように並んで咲いています。
 朝からヒヨドリのつがいがやってきてせっせと花を啄んでいます。
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4月23日に善龍院本堂屋根落慶法要、稚児行列

2017年03月30日 04時30分12秒 | Weblog
 加東市社にある善龍院では、来る4月23日(日)に輪番土砂加持法会並びに本堂屋根落慶報告・退山式・晋山式が行われるとのご案内をいただきました。
 善龍院は、涌羅野山慈眼寺善龍院の寺号をもつ真言宗のお寺で、赤穂の浅野氏の分家である家原浅野氏の菩提所として代々の領主の位牌が納められていることや、初庚申(年始の庚申日)には多くの人々が参詣し、庚申寺として知られる由緒ある寺院です。
 23日には午前8時30分から稚児行列が行われ、9時から法会が始められることになっています。
 写真は、28日早朝の善龍院です。 
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昭和35年の社小1年1組-54人もいた

2017年03月29日 05時47分55秒 | Weblog
           

           

 古いアルバムに私が社小学校の1年生の時の写真がありました。「1年1組梶原学級」でした。教室に七夕飾りがしてあります。男女別に歌を歌っている場面ですが、人数を確かめてみると、男子27名、女子27名、計54名もいます。この学年は昭和28年、29年生まれの子供で、この写真は昭和35年の夏の一こまです。
 七夕飾りにはなすびやとまと、きゅうりなどが供えられています。オルガンをひいているのが梶原先生。私は男子の上段右から2番目です。よく見ていると、誰それと分かってきます。あれから58年が経とうとしています。ちなみに先生には昨年の敬老会でお出会いしました。
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昭和30年代の墓参り-西垂水の墓地

2017年03月28日 05時22分11秒 | Weblog
 叔父が亡くなり、古いアルバム帳をめくっていると、私が小学生の頃(昭和30年代後半)の墓参りの時の写真がありました。そこには叔父や母、弟の姿が写っており、父が撮ったものでしょう。墓地は社町西垂水(現加東市西垂水)で、今はお堂(薬師堂)も墓地も改修されています。私の家の墓地はその後、社に移しているので、西垂水にお参りすることはなくなりました。
 写真はお堂から北西の方角に向けて撮影したもので、墓の向こうには田圃、そして加古川の向岸の河高の薮が見えています。西垂水は、元は垂水という名でしたが、明治の初め、東条川沿いの中東条村の垂水と区別するため、中東条村の垂水を東垂水、そして加古川沿いの垂水が西垂水とよばれるようになったようです。垂水とは泉の湧くところという由来で泉の古い言い方とされています。
 私の祖父が大正9年に西垂水から社に移り住んだという記録があります。また、お堂の改修時、棟板には曾祖父の藤本百之助の名前が書いてあったと地区の方から教えていただきました。
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昭和17年-社区公会堂落成式の式次第と案内状

2017年03月27日 04時23分41秒 | Weblog
 

 昨日のブログで、昭和17年(1942)に行われた社区公会堂(旧加東郡社町社区、現加東市社)の落成式の記念撮影の写真を紹介しました。
 今日は、その落成式の式次第、案内状を紹介します。

社区公会堂落成式次第
一、一同着席
一、開会之辞
  清  祓
  降  神
  祝  詞
  玉串奉献
  昇  神
一、国民儀礼
  宮城遙拝
  黙  祷
  国歌斉唱
一、竣 工 式
  式  辞
  工事報告
  感謝状贈呈
  功労者表彰
  来賓祝辞
  被表彰者惣代答辞
一、開式ノ辞
      以上

拝啓愈々御清穆之條奉賀候
陳者予て建築中の当区公会堂愈々竣工仕り候に就て
は来る二月六日午後一時落成式挙行致度候間何卒御
隣席被成下度此段御案内申上候     敬具

 昭和十七年二月一日
    社町社区長  宮野太吉
   殿
 
 御来臨ノ際ハ本案内状受付ニ御示シ被下度候 
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昭和17年-社区公会堂の落成

2017年03月26日 05時56分43秒 | Weblog
 今から75年前の昭和17年(1942)2月6日、社区公会堂の落成式が執り行われています。
 社区公会堂は、加東郡社町社区(現加東市社)の公会堂で、その建物は現在もあり、小規模作業所として使われています。私が小さい頃はそろばん塾の教室として使われていたり、消防団員の頃は分団詰所が併設されており、出初め式の後の分団の懇親会などで使った思い出深い公会堂です。
 その区公会堂が竣工したのが昭和17年のことであり、記念写真がありました。公会堂玄関前で撮影されています。一番上の段の右から2人目は当時青年団の藤本豊治(父)です。
 こうした歴史的建築物を大切に保存していきたいものです。
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修業式の朝、春が来ている

2017年03月25日 05時31分47秒 | Weblog
 

 

 24日(金)、小、中学校では修業式が行われ、この1年間の学業を終えます。28年度最後の登校見守りの朝を迎えました。
 いつも見守りに立つ学校道の交差点に面している家の庭のレンギョウが満開で朝の光にその黄色い花が映えています。
 我が家の庭にも春が一気に到来という感じです。先日はウグイスがやってきたと妻が喜んでいました。黄スイセンが一斉に咲きました。また、例年に比べると少し遅いような気がしますが、アンズの木の蕾が膨らんでもうすぐ開きそうになっています。雪ヤナギの小さな花が数輪咲いています。マユミの木やカリンの木の枝には青い小さな葉が出ています。ビワも新しい葉を伸ばし始めています。春が来ているのを実感しました。
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昭和10年-社町青年団支部長が奉安殿前で記念撮影

2017年03月24日 06時04分58秒 | Weblog
 昨日に続いて旧いアルバム帳から紹介します。この写真は社小学校の奉安殿の前で、当時の社町青年団の支部長が揃って記念撮影をしたものです。
 日付は「昭和十年十二月十四日」、「支部長記念撮影」と写真裏に書き込まれています。奉安殿は昭和10年(1935)に落成していますので、できたばかりの奉安殿の前での記念撮影です。
 前列右から2人目が当時26歳の父・藤本豊治です。3人目が合田校長とあります。当時は青年団活動が盛んで、町の各種行事や祭り、青年団の行事などを中心となって行っていたようです。背広、着物、制服姿など服装はいろいろですが、皆さん凛々しいお顔です。
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昭和14年-鎌倉山登山記念写真

2017年03月23日 04時06分20秒 | Weblog
     

 古いアルバムの中に登山の記念写真がありました。写真には、「14.7.15」の日付と、「播磨国鎌倉山」の地名、「戊亥会登山記念」と父の他4人の名前が書かれていました。
 昭和14年(1939)7月15日、父等4人が鎌倉山に登った時のものであることがわかります。鎌倉山は加西市北部の標高452メートルの霊峰で、加東市社の佐保神社の佐保明神もこの鎌倉山に天降り、後に神託により、阿部三郎太夫によって現在の社の社地に遷ったとよく聞いていました。社の市街地のある台地からも北西の方向に鎌倉山が遠望できます。
 その鎌倉山に父等青年が登山をした時のものだったのです。鎌倉山は加西市の観光ガイドによると、「古くから神体山として賀茂郡(今の加西市・小野市・加東市)の神々の古里と崇敬され、神話や伝説に登場します。また、「修験道」の開祖は役行者とされます。」と紹介されています。麓まで行ったことがあるのですが、まだ登ったことがありません。ぜひ、時間を作って天気の良い日に登ってその360度の眺望を楽しみたいと思います。
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昭和28年助役日記より-成人式や初参会回り

2017年03月22日 05時49分34秒 | Weblog
 昭和28年(1953)の「助役日記」(合併前の旧社町、現加東市立社小学校区)の1月15日の頁には、「成人の日 式典 一時 於小学校講堂」と書き込まれています。この年に成人を迎えた人は現在83、4歳になっておられる。憶えておられるでしょうか。
 また「青年団総会」の書き込みがあります。当時は青年団活動が盛んだったと聞いています。やはり当時の青年は80歳代になっておられるはず。どのような人生を歩まれたでしょうか。
 備考欄には、「町長、助役初参会回り」「梶原10時 喜田11時 上中12時」との記入があります。今も加東市内のほとんどの地区が1月中に初総(集)会を行っています。呼び名は「初参会」の方が慣れ親しんできました。小さい頃、大人が集まり、役員選挙や難しい話をし、それが済むと延々と酒を飲んで賑やかだった様子を憶えています。母親ら女性陣は白いエプロン姿で酒の燗に忙しそうにしていた光景も目に浮かんできました。

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昭和28年-嬉野公民研修所での青年式に県知事

2017年03月19日 05時56分54秒 | Weblog
  

 一昨日紹介した昭和28年(1953)の「助役日記」(旧社町)の1月17日の欄に「県知事・嬉野研修所来社 青年の式に参列」と記入されています。
 嬉野研修所とは、現在の県立嬉野台生涯教育センターの前身で、戦中に青年学徒錬成場として建設され、戦後は公民研修所となり、青年団や婦人活動のメッカとなっていた施設です。当時は、現在の県立教育研修所、西側の空地(市有地)となっている場所にありました。
 当時の県知事は第35代岸田幸雄知事です。知事が出席した青年の式とはどのような式だったのでしょうか。
 また、備考欄には、小野町警察署演武式1,000円祝と書かれています。小野警察署は新しく設置されたばかりですが、昭和28年当時、小野町警察署があったのですね。
 写真は日記表紙と1月17日の頁です。
 
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黒田官兵衛の妻-てる姫ゆかりの志方城跡へ

2017年03月18日 11時25分50秒 | Weblog
 

 17日(金)、加古川市立総合体育館(加古川市西神吉町)で開催される第35回全国高校女子ソフトボール選抜大会の開会式に出席するために加東市から加西市を通って加古川市の志方町方面に車を走らせました。教師になりたての頃、加古川市立志方小学校に勤務したことがあり、当時の通勤ルートを懐かしみながら辿ってみました。
 志方小学校のすぐ南に観音寺がありました。あの黒田官兵衛の妻の「てる姫」は、この寺辺りにあった志方城の城主櫛橋氏の娘だったのです。寺の境内からは、志方小学校の校舎がすぐ北側に見え、子供達の声が聞こえてきました。勤務していた頃、そんな由緒のある寺だとは露ほども知りませんでした。今日は近くの総合体育館に行く前にぜひ寄ってみたかったところです。
 開会式で選手達を出迎えた加古川市のゆるキャラマスコットの中に「てる姫」の姿がありました。
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昭和28年の社祭-助役日記より

2017年03月17日 04時35分30秒 | Weblog
 昭和28年(1953)の「日記」(助役)が手元にあります。父、藤本豊治が社町(旧社町、現在の加東市立社小学校区域)助役だった時に記入していたものです。

 4月5日(日)の頁を見ると、天気は「晴れ」。特別出勤者6名の名前が書かれています。また、「神戸放送局より酒井喜久夫氏来社」とあります。
 この日は社祭(やしろまつり)第一日。「各町(内)の催物」として、一区から五区までの演し物が書かれています。
 第一区 演芸会  二区 だんじり  三区 演芸  四区 だんじり白象  五区 演芸会 
 そして、午後1時より、のど自慢大会が郡公会堂で行われ、午後4時半終了とあります。
 翌6日(月)は曇り、雨。社祭第二日目。午後休み。厚生大臣、社保育園視察、正午と書き込まれています。えっと思いますね。厚生大臣の視察ですから。
 備考欄には、◎加東郡仏心協会 郡内戦没者慰霊祭 厚生大臣、県民生部長来臨。また、◎専売公社新築式、◎町長、助役、主事、専売公社二事会参加と書いてありました。末尾に末永喫茶店 昼食らんち外五名分と書き込まれています。

 当時の社町役場は現在は社連合区の駐車場になっています。また、春の社祭りも行われていません。厚生大臣が視察した社保育園は今は移転し、社こども園となっています。また、専売公社もなくなり、跡地は住宅地に変わっています。何しろ、この日記が書かれてから64年が経とうとしているのですから。写真は当時の社町役場です。



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虹を見た

2017年03月16日 05時31分54秒 | Weblog
 

 15日(水)、午後5時30分を過ぎた頃でしょうか。加東市社にある事務所を出ると、それまで降っていた雨も上がり、日が射していました。駐車場へと振り向くと、東の空に虹が出ていました。黒い雨雲をバックに鮮やかな色の虹が大きな半円となって地面から空へと架かっていました。
 虹を見るとなぜか嬉しくなりますね。いいことがありそうな気がします。
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大師堂造営寄附勧進簿に掲載された設計図

2017年03月15日 05時42分34秒 | Weblog
         

         

 加東市社の持寶院にある大師殿は加東四国八十八ヶ所霊場の仕上げの道場として、また、日本一といわれる木像の弘法大師像が安置されていることで知られています。大師殿は大正14年(1925)に建てられましたが、その「造営費寄附勧進簿」に掲載されている大師堂(殿)の設計図を紹介します。
 2007年5月6日投稿記事では側面図だけでしたが、今回は正面図も合わせて掲載します。大師堂の設計は武田五一京都帝国大学教授。加東市の清水寺や光明寺の本堂など再建でも設計をしています。
 
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