昨日に続いて、ヒヨドリの写真を。朝、登校見守りに立つ午前7時30分頃、高い電柱の上、電線に止まっている2羽の鳥にカメラを向け、ズームで見てみるとヒヨドリのようでした。せっせと羽づくろいをしているようです。地上は建物の陰になって朝日は射していませんが、遮るもののない電線に止まって朝日を浴びて体を温めているのでしょう。
毎朝7時過ぎ、庭の柿の木の枝にヒヨドリが2羽やってきます。ほぼ同じ枝に止まります。確かめようがありませんがきっとカップルでしょう。
一羽でやってきたのでカメラを向けました。ピタッとピントが合ったような気がします。しばらくして飛び去りました。
一羽でやってきたのでカメラを向けました。ピタッとピントが合ったような気がします。しばらくして飛び去りました。
週末に雪が降りました。そんな寒さのなか、庭に出てみると、梅のつぼみが膨らんでいるなと見ていると、白い花が開いているのを見つけました。寒さが一番厳しいこの時期につぼみを膨らませ、そして咲くのが梅の花なんだと、あらためてその強さに感心しながら見とれてしまいました。
この梅の木は、母が寄せ植えの鉢で使ったものを直植えしたもので、27年前に他界した母の思い出とつながっています。これから次々と白い花を咲かせてくれることでしょう。
この梅の木は、母が寄せ植えの鉢で使ったものを直植えしたもので、27年前に他界した母の思い出とつながっています。これから次々と白い花を咲かせてくれることでしょう。
27日(日)、加東市内を車で走っていると、昨夜の雪が残って、この辺りでは珍しい雪景色が楽しめました。
嬉野台地から三草山を、東条湖畔のアクア東条から東条湖、ダム堰堤方面を望みました。源平の古戦場の三草山、湖底に沈んだ土井の歴史を思ってしまう景色でした。
26日(土)、天気予報では兵庫県南部の平野部でも積雪があるかもしれないという予報でしたが、ときどき雪が舞う程度で積雪というところまではいきませんでした。
午後、隣の小野市で行われた講演会に出席し、終わって外に出てみると、何と一面の雪景色になっているではありませんか。2時間ほどの間に降ったんですね。
帰りの道で太陽の光に光る田圃の雪景色がなんとも美しく感じました。雪の珍しい播磨平野で育ち、暮らしている私にとっては、滅多にない雪景色に心が躍りました。
午後、隣の小野市で行われた講演会に出席し、終わって外に出てみると、何と一面の雪景色になっているではありませんか。2時間ほどの間に降ったんですね。
帰りの道で太陽の光に光る田圃の雪景色がなんとも美しく感じました。雪の珍しい播磨平野で育ち、暮らしている私にとっては、滅多にない雪景色に心が躍りました。
25日(金)、加東市立東条西小学校の4年生が兵庫県議会議場見学を行いました。私も議場で児童等を迎え、県議会の紹介などをしましたが、議場での説明のあと、議場の裏の階段を上ったところにある部屋を見学しました。私も初めて入った部屋で、歴代議長と副議長の肖像写真がずらりと壁に掲げてありました。
初代は明治12年の近藤薫。確か、姫路市の人だったと記憶しています。また、明治14年には石田貫之助。美嚢郡の人で、県立吉川高校近くの県道脇に顕彰碑が建てられています。
ずうっと写真を見ていきながら、加東市(加東郡)出身の議長を探して教えました。昭和39年に石井武夫氏。そして、昭和55年に中村敏明氏の2人の議長が加東から出ておられます。石井氏はそれ以前に副議長もされていました。
子供達は地元出身の議長の肖像写真と対面し興味津々のようでした。ちなみに、現在に近づくと、副議長の列に第124代の私の写真もありました。私も初めて自分の肖像写真に対面しました。現在は126代副議長を篠山市選出の小西隆紀氏が務めています。普段は余り人が入らないということなので、何か秘密の部屋に入ったような気分になったのは子供達だけではなかったようです。
初代は明治12年の近藤薫。確か、姫路市の人だったと記憶しています。また、明治14年には石田貫之助。美嚢郡の人で、県立吉川高校近くの県道脇に顕彰碑が建てられています。
ずうっと写真を見ていきながら、加東市(加東郡)出身の議長を探して教えました。昭和39年に石井武夫氏。そして、昭和55年に中村敏明氏の2人の議長が加東から出ておられます。石井氏はそれ以前に副議長もされていました。
子供達は地元出身の議長の肖像写真と対面し興味津々のようでした。ちなみに、現在に近づくと、副議長の列に第124代の私の写真もありました。私も初めて自分の肖像写真に対面しました。現在は126代副議長を篠山市選出の小西隆紀氏が務めています。普段は余り人が入らないということなので、何か秘密の部屋に入ったような気分になったのは子供達だけではなかったようです。
24日(木)の朝は冷たい北風が吹きました。何か、久しぶりのような感じでした。社中央公園の金屋谷池の堤から環状線を歩き、大池まで来ると、いつもは静かな池面に波が立っていました。その波に揺られて水鳥が集団でぷかぷか浮かんでいるのが遠くに見えました。
日の出の近い空には、太い雲の筋が東から何本ものびて、空の広さを強調しているようでした。
23日(水)、多可町のベルディホールで行われた行事に出席したあと、すぐ近くの多可町新庁舎を見ながら帰ろうと思い、立派な庁舎の前を通り、道を曲がろうとしたとき、角に石碑があるのが目に入りました。駐車場に車を止めてよく見てみると、やはり道路元標でした。
黒ずんでいますが正面に「中町道路元標」と刻まれていました。道路元標は、大正8年(1919)の「道路法施行令」で、国道や府県道、各市町村の道路の基点となる目印(石碑)として設置されたものです。多可郡中町の道路起点の標識と新しい多可町庁舎、町の新旧の景色が一つになっていました。
黒ずんでいますが正面に「中町道路元標」と刻まれていました。道路元標は、大正8年(1919)の「道路法施行令」で、国道や府県道、各市町村の道路の基点となる目印(石碑)として設置されたものです。多可郡中町の道路起点の標識と新しい多可町庁舎、町の新旧の景色が一つになっていました。
いつものウォーキングの道筋の景色も毎日表情が違っています。佐保神社から大師殿への道の途中にある新池は朝の空と関電タワーを映しています。冬の朝には、私の足音に敏感に反応してか、水鳥が泳いで遠ざかっていきます。
この日は、朝日に光る雲と水面に立った波紋に関電タワーがゆらいでいました。
この日は、朝日に光る雲と水面に立った波紋に関電タワーがゆらいでいました。
21日(月)の朝早く、いつものコースを歩き、最後に加東市社の善龍院にお参りしました。今日は初庚申祭り。まだ早いのでお参りの人はないなか、準備をしておられるご住職らにお出会いすることができました。すでに境内の準備は整えられており、清澄な雰囲気の中でお参りをすることができました。毎年、この歴史ブログで紹介していますが、初庚申祭りについての説明を再掲します。
善龍院は、涌羅野山慈眼寺善龍院の寺号をもつ真言宗のお寺で、赤穂の浅野氏の分家である家原浅野氏の菩提所として代々の領主の位牌が納められていることや、初庚申(年始の庚申日)には多くの人々が参詣し、庚申寺として知られる由緒ある寺院です。
庚申とは、「庚(かのえ)申(さる)」十干十二支の組み合わせで60日に一度めぐってきます。庚申堂の本尊の青面金剛大明王(しょうめんこんごうぞう)、すなわち庚申さまは、開運、厄除け、五穀豊穣、無病の守り本尊として昔から信じられています。
庚申堂にお参りし、「庚申お猿」をいただきます。布でつくられた猿のお守りですが、「災難を去る(猿)」ということで、このお守りをいただき、翌年奉納すると、ご利益があり念願がかなうといわれています。お参りしたあと、よもぎ団子と昆布茶の御接待を受けます。甘さと昆布茶の味が格別です。
昨年、平成30年(2018)は明治維新150年、そして兵庫県150年という節目の年でした。歴史を振り返るとともにこれからの新しい時代の日本や兵庫県の姿を模索する一年でもあったと思います。
20日(日)に加東市栄枝地区公民館に伺い、初集会のご挨拶を申し上げました。公民館の敷地にある国旗掲揚柱の石柱(杭)が気になり、刻まれた文字を見てみると、「明治百年記念」「栄枝老人会」と刻まれていました。50年前の昭和43年(1968)の明治百年を記念して建立された石柱であることがわかりました。こういう出会いに心が躍ります。さっそく、写真を撮りました。
表面は少し剥がれてきていますが、建立された当時の老人会の皆さんの気概が伝わってくるようでした。
20日(日)に加東市栄枝地区公民館に伺い、初集会のご挨拶を申し上げました。公民館の敷地にある国旗掲揚柱の石柱(杭)が気になり、刻まれた文字を見てみると、「明治百年記念」「栄枝老人会」と刻まれていました。50年前の昭和43年(1968)の明治百年を記念して建立された石柱であることがわかりました。こういう出会いに心が躍ります。さっそく、写真を撮りました。
表面は少し剥がれてきていますが、建立された当時の老人会の皆さんの気概が伝わってくるようでした。
19日(土)の夕方、社中央公園の金屋谷池の堤で西の青野原台地の地平線に落ちていく夕日を眺めていると、懐かしい人に出会いました。
昭和7年生まれの86歳。散歩の途中でした。旧制小野中時代のおもしろい話や入院中の話などちょうど夕日が沈む間、堤の上の冷たい空気の中で話が続きました。
この堤から西は、南から北まで視界をさえぎるものがなく、実に広々とした景色が広がっています。今頃は夕日が一番南の方に沈みます。内陸で地平線が見えるこの場所は大好きです。
昭和7年生まれの86歳。散歩の途中でした。旧制小野中時代のおもしろい話や入院中の話などちょうど夕日が沈む間、堤の上の冷たい空気の中で話が続きました。
この堤から西は、南から北まで視界をさえぎるものがなく、実に広々とした景色が広がっています。今頃は夕日が一番南の方に沈みます。内陸で地平線が見えるこの場所は大好きです。
冬の朝、霜が降りて、昇る朝日に白く光っています。加東市社の市街と加古川の間には平地が広がっておて、田圃が続いています。その中を一筋に農道が延びており、その凜とした景色に思わず立ち止まってしばらく眺めてしまいました。前にも紹介しましたが、この辺りは「ゆら野」と呼ばれる平地が広がっており、古代の人々もこの「野」に立って景色を眺めたにちがいありません。「野」は整備された田と農道、そして工場へと変貌していますが、「野」の広々とした景色は今も同じです。
冬の朝、ウォーキングの途中の新池で水鳥が数羽、じっとしています。足音に気づいたのか遠くへ泳ぎ始めると池面に波が立ちました。鴨なのでしょうが、よく分かりません。池の畔の竹に3羽のシラサギが丸まって止まっていました。朝日が昇る前なので色がない景色の中で白さが目立っています。
新池から少し歩くと持寶院大師殿です。木像の大師像としては日本一の大きさと言われるお大師さんを見上げながら「南無大師遍照金剛」と7回唱えて手を合わせます。しばらくお大師さんと目を合わせる静かな短い時間ですが心が落ち着きます。
15日(火)の夜、たまたま視ていたNHK神戸放送局の県内のケーブルテレビ紹介で、加東市のケーブルテレビで放映された、加東市山国地区の子ども塾の取り組みが紹介されていました。
餅つきや注連縄づくりなどの場面が映し出されており、区長さんや役員さんらの顔もありました。家庭ではなかなか体験できなくなっている伝統行事や遊びなどをこうして地域でやっていこうという取り組みは本当に大事なことだと思います。何よりもこうした体験をする子供達が幸せになるということが一番の大事なことです。県でもこうした取り組みを進めており、さらに広がればと思います。大人も幸せそうな笑顔でした。
餅つきや注連縄づくりなどの場面が映し出されており、区長さんや役員さんらの顔もありました。家庭ではなかなか体験できなくなっている伝統行事や遊びなどをこうして地域でやっていこうという取り組みは本当に大事なことだと思います。何よりもこうした体験をする子供達が幸せになるということが一番の大事なことです。県でもこうした取り組みを進めており、さらに広がればと思います。大人も幸せそうな笑顔でした。