ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和54年の社市街地空中写真-寺院や県事務所

2018年01月30日 05時13分07秒 | Weblog
 この写真は昭和54年に撮影された社市街地の空中写真の一部です。市街地の北部の風景が写っています。市街地を南北に貫く通りの左側(西)には、2つの大きな寺の建物が見えます。手前が持寶院、奧が善龍院です。持寶院には建て替える前の本堂の屋根が見えます。また、右側(東)には移転前の県の社土木事務所などが入る庁舎が見えます。この地は現在神戸新聞北播総局や住宅地になっていますが、明治時代には加東郡役所(現在の加東市と小野市域)が置かれた場所でした。持寶院の境内にはよく紹介する日本一木像大師像のある大師殿の屋根が見えますが、明治初期にはこの場所にあった一乗院跡に飾磨県事務所、後に税務署が置かれたこともあり、社市街地でも由緒のある一角です。
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道路元標と道標3本-滝野歴史民俗資料館前に

2018年01月29日 05時52分21秒 | Weblog
 加東市下滝野の加古川流域滝野歴史民俗資料館は、加古川舟運に関する貴重な資料や古い生活用具などを展示している身近な歴史資料館です。
 この資料館の玄関脇に4本の石柱が立てられています。以前にこのブログで紹介した時には、横倒しにして置かれていたのですが、27日(土)に訪れた時に、4本が並んで立てられているのに気づきました。
 その中に上滝野の旧道交差点にあった滝野町道路元標が移設されていました。滝見橋と道路拡幅工事のために移設保存されたのでしょう。平成17年に滝野東小に勤務していた時、ふるさと学習の事前調査で初めて出会った道標だったので気にかかっていました。
 あとの3本は、多可郡丹波道、日本一幅善導大師、光明寺道の道標です。資料館は光明寺のある五峰山の南側の山麓にあり、滝野文化会館、滝野図書館、滝野公民館などがある文化ゾーンの一角にあります。また周囲は県立播磨中央公園になっており、さらに滝野ぽかぽ温泉までそろっています。
 ふるさとの歴史を未来に伝える貴重な遺物がこうして大切に保存されています。お越しの際はご覧ください。
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加東市域の古墳について学ぶ

2018年01月28日 05時51分57秒 | Weblog
 

 27日(土)、滝野公民館で市教委の文化財室主催の「見る・触れる」文化財教室が開かれました。テーマは古墳時代の加東市です。市教委の藤原光平氏により、市内の古墳分布や特徴、発掘成果などの説明があり、そのあと、出土した土器や埴輪片、金属器などを実際に手にして時代的な特徴を学びました。また、近くの県立播磨中央公園の中にある下ノ山古墳群の一つを実地見学し、横穴式石室を見ることができました。
 加東市内には、現存確認されている古墳が約360基あります。そのうち、発掘調査されているものは21基。その中で一番古いものは、3~4世紀頃のものと考えられている樋詰古墳。円墳で箱式石棺の遺構が見つかっています。また、珍しく人骨が出ており、胸から頭部にかけて朱の顔料も確認されています。
 その他、一つの円墳に2つの横穴式石室がある吉馬古墳群をはじめ、珍しい特徴をもった古墳があることを知りました。中学生の頃、上三草古墳群の石室に入ったことを思い出しました。
 下ノ山古墳は播中公園の一角にあり、こんもりとした小山の南側には石室の入口がありました。藤原氏は「ここから先は黄泉の国です」という言葉をものとせず、参加者の中には中に入って調べる人もありました。
 今日は古代の墳墓が私たちの身近なところにあることをあらためて知るよい機会になりました。
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技よし!加東警察署の伝の助

2018年01月27日 05時55分49秒 | Weblog
 26日(金)、加東警察署の術科始め式が行われました。会場の武道場に入ると、窓に掲げられた旗が目に入りました。
 外の明るい日ざしで真ん中に描かれた加東市のマスコットキャラクターの加東伝の助くんが明るく光っています。手に持っているのは警察官が持っている調査票でしょうか。旗の上部には「技よし!」、下部には「加東警察署」の名が染め抜かれています。社警察署が加東警察署になってから2年。加東の治安を守る加東警察署のシンボル旗が頼もしく見えました。伝の助の警察バージョンをぜひ作ってもらいたいなと思いましたが、あるんでしょうか。
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嬉野台地に屹立-社高校空中回廊とメタセコイヤ

2018年01月26日 06時05分36秒 | Weblog
 

 25日(木)の午後、加東市の嬉野台地にある県立社高校を訪れました。標高約100メートルの台地面にある校舎からは、遠く北の多可町の山々や西の青野原台地を望むことができます。この日、雪雲が北の山々を覆っていましたが、嬉野台地は雪を落としたあとの冷たい風が吹き抜け、空は晴れて明るい冬の日が射していました。
 白亜の校舎から体育館へとつながる2階の廊下はまさに空中回廊。眺望も抜群で、社高校自慢の絶景スポットです。本数は少なくなりましたが、校門を入ったところに天を衝くようにメタセコイヤが屹立していました。この木々と校舎は平地の遠くからも望むことができ、嬉野のランドマークにもなっています。
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朝日を浴びるヒヨドリ

2018年01月25日 05時36分25秒 | Weblog
 毎朝庭の柿の木に2羽のヒヨドリがやってきます。しばらく止まってどこかに飛び去っていくのですが、24日の朝、寒風を受けながら朝日を浴びて光るヒヨドリを見ました。カメラをズームにすると、その凛々しい姿に惹き付けられました。
 隣の家の庭には大玉のキンカンの木があり、どうもその実を食べにやってきているようでした。
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昭和54年-社市街南端から空中写真

2018年01月24日 05時49分32秒 | Weblog
 この写真は昭和54年5月11日に撮影された加東市社の市街の空中写真の一部です。今から40年ほど前の市街を空からみたもので、当時のようすを知ることができます。
 中央の交差点は旧175号と372号の2つの国道が交差する社交差点です。手前の瓦屋根の大きな建物が現在の明治館(旧加東郡公会堂、旧社町中央公民館)です。また、上の方には参道の奧に佐保神社の建物群が見えます。
 写真右側(東側)には社の商店街が軒を連ねています。反対の国道の左側(西側)には今は神姫バスの車庫と乗場がありますが、当時はまだありません。もちろんジャスコ・ショッピングパークBioもまだなく、田圃が広がっています。
 明治館の広場には円形の忠魂碑がくっきりと写っています。40年余の歳月を経て、今も朝のウォーキングでこの忠魂碑に参っています。 
 
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冷たい雨の中-山茶花とメジロ

2018年01月23日 04時52分49秒 | Weblog


 22日(月)の午後4時過ぎ、みぞれが雨に変わり、冷たい雨が降る中、庭に「あっウグイスかな?」という妻の声。そーっと窓を開けてカメラを向けるが、雨や山茶花の木の手前にあるカリンの木がじゃまをして、細かく動き回る小さな鳥をとらえらることができません。真っ赤な花が時々揺れるので焦点をそちらに当ててみると、目のまわりがくっきりと白い黄緑色の小鳥がいました。メジロです。花の蜜を吸っているようでした。花から花へ。そして、隣の槇の木の枝に、と素早く動き回りました。じっと動きを追っていると、どこかへ飛び去りました。柿の木の枝にヒヨドリがやってきたのです。雨の午後、しばしの間でしたが、バードウォッチングを楽しめました。
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初庚申祭・初大師-社の善龍院で

2018年01月22日 05時58分50秒 | Weblog
 

 21日(日)、加東市社にある善龍院で360年余の伝統を持つ初庚申祭りが行われました。穏やかな日和で、私が参拝した昼には参詣の人も途切れて静かな境内でしたが、懐かしい方と出会ったり、お接待の檀家の方とゆっくりお話をすることができました。
 善龍院は、涌羅野山慈眼寺善龍院の寺号をもつ真言宗のお寺で、赤穂の浅野氏の分家である家原浅野氏の菩提所として代々の領主の位牌が納められていることや、初庚申(年始の庚申日)には多くの人々が参詣し、庚申寺として知られる由緒ある寺院です。去年は本堂屋根落慶報告・退山式・晋山式が盛大に行われ、御本尊秘仏青面金剛像の御開帳も行われました。
 休憩所で名物の厄除け庚申団子(よもぎ団子)と昆布茶をいただきました。団子の甘さと昆布茶がよく合い、おいしくいただきました。

 毎年、この歴史ブログで紹介していますが、初庚申祭りについての説明を再掲します。
 庚申とは、「庚(かのえ)申(さる)」十干十二支の組み合わせで60日に一度めぐってきます。庚申堂の本尊の青面金剛大明王(しょうめんこんごうぞう)、すなわち庚申さまは、開運、厄除け、五穀豊穣、無病の守り本尊として昔から信じられています。
 庚申堂にお参りし、「庚申お猿」をいただきます。布でつくられた猿のお守りですが、「災難を去る(猿)」ということで、このお守りをいただき、翌年奉納すると、ご利益があり念願がかなうといわれています。

 
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楠公さんの魅力を知る公開講演会ー2月10日

2018年01月21日 06時58分14秒 | Weblog
 2月10日(土)、加東市社福祉センター(加東市社26番地)で、自民党加東市支部主催の公開文化講演会が開催されます。
 講師は湊川神社宮司の垣田宗彦氏で、「楠木正成公の魅力-日本人と楠公精神ー」と題して、「楠公さん」と親しまれてきた楠木正成の魅力を語っていただきます。
 入場は無料です。どなたでも参加できますので、お誘い合わせで多くの皆さんのご参加をお待ちしています。
 今年は明治維新150年、兵庫県150年の節目の年ですが、湊川神社も明治元年に明治天皇の御沙汰で創建が決まり、明治5年に御鎮座しています。小学生の頃、バスに乗って湊川神社の前を通過するときにガイドさんが「頭を下げて下さい」と言っていたのを憶えています。私事ですが、結婚式も湊川神社でお世話になりました。


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加東の夜明け-五峰山を望む

2018年01月20日 06時48分02秒 | Weblog
 よく晴れた冬の早朝、加東市社の市街を見下ろす社中央公園の金屋谷池の堤に立って西を見ると、昇る朝日に照らされて低い中国山地の山々が遠くまで望むことができます。その山並みの一番手前にどっしりとした台形の山塊が見えます。この山が播磨高野とよばれる五峰山光明寺です。
 山並みの上部がうっすらとうすいピンク色に光っています。そしてその上にはどこまでも透明な青い空が広がっていました。手前の公園や市街にはまだ朝日は射していません。人が動き出す前の雄大なふるさとの自然の一こまです。
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神戸市内で出会った道標-再山道

2018年01月19日 05時30分33秒 | Weblog
 18日(木)、県庁から下山手へと歩き、海岸方面へと坂を下っていると、突き当たりの三叉路の角に立派な石柱が立っていました。
 道標か?と近寄り、表に回ってみると、上部に仏像の坐像が彫ってあり、その下に「左 再山道」と深く刻まれていました。側面にも「左 婦たたひ山□」と刻まれており、再山への道標だと判りました。神戸市内の古い道のことはさっぱり分からないのですが、この地点が再山への分かれ道だったのだろうと思いながらしばらく道標を見ました。
 昨日は1.17。あの地震の時はこの道標はどうだったんだろうとも思いました。町の復興の中でこの場所に保存され、未来への遺産として古い神戸の道を伝える役目を負っているようでした。裏面に建立者と思われる「梅谷氏」の名が刻んでありました。もう一面にも字が刻まれていますが「の」のような字の他は判りませんでした。あとで調べて見ると梅谷氏は播州阿閇の人だと判りました。阿閇は播磨町の地名で、阿閇氏は加東市滝野に縁の深い一族でもあり、そういえば、教師になって初めて勤めた加古川市立川西小学校の教え子に梅谷君がいたなあなどと思いながら、この道標との縁を勝手に感じ入っています。
 
 
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兵庫県150周年-神戸事件の現場

2018年01月18日 06時23分44秒 | Weblog
 平成30年(2018)は、兵庫県ができてから150年にあたります。今の兵庫県の形(県域)になったのは明治9年ですが、ルーツを辿れば150年前の慶応4年(1868)5月23日(旧暦、新暦では7月12日)に伊藤博文が兵庫県知事に任命され兵庫県が置かれた時点を兵庫県立県の時としているわけです。
 伊藤博文は当時、兵庫裁判所(旧幕府領を治める役所)の役人で若干26歳の若さで知事に昇進しています。
 さて、その兵庫裁判所のトップは東久世通禧(ひがしくざみちとみ)でしたが、慶応4年の1月11日に起きた神戸事件の処理、すなわち三宮神社前を通過していた岡山の備前藩の隊列の前を横切ったフランスの水兵を斬りつけた事件をめぐる交渉が大きな役割でした。横浜の生麦事件とともに開港したばかりのわが国で起きた重大な外交事件でしたが、東久世とともに伊藤博文らが交渉にあたっています。
 この東久世通禧はその後横浜裁判所に転任し、トップ不在のなか、5月23日に伊藤博文が初代兵庫県知事に任命されたわけです。在任期間は11ヶ月。のちに初代総理大臣となり、枢密院議長として大日本帝国憲法の制定など明治日本を創り上げていくことになります。
 神戸事件の現場、三宮神社は大丸神戸店の北、西国街道に面し、トアロードの南端にあたる所にあります。兵庫県政150周年の今年、三宮神社を訪れ参拝してきました。
 
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野村から広々と三草山と社の眺望

2018年01月17日 06時21分19秒 | Weblog
 播磨平野の北東部に位置する内陸の加東市。北播磨という地名から、山をイメージすることが多いと思いますが、この写真のように実に広々とした景色が広がっているところもあるのです。
 ここは国道372号の加古川に架かる加東大橋の東、加東市野村辺りです。まさにその地名が示す通り、一面に田が広がる「野」です。ここに立つと、内陸とは思えない広々とした眺望に心も広がっていくようです。空はどこまでも青く高く、地平の向こうには源平の古戦場で知られる三草山の山塊が横たわっています。その遙か向こうに播州清水寺のある御嶽山も望めます。
 手前の田圃の向こうに加東市社の市街の建物が見えます。加古川の河岸段丘に発達した町で、低位、中位、高位と段々に高くなっています。西に広がるこの「野」から東を眺めると、その段丘上の建物がより高く見えるためによく目立ちます。
 かつて播磨風土記の時代には塩野とよばれた原野だったところに集落ができていったのです。野村の隣の貝原には弥生時代の住居跡も発掘されています。古代の人も原野に立ってこの景色を見たんでしょうね。
 
 
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加古川舟運の港 大門の絵図

2018年01月16日 05時08分06秒 | Weblog
 14日(日)、初集会の挨拶のために加東市大門の公民館を訪れた時、壁に一枚の絵が掲げられているのに気づきました。それは、加古川舟運の盛んだった江戸時代の大門の絵図でした。じっくり見る時間がなかったので写真におさめました。
 大門は加古川筋でも有数の高瀬舟の河岸(川港)でした。大門には、多くの舟をもつ豪商があり、東条や米田辺りから米が問屋に運び込まれ、この河岸で高瀬舟に積み込まれて高砂へと運ばれていったのでした。そして、高砂からのもどり舟には、塩や砂糖、雑貨などが積み込まれ運ばれてきたのです。
 絵を見ると、中みなと、下みなと、渡し場などに舟がついている場面やチンコロ岩、オタフク岩などの岩場が描かれ、往時の繁栄ぶりが浮かんできます。
 加古川河川改修、大門橋のつけ替え工事などが進められていますが、かつて隆盛を誇った加古川舟運の河岸、大門の記憶を伝えてくれる大事な絵でした。
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