ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

明治時代の社の図から④ 円妙寺、佐保座、裁判所

2022年11月30日 04時16分52秒 | Weblog
 

 今日は、今の銀座通り(東条町・とうじょうまち)を見てみます。地図は下が東です。
 本町から東に延びる通りですが、円妙寺、佐保座が目立ちます。寺は今もそのままあります。そして、近郷近在からも多くの人が来て演劇などを楽しんだ娯楽の殿堂、佐保座があります。現在は兵庫県使用組合の社支店になっています。そして、通りの突き当たりに社区裁判所があります。現在は、道路になっていますが、昭和5年には、通りに社警察署が新築移転してきます。裁判所は、現在、さらに南の県立社高等女学校跡地に移転し、建て替えられました。写真は、昭和初期の社区裁判所の写真です。
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明治時代の社の図から③ー社警察署、社郵便電信局、社銀行、東播銀行、社検番の名が

2022年11月29日 05時40分24秒 | Weblog
 

 

 今日も明治時代の社村の図を紹介します。当時の社村(現加東市社)の中心部にあたる通りには、社警察署、社郵便電信局、社銀行、社検番、東播銀行などが書き込まれています。
 現在は、それぞれの場所には、これらの施設はなく、商店街の店舗、住宅に変わっていますが、当時は、この通りに面して、主な建物が集中していたことがわかります。
 写真は、洋館風の社銀行(明治26年・1893設立)と木造の東播銀行です。社銀行の写真は、昭和10年頃のものだと思われますが、大正12年発行の『加東郡誌』にもこの建物の写真が掲載されています。東播銀行(明治29年設立)の写真は『加東郡誌』掲載のものです。
 もう一枚の頑丈そうな建物は、社警察署です。この写真も『加東郡誌』に掲載されているものです。社警察署は昭和5年に新築移転しますが、それまでは本町通りにありました。
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明治時代の社村の図から② 田町に社村役場が

2022年11月28日 05時32分49秒 | Weblog
 

 昨日に続いて、明治時代のものと思われる社村の図を見てみます。田町通りは社村でも古くから商家が軒を連ねて賑わった通りと聞いています。写真の上部が東、下が西になります。上部の分かれ道は道池(三ツ池)の堤です。この道池は今は住宅地に変わっています。
 さて、長い通りの真ん中あたりの一画に「社村役場」と書き込まれているのを見つけました。今でいうと、駐車場になっている辺りかと思われますが、元は市場があった場所にあたる辺りです。
 通りの西の入口辺りに「公証人役場」があったことも分かりました。また、「米穀取引所」もありました。田町に米穀取引所があり、大阪堂島の米相場の情報を得て、仲買人が売買していたことは、今も中田町町内会がお祀りしている佐保神社境内の御大神宮さんの玉垣に「加東米穀取引所」と刻まれていることからも分かります。さらに「肥田壽七」の名を見つけました。有名な日本画家である三木翠山(みきすいざん)の父親であり、三木翠山は田町の服部家の出身でありました。その家もちゃんと書かれています。田町で一番大きな一画は「肥田磯七酒造場」です。そのような話も聞いたことがあります。まだまだ調べたいことがこの図にも多くありました。
 田町通りは、今は住宅街になっていますが、往時はそれは賑やかな商店街だったと聞いていますし、私が小さい頃の記憶の中にも商店が軒を連ねていたことを思い出します。
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明治時代の社村の図から-郡役所や税務署、寺院、天理教教会など

2022年11月27日 06時18分51秒 | Weblog
 

 資料整理をしていると、明治時代の社村(現加東市社)の住宅地図のコピーが出てきました。本町通り、田町通り、東条町通りなど主な通りと地番、住人の氏名が書かれています。
 今の上本町辺りを見てみると、加東郡役所、社税務署、善龍院や持寶院、天理教教会が書き込まれています。当時の加東郡は、現在の加東市と小野市域で、その役所が上本町に置かれていました。また、社税務署は今、持寶院の大師殿のある場所にあった一乗院の建物に置かれていました。持寶院と善龍院の2寺院は今もそのままあります。天理教の教会は今は住宅地になっています。
 写真は、昭和10年頃の郡役所の写真です。こうした地図を見ていると、タイムマシンでその時代に飛んでいき、実際に目で確かめてみたいという思いにかられます。
 
 
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やしろ歴史民俗研究会の研修旅行で秋の大和へ-室生寺や談山神社など

2022年11月26日 05時31分18秒 | Weblog
 

 

 25日(金)、やしろ歴史民俗研究会の3年ぶりの研修旅行が行われ、秋の大和地方を訪れました。
 コロナ禍で活動が行えずにいたのですが、4年度は研修会、旅行が復活しました。今回の訪問地は奈良県。訪れたのは、室生寺、談山神社、聖林寺、長岳寺の4ヶ所でした。この秋一番の快晴となり、雲一つない秋の青空に、ピークを迎えた紅葉がまぶしく映えていました。
 各所で古い建造物、仏像、絵図などを拝観し、ボランティアガイドさんの解説を聞いて理解を深めることができました。往路の車中では、会員さんから詳しい解説も行われ、事前学習も十分でした。どこも石段が多かったのですが、紅葉を眺めながらの一段一段は疲れも軽くしてくれたようです。
 室生寺の五重塔、談山神社の十三重塔、そして、聖林寺の十一面観音像、長岳寺の地獄絵図。どれも深く印象に刻まれるものばかりでした。この企画をし、楽しみにしておられた勝本進会長が過日急逝され悲しい別れをしたばかりでしたが、亡き会長さん面影を思い出しながらの研修旅行でした。
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霧のステラパークー今日も元気でいこう!加東の元気スポット

2022年11月25日 04時51分28秒 | Weblog
 

 冬になると、嬉野台地には朝霧が出ます。兵庫教育大学の附属中学校に勤務していた頃、教室の窓の外、運動場はいつも午前10時頃まで濃い霧に包まれていました。
 22日(火)の朝、嬉野台地の西端にあたる社中央公園は霧に包まれていました。すぐ下の社の市街も霧で見えません。金屋谷池の畔の遊歩道も霧の中でした。
 公園の中のステラパークに入ると、円形芝生広場は霧に包まれ、その中に石像が浮かんでみえました。牡牛座の石像は、その角が両手を振り上げているようにも見えて、いつも元気が伝わってきます。霧の中ではなお一層強く感じました。思わずウォー!と叫びたくなります。
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朝の道路にウグイス!? 

2022年11月24日 04時09分18秒 | Weblog
 

 朝のウォーキングで社市街の関電送配電社屋の入口辺りで、ふと道路に何か小さな塊のようなものが落ちているのが目に入り、近寄って確かめてみることにしました。
 よく見ると小さな鳥でした。動かないので、怪我でもしているのかと思ったとたんに飛び立ち、すぐ近くに設置されているゴミ集積所の金網に当たり、再び地面に落ちたのです。
 そうっと近寄り、カメラを向けてシャッターを押しました。大きさはスズメより少し大きく感じました。色は薄い緑。目は黒く、メジロのような白い輪はなく、これはひょっとしてウグイスかなと思いました。
 2枚写真を撮ったところで、再び羽ばたいて低空飛行しながら飛び去っていきました。短い時間でしたが、まさかこんなところで、ウグイスに出くわすとは思いもしませんでした。庭には時々やってきますが、低い枝や地面をすばやく動き回るのでカメラで追うのは難しいのですが、今回は間近で見、写真に収めることができました。
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新池のハシビロガモ ぐるぐる回って朝食

2022年11月23日 04時16分46秒 | Weblog
 



 社の市街地にある新池には、今年もハシビロガモが泳ぐ姿がありました。朝のウォーキングで若宮神社から持寶院大師殿へ向かう道に新池の堤があります。関電タワーが水面に揺らぐ中、10羽前後の鳥が泳ぎ回りながら餌をとっています。ちょうど朝食の時間なんですね。
 静かにカメラを構えてズームすると、緑と白、茶色の鮮やかな色のオスのハシビロガモと茶色のメスが一組になって泳いでいました。水面で逆立ちをするように水中に頭を入れたり、くちばしを水中に入れて餌をすくうように泳いだり、シンクロナイズドスイミングのように2羽で同じ所をぐるぐる回ったり、見ていて楽しい演技でした。
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大師講の朝ー加東四国八十八番霊場仕上げの道場「持寶院大師殿」

2022年11月22日 04時36分37秒 | Weblog
 

 毎月21日は大師講の日です。朝のウォーキングで加東市社の持寶院の大師殿にお参りするために門を入ると、お堂の扉が開かれ、灯りも見えました。堂の中では、ご住職らが準備をされていました。
 お堂のお大師像に手を合わせて祈り、ご住職とお話をしました。本当に素晴らしい大師像で、心が広がるようにゆったりとした気分になります。南無大師遍照金剛と唱えてお堂をあとにしました。
 もうすぐ12月。大晦日には除夜の鐘、ぜんざいのお接待が行われます。毎年友人と訪れています。そんなことを思いながら静かな街を歩きました。
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田中静壱大将の記功碑を訪れて

2022年11月21日 05時52分24秒 | Weblog
 


 20日(日)、友人の県議の県政報告会に出席するため、たつの市を訪れました。少し早めに出て、龍野町下霞城の白鷺公園や龍野公園のある山へと向かいました。日曜日ということで、駐車場はいっぱいでしたが、かろうじて1台分が空いていました。
 龍野公園動物園もあり、家族連れの姿も多く見られました。田中大将の記功碑は、駐車場から白鷺公園の山、哲学の小径の登り口の一角、石段の上にありました。
 田中静壱大将は、終戦時に徹底抗戦を目論み、皇居を制圧しようと反乱した陸軍の一部若手将校を鎮圧し、昭和天皇の終戦の御聖断を守った軍人です。当時、田中大将は、東部軍管区司令官でしたが、もし、田中大将の行動がなければ、終戦がならず、大混乱を招いていたかもしれません。そういう意味でも田中静壱大将は日本を救った人でした。
 石段の登り口には、「平和日本再建の礎 田中静壱記功碑」と刻まれた石柱が建てられており、一目でわかりました。石段を登ると、右奥正面に横長の石碑があり、上部に入江相政侍従長の揮毫による「勲功輝悠久」が刻まれ、その下に田中大将の副官であった塚本素山陸軍少佐の文が刻まれていました。碑の前に立って、ゆっくりと声に出して全文を読みました。
 この碑は、昭和30年8月24日に田中大将顕彰会によって建立されています。8月24日は、田中大将が最後の反乱を鎮圧して、司令部自室で拳銃自殺をした日です。
 過日、淡路で樋口季一郎陸軍中将の銅像除幕式がありました。多くのユダヤ人の命を救い、ソ連の北海道占領を防いだ樋口季一郎の功績を顕彰するものでした。田中静壱大将は、終戦の御聖断を守り、戦争終結から戦後の日本再建への道を拓いた軍人です。兵庫県に生まれたこの二人の軍人に感謝し、その功績を私たちの世代はもちろん、次の世代にも伝えていかなければならないとの思いを強くしました。
 
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紫電改や九七式艦上攻撃機のある「sora加西」でパワーリフティング大会

2022年11月20日 05時45分28秒 | Weblog
 

 

 加西市の鶉野飛行場跡の「sora加西」に行ってきました。加東パワーリフティング協会が主催する「ばかぢから」大会が開催され、地元選手や京都の大学の競技部の選手が出場して、競技会を公開していました。
 「sora加西」には、紫電改と九七式艦上攻撃機の実物大模型が展示され、また、この鶉野飛行場を飛び立った海軍姫路航空隊の特別攻撃隊「白鷺隊」の歴史などが展示され、多くの人が訪れていました。
 この鶉野飛行場については、この歴史ブログでも何度か取り上げてきました。その理由は、昭和20年(1945)、戦局が厳しくなる中、飛行場の鋪装工事や工場への勤労奉仕作業の出役指示があり、旧社町社区(現加東市社)からも割り当てられた人数の人々が交替で出ていた記録があったからです。社駅(現JR加古川線社町駅)から粟生駅で乗り換え、法華口駅まで一時間余りあけて毎日出ていました。写真は、その記録簿(社町社区参考綴)です。
 終戦から77年が経った今、飛行場は戦争の歴史を振り返り、平和を考える施設、地域活性化の拠点として整備されつつあります。その施設で、若者がパワーリフティングで力と技を競い、訪れた人々もその人並み外れた力に足を止めて見とれていました。少年の頃、マンガ「紫電改の鷹」を読みふけり、ゼロ戦や紫電改、雷電、隼などの戦闘機を描いたり、プラモデルでつくったりしていたことも思い出します。
 写真は、展示場内の2機と翼越しに見える競技の様子。そして、平成20年(2008)に訪れた時に写した飛行場跡地の碑です。
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日没のあとー社の街の風景

2022年11月19日 05時27分32秒 | Weblog
 

 日没が早くなり、秋の深まりを感じます。昼間は、野山の紅葉が日に映えて美しい景色を楽しめますが、夕方になると、一気に日が沈み、あとは、雲一つない空がしだいに光をなくして宇宙の色に変わっていきます。
 事務所から自宅へと向かう道の先には、社のランドマークの関電タワーと家並み、道路、電線のシルエットが広がっていました。こうした晩秋の夕景もふるさとの歴史の一頁になっていきます。
 かつて、小さかった頃には、タワーはもちろんなく、関電の社営業所の古い木造建物があり、左手の手前には、これも古い社町役場の建物がありました。その時代、時代の風景があり、時が経つと懐かしい記憶の一つになっていきます。
 ふと、小さい頃、その役場の宿直室に遊びに行っていて、隣のわが家から夕食準備をする母親の包丁の音が聞こえてきた日の記憶が蘇ってきました。今は当時の家はなく、同じ場所ですが新しい家になっていますし、役場は駐車場になっています。およそ60年の前の景色と音が浮かんできました。
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東条川沿いでー青い空に光る黄金の銀杏 

2022年11月18日 04時02分24秒 | Weblog
 

 加東市の東条地域は、日本一の釣針製造の産地です。播州針のブランドで国内外に出荷されています。その東条川沿いの県道小野藍本線を車で走っていると、真っ青な空をバックに少し西に傾いた日の光を受けて、まさに黄金色に輝く銀杏の木が目に飛び込んできました。車を止めて、道路の反対側から写真を撮りました。
 ひまわりの花と青空はウクライナ。銀杏と青空のここは東条。なんと神々しい姿でしょうか。


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東京の夜景、渋沢栄一銅像

2022年11月17日 05時55分16秒 | Weblog
 


 14日~16日の3日間、県議会建設常任委員会の調査で東京都、横浜市を訪れ、大都市整備について、行政、事業者、現地調査などを行いました。
 さて、東京の夕景、富士山の写真を見てください。どこから撮ったんでしょう、と思われる一枚ですが、実は、森ビルの森記念財団で見た東京の詳細な模型とその背景写真なのです。実物そのものです。
 もう一枚は、日本銀行近くに立つ、渋沢栄一の銅像です。三菱地所の常盤橋タワーから見下ろした写真です。隣接して建設中のTOKYO TORCHは、完成すると390メートルの日本一高いビルになります。ここに新しい町、街区がやがて誕生するわけですが、渋沢栄一翁はずっとそれを眺めているようでした。
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加東市シルバー人材センター設立30周年 新シンボルマーク、マスコットキャラクター披露

2022年11月14日 04時18分10秒 | Weblog
  

 加東市シルバー人材センターが設立30周年を迎え、その記念式典が13日(日)にやしろ国際学習塾のL.O.C.ホールで行われました。
 30年前といえば、平成4年。私もまだ40歳になる前でした。当時勤務していた兵庫教育大学附属中学校で、教科の枠を超えた新しい総合的な学習の時間の先行的な研究に取り組んでいました。テーマの一つに高齢化社会を取り上げ、高齢者の生き甲斐、介護などの課題を体験を通して学習していたことを思い出します。30年経った今、日本は総人口は減少するも高齢者人口は増え、世界一の超高齢者国になっています。健康を維持しながら、経験や知識、技術を活かして適度に働き、生き甲斐のある生活を送るとともに活力のある地域づくりの主体になる、それが高齢社会の姿であるもと思いますが、その大切な鍵となるのが、シルバー人材センターです。
 30年の節目に新しいシンボルマークとマスコット・キャラクターが披露されました。式典でスクリーンに映し出されたマークには、シルバーのSの文字と健康で活動する高齢者の姿が、またキャラクターは元気に働く高齢者が描かれています。若者の活躍が目立つ加東市(社高校野球部の夏の甲子園出場、ゴルフ蝉川君の活躍など)ですが、高齢者が生き生きと働く加東市でもありたいと願うばかりです。
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