20日(日)、友人の県議の県政報告会に出席するため、たつの市を訪れました。少し早めに出て、龍野町下霞城の白鷺公園や龍野公園のある山へと向かいました。日曜日ということで、駐車場はいっぱいでしたが、かろうじて1台分が空いていました。
龍野公園動物園もあり、家族連れの姿も多く見られました。田中大将の記功碑は、駐車場から白鷺公園の山、哲学の小径の登り口の一角、石段の上にありました。
田中静壱大将は、終戦時に徹底抗戦を目論み、皇居を制圧しようと反乱した陸軍の一部若手将校を鎮圧し、昭和天皇の終戦の御聖断を守った軍人です。当時、田中大将は、東部軍管区司令官でしたが、もし、田中大将の行動がなければ、終戦がならず、大混乱を招いていたかもしれません。そういう意味でも田中静壱大将は日本を救った人でした。
石段の登り口には、「平和日本再建の礎 田中静壱記功碑」と刻まれた石柱が建てられており、一目でわかりました。石段を登ると、右奥正面に横長の石碑があり、上部に入江相政侍従長の揮毫による「勲功輝悠久」が刻まれ、その下に田中大将の副官であった塚本素山陸軍少佐の文が刻まれていました。碑の前に立って、ゆっくりと声に出して全文を読みました。
この碑は、昭和30年8月24日に田中大将顕彰会によって建立されています。8月24日は、田中大将が最後の反乱を鎮圧して、司令部自室で拳銃自殺をした日です。
過日、淡路で樋口季一郎陸軍中将の銅像除幕式がありました。多くのユダヤ人の命を救い、ソ連の北海道占領を防いだ樋口季一郎の功績を顕彰するものでした。田中静壱大将は、終戦の御聖断を守り、戦争終結から戦後の日本再建への道を拓いた軍人です。兵庫県に生まれたこの二人の軍人に感謝し、その功績を私たちの世代はもちろん、次の世代にも伝えていかなければならないとの思いを強くしました。