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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

なめくじの空間移動-小学生の頃の不思議な思い出

2017年06月30日 05時23分36秒 | Weblog
 朝のウォーキングで、社の新池の堤を歩きます。雨が降ったりすると、小学生の頃、新池の堤の下、池から流れる農業用水路で溢れて流れてくる魚を捕ったりしていましたが、そのときの不思議な光景を思い出します。
 網や時には手拭いでも魚が捕れました。溝に入って、網を流れに差しだしているだけでフナなどの魚が捕れたのです。溝に入って捕っていると、溝の一方の草の葉になめくじがついていました。その葉が風も無いのに揺れだしました。その時幅5,60センチぐらいの溝の反対側の草の葉がやはり風も無いのに揺れ始め、しばらくしてふと見ると、なめくじがついているのです。元の葉にいたはずのなめくじの姿は見当たりません。葉も揺れていません。ほんのわずかの時間の出来事でした。何か夢でも見ているような不思議な感覚に包まれていたことを憶えています。
 なめくじが体を揺すって空間移動し、溝を渡ったとしか思えませんでした。この思い出は鮮明です。よく語ってきましたが、今思うとやはり、何か不思議な体験だったと思います。
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東条川疏水の物語-『遠い水の路』

2017年06月29日 04時46分47秒 | Weblog
  

 この歴史ブログでは、鴨川ダム(東条ダム)を起点とする東条川疏水について紹介してきました。兵庫県北播磨県民局では東条川疏水ネットワーク博物館を立ち上げて、この貴重な水利システムと疏水の流域の歴史や文化を県民の共有する資源として守り伝えていこうと取り組んでいます。11月23日を東条川疏水の日に制定し、シンポジウムなども開催しています。
 さて、今日紹介するのは、東条川疏水の物語をまとめた小冊子『遠い水の路(みち)』です。B5判26頁、カラー印刷で、北播磨、加東、小野を中心とした地域の農業用の水を求めてをため池や用水路づくり苦闘してきた歴史、人物のことを挿絵とともに平易な文章でまとめてあります。加東市吉馬の笠石や秋津の百石踊など、雨乞いにまつわる伝統文化や伝承も紹介してあります。そして、戦後初の国営コンクリートダムとして建設された鴨川ダム建設と湖底に沈んだ土井の人々の思いも描かれています。
 冊子は北播磨、東播磨の小学校や教育委員会をはじめ、ネットワーク博物館に関係する大学や地元団体などに配布され、平成30年度には加東、小野市の4年生全員に配布されることになっている。
 子供達が東条川疏水という「遠い水の路」を通して、先人の苦労や歴史、伝統文化、壮大な水利システムの役割の大切さなどを学んでいく。本当に意義のあることだと思います。一つひとつの絵が実によく描かれており、絵だけみていても楽しくなる冊子です。
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大賀ハス-加東の平池公園で弥生の花

2017年06月28日 05時34分52秒 | Weblog
 

 先日、加東市福田地区のふれあい敬老会に出席した折り、すぐ近くの平池公園の大賀ハスを見たいと思っていたのですが、時間がとれませんでした。27日の早朝、田圃の水を見に行ったついでに平池まで車を走らせました。
 毎年今頃になると、平池公園の大賀ハスが開花します。大賀ハスは、大賀一郎博士が2000年以上前の弥生時代の遺跡から発掘した種を発芽させたもので、平池公園の大賀ハスは社町時代に鳥取県農業試験場から譲り受けた15粒の種を発芽させ繁殖させたものです。毎年楽しみにしているのですが、ザリガニにやられたりして管理も大変なようです。
 新聞では今年は少し花が少ないと報じられていましたが、2000年の時を超えて咲くハスの花の色は鮮やかで、弥生人の心になって見とれてしまいました。
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昭和26年3月-社小学校の築山の前で記念写真

2017年06月27日 04時55分23秒 | Weblog
 この写真は、昭和26年(1951)の3月12日と記されています。もちろん私が生まれる前の従姉妹が小学生の時の写真です。
 立派な木造校舎だったことは今でもよく憶えています。写真の左の奧の方に本館から西校舎への渡り廊下、そして「西の便所」が写っています。ここが怖かったんです。北の裏側が竹藪で、何か薄暗いイメージとともに、幽霊が出るという話をよく聞かされました。当時はいわゆるぼっとん便所です。便器にまたがると赤い紙やろか・・・などと声がし、手が伸びてきて、つめたい感触でおしりをさわるとか聞かされていて、小便をしていても後ろが気になって仕方がなかった。怖かったですね。
 写真後方の本館の2階は確か、図書室ではなかったでしょう。たくさん蔵書が並んでおり、4年生になったら借りて家に持ち帰ることができたと思います。それが嬉しくて、『太平洋一人ぼっち』(堀江青年のヨット太平洋単独横断)や『エベレスト登頂記』などのノンフィクションを胸躍らせながら読んだことを憶えています。写真を見ると、そんな小学生時代の懐かしい記憶が妙に鮮明によみがえってきます。
 
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昭和29年頃-母の実家で叔母の膝上で

2017年06月26日 06時01分43秒 | Weblog
 母の娘時代の不思議な話をこのブログで紹介しましたが、その母の実家の縁側で叔母の膝に抱かれた1歳頃の私の写真がありました。
 昭和29年頃だと思います。典型的な農家の造りの母の実家の縁側に叔母やいとこと一緒に写っています。母の姉である叔母は現在103歳で健在です。
 母の実家は典型的な農家の造りでした。土間もありましたが、建て替えられて、もう写真の家はありません。
 縁側からの風景は半世紀余りが過ぎても余り変わっていないように思います。夜には星がよく見えますし、人工衛星が通っていくのも見えます。
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朝のステラパークとヘビのいちご

2017年06月25日 05時21分58秒 | Weblog
 

 24日(土)、朝日に緑の芝生がまぶしい社中央公園のステラパークを歩きました。円形の公園では歩く人、ジョギングする人もいます。西の景色が広がっているので身も心も伸びていく感じです。
 公園から市役所の前を通り、社こども園へと下る坂道の脇にヘビのイチゴが赤いルビーのように朝日に輝いていました。大きそうなのをとって口に入れると甘酸っぱい味がしました。
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今年は咲くかわが家のハス

2017年06月24日 05時23分28秒 | Weblog
 23日付の神戸新聞の北播版に平池公園の大賀ハスの記事がでていました。毎年この時期に加東市の平池公園の大賀ハスが咲きます。ちょうど福田地区の敬老会が25日(日)に開かれますが、毎年、敬老会のあとに見学しています。
 ところで、わが家のハスが気になります。今年は桜の花の前に土を入れ替えました。このハスは数年前に加東市から市民に提供されたハスです。毎年白い花を咲かせて楽しませてくれたのですが、去年は花をつけませんでした。今年は葉に勢いがあり、期待しています。
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クルミの実が順調-縄文人の気持ちで

2017年06月23日 05時29分20秒 | Weblog
 庭のクルミの木に今年も実がつき、順調に大きくなっています。このクルミの木は父親が植えたものですが、いったんは枯れ、その後、また芽が出て大きく成長したものです。
 青いリンゴのような実はちょうどゴルフボール大になっています。クルミといえば縄文人の大事な食糧。クルミを栽培していたことも分かっています。クルミの実をすりつぶしてクッキーや餅のようにして食べたのでしょうか。
 クルミの実はやがて表面が割れて、地面に落ちてきます。その中にクルミの核があります。毎年20個ほど収穫していますが、見てさわって楽しんでいるだけです。このクルミの木には真夏になるとクマゼミがやってきて大合唱します。
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登校時間帯に強い雨

2017年06月22日 05時35分11秒 | Weblog
 

 21日(水)、昨夜からの雨は朝になっても降り続いていました。早朝に田圃の水を見にいくと、満水になっているところへ大粒の雨がまた降り始めました。
 午前7時30分頃には激しい雨になり、登校見守りも雨合羽と長靴に傘という恰好でいつもの交差点に立ちました。これでは子供達はびしょ濡れになるだろうなと思いながら待っていると、傘の列が見えました。長靴をはいていないので足元は完全に濡れています。しかし、子供達は水溜まりに入って帰って楽しんでいるようすでした。
 激しく降ったのは登校時間帯だけで、何ともうらめしい雨でした。通り過ぎる通学班の中から「警報が出えへんかなあ」という声がして思わずにやっとしてしまいました。
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加東四国第八十八番霊場-持寶院本堂

2017年06月21日 04時58分07秒 | Weblog
 加東市社の持寶院にはこのブログでよく紹介する大師殿がありますが、その隣に本堂があります。ご本尊は阿弥陀如来で、建物は大師殿よりも小さいのですが、加東四国八十八ヶ所霊場の第八十八番霊場となっています。
 御詠歌は「涌羅山や由来久しき今に猶 持つや無価の法のみ宝」(ゆらさんやゆらいひさしきいまになお もつやむげののりのみたから)です。ご住職の話では、この場所は元一乗院の敷地だったところで、百年ほどまえにこの場所に移築されたということです。
 加東四国霊場の根本道場の大師殿の御詠歌は「諸人よ大師は此処におわすれば 千代に八千代にねがいかなえん」(もとびとよだいしはここにおわすれば ちよにやちよにねがいかなえん)です。
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サボテンの花が咲きました

2017年06月20日 05時29分03秒 | Weblog
            

            

 19日(月)の早朝、自宅近くの事務所に行くと、事務所前に置いているサボテンに花が咲いているのを見ました。うすいピンク色の花でした。このサボテンは、生前よく事務所を訪ねて下さった方からいただいたもので、故人のことを懐かしく思い出しました。
 夕方にはようやくわが家の田圃の田植えが終わりました。夏至直前の大きな夕日が青野原の地平線に沈もうとしていました。
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加東四国霊場第六十三番-南小田の薬師堂

2017年06月19日 04時39分01秒 | Weblog
 

 県道加東神戸線を通って神戸市と加東市を往復することが多いのですが、加東市から小野市に入り、小田バイパスを走って、旧道との信号をさらに南に走ると信号があります。左折して加東市大畑地区へと向かうのですが、この信号の角にお堂が建っています。毎日のようにこの道を通りながら、一度もお参りをしたことがなく気になっていました。
 気持ちよく晴れた夕方、日が西に傾きお堂を照らしています。神戸からの帰り、信号を直進し、すぐに旧道へ入るとお堂の正面に出ました。
 このお堂が加東四国八十八ヶ所霊場の第六十三番小田南の薬師堂です。境内は美しく清掃され、まだ新しい白壁のお堂がまぶしいくらいに光っています。お堂の前には南小田大師講寄贈の霊場石碑が建てられていました。西の入口に立つと、自分の影が長く、まるで仏像のようにお堂に向かってのびました。
 ご本尊は薬師如来。御詠歌は「おほけなく賤が小田巻くり返し 御代泰平を祈りぬるかな」(おほけなくしずがおだまきくりかえし みよたいへいをいのりぬるかな)です。
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水と光の道-6月の田圃

2017年06月18日 05時20分38秒 | Weblog
 遅れていたわが家の田圃にようやく水が入り、しろかき、田植えへと進み始めました。夕方、帰りに寄ってみると、水路に流れる水が西に傾いた太陽の光を反射して光の道のように光っていました。
 すでに周囲の田圃は田植えが終わっており、その上を心地よい風が渡ってきました。もうすぐわが家の田にも稲が植わる、と思うと何か充実したような気が満ちてきました。
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つぼさ池のかっぱの話

2017年06月17日 05時50分39秒 | Weblog
 今日も母の思い出話をもう一つ。加東市松尾の集落の南、隣の東実地区につながる道につぼさ(壷沢)池があります。このブログで紹介した竜巻の話でも出てきました。
 母は小さい頃、このつぼさ池で水泳をしていたそうです。竹を池の中に何本も投げ入れ、その浮いた竹につかまることができるようにして集団で泳いだそうです。
 そのつぼさ池にはかっぱが棲んでおり、牛を池に引っ張り込むというのです。かっぱの腕が池から伸びて牛の足をつかんで強い力で池の中に引っ張り込む。その話を聞きながら場面を想像するとそれはおそろしい光景でした。このブログで牛の話も紹介しましたが、牛は大きく、力の強い存在でしたから、その牛を伸縮自在の腕で引きずり込むなど、かっぱの強さ、おそろしさはすごいものでした。
 暗くなると池の淵を歩くのは危険だったのでしょうが、理屈よりこの話は子供にとって効果てきめんでした。
 
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ひだるがつくで-母の思い出

2017年06月16日 10時16分08秒 | Weblog
 ときどき小さい頃のことを思い出します。その中で「ひだるがつく」という母の言葉についての話です。
 小さい頃、昭和30年代の後半のころでしょうか。夕食のとき、おかずに不足を言ってしまい、父親に「食べるな」と強く叱られました。そのまま、家を飛び出たものの、外は暗くて家の周りを回ってこそっと家の中に戻り、自分の部屋に入っていました。腹ぺこでしたが、父親がこわくて「ご飯」といえずに辛抱していました。
 その時、母親がそっと戸をあけて、おにぎりをもってきてくれました。「ちゃんと食べよ。ひだるがつくで」と言いました。母のあたたかさ、やさしさが忘れられない思い出となっていますが、その時の「ひだるがつくで」の意味がよくわからないまま、何かよくないものがつくと思っていました。
 それから何十年、NHKの水木しげるの連ドラを視ているとき、「ひだるがみ」という妖怪がでてきました。山の中などを歩いているとき、腹を空かしていると、ひだるがみがふっと取り憑くのだそうで、急に体が重く感じたり、元気が出なくなったりするのは、この「ひだるがみ」のせいだというのです。母親が言っていた、「ひだるがつくで」とはこのことだったんだと分かったのです。
 母親はごく普通に「ひだる」の話をしていましたが、得体の知れないものの存在は小さい子供にとって効き目があったのです。科学的に説明されるより、よほど効果がありました。
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