ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

どくだみの白い花

2023年05月31日 04時37分20秒 | Weblog
 

 梅雨に入り、朝から雨が降っています。庭に白い花が目立っています。どくだみの花です。
 NHKの朝の連ドラ「らんまん」で、主人公の牧野萬太郎(牧野富太郎)が東京の日当たりのよくない長屋に住み込み、どくだみは薬になります、と話す場面がありました。私も乾燥させてどくだみ茶をつくって飲んだことがありますが、長続きはしませんでした。
 どくだみは放っておくと繁殖力が強くて庭のあちこちに広がるので、根から抜いていきます。名前はどくだみと、毒を連想してしまいますし、独特の臭いが何となく毒のようですが、調べてみると、毒、傷みに効くので毒傷みと呼ばれ、どくだみになったという説が紹介されていました。欧米では、東洋のハーブと呼ばれているとも。なら、嫌わずに白い花を楽しもうかなとも思います。
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梅雨入り前のアオサギ-佐保神社参道の大けやき

2023年05月30日 04時13分48秒 | Weblog

 29日(月)、気象庁は近畿の梅雨入り宣言をしました。この時期の梅雨入りは例年より早いそうです。南海では、台風2号が沖縄方面に向かっており、今週は梅雨前線ができて雨の日が多くなりそうです。
 28日(日)の早朝、佐保神社の参道の大けやきを見上げると、緑の葉の中にくっきりと白い体が浮かびあがって見えました。その近くでは、翼を大きく広げた親鳥がくちばしに枝をくわえて旋回しながら戻ってくる姿も見えました。
 鳴き声は不気味で可愛くありませんし、フン害もありますが、その姿は気品があり美しいものです。
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青野原駐屯地創設47周年記念行事 

2023年05月29日 04時42分24秒 | Weblog
 

 

 

 28日(日)、青野原駐屯地で創設47周年記念行事が行われました。
 心配された天気も薄曇りで風も吹くなか、記念の諸行事が行われ、自衛隊OBや隊員家族、地域住民、防衛協会や駐屯地が管轄する各自治体、国会、県会、県民局の関係者等が出席して、式典や訓練、祝賀会などを見学しました。
 栗田千寿司令は第8高射特科群長を兼ねており、観閲式では各中隊の隊員・車両部隊を観閲しました。式後、音楽隊の演奏、格闘訓練も披露されました。そして、呼び物の訓練展示では、近SAM、短SAM、中SAM、パトリオットなどのミサイル発射などが披露されました。今年は、ヘリコプターや戦車の登場はありませんでしたが、充分に迫力のある訓練展示でした。
 駐屯地には、子供広場や野外音楽演奏、売店、自衛隊紹介コーナーなども設けられ、家族連れなどで賑わいました。
 青野原には、戦前は陸軍、戦後は陸上自衛隊が駐屯し、北播磨、丹波地域を管轄し、災害時の救援活動にも活躍しています。また、全国各地の大災害にも災害派遣で出動するなど、その活躍は国民の期待と信頼を高めています。しかし、本務は国防です。日夜激しい訓練に励み、アメリカでの実射訓練で腕を磨き、その練度の高さは評価されています。戦後最も厳しいとされる今の日本の完全保障環境の中で、自衛隊の駐屯地の地元として、しっかりと自衛隊を応援し、自ら国を守る気概と覚悟を持つことが一番大切だということをあらためて思うところでした。
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やしろ歴民研研修会-伊能忠敬の足跡~加東編~ 高塚洋氏(ふるさとひょうご創生マイスター)

2023年05月28日 04時56分55秒 | Weblog
 

 

 27日(土)、やしろ歴史民俗研究会の本年度第1回目の研修会が行われました。今回は、江戸時代に全国を測量し、日本地図を作ったことで知られている伊能忠敬の播磨地域での足跡を辿りながら、伊能忠敬の人物像についても考究しているグループの代表の高塚洋氏(ふるさとひょうご創生マイスター)を講師にお招きし、講演をしていただきました。
 伊能忠敬の測量隊は、4次にわたって播磨を調査していますが、文化8年(1811)に姫路から加西、加東を測量しています。高塚さんらのグループは、その止宿(とめやど)を確かめ、現在の姿を追い続けており、加東では、社、上鴨川で宿泊しています。測量日誌には、行程とともに道中の名所なども記入されており、上鴨川では、天体測量をしたことも記されています。また、測量隊の支援として、各村では、絵図を用意したり、道具を運んだりして多くの村人が測量を手伝ったということも紹介されました。止宿には、風呂や食事の内容、菓子の接待など細かな指示もあったようです。
 「一身にして二生を経る」の副題の如く、伊能忠敬は55歳で家業を隠居し、天文学、暦学などを修め、幕府の命により地図作りの任務に就きます。74歳で没するまで測量で歩いた距離は約4万キロ。地球一周というのには驚きました。現在にあてはめると、70歳代から90歳代で第二の人生を歩んだということになる、と高塚さんは語り、伊能忠敬から学ぶところが多いことを示されました。
 高塚さんらのグループの調査研究をまとめた『伊能忠敬の夢を繋いだ播磨の止宿八十宿・個人旅行「関西旅行記抜粋」同時掲載』が発刊され、できあがったばかりの冊子も紹介されました。160頁余の冊子には、伊能忠敬の足跡を示す地図、全ての止宿の現在のようす、測量記録や道具などの豊富な写真と史料が掲載されています。
 高塚さんの講演を聴きながら、中学校の社会科教師として勤めていた頃、千葉県の佐原を訪れ、伊能忠敬の家や資料館を見学したことを思い出しました。歴史の授業で伊能忠敬を扱うのでその調査だったと思います。
 それにしても伊能忠敬がふるさと加東の道を歩いて測量し、地図を作ったということをこのように史料にもとづき、実地踏査しながら明らかにされた高塚さんらのグープの熱意と貴重な調査研究の成果に感銘を受けました。まさに「一身にして二生を経る」を実践しておられることに勇気づけられました。
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秋津の百石踊-桐山宗吉著『ふるさとの祭』に紹介

2023年05月27日 05時47分30秒 | Weblog
 

 先日このブログで紹介した桐山宗吉著『ふるさとの祭』(のじぎく文庫、昭和38年刊)に、「秋津の百石踊」が挙げられています。
 「雨乞・風流の踊に関するもの」の項には、淡路の南淡町阿万(現南あわじ市)の風流大踊小踊(百石踊)など6例が紹介されており、その一つが秋津百石踊でした。
 記述では、当時は、秋津住吉神社の氏子部落11のうち、8部落が踊をもっていて、歌詞や踊の形、人数も少しずつ違っていたようです。現在は西戸地区のみになっています。かつては、相当大がかりに雨乞踊が行われていたようで、競演的に行われていたのではとの推測も書かれています。
 この歴史ブログでは、東条町時代に百石踊が復活されてから、毎年4月29日に奉納することが定着し、毎年、その踊りを紹介してきましたが、かつては上鴨川にも行われていたとの記述もありました。写真は4年前(2019)の踊りのようすです。
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加東市蔵之谷に播州鯉が泳ぐ

2023年05月26日 05時10分26秒 | Weblog
 

 加東市と神戸市を結ぶ、県道神戸加東線の三木市との市境の桃坂の手前、加東市蔵之谷の集落の一番桃坂側にあたる所に、毎年播州鯉のぼりが泳ぎます。
 今年も4月の末から、田圃の上に泳いでいます。今日、神戸からの帰りに見てみると、泳ぐ鯉の下には、田植え準備の苗が並べられていました。
 東条地域は播州鯉のぼりの産地として知られています。明治30年頃に大阪府の堺市方面から製造技術を持ち帰り、やがて地場産業として定着したといわれていますが、今では事業所も減り、この蔵之谷の柴崎さんが伝統を守っています。
 鯉のぼりは子どもの健やかな成長を願ってあげられますが、欧米では、平和のシンボルとして一年中あげることもあると聞いています。子どもの成長には、平和な環境が不可欠という考えからです。
 昔のように庭に柱を立てて鯉のぼりをあげる家はほとんど見なくなりました。蔵之谷を車で走っていると、家の玄関あたりにミニ鯉のぼりが上がっているのを見かけます。私も都市部に住む孫のためにこのミニ鯉のぼりを贈りました。よく目立って珍しがられたと聞きました。今ではその孫も成長して中学生になりました。
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桐山宗吉著『ふるさとの祭』も古書店で

2023年05月25日 05時03分34秒 | Weblog

 昨日紹介した『兵庫のふるさと散歩 2東播編』と一緒に神戸市内の古書店で買い求めたのが、桐山宗吉著『ふるさとの祭』(昭和38年発行、のじぎく文庫、神戸新聞出版部)です。1000円でした。
 桐山宗吉氏の名は上鴨川住吉神社の神事舞の著書で知っており、本を開いてみると、兵庫県内の祭、民俗芸能が詳しく書かれていました。その筆頭に挙げられていたのは、やはり、その加東市上鴨川地区の住吉神社に伝わる神事舞でした。加東市関係では、秋津住吉神社に奉納される雨乞踊(百石踊)が取り上げられていました。
 コロナ禍で祭りを中止、もしくは縮小していたところが多く、ようやく去年の秋には三年ぶりの復活をしたところも出てきました。祭りを行うには、それを担う人、そして、踊りや太鼓などの練習が必要であり、準備が要ります。コロナが収まったからといって簡単に復活とはなりません。
 祭りや伝統文化の維持・継承はコロナ前から大きな課題でした。コロナを経験し、その価値や意義を再認識したところですが、実際に守っていくとなると、担い手、道具類の維持管理はじめ、何より、守っていこうとする意志、意欲がなければなりません。地区の人口減少、高齢化、少子化で担い手がいなくなり、思いはあっても継承できなくなっているというのが現実です。
 数百年もの長い間守り伝えられてきた祭。この一冊を読み返しながら、いろいろ考えさせられました。
 
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昭和53年発行の『兵庫のふるさと散歩 2.東播編』の東条湖全景写真と清水寺広告

2023年05月24日 05時46分39秒 | Weblog
 

 先日、神戸市元町の古本屋さんで、2冊の兵庫の歴史と文化に関する本を買いました。そのうちの1冊が『兵庫のふるさと散歩 2.東播編』です。
 昭和53年3月発行で、企画・編集は兵庫県・兵庫のふるさと散歩編集員会で、発行は21世紀ひょうご創造協会です。監修は石田善人。本の帯に坂井時忠知事の言葉が記されています。

  美しいロマンの兵庫 大都会の中に、山あいの里に、埋もれた歴史を探り、新しい文化を求め、ふるさとの心を尋ねる。この本は、ふるさとの再発見をテーマに、県民参加でつづる、私たちのふるさと研究書です。
 ふるさとを育てる心は、その過去を尋ね、今日を語ることから始まります。
 県民参加でつづられたこの本からは「新しいふるさとづくり」への高らかな足音が聞こえます。
 みん創る創る、みんなの郷土-この本が、あなたと、あなたの郷土を結ぶ”えにし”であることを願ってやみません。
                      兵庫県知事 坂井時忠

 値段は300円でした。発売当時は750円。頁をめくってみると、グラビア写真の中にわが加東市の東条湖がありました。いい写真です。満水の湖面に白鳥号が浮かび、水天宮のあたりを遊弋しています
 巻末の広告頁に播州清水寺の一面広告がありました。根本中堂の写真、海抜500Mからの大展望のキャッチフレーズが目立ちます。

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県庁2号館前の茂みにイソヒヨドリが・・・

2023年05月23日 05時33分36秒 | Weblog
 


 22日(月)の午後4時30分過ぎ、県庁2号館の海側の歩道を歩いていると、県庁側の植え込みに、突然鳥が舞い降りてきました。
 茂みの中に入ったように見えたのですが、カメラを取り出して、静かに構えていると、なんとイソヒヨドリが姿を現しました。
 枯れ葉の上をちょこちょこと動き回りながら、餌の虫をさがしているようでした。イソヒヨドリは、社の街でもよく見かけますが、早朝に屋根や電柱などの高い所に止まって、いい声で鳴きます。ですから、いつも下から見上げることになりますが、なんというチャンスでしょうか。今、そのイソヒヨドリを上から、すぐ近くで見ているのです。
 カメラを向けても一向に気にとめるようでもなく、エサさがしに夢中のようでした。スマートな体型、頭から背中は青い色で、腹は赤く、じっくりと観察できました。
 県庁3号館から県公館へ移動する時に歩くコースですが、17年目で初めてイソヒヨドリと出会いました。
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朝光寺のご本尊ー西本尊千手観音立像は三十三間堂から

2023年05月22日 06時01分02秒 | Weblog
 

 5月5日のこどもの日に、加東市畑の国宝朝光寺では、御本尊のうち、西御本尊の千手観音像立像が国の重要文化財に指定されたことを記念して御本尊御開帳法要が行われました。朝光寺の御本尊は2体の千手観音立像で、西の御本尊、東の御本尊があり、国宝の本堂内陣の両御本尊が並んで御開帳され、拝観する貴重な機会でした。この法要は翌6日のこのブログで紹介しました。写真は大般若経転読法要のようすで、正面右側が西御本尊です。
 この日は、法要にあと、本堂には、六地蔵像、旧朝光寺跡から出た瓦片、古い鰐口、鬼追踊りの鬼や翁のお面などが展示され、加東市教育委員会文化財課の藤原光平氏による解説があり、朝光寺の開基由来と歴史、西の御本尊が重文指定となった経緯など興味深い解説がありました。その中で、西の御本尊は京都の三十三間堂の千体仏と同じものであり、なぜ播磨の朝光寺にあるのか、いろいろ説があるが、確かなことはわからないという話も紹介され、歴史ロマンを掻き立てられました。
 神戸新聞総合出版センターの『ひょうごの仏像探訪』(¥2200)が今年4月に発行されました。兵庫県内の貴重な仏像を巡り解説したものですが、その中に「三十三間堂から移された謎を秘めた仏像」との題で、朝光寺の西本尊千手観音立像が紹介されています。
 西本尊の足枘(あしほぞ)の銘文が三十三間堂の仏像制作の監督をしていた長快の署名であり、三十三間堂創建時に制作された千手観音立像の一体であることが明らかになっています。謎はその一体がなぜ播磨の朝光寺にあるのかということでした。
 諸資料から、応永20年(1413)に本堂の改築、新築が行われた際に三十三間堂から移されたと推測され、そのようなことができたのは、当時の室町幕府の権力者であった赤松義則、満祐親子が仏像を本尊として移すことを招請したからではないかと推論しています。それを証明する経緯などは不明ですが、三十三間堂の仏像が他に移された例は朝光寺の例以外はありません。
 解説は、仏像の胎内に納入品があることがレントゲン写真でわかっており、いつの日か解体修理が行われる時に明らかになるのでは、と結んでいます。
 そんな歴史ロマンを秘めた千手観音立像がある朝光寺。ますます興味津々ですね。
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孤高-一本足のアオサギの背中

2023年05月21日 05時21分01秒 | Weblog
 

 朝の佐保神社の参道、境内には、大ケヤキで営巣しているアオサギの鳴き声が響きわたります。決して美しいとは言えないその鳴き声ですが、くちばしに小枝をくわえて大きく旋回しながら巣に戻る姿は悠々として見とれてしまいます。
 参拝を終えて、門の方を振り返ると、高い大ケヤキの上の方の枝にアオサギの姿がありました。しかし、一本足で立ち、その卵形の背中しか見えない野で、アオサギと分からない人が見ると驚くでしょう。
 孤高の哲学者のような姿です。あの高いところで、一本足で立ち、人間界を低く見て、何を思い、考えているのでしょうか。しばらく見ていましたがびくとも動きませんでした。
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朝に響く鳴き声-あんな小さな体でビル屋上のアンテナのシジュウカラ

2023年05月20日 05時37分44秒 | Weblog
 

 朝、遠くからきれいな鳴き声が聞こえてきます。イソヒヨドリ、ヒヨドリ、ムクドリ、ハクセキレイ・・・いろいろな声で気を惹きつけてくれます。
 そんな時は、上を向いて、姿はないかと見回しますが、電柱か、鉄塔か、屋根か、アンテナなどの上に小さな黒点が見つかれば、それです。
 家の近くの5階建ての集合住宅の屋上にある水槽(タンク)に取り付けられたアンテナの上に本当に小さな点を見つけました。耳を澄ますと、そこから聞こえてきます。
 カメラを向けてズームを最大限にしてみると、果たしてシジュウカラでした。それがこの写真です。パートナーを呼んでいるのでしょうか。それにしてもこのデジカメは望遠鏡代わりになる便利なカメラです。
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ビーツジャムが届きました クセになるおいしさです

2023年05月19日 05時07分57秒 | Weblog
 

 「うれしのビーツ広め隊」の福島俊夫さんから、ビーツジャムが届きました。5月4日に県立嬉野台生涯教育センターで開催された「うれしの春のフェスティバル」で出店されており、ビーツ弁当を求めました。ジャムはちょうど端境期で今日はありません、とのことでした。ビーツジャムは開封して、時間が経てば経つほど美味しくなっていきます。初めてこのビーツジャムをいただき、口にした時の感想は正直言って少し土くさいものだったと記憶しています。しかし、それは最初だけで、開封してしばらくすると、それは甘くて美味しい味のジャムになることがわかりました。まさにクセになるおいしさです。
 ウクライナから避難をしてきた人々に故郷の味を、とビーツを提供されたこともありました。ビーツを使った料理を工夫し、その中の一つがビーツ弁当です。ピンク色の寿司飯は、天気の良い日の野外で食べるお弁当にはぴったりの味でした。
 私はこのビーツジャムをヨーグルトにかけて食べるのが楽しみです。 
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関電タワーの天辺のカラスのカップル

2023年05月18日 04時13分13秒 | Weblog
 

 朝、登校見守りに立つ近所の交差点で通学班を待っている間、いい天気だなあと空を見上げていると、近くの関西電力送配電社営業所の建物の上に立っているタワー、関電タワーの天辺に黒い点が2つ見えました。カラス?と思い、カメラを向けてズームしてみると、2羽のカラスでした。向き合ったり、くちばしを開けて何か話しているようにも見えました。
 あの高さで見晴らしはよく、だれも邪魔する者もなく、いい場所で朝からデートでしょうか。まさか、遠くから人間がカメラで見ているとは思いもしないでしょう。
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学級農園で作物を育てた思い出-今の時代こそ大切な体験

2023年05月16日 12時57分03秒 | Weblog
 

 今、急速にICT化が進み、デジタル教科書やプログラミング教育などがどんどん行われ、とうとうAIが手軽に使えるようになってきて、教育界でもその使用について議論が起きています。
 それにつけても思い浮かぶのは、兵庫教育大学附属中学校で教員をしていた頃のことです。創立当時から特別の時間(附中Cタイムだったか?Cはカルチャーの意味)を設けて、学校近くの田圃を借りて作物を育てたりしていました。その後、校内に農園をつくり、学級で作物を育てました。とにかくいろんな作物を栽培しました。
 体育館とテニスコートの間の敷地の農園で、土を耕し、畝をつくり、苗を買ってきて植える。水やり当番、草引きなどの作業を続けながら、やがて、杖をつくり、さらに世話を続けると、トマトが生り、ナスやキュウリが次々とできてきます。トウモロコシの実は膨らみ、シシトウもいっぱい生ります。スイカ、サツマイモ、ダイコンもやりました。サツマイモの収穫は中学生になっても楽しいものです。家庭科の先生のアドバイスで綿花やオクラや落花生も栽培しました。落花生が土の中にできるのを初めて知った生徒がほとんどでした。
 農具を手に土と格闘し、種や苗を植えて、水をやり、育てる。太陽の下、みんなで一緒に作業するのは楽しいものでした。今のようにICT教育が進めば進むほど、子ども達には一方でこうした体を使って、作物を育てるといった体験学習がますます必要になってくると思います。みんないい顔をしています。この生徒達も今では50歳ぐらいになっているはずです。
 
 
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