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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和7年-軍隊の宿営③

2008年12月31日 07時35分02秒 | Weblog
 2日間ブログを休んでしまいましたが、昭和7年(1932)の秋の陸軍演習での宿営に関する書類の紹介を続けます。演習に必要な物資の調達や損害が発生した場合の賠償などについての注意などが書かれています。軍隊の演習実施に際して、こうした細かいことが行われていたことを知ることができます。
 
(つづき)※六は、ぬけています。


七、軍用資材ノ調達及支払

八、軍隊ヨリ物資ノ調達ヲ依頼シタル場合ニハ指定ノ時刻ニ調達交附シ時期ヲ失スルカ如キ事ナキヲ希望ス演習間軍隊ハ全然作戦上ノ要求ニ基キ行動スルヲ以テ時期ヲ失スル時ハ折角ノ準備モ水泡ニ帰シ軍隊ハ給養ヲ実施シ得サルノミナラス供給者ニ迷惑ヲ及ホスコトナシトセス特ニ注意サレタシ

九、軍隊以外ニ所謂軍隊ノ御用商人ト称シ物資ノ購買方ヲ依頼スルモノアリタル場合ニ於テハ絶対ニ拒絶セラレルヲ必要ナリ又軍隊ニ於テハ軍人以外ノモノヲシテ物品ヲ購入セシメルコトナシ

一〇、統監部、審判官及其附属人馬患者療養班病馬収容班及参観者ハ舎主ノ供饌ニ依リ其他ノ部隊ハ自炊スルノ立前ナルヲ以テ承知シ置カレタシ尚演習中ノ諸定額ハ別表額ノ範囲内ヲ標準トシ支払スモノニシテ此ノ際必ス舎営券ヲ発行シテ舎主ニ交付スルモノナルニ付キ誤リナキ様注意セラレタシ(但シ一般人家ニ宿営スル時ハ舎主ノ賄トス)

   損害賠償
一一、各市町村ニ於テ成シ得ルハ損害賠償係ヲ命シ置キ此ノ損害賠償係ハ師団損害賠償委員ト同行セラルルヲ得ハ大ニ便利トス

一二、損害アリタル場合ハ可成速ニ損害ヲ与ヘル部隊ニ就キ証明書ヲ受領シ町村役場損害賠償係ヲ経テ軍隊損害賠償委員ニ申出デラレタシ若シ部隊ヨリ証明書ヲ受領スル□ナラリシ時ハ前期同様ノ経路ニ依リ損害賠償委員ニ申出ツルモノトス

一三、従来ノ事実ニ徴スルニ地方参観者等ノ耕作物ヲ蹂躙スルコトハ演習部隊ニ此シ甚タ多キコトアルヲ以テ之ガ取締ニ就テハ十分ノ注意ヲ加ヘラレタシ
参観者ノ為メニ生シタル損害ハ軍隊ニ於テ賠償セサルコトヲ注意セラレタシ

一四、其他必要不思議ノ点アレバ係主任者ト打合セ相煩度
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昭和7年-軍隊の宿営②

2008年12月28日 05時00分12秒 | Weblog
 昨日に続いて、昭和7年(1932)の秋の陸軍の演習で社町(旧)に宿営したときの受入れに関する書類を紹介します。町長から各区長、団体長に出されたもので、軍隊の受入れ、対応等についての希望事項が書かれています。


昭和七年十一月一日
         社町長  石井市太郎
各区長及各関係団体長殿

 秋季演習ニ関スル地方ニ対スル希望事項

首題ノ件ニ関シ左記ノ通リ通牒有之候条一般各位御示達相成度候

 宿営軍隊ノ取扱
一、地方官民ノ軍隊ニ対スル精神的待遇ハ感謝スル所ナルモ物質的待遇ハ演習本来ノ目的ニ反スルノミナラズ各種ノ情弊ヲ伴ヘキヲ以テ禁止セラレタシ
 交通路ノ補修

二、国県道其ノ他主要ナル道路橋梁等ニシテ砲車荷車等通過シ能ハサル箇所ヤラハ可成速ニ修繕シ置カルルヲ希望ス

三、演習殊ニ夜間ノ行動ニ於テ堀井溝渠肥壺等ニ陥リ不慮ノ危害ヲ蒙ルコトハ例年往々遭遇スル所ニシテ軍隊ハ此点ニ深ク憂慮シツツアリ其ノ原因ハ之等所在ノ認識困難ナルト一ハ例墻ナキニ依ルコト多キヲ以テ適宜囲墻ヲ設ケ或ハ明瞭ニ之ヲ標示スル等適宜ノ方法ニ依リ危害ヲ防止スル如ク設備セラレタシ

四、宿舎使用ノ寝具等ハ予メ目先ニ曝シ十分ニ乾燥シ且可成清潔ナルモノヲ使用セシメラレタシ
各宿舎ニハ滞在日ノ際可成入浴ノ準備ヲセシメラレタシ

五、在郷軍人青年団員青年訓練所生徒学校教員生徒其他有志者及団体ノ演習参加ハ之希望歓迎ス之カタメ希望者ハ成ルヘク申合セニ大ナル一団トナリ聯隊区司令部ニ演習開始後ニアリテハ演習統監部ニ左記要領ヲ記シ申出ラレタシ
 参観人員  日時  行動区域  宿泊ノ有無
                           つづく
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昭和7年-軍隊の宿営①

2008年12月27日 06時21分05秒 | Weblog
 昭和7年(1932)の秋、陸軍が秋の演習のために社町(旧)に宿営する際の受入れに関する書類があります。今から70数年前のことですから軍隊の宿営を体験し記憶している人は少ないはず。それでも「あの家(店)には偉い軍人が泊まった」といった話は聞いたことがあります。こうして各の受入部隊や人数、馬頭数などの一覧を見ると現実感が感じられます。


昭和七年十一月二日     社 町 長
 各区長殿

十一月十一日左記ノ通り軍隊宿営致スベク候条御繁忙中ニハ候へ共モ御準備相成度此段及御依頼候也

宿営   部隊名   佐官 准士以上  下士以下   計   馬
社    支隊長審判官  七   二五    五四一  五八三  二五
     聯隊本部
     二大隊及
     一ヶ中隊
山国   二ヶ中隊    一   一〇    二九八  三〇九   四
松尾   歩兵砲隊         一     三〇   三一   五
田中   通信隊          一     三四   三五   六
鳥居   機関銃隊         二     四〇   四二   五
計                          一〇四一  四五

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大正15年の社町立農業補習学校名簿

2008年12月26日 06時21分42秒 | Weblog
 大正15年(1926)の社町立農業補習学校(男子部)の名簿があります(写真)。実業補習学校は小学校の補習、職業教育を行うために設けられ、農村部では農業補習学校が設置されました。兵庫県では大正時代に始まったようですが、社町(旧社町のこと、今の社小学校区)では、町立農業補習学校が大正9年に創立されています。。この歴史ブログでも取り上げてきましたが、今日はその名簿のはじめの3ページ分を紹介します。


(一ページ)
○科別編入ノ方針
Ⅰ 前期---一年ヘハ尋卒ノ者又ハ同程度ノ者
  前期---二年ヘハ高一修ノ者又ハ同程度ノ者

Ⅱ 後期---一年ヘハ前期ヲ終ヘタル者又ハ同程度ノ者
  後期---二年ヘハ高二修ノ者又ハ同程度ノ者
  後期---三年ヘハ前修業者

Ⅲ 研究科--一年ヘハ高三卒者及後期ヲ終ヘタ者
  研究科--二年ヘハ前修業者


(二ページ)
直接関係ノ職員
 氏 名   勤務    担当科       郷里
田中正一  校長兼任  訓話       加東郡上東条村長貞
小林忠太郎 専任    公民科・農業科  加東郡福田村東実
堀井八太郎 兼任    修身科      加東郡河合村
藤崎萬作  兼任    数学科      加東郡加茂村穂積
内藤國大  兼任    国語科      加東郡福田村東古瀬
藤井初治  兼任    国語科      加東郡滝野町高岡
小林信雄  兼任    数学科      加東郡滝野町河高

(三ページ)
本学年からは、学則を改訂し、組織を整へて世に立ちました。そして大に補習教育の振興を図りたいと希つて居ります。それには生徒側も指導者側も一つ心になつてベストを尽すことが最も肝要だと信じます。此にこの名簿を調へましたのもその第一歩だと考へて下さい。

  大正十五年四月二十三日
           社町立農業補習学校編輯部

     
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昭和3年度の社町社区収支予算

2008年12月25日 05時20分40秒 | Weblog
 今から80年前の昭和3年度(1928)の社町社区(現、加東市社)の収支予算があります。昭和3年の2月の評議員会で協議されたものでしょう。この歴史ブログで昭和5年の収支予算書を紹介しましたが、5年のものは活字印刷で、3年のものはガリ版刷りになっています(写真)。費目や額はそれほど違っていませんが、昭和3年度は明治橋の落成、警察署の新築、そして御大典などの目出度い行事が予定されていたことが分かります。


昭和三年度収支予算
-------------------------------
 ○収入ノ部
二四六〇円     戸数割(一万二千箇一箇ニ付二十銭)
  五〇      同上  官公吏ノ分
 二〇〇      宅地地租割(地租一円ニ付五十銭)
 二〇〇      預金利子並
 計金弐千八百五十円也
-------------
 ○支出ノ部
  七〇円         人夫賃
  三〇          印刷費
 一五〇          道路修繕費
  二五          消耗費
  一五          備品費
   七          火災保険料
  八〇          諸税金
  七〇          電灯代
 一〇〇          雑費
 一〇〇          奨励金
  三五          教育会費
  七〇          奉公会費
  五〇          役場協議費
 一〇〇          奨学基金
 二八五          宮割
 二〇〇          弁当賄費
 一一五          小使給料
 五〇〇          区長以下報酬
 一〇〇          評議員並ニ委員手当
  六五          青年団補助
 二〇〇          消防組補助
 一〇〇          同 臨時費
  三〇          西浦倶楽部修繕費
  五〇          旅費
  一〇          入営兵軍服代
 二〇〇          区長機密費
  九三          予備費
 計金一八五〇円也
-----------------------
 外ニ
一、明治橋落成道路開通祝賀余興費
一、警察庁舎新築落成祝賀費
一、御大典祝賀余興費
一、避病院道路敷地ノ寄附金
一、其他ノ臨時費
  右臨時費ハ夏割ニテ取立ツルモノトス
              (以上)
-----------------------
右ノ通リニ候也
              社町社区長  肥田仙治
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昭和5年-「母の会」開催の知らせ

2008年12月24日 05時21分30秒 | Weblog
 昭和5年(1930)、社尋常高等小学校では、「母の会」を開催しています。母の会とは、今でいえば保護者懇談会だと思いますが、保護者以外の一般の方の出席についての協力願いも兼ねて、その開催について、校長から区長宛に出された文を紹介します。※一部判読できない字があります

拝啓初秋の候愈々御清適賀上候陳者児童教養上保護者の方々と親しく懇談致し度左記の日割にて母の会開催候ニ付□乍御□□何卒一般家庭へ出席方御通知相煩度此段御依頼願候条 敬具
 昭和五年九月十六日
        社尋常高等小学校長 田中正一
各区長殿

二伸
一、会場は貴村倶楽部拝借致度候ニ付宣布御配意願上候
一、左記日時ニ御差支の場合は十月四日以後適当なる日時御□□下され度候。
追而 開会時間は午後三時ニ有之候

 母の会日割

山国  九月十八日(木)
松尾  仝 十九日(金)
出水  仝 二十日(土)
田中  仝 廿二日(月)
鳥居  仝 廿三日(火)
貝原  仝 廿五日(木)
野村  仝 廿六日(金)
西垂水 仝 廿七日(土)
窪田  仝 廿九日(月)
家原  仝 丗日(火)
上中  十月一日(水)
喜田  十月二日(木)
梶原  十月三日(金)
社   十月四日(土)

          以上

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昭和5年度の社町社区収支予算書

2008年12月23日 05時25分23秒 | Weblog
 昭和5年度(1930)の社町社区の収支予算書があります。今の加東市社地区にあたりますが、主な支出を挙げてみると、前年度不足(24%)、役員報酬(15%)、次に宮割(11%)、消防組補助(8%)、青年団補助(8%)などになっています。写真は収支予算書と会議案内(正副評議員会と参与委員会)です。

  ●収入ノ部
一金弐千壱百六拾圓     戸数割(一万二千箇一箇ニ付十八銭)
一金参百圓         預金利子並ニ雑収入
 計金弐千四百六拾圓也
  ●支出ノ部
一金六百圓         前年度収支計算不足額
一金参拾圓         人夫賃
一金弐拾圓         印刷費
一金五拾圓         道路修繕費
一金拾五圓         消耗費
一金七圓          火災保険料
一金四拾圓         諸税金
一金六拾圓         電灯代
一参拾圓          雑費
一金五拾圓         奨励費
一金五拾圓         役場協議費
一金八拾圓         奨学基金
一金弐百七拾五圓      宮割
一金六拾圓         会議費
一金弐拾圓         弁当賄費
一金百拾参圓        小使給料
一金参百八拾圓       区長以下報酬
一金七拾圓         評議員並ニ委員手当
一金壱百九拾圓       青年団補助
一金弐百圓         消防組補助
一金五拾圓         在郷軍人会補助
一金拾圓          西浦倶楽部修繕費
一金壱百五拾圓       予備費
 計金弐千四百六拾圓也
右ノ通リニ候也
 昭和五年一月十日
             社町社区長  肥田安兵衛
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昭和4年-農会の多収穫講演会

2008年12月22日 05時16分51秒 | Weblog
 昭和4年(1929)、加東郡農会主催の多収穫講演会が元郡公会堂(現明治館)に於いて開催されています。講師は滋賀県の若林善右衛門氏で反当7石という多収穫記録を樹立したその体験談を語るというものです。
 その通知とビラを紹介します。


社農第一三三号ノ一
 昭和四年九月十三日    社 町 農 会

各区長殿
各農会役職員殿

  多収穫講演会ノ件

来ル本月十九日午後一時ヨリ元郡公会堂ニ於テ郡農会主催稲作多収穫講演会開催相成候ニ付貴部内一般ヘ周知方御取計ヒノ上多数聴講候様御勧誘相成度及御依頼候成

  附

講師 滋賀県 若林善右衛門
 御承知ノ通リ若林氏ハ昨年富民協会主催ノ多収穫競作ニ於テ反当実収七石ノ新記録ヲ示シ当時農林大臣賞ヲ受ケラレタル人ニシテ氏ガ十数年間多収穫ノ研究ニ没頭シ遂ニ成功セラレタル体験談アル筈ニ有之候テ演題ハ「米七石ヲ穫ル迠」ニ有之候


(ビラ)※写真

■米を七石までとつて見ませう

米価問題は今では政治問題で吾々農家にとつては遠い火で手をあぶるやうでやれそれの間に合ふやうにも思はれません 農村救済の声も又政治屋の遠吼で真剣味を欠いて居ります 農村の疲弊農家経済の行詰りは農家自身が一番よく味つて知つて居ります 敢て他力を頼むより農家自体で運命の開拓を計りませう 差し詰吾々農家は米が高ければ勿論又安ければ安い程沢山収穫せなければなりません 即ち多収穫を計つて一粒でも余計に穫る事を考へませう 多収穫勿論学理も必要でせうが天候に支配さるゝ我農業には実地の経験が最も必要です
就ては今回滋賀県の篤農家で昨年富民協会の多収穫競作で反当実習七石五勺を収穫して農林大臣賞を得られた
 若林善右衛門氏
を煩はして其体験談を承る事にいたしました
村中挙つて御聴講ください

          加 東 郡 農 会

     記

多収穫体験談

九月十九日
午後一時ヨリ    社町元郡公会堂
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昭和5年-国産愛用展覧会

2008年12月21日 05時58分34秒 | Weblog
 昭和5年(1930)、国産品を愛用しようという運動が展開されています。
 昭和5年7月16日には、兵庫県と加東郡各町の合同主催で、国産愛用講演会が元加東郡公会堂で開催され、大阪商科大学教授の松崎壽氏が「我国ノ経済ト国産奨励」の演題で講演しています。
 また、7月24日から同月30日まで、神戸三越の6階を会場にして兵庫県主催の国産愛用展が開催されています。社町長から各区長、各種団体長宛に出された通知には、「国産品ト輸入品トヲ展示シ比較対照セシメ国産品ノ愛用奨励ヲ図ルヲ以テ目的トス」と展覧会の趣旨が記してあります。
 さらに国産愛用汽車移動展も開催されています。その通知とポスター(ビラ)を紹介しましょう。

昭和五年七月三十日
            社 町 長
各区長殿
各種団体長殿

   国際愛用汽車移動展覧会開催ノ件

本県主催ヲ以テ左記ノ通リ国産愛用汽車移動展覧会開催相成候ニ就テハ御協議ノ上多数観覧頂様御取計相煩度此段及御通知候也

   記

一、目的 舶来品偏重ノ迷妄ヲ打破シテ国産愛用ノ観念ヲ普及セシムルタメ
二、方法 客車内ニ国産品ト輸入品トヲ対比シ県下十二ケ所ニ之ヲ移動ス
三、期日及会場他
 八月二日 明石駅構内
 同 三日 加古川駅構内
 同 四日 姫路駅構内
   五日 姫路駅構内
 同 六日 上郡駅構内
 同 七日 福崎駅構内
 同 八日 和田山駅構内
 同 九日 豊岡駅構内
 同 十日 柏原駅構内
 同十一日 三田駅構内
 同十二日 伊丹駅構内
 同十三日 尼崎駅構内
 同十四日 西宮駅構内
四、開会時刻 毎日午前八治ヨリ午後十時迄トス 但シ列車運転ノ都合ニヨリ前後各一時間程度ノ伸縮ヲナスコトアルベシ
五、観覧者 一般観覧者ニハ制限ナケレドモ小学校児童ハ概ネ尋常科五年以上トス
六、観覧料ヲ徴ゼズ全テ入場随意
七、後援 内務省、商工省
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昭和5年-軍事映画会の開催

2008年12月20日 05時15分45秒 | Weblog
 昭和5年(1930)、社町の元加東郡公会堂で軍事映画の活動写真会が開催されています。
 元加東郡公会堂は加東市明治館として現在もさまざまな催しに使われていますが、今年の12月14日の義士祭の取り組みとして講談の会が開かれました(写真)。その時、年輩の方が「わしらが小さい頃はこの公会堂で映画会があった。それが楽しみでよう観にきたもんや」と話しておられました。
 このブログでも元郡公会堂での映画会の開催を何度か紹介してきましたが、今日はその一つ、軍事映画会の案内を紹介します。


昭和五年五月二十三日
              社町分会長  上月安治

 軍事映画活動写真会通知(無料)

突然テハ御座マスガ今晩左記ノ要領ニテ軍事活動写真ヲ開催致シマスカラ御多忙中デハ御座マスガ繰合セ打連レラレ御出下サル様御案内申上マス
 二伸 貴部内一般ニモ御伝声被下サイ御願ヒ申上マス

   左記

日時   本日五月二十三日午後八時ヨリ開始拾時半終了
場所   社町元郡公会堂
映画   福山四十一聯隊所蔵品 旅順ノ乃木将軍ト陸軍二巻
     御大礼一巻 御大礼観兵式二巻 軍犬全二巻
 四十一聯隊ヨリ将校一名下士二名ノ派遣サレル筈
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昭和2年-社町立農業補習学校③

2008年12月19日 05時38分31秒 | Weblog
 昭和2年(1927)4月に校長から各区長宛に出された社町農業補習学校の報告文書を紹介していますが、今日は3回目。残りの部分を紹介します。この中に補習学校の時間割が出ています。
 学科は国語、数学、公民、農業の4科目。研究科では自由研究もあり、校長訓話もあったことがわかります。

(報告のつづき)

四、目下生徒ノ出席奨励ト実習地(一人一畝以上一反歩マデノ範囲デ)設定ノ二件ニ意ヲ用ヒテヰマス。
六、学科担任ヤ生徒調ノ委細ハ別冊名簿ニ記載シテヰマス
七、時間割ハ

 前期
    第一時     第二時
月  数学(藤崎)  数学(藤崎)
水  修身(堀井)  国語(内藤)
金  国語(藤井)  農業(小林忠)

 後期
    第一時    第二時
月  数学(小林信) 農業(小林信)
水  国語(内藤)  修身(堀井)
金  公民・農業(小林信) 国語(藤井)

 研究科
    第一時    第二時
月  農業(小林忠) 数学(小林信)
水  公民科(小林忠) 農業(小林忠)
金  自由研究    自由研究

 (備考)
 全部合同シ田中校長ノ訓話 但シ課外トス

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昭和2年-社町立農業補習学校②

2008年12月18日 05時24分39秒 | Weblog
 昨日紹介した社町農業補習学校についての文書を続いて紹介します。
 昭和2年(1927)4月の生徒の出席状況を毎に統計したものが区長宛に報告されています。これをもらった区長は他のとの競争心がわいたことでしょう。松尾、鳥居両は百%出席で、しかも鳥居は七人在籍で全員が皆勤賞。表彰までするとありますから、区長は出席率を上げるために頑張りますね。その文書は次の通りです。


四月中補習学校生徒のッ出席状況を左に御通報いたしますから御熟覧の上夫々賞讃激励の辞を与へられことを望みます
                      社町農業補習学校
 五月一日

     区
  支部長殿

名 在籍数  出席数 欠席数  百中歩合 順位  皆勤者
松尾   三    一七   〇   一〇〇     一   三
鳥居   七    三七   〇   一〇〇     一   七
喜田   五    二五   一   九六.一五   二   四
貝原   九    三五   七   八三・三三   三   三
社    四    一二   三   八〇・〇〇   四   二
家原   四    一四   四   七七・七八   五   〇
田中   三    一〇   三   七六・九二   六   〇
山国  一四    三八  一三   七四・五一   七   〇
出水   六    二三  一一   六七・六五   八   〇
上中   七    一四  一〇   五八・三三   九   一
野村   六    一六  一五   五一・六一  一〇   〇
窪田   七    一三  一八   四一・九三  一一   〇
梶原   二     二   四   三三・三三  一二   〇
 計  七七   二五六  八九   七四・二〇      二〇

尚 四月五月即一学期真皆勤セシ者ハ勤勉証ヲ授与スルコトニ定メテ居リマスカラ此意ヲ含メテ精々出席スルヤウ御指導ヲ御願ヒシマス

皆勤者氏名
社   藤木又次 福居安治
松尾  前田國松 藤本武雄 藤本一雄
鳥居  中谷幸一 末永百太郎 末永忠男 吉田賢一 小寺義一 竹内正
貝原  久野金治 中西勇 藤本栄次
上中  依藤武雄 
喜田  岸本護人 岸本逸司 岸本種義 岸本音松

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昭和2年-社町立農業補習学校①

2008年12月17日 05時00分00秒 | Weblog
 戦前、夜間の定時制実業学校がありました。これは、産業の発達によって、実業教育の必要性が高まり、小学校教育の補習と簡易な職業教育を行うものでした。設置者は市町村か私人で、実業の教科はその地域の産業の特性によって農業や工業などを選択できたようです。(社町史参考)。
 社町(旧社町のこと、今の社小学校区)では、町立農業補習学校が大正9年に創立されています。その社町農業補習学校長から各部落区長宛の報告、協力依頼の文書があります。学校のようすを知ることができますので紹介します。



 拝啓春暖の候益々御多祥の条大慶に存じます 扨当補習学校は本学年度から学則を改訂し組織を整へて補習教育の振興を図り我社町青年教育の為能ふ限りの尽萃をいたしたいと希つて居ます 去る四月十六日、第一学期の授業を開始しましてから尚七回、此間貴青年団支部長各位を煩はし又保護者諸彦の御賛意を求めつつ内に在つては調査事項の万端に歩を進めて参りましたが漸く予定に近い在籍生徒を得まして其の出席も先づ可なりの実績を示しかけました。而し未だ端緒であつて将来に向つては町内諸彦の大なる御後援に拠つて漸次学校の理想に近づけたいものと期待いたして居ます 何卒御寸暇の節は御示観下さつて御批正等なし下らば生徒の感じも一段励まされる事と存じます 尚機会もありましたら貴内諸彦にも御伝声方宜敷しく御願ひ申し上げます 別項記事は御参考までに御報申します。

 四月三十日              社町立農業補習学校

  部落区長 殿


 別記事項

一、補習学校第一学期ハ四月、五月、第二学期 九月、十月
  第三学期ハ一月、二月、三月 即一年の中、七ヶ月授業デス

二、第二学期ハ毎週月、水、金ノ三回ヲ定日トシ各午後八時ヨリ同十時迄ノ二単元
ニ分けて授業ヲ行ヒマス

三、各学科共本校デ選定シタ教科書ヲ持タセルコトニシテヰマスガ当分ハ印刷物デ代用シマス
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義士の祭-家原観音寺で法要

2008年12月16日 05時08分56秒 | Weblog
 12月14日(日)、加東市家原の観音寺で義士祭が行われました。「世界に一つ」加東遺産10選にも選ばれている観音寺の義士菩提所には、日曜日ということもあって多くの人々が訪れ、義士の墓碑に線香をあげたり、地元家原地区の皆さんによる甘酒の接待などを受けていました。この日の主な催しは次の通りです。

 8:30~ 甘酒の接待(観音寺境内の義士菩提所入口附近)
       福引き(観音寺本堂隣、1回60円で清酒、みかん箱、バケツ等)
10:00~ 義士奉賛加東市中学校駅伝大会
        ※浅野内匠頭刃傷を赤穂に知らせる早籠にちなんでの駅伝
        今年は加東市民病院前からのコースで開催
11:00~ 追善法要(観音寺本堂)
14:00~ 義士祭奉納少年剣道大会(観音寺)
16:00~ 赤穂義士の講談会(社市街地にある明治館)
       ※社地区地域づくり協議会が主催して昨年に続き2回目。
        旭堂南陵、旭堂南半球、旭堂小二三が出演

 旭堂南半球さんは今年初めての出演でしたが、12月14日の討ち入りの日に、東京泉岳寺でも赤穂の花岳寺でもない、この地方都市、加東市でこのように盛大に義士祭が開かれていることに驚くとともにとても嬉しい、ということを話していました。そうなんです。四十七士の討ち入りから150年回忌に観音寺に義士の菩提所がつくられ、300年余り経った今もこうして義士の忠義、武士道を称える行事が行われる、このことが私も素晴らしいことだと思うのです。
 
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昭和5年-陸軍の宿営②

2008年12月15日 05時55分02秒 | Weblog
 今から78年前の昭和5年(1930)の秋、陸軍歩兵第39連隊が社町(旧:今の社小学校区)に宿営することになり、その要綱を紹介しています。現在では身近に自衛隊員の姿さえ見ることは珍しく、ましてや分散宿泊など考えられなくなっています。加東市には陸上自衛隊青野ヶ原駐屯地がある関係で、まだ身近なのかもしれませんが、それでも遠い存在になってしまっています。人々、家々ではどんな雰囲気で兵隊さんの宿営を受け入れていたのでしょうか。


(つづき)
五、土間ニハ蓆又ハ藁ヲ敷キ且適当ナル場所ニテ炭火ヲ使用シ得ル如クス之ガ為「コンクリト」土間ニ在リテハ石等ニテ囲ヲ為シ内部ニ厚ク土ヲ盛ル等ノ設備ヲ為スヲ要ス
六、土間ニハ成ルベク電灯又ハ「ランプ」ヲ利用アイ得ル如クス
七、社、山国、出水、上田ニハ十二三名ヲ収容シ得ヘキ衛兵場ヲ設ク 衛兵場ニハナルベク腰掛ヲ置ク
八、歩兵大隊本部位置歩兵中隊機関銃中隊歩兵砲隊歩兵通信班工兵小隊ハ土間広狭ノ都合ニ依リ露営区内ニ於テ多少変更スルモ支障ナシ
九、歩兵第三十九聯隊本部ハ社中成ルベク社ー東実道ト社ー貝原道トノ交叉点附近ニ於テ適当ナル場所ニ選定ス

二、馬匹
一、馬繋場ハ露天ニテ支障ナシ
二、鞍置場ハ馬繋場附近ニ於テ雨露ヲ凌キ得ル場所ニ設ク

三、銃砲廠
一、機関銃廠歩兵砲廠ハ為ル可ク雨露ヲ凌キ得ル場所ヲ可トス
二、砲兵ノ砲廠ハ学校々庭其ノ他堅硬ナル空地ヲ可トス 己□□得サレバ広キ街道ニテモ支障ナシ

四、給養
1.給養ハ十一月二日夕食ヨリ三日昼食迄三食分ヲ舎主ニ於テ準備セラレタシ之ガ為米麦副食物共代金ヲ以テ左記金額ヲ支払ス 米麦代一名一日分(三食分)定量ニ対シ時価ヲ以テ支払フ(約金十四銭ノ見込) 賄料一名一日分 金三拾銭
2.露営要木炭及蓆又は藁ハ代金ヲ以テ左記ノ通リ支払フ 露営用木炭一名一夜金七銭蓆又藁代一夜分金弐銭

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