不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和19年-空襲時の電話制限

2008年05月31日 05時55分30秒 | Weblog
 ここに、昭和19年(1944)7月18日の日付の社郵便局名のビラがあります。内容は「空襲時に於ける通話の制限に関する件」で、空襲時には重要な電話を優先するため、一般の通話を制限するというものです。
 戦後生まれの私は、戦争、空襲などといった体験はもちろんありません。映像で見たり、こういった史料を通して知るほかありません。このブログで戦時下の地域史料を紹介しているのもそうした意味からです。


昭和十九年七月十八日
           社郵便局
加入者 各位
其他一般各位
    
  空襲時等に於ける通話の制限に関する件

空襲時等に於ける通話に関しては重要通話の優先疎通確保を図る為め左記各号の制限を加ふることとなりましたから予め御承知下さい

      記

一、空襲警報発令中及同解除一時間内ハ防空業務及之ニ伴フ警備業務ノ遂行上必要ナル通話及軍官公署其ノ他戦力増強上緊要ナルモノノ為ス重要通話並ニ一般私用通話ニシテ急患其ノ他特ニ緊急ナルモノニ限リ之ヲ認ムルコトトシ其ノ他ノ私用通話ハ禁止ス

二、空襲アリタル場合ニハ空襲警報解除後五時間前項ノ例ニ依リ私用通話ノ禁止ヲ為ス尚此ノ場合必要ナルトキハ禁止時間ノ延伸ヲ為ス

三、前二項ノ場合ニ於テ其ノ通話制限ニ違反スルモノアルトキハ戦時特例第十三条ノ規定ニ依リ厳重ニ相当長期(六月以内)ノ通話停止ヲ実施ス

四、前各項ニ拘ラス空襲時等ニ於テ通話混乱シ防空上必要ナル通話ノ疎通確保困難ナルトキハ軍官公署其ノ他戦力増強上又ハ防空、警備上緊要ナル加入者ヲ除キ関係加入回線ヲ切断スル等必要ナル機械的又ハ其ノ他ノ措置ヲ講ズ

右の通り制限さるることとなりました尚之が訓練のため今後毎月大詔奉戴日を以て定例訓練日と定め

 毎月八日自午前十時至午前十時半三十分間自午後七時至午後八時一時間

訓練を実施いたします訓練中に於ても違反したる場合は厳重に通話停止をされますから御含み置きの上御協力を願ひます
◇(電話室其の他適当の場所に御掲示置き下さい)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和18年-隣組のお知らせ②米生産確保補給金

2008年05月30日 05時39分07秒 | Weblog
 昨日に続いて、昭和18年(1943)の「常会協議事項綴」(社部落常会長)の11月常会徹底事項のあとに綴じられている「隣組のお知らせ」のうち、残りの米穀生産確保補給金、自家保有米の取扱い、地主の小作米収納の項を紹介します。


三、米穀生産確保補給金に就て
本年度産米にして自作者が管理米として供出する場合に小作者が管理米並に小作料として納付するものに対し一石につき十五円五十銭を政府より生産確保補給金として交付されます。 而しこの補給金は食糧管理事務取扱員の承認を要しますので必ず生産検査を受けたものでなければなりません。
所で問題なのは偶々其の自作者が地主を兼ねてゐる場合に補給金の交付せられたる小作米を供出して更に補給金を取得することは絶対に出来ないことは勿論ですがこの小作米を保有米に充てて自作の米を管理米として供出したるときは之に対し当然補給金の交付さるる如く解されますが食糧管理局長よりの通牒によりましても補給金を利得のために小作米より保有米を取得するは戦時下特に自粛する様申越されていますからお互ひ時局を考へかくる行ひをせないように努めて戴きたい。

四、自家保有米の取扱に就て
 戦時下特に緊迫せる食糧事情に鑑み自家保有米麦の取扱方が次の様に定められましたから間違いのないよう注意して下さい。
1.農家中特別の事情(例へば一定期間県内(出稼等)に依り自家保有米麦を本町外へ持出さんとする者に原則としては認めないのですが止むを得ない場合は其の必要量につき町農会及警察署の証明を貰はないと持出すことが出来ません。
尚証明を為したる農会からは持出先の市町村長に対し此の旨必ず通知し同一人にして二重配給にならぬ様手配することになつてゐます。
又申出人の数量は自家有米麦の所有者であって保有米の適当な数量でなければなりません。
2.自家保有米麦(加工品を含む)と云へども収受又は贈与は絶対に認められません。

五。地主にして小作米収納について
 米を耕作せない地主又は耕作はしているが自作米のみにて自家保有米が不足する地主は小作米を収納するのに付町農会の承認が入りますから小作米を貰つて保有米に充ててゐる方は左の事項を留意して農会へ申出下さい。
期日は十一月十五日迄で用紙は町農会に準備してありますから御利用下さい。
尚十一月十五日迄に申出なきときは不用と認め夫れ以後は絶対に認めません。
1.小作米の収納は自己の区内の耕作者にして同一人より収納すること若し同一人にて足らざるときは次の者尚不足の場合は順次他の者に到ること
而して同一人一同の者にて充たし得ざる場合は次の区へこの範囲とする様努めること。
2.一部地主にして自作米の不足分を小作米により収納し之を補ふ場合前に準じられたい此の際自作米数量の残米が収納小作米となる訳ですから御承知置下さい。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和18年-隣組のお知らせ①戦争保険

2008年05月29日 05時31分26秒 | Weblog
 昭和18年(1943)の「常会協議事項綴」(社部落常会長)の11月常会徹底事項のあとに「隣組のお知らせ」が綴じられています。その内容は、戦争保険の加入、郵便年金の普及、米穀生産確保補給金、自家保有米の取扱い、地主の小作米収納などです。
 今日は「戦争保険」、「郵便年金の普及」を紹介します。本土空襲に備えて戦争保険の加入を、また、恩給、学資の他に戦力増強にも役立っているとして郵便年金への加入を勧めています。


一、戦争保険の加入
戦争のため蒙つた損害に対しては政府の補償の下に各保険会社で「戦争保険」を取扱つて居ります。敵機の本土来襲は必至です。今すぐ人にも物にもこの保険を付けませう。
「人に対する保険」はどの保険会社でも取扱ひ五千円まで付けられます。
種類は二つあつて甲種は国内で蒙つた死傷に対する保険で保険料は一年間千円につき三円の割合です。乙種は国内は勿論外国で蒙つた死傷に対する保険で一年間千円につき十円の割合です。尚戦地の兵隊さんや海上で働いてゐる人、外国に居る人などは乙種を付ける必要があります。
「財産に付ける保険」はどの火災保険会社でも取扱ひ保険料は六ヶ月間千円について二円の割合で住宅、家財、工場、商品の区別はありません。
現在火災保険の付けてある物は同じ会社に付いてない物はどの会社に申し込んでも差支へないのです。尚普通の火災保険では戦争で蒙つた損害に対しては保険金は支払はれません。

二、郵便年金の普及
十一月には郵便年金の普及協調運動が行はれます。
本年度の貯蓄目標二百七十億をちかつて突破し米英撃滅に邁進するためこの際こぞつて郵便年金に加入しませう。
郵便年金は恩給や学資のはたらきをする制度でその掛金は国債の消化をはじめ戦力の増強に動員されてゐます。したがつて郵便年金に加入することは国の今日の急に役立つばかりでなく将来の生活をかためる大きな力を持つてゐます。

                             つづく
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和12年-缶詰用牡牛の供出

2008年05月24日 06時16分35秒 | Weblog
 社区事務所(現在の加東市社の区域)諸通達綴の中に社町長から各区長に宛てて、缶詰用の牛の供出に関する通知が綴じられています。半強制的に牡牛の徴発を実施するので飼育者に通知するようという内容です。いわゆる日中戦争が起こり、戦線が拡大していく状況下、こうしたこともあったんですね。
 通知は次の通りです。


昭和拾弐年拾壱月拾七日
         社町長  大橋實次

各区長殿

 缶詰用牡牛供出ニ関スル件

今時支那事変ノ拡大ニ伴ヒ缶詰用牡牛ノ需要莫大ナル数量ニ達シ本県ニテモ宇品陸軍糧秣支廠長ヨリ半強制的ニ割当徴発シツツアルニ付這般第一回本郡徴発ニ際シ種々紛議ヲ生ジ甚ダ遺憾ノ極ミニ存候因ツテ今後牡牛飼育者ニテ牡牛ノ移動ヲナスニ当リテハ町役場ノ許可ヲ得タル後行ワレ度尚徴発ニ当リテハ県当局ヨリハ指名徴発ニテ行ワレルニ付徴発ニ当リテハ進ンデ応ジ得ル様飼育者ニ対シ予メ御承知置願ヒ度此段及通知候也


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和12年のラジオ体操案内

2008年05月23日 05時41分33秒 | Weblog
 平成18年12月11日のこの歴史ブログで、「70年前のラジオ体操」の案内チラシを紹介しましたが、今日は、その前年の昭和12年夏のラジオ体操の案内チラシを紹介します。このチラシは「自昭和十一年一月 至昭和十三年三月 諸通達綴 社区事務所」に綴じられているものです。ただし、日付も主催者名も書いてありません。前後の文書の日付から昭和12年7月末に印刷されたものであると考えられます。
 ラジオ体操も単なる健康づくりのためではなく、お国に尽くす健康づくりという意義づけがあったようです。夏休みは8月1日からだったのでしょう。そういえば、私自身の小学校時代も夏休みは8月1日から約30日間だったんじゃなかったかなあ。盆までの2週間、6時から持宝院大師堂の前でラヂオ体操をやっていたんですね。
 「老松町」という町名が懐かしいですね。今でも加東市社の市街地1区あたりでは老松町の呼名が使われています。ちなみにこの歴史ブログの最初の記事が「老松町」の地名の由来についての話ですので、参考にして下さい。
 チラシは次の通りです。



   御 勧 メ

保健奉国ヲ標語ニ左記要項ニヨリラヂオ体
操ノ会ヲ催シマス。老若男女ヲ問ハズ皆様ノ御参
加ヲ歓迎シマス。

一、期間  八月一日ヨリ二週間、毎朝六時始メ
一、場所  社老松町大師堂境内
一、会費  ナシ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和11年-伝染病予防の注意

2008年05月22日 04時55分28秒 | Weblog
 中国四川省を襲った大地震は甚大な被害が出ています。日本の国際緊急援助隊の活動に中国人から感謝の声もあがっているようです。しかし、家を失うなどして避難している人は500万に及ぶという報道も出ています。兵庫県の人口に迫る多くの人の住居や食糧、そして何よりも衛生問題がこれからの大きな問題になってくるでしょう。
 既に避難所を消毒している映像もながれていました。テロップには赤痢や腸チフスなどという伝染病の名前も出ています。
 ここに昭和11年(1936)の秋の伝染病予防に関する資料があります。

社通一第二三五〇号ノ一
  昭和十一年十月五日
        社 町 役 場

各区長殿
  伝染病予防注意書配布ノ件

本年度秋季清潔法実施中ニテ夫々衛生施設ニ就テ御手配中ノ事ト存シ候モ今秋(十月二十九日)ハ殊ニ観艦式ヲ阪神沖ニ挙行セラルル期ヲ控ヘ居リ候ニ付衛生上尚一層町一般ノ自警的予防思想ヲ喚起スル為別紙注意書送付致候条至急各戸ニ御配布ノ上一層是ガ予防ノ徹底ヲ期セラレ度此段御以来申上候


伝染病予防ノ為メ各家庭ヘノ御注意

本県ノ伝染病ハ比較的多ク年々七千名以上ニ達シ内赤痢、腸チフスノ如キ消化器系伝染病ハ五千四百余名ニ及ンデ居ル状況デアリマス。
殊ニ本秋ハ観艦式ヲ控ヘ万一伝染病ノ流行デモアリマシテハ眞ニ恐懼ニ堪ヘナイ次第デアリマスカラ各家庭デハ相互ニ注意警戒シ大要左ノ予防事項ヲ実行シテ伝染病ノ防遏ニ努メマセウ。

一、消化器伝染病ハ飲食物ト共ニ口カラ進入スルノデアリマスカラ次ノ諸点ニ注意シマセウ。
(1)食物ニ蠅ノタカラヌヤウ蠅帖、細目ノ金網戸棚等ヲ利用スルコト
(2)未熟ノ果物ヤ変敗等疑ハシキ物ハ喰ベナイヤウニ、又暴飲暴食ヲ慎ミ胃腸ヲ害セナイヤウニスルコト
(3)成ル可ク近所同志ノ喰ベ物ノ取リ遣リヲセナイコト
(4)家ノ内外ヲ清潔ニシテ下水ノ排水ヲ良クシ日当リヤ風通シヲ良クスルコト
(5)塵箱ヲニハ常ニ覆蓋ヲシ、蠅ヤ蚊ノ発生シ易イ場所ニハ石油乳剤ヲ撒布シテ蠅、蚊ノ発生ヲ防グコト
(6)便所ハ常ニ清潔ニシ時々消毒剤ヲ撒布スルコト
(7)フトン其他寝具類ハ時々日光消毒スルコト
(8)寝冷ヲセヌヤウ腹巻ヲ忘レナイコト
(9)井水ハ必ス沸シテカラ飲用ニ使フコト
(10)伝染病患者ノアル家トノ往来ヲ避ケルコト、止ムヲ得ズ出入シタ時ハ手指ヲアルコールデ消毒シ衣類ハ日光ニ充分曝スコト
(11)病名ノ不明ナ病人ヲ見舞ツタリシタ時ハ患家デ飲食ヲセナイコト、帰ツタラ手指ノ消毒ヲスルコト
(12)不明ノ熱病患者又ハ下痢患者アル家ニ於テハ速ニ医師ノ診断ヲ受クルハ勿論、患者及其他不潔物ニ触レタ手ハ其ノ都度消毒スルコト
   汚物ハ熱湯消毒又ハ焼却ニ付スルコト、又患者ノ食器類ハ熱湯ニテ消毒スルコト
(13)予防注射ヲ受ケルカ内服ワクチンヲ服用シテオイテ万一ノ場合ニモ罹病ヲ免ガレルヤウニスルコト
二、痘瘡予防ニハ種痘ヲ受ケテ置クコトガ一番安全デス
   大阪市ニハ目下天然痘ガ流行シテヰマス、此ノ病毒ハ先般尼崎市ニモ侵入シマシタカラ種痘ヲシテカラ既ニ三年以上モ経ツテ居ル人ハ是非種痘ヲ受ケテオクコトガ肝要デス

                  兵 庫 県
                  社町役場
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和11年の防空演習

2008年05月21日 06時02分20秒 | Weblog
 昭和11年(1936)9月実施の防空演習に関する文書が社区事務所(今の加東市社の区域)の諸通達綴に綴られています。
 昭和11年といえば、2月に2.26事件が起きています。また、翌12年には北京郊外で蘆溝橋事件が起き、日中両軍が衝突しています。そのような軍事的緊張が高まる情勢の下で防空演習が行われたのでしょう。今の日本では防災訓練はあっても防空訓練はありません。通達文書から約70年前の空気が感じられます。


至急
昭和十一年九月十九日
          社町防護団長
各区長殿

  防空演習統監諭告一般ニ周知方ノ件

別紙ノ通リ県統監諭告一般ニ周知方御取計相成度此段及依頼候也


(別紙は次の通りです)


防空演習ニ際シ県民ニ告ク
     防空演習兵庫県統監
       兵庫県知事  岡田周造

防衛司令部ノ設想ニ基ケバ某国トノ重大事件ハ平和的解決遂ニ絶望ニ陥リ国交今ヤ全ク危殆ニ瀕シツヽアリ
不幸実力行使ノ端ヲ啓クニ至ランカ敵機空襲ヘ必然ノ勢力ニシテ其ノ期機測リ知ルベカラズ
此ノ秋ニ方リ国民的ヨリ我カ忠勇ナル皇軍ノ措置ニ信頼スベシト雖相率ヰテ益々国民精神ヲ振作シ協力一体国土防衛ニ万全ノ方途ヲ講シ時ニ臨ミテ徒ニ焦燥狼狽スルナク克ク規律統制ノ下ニ沈着ニシテ神速ナル行動ヲ起シテ空襲防護ニ任シ以テ国民防衛ノ実ヲ挙グルニ万遺憾ナキヲ期セラルベシ


至急
昭和十一年九月十九日
        社町防護団長
各区長殿
    防空演習ニ関スル件

一、「ラヂオ」ニヨル警報
当地方ノ「ラヂオ」ハ大部分大阪放送局(BK)ヨリノモノヲ聴取セラルルト察セラルルニ付大阪放送局ハ阪神地区(第四師管)ノ警報ナルニ依リ「ラヂオ」ニヨル警報受領セザル様貴区内「ラヂオ」聴取者ニ伝達相成度及通牒候
 追而 第十師管姫路地区ハ岡山放送局(KK)ヨリ警報発令セラルルモ聴取シ難キ点アル由

ニ、防空演習 姫路防衛司令部ヨリノ本演習想定
別紙ノ通リ姫路防衛司令部本演習想定送付致候ニ付同想定一般ニ周知方御取計相成度及依頼候


昭和十一年防空演習
       姫路防衛司令部

本演習想定

一、国境紛争ニ端ヲ発シ今春以来繋争中ナリシ某国トノ国交ハ九月中旬ニ入リ益々険悪ヲ加ヘツツアリシガ二十日払暁遂ニ決裂シ午前八時日本全土ニ防空下令セラル

二、第十師管防衛司令部ハ二十日午前八時三十分
  左ノ告諭ヲ発セリ
1.情報ニヨル敵ハ今払暁スデニ其ノ飛行隊ニ出動ヲ命セルモノノ如ク師管内ハ数時間ヲ出デズシテ敵機ノ空襲ヲウクルノ状況ニアリ
2.師管内官民ハ一致協力準備訓練ノ成果ヲ発揚シ沈着事ニ従ヒ国土防空ノタメ万全ヲ期セラレンコトヲ望ム


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和9年-国民精神作興の講演会

2008年05月20日 06時10分08秒 | Weblog
 昭和9年(1934)、社町長から各区長宛てに「地方講演会開催」の通知が発せられています。当時の日本は満州事変の勃発(昭和6)、満州国建国(昭和7)、国際連盟脱退(昭和8)、五・一五事件(昭和7)など国内外で重大な事件が続いています。そのような中での講演会の開催です。主催は神職会、会場は加東郡公会堂(現明治館)、講師は國學院大學教授の河野省三博士となっています。


(講演会案内ビラ)

地方講演会開催趣旨

我国現下ノ情勢ハ内憂外患交々臻リ真ニ非常時日本ノ言ニ背カス重大時局ニ直面セリ殊ニ精神界ノ動向ハ甚シク混乱ヲ呈シ国体ト相容レサル思想言動ノ跳梁スルハ痛嘆ニ堪ヘサル所ナリ、主催者是ノ時局ニ鑑ミル所アリ惟神ノ大道ヲ講明シ国体観念ヲ明徴ニシ以テ国民精神ノ作興ニ資センガ為メ左記場所ニ於テ講演会ヲ開催セントス奮テ参聴セラレムコトヲ

昭和九年八月

 主催 兵庫県神職会 
    加東郡神職会
 後援 兵庫県

地方講演会開催要項

一、本講演会ハ非常時ニ際会シ建国ノ精神ヲ宣揚シ国民精神ノ作興ヲ図ルヲ以テ目的トス
一、日時及会場
 八月十九日 午前九時  加東郡社町 郡公会堂
一、講師及題目
 一、時局と日本精神  國學院大學教授文学博士  河野省三氏
一、一般来聴歓迎
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大正12年-送迎会の案内

2008年05月19日 05時50分50秒 | Weblog
 ここに大正12年(1923)の社区の雑書綴があります。その中に県立社高等女学校の校長の退職、郡制廃止に伴う異動の職員の送迎会の案内状(印刷)があります。
 社高等女学校は、大正11年に小野から社に移転し、県立に移管されて県立社高等女学校になりました。翌年の校長の退職です。
 また、郡制は明治12年(1879)に設けられ、加東郡(今の加東市と小野市域)が置かれ、社に郡役所が設置されていました。その郡制が大正12年に廃止されることになり、これに伴う職員の異動があったのでしょう。



拝啓春色相催候處益々御清穆賀上候陳者社高
等女学校長加藤益次郎氏今回御退職ニ相成リ
後任トシテ伊丹高等女学校長岡部常次郎氏就
任ニ付送迎会開催致度又本郡在職ノ中野正人、
中野貞吉、上馬場実ノ三氏郡制廃止ノ結果本
郡ヲ去ラルヽコトニ相成候ニ付右三氏ノ送別
会ヲモ同時ニ開催致度候ニ付左記御了承ノ上
御賛同被成下度此段得貴意候成

 大正十二年四月七日

   主唱者(イロハ順)
    留 岡 幸 男
    尾 崎 詮 光
    松 井 齊 二
    松 本 兼 蔵
    近 藤 準 吉
    白 石 兵次郎

  左 記

会場  社町公会堂
日時  大正十二年四月十二日午前十一時
会費  弐円(当日御持参ヲ乞フ)

     殿
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大正15年-陸軍の演習②

2008年05月18日 15時10分34秒 | Weblog
 大正15年(1926)、陸軍の秋季演習に関する文書のつづきを紹介します。それにしても、軍隊が演習で宿営するとなると大変だったんですね。野井戸や肥料溜といったものはもうありませんが、中学の頃、嬉野の台地には野井戸があり、赤旗の標識が立てられていました。肥料溜もまだありました。風が吹いて表面を土埃が覆うと周囲と見分けがつかなくなり、月のない夜など酔っぱらいが歩いていて落ちたという話はよくききました。
 

六、宿営地域中井水検査済ミノモノハ見易キ場所ニ其ノ適否ヲ標示シ置カレタシ
七、宿営中其ノ宿舎ニハ煮沸シタル湯茶ヲ準備シテ宿舎給養ノ際其ノ飲食物ハ新鮮ニシテ成ルヘク当日ノ調理ニ係ルモノヲ用ヒラレタシ
八、軍隊宿営中伝染病同疑似病発生セシ場合ハ速ニ部隊付軍医又ハ其他幹部ニ通報セラレタシ
九、演習ノ沿道ニ好意ヲ以テ湯茶ヲ供給スル如ク斡旋セラレタシ此ノ場合湯茶ハ煮沸水ニシテ其ノ容器ニ蓋ヲ附シ湯茶(馬飲料ト区別)ト明記シ柄杓ト共ニ成ルヘク漏斗ヲ牽付ケラレタシ
一〇、田野ニ於ケル野井戸及肥料溜ニハ縄張若クハ蓋ヲ施シ白布ニテ標識セラレタシ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大正15年-陸軍の演習①

2008年05月17日 09時45分36秒 | Weblog
 大正15年(1926)の秋、陸軍の秋季演習が行われ、社町に司令部が宿泊することに決まり、この件に関する文書を紹介します。伝染病対策に配慮する細かい事前の指示があったことがよく分かります。
 ※文中に「癩病」がありましたが、歴史的な文書中に使用されていますので、そのまま掲載しました。
 

 秋季演習ニ関シ第四師団ヨリ希望事項ノ件

本年度秋季演習ハ本月六日ヨリ十八日ニ至ル第四師団演習地ト相成殊ニ十三日十四日ノ二日間ハ社町ニ指令部(統監部)ノ宿泊スル事ト相成候ニ付テハ当地ハ演習地トシテ重要地点ニ有之候ハバ左記事項御承知相成度候也

 左記

一、本年十月以降伝染病患者発生町村大字ニ於テハ沿道見易キ所ニ「十月以降何病何名現在何名」ト立札ヲ以テ標セラレタシ(無キ場合ハ其ノ旨ヲ)
二、現在伝セイン病同擬似病発生セル又ハ其附近ヲ貫流セル水流アル時ハ「此ノ川上流何村ニ何病発生」ト立札ヲ以テ標示セラレタシ
三、本年十月以降伝染病患者発生セシ家屋ニハ赤札ヲ貼リ明示セラレタシ
四、軍隊ノ宿舎ニハ本年十月以降伝染病患者アリタル家及結核癩病並其疑アル患者ノ民家(伝染病発生家屋ト同一飲料水ヲ使用セル民家モ同様)ニ充テカルハ勿論此等ノ所有ニ係ル寝具類ニモ軍隊ノ用ニ供セサル様セラレタシ
五、軍隊宿営予定地ニハ一般清潔法ヲ施シ寝具類ハ予メ日光ニ曝干シ置カレタシ

               つづく
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和18年-「空の防人」への感謝資金募集

2008年05月16日 05時53分10秒 | Weblog
 昭和18年(1943)、社町長から各区長宛てに「防空監視隊員感謝資金募集ニ関スル件」と題した文書が発せられています。空襲に備えて、国土の山間海辺に「空の防人」として監視をしていた防空監視隊員がいたということを知りました。


昭和18年6月26日
           社町長  合田常蔵
各区長殿

 「防空監視隊員感謝資金募集ニ関スル件」

 今回大阪毎日東京日々両新聞社並大日本防空協会共同ノ下ニ別紙要項ニ依リ首題資金ヲ募集致スコトト相成候ニ付テハ仝要項並左記事項御了知ノ上之ガ庶幾ノ目的達成方ニ関シ引続キ格別ノ御協力相煩度及依頼候也

       記
一、資金募集ニ関シテハ内務省ト協議済ナルコト
二、資金取扱ノタメ要スル経費ハ募金ヲ以テ之ニ充ツルコトナク他ノ一般経費ヲ以テ処弁セラレタキコト(期日終了後精算書添付請求ノコト)
三、募金ハ一円以上トナリ居ルモ一円未満ト雖モ申込アリタルトキハ之ヲ受領セラルルコト
四、募金ハ直接社警察署ヘ持参セシメラルル様セラレ度

      要項

 趣 旨

開戦以来皇軍ノ輝カシキ戦果ノ下ニ敵空軍ノ拠点相次デ崩壊シ一億国民ハ未ダ敵機ノ空襲ラシキモノ真ニ経験シタコトナク生業ニ励ムコトヲ得テ居ルガ此際忘ルルヲ得ザルハ国土防衛ノ最前線ニ日夜黙々ト勤務スル防空監視隊員ノ労苦デアル防空監視哨ハ性質上概方山間海辺ノ僻地ニ配置サレ此等防空戦士ハ幾多ノ困苦欠乏ニ堪ヘ酷寒雨雪ヲ冒シテ敵一機ノ潜入モ迯サント全身眼トナリ耳トナツテ空ノ防備ヲ固メテ居ル一億国民ニ代ツテ国土ヲ護ル此ノ「空ノ防人」ノ重キ任務ヲ偲ヒ感謝激励スルハ銃後奉公ノ一トイワネバナラヌ仍テ一般国民ヨリ之ガ感謝資金ヲ募リ国土防衛ノ重要性ヲ認識セシメ監視隊員感謝慰問ノ一端トナサントス

 目 的

国民自発的醵出ニ係ル本資金ヲ以テ防空監視隊員後援ノ費用ニ充テントス

一 募集金額       円
一 期間    昭和十八年六月三十日迄
一 感謝状   内務大臣名感謝状
一 区域    全国
一 資金経理  内務大臣ノ指示ニヨリ大日本防空協会ニ於テ之ヲ行フ
一 費途
(イ)防空監視隊員ノ勤務ニ必要ナル物品ニシテ官給ヲ得ザル物品ノ支給
(ロ)防空監視隊員ノ錬成ニ必要ナル器具ノ支給
(ハ)防空監視隊員ニ対スル各種慰安物品ノ支給
(ニ)防空監視隊員ノ修養ニ必要ナル図書等ノ支給
(ホ)其ノ他防空監視隊員ノ能率勤務ヲ向上セシムルタメノ費途




 
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和19年-桐も兵器だ②

2008年05月15日 05時40分52秒 | Weblog
 昨日に続いて、「桐材ニモ赤襷」と題した昭和19年2月のビラの内容を紹介します。
 桐材が軍事用として、とりわけ航空機用材として使われ、木製航空機がつくられようとしていたんですね。実際にはどうだったのかを調べてみなければと思います。また、桐材が箪笥材として使われていることは知っていましたが、金庫の内壁に使われていたことも思い出しました。桐を植えて、用材として使えるようになるまでは数年ですむということが書いてありますが、戦争はそこまで長続きしなかったんですね。
 

 つづき

◎桐苗木ノ斡旋及植付時季
 春植トシテハ三月上旬ヨリ四月ノ末日迄ガ植付ノ最モ適シタ時季デアリマシテ、生長ガ非常ニ早イノデアリマスカラ各家庭ニ於カレテハ庭先ヤ屋敷廻リ、工場、学校、デハ其ノ周囲トカ運動場ニ周囲トカ僅カナ空地ヲ利用シテ植付ケテ下サイ。
 苗木ハ当組合直営及委託苗圃ニ於テ育成シタルモノヲ多量ニ用意ヲ致シテ有リマスカラ是非桐モ兵器ト言フ事ヲ認識サレマシテ一戸当リ少ナクトモ五本ハ植付テ下サイ。
 世上一般ニハ桐ガ下駄、箪笥材トシテ最モ優レテ居ル事ハ常識トナツテ居ルモ、例ヘバ何故ニ桐ガ金庫ノ内面ニ必ズ利用サレテイルカヲ知ラヌ人モ多イ。桐ノ最大特質ハ耐火、耐水ニ強力デアリ軽クテ狂ヒガ尠ナク、膠着力モ他ノ木材ニ数倍スル之等ノ特質ガ兵器トシテ重要視サレルハ勿論デアル。他面桐ハ苗木カラ五年モスレバ立派ニ成長シ、雪国ニ於テモ十年位デ優良ナル板ガ得ラレルガ、針葉樹ガ数十年ヲ要シ『ブナ』材ガ百年以上セネバ積層材トシテ役立タヌノト比較スレバ、桐ハ今植エテ数年後ニハ航空機用材トシテ鬼畜米英ノ頭上ニ勇飛スルノデアル。

◎桐樹増殖ノ奨励
 斯ノ如キ貴重性ヲ有スル桐モ近年ハ農作物ノ増産ニ支障アリトシテ各地ニ於テ除去サレ伐採サレテ居ルガ、桐ハ大体農家デ植栽サレテ居ルモノデ、例ヘバ麦畑ニ間作サレタモノデ、麦ガ収穫期ニ達スル五月中旬ニ、初メテ桐ガ芽ヲ出シ始メル、而シテ麦ノ跡作ノ豆ヤ野菜ハ桐ノ葉ガ十分ニ広ガラヌ八月カラ九月上旬ニ既ニ収穫サレテ居ルノデ、コノ成長期ノ相違ニヨツテ食糧増産ニ阻害ヲ来タサナイ。而モ尚今後ノ桐ノ増殖ニハ農地以外ノ空閑地、特ニ公共ノ場所ノ日遮防空ノ最適材トシテ大イニ植栽ヲ奨励スル外植林地トシテハ山間ニ於ケル杉ノ造林ト混淆シテ桐ヲ仕立テルト杉ノ幼木ノ害ヲ為サズシテ杉ノ間伐期迄ニ桐ハ二回ノ伐採ガ出来ルノデアル。

苗木代  一本  二十九銭
         二十三銭
運賃ハ 買主 負担
御申込ハ御地役場内ノ森林組合ヲ経テ

 兵庫県桐材統制組合
   神戸市兵庫区切戸町五五八
   電話 兵庫三二九番
 兵庫県桐材統制組合植林部出張所
   兵庫県朝来郡生野町駅前
   電話 一二番

 昭和十九年二月
  主  日本桐材協会
     兵庫県桐材統制組合
  後援 兵庫県経済部林務課
     兵庫県森林組合聯合会
     大政翼賛会兵庫県支部

 各位
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和19年-桐も兵器だ①

2008年05月14日 05時30分40秒 | Weblog
桐材にも赤襷

 昭和19年(1944)2月、日本桐材協会、兵庫県桐材統制組合が桐増産をよびかけるビラを出しています。
 「桐材にも赤襷」「桐も兵器だ」という見出しが目にとびこんできます。「桐が兵器?」桐はタンスなどに使われるのは知っていましたが、兵器とどういう関係があるのかと思いながらビラを読んでみました。ビラには「木製航空機」という言葉が出てきます。ビラを掲載します。


桐モ兵器ダ!!

木製航空機ノ飛躍的増産ニ伴ヒ、桐材モ全面的ニ応召ノ命ヲ奉ジタ。本議会ニ於ケル東条首相ノ率直ナル表明ノ如ク戦争ハ正ニ最後ノ死闘ニ於テ頑張り抜イタ側ノ勝利ニ帰スル。
昼夜ノ別ナキ決戦下、一日モ早ク一機デモ多ク仇敵米英撃滅ノ第一戦ニ我優秀ナル木製航空機ヲ送ラウ。

◎軍ノ要請ニ答ヘヨ
全国桐材生産業者ハ農商相ノ斡旋ト、主導機関タル日本桐材協会主催ノ下ニ本年一月十五日帝国ホテルニ於テ軍需用桐材ノ供出ニ関シ、陸海軍、軍需省ノ各係官ト膝ヲ交ヘテ懇談ヲ重ネ、席上軍需省航空兵器総局一井小佐殿ハ率直ニ今後一ヶ年ノ軍需用桐材ノ所要量○○万石ナル予想ナリト表明サレタノデアルガ、コノ石数コソハ内地桐材生産量ノ過半数ニ当ルモノデ、軍ハ桐材ヲ以テ飛行機ノ○○型材ヲ始メ、内部装置ニ使用スル外、一般将兵ノ水筒ノ枠ニ至ル迄桐ガ利用サレル事ガ明カトナツタ。
此ノ外食糧増産漁網用浮子ニ使用サレマス

◎軍ハ桐ノ増産ヲ後援ス
軍需省一井少佐殿ハ前記懇談席上『此ノ際農商省ハ通帳ヲ出シテ各県長官ニ対シ桐ハ航空機用材トシテ使用セラレルノ旨ヲ明示シ減産途上ニアル桐樹ノ増殖ハ勿論、地方ノ指導機関ニ対シテモ桐ノ重要性ヲ認識セシムベク、之ニ対シテハ軍需省モ後援ノ用意アリ』ト明言サレ、農商省モ桐樹ニ対シテ近ク方針ヲ明示サレル意向デアルガ此ノ際桐ニ対スル従来ノ認識ニ百八十度ノ転換ヲ斎ラシ、航空機用材トシテノ桐樹ノ供献木運動ニ迄展開シテ始メテ銃後国民ノ決戦ヘト成果ヲ挙ゲ得ルモノデアル。

重ネテ言フ 桐モ兵器ダ! 増産ダ!

                 つづく 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和18年-食糧戦必勝運動②

2008年05月13日 06時13分45秒 | Weblog
 昨日に続いて、昭和18年(1943)に実施された兵庫県食糧戦必勝運動について紹介します。
 「戦場生活実践申合事項」では、、「自分さえよければ」「金さえ儲かれば」よいといった考え方を止めようという項目も入っています。こうした自己中心的、金儲け第一の考え方は、敵英米のものであるということですが、現在の日本はまさにそうした状況そのものになっているように思えます。
 

つづき

二、供出の励行
 生産シタル食糧モ供出セザレバ生産セラレザルニ等シキモノデアル故現下ノ食糧事情ヲ充分認識シ食糧ノ供出ニ努ムルコト

三、消費ノ規正
 一般消費者ハ現下ノ食糧事情ト戦時下ニ於ケル生産ノ極メテ困難ナルコトヲ熟知シ一面食糧ニ対スル報恩感謝並尊重ノ念ヲ昂揚スルト共ニ他面混食ソノ他凡ユル方法ニ依リ出来得ル限リ消費節約ヲナス様ニ種々ノ方法ヲ採ルコト

第二、戦場生活実践申合事項
一、瑞穂ノ国民ナル有難サヲ泌々思ヒ戦時下命ノ糧タル食糧ニ対シテ常ニ感謝ノ誠ヲ捧ゲマセウ
二、「自分サヘヨケレバ」「金サヘ儲カレバ」ト言フ様ナ米英流ノ物ノ考ヘ方ハ止メマセウ
三、食糧品ニ関スル一切ノ不正行為ハ勿論統制ヲ乱ス買出シヲ行ツタリ応ジタリスルコトハ止メマセウ
四、藷、稗、玉蜀黍等出来ルダケ混ゼテ食ベル様ニシテ米ノ節約ヲ図リマセウ
五、河川敷、空地、荒地、庭等ヲ出来ルダケ利用シテ稗、粟、蕎麦、玉蜀黍、野菜等ヲ植ヱマセウ
六、開墾ヤ水路、農道等ノ改修ノ為ニ農村ニ対シテ出来ルダケ勤労奉仕ヲ致シマセウ
七、閑水面ヲ利用シテ淡水魚ヲ出来ルダケ飼ヒマセウ
八、米麦、雑穀、藷類、野菜等穫レタモノハ出来ルダケオ国ノ為ニ供出シマセウ
九、色々ナ集マリニハ出来ルダケ弁当持デ出カケマセウ
十、塵灰ヲ出来ルダケ集メテ農産物ノオ役ニ立テマセウ
十一、オ台所ヲ預ツテ居ル御婦人方ニ対シテハ少イ食料デモ辛抱シテ出来ルダケウマクヤリ繰リスル様ニ特ニオ願ヒ致シマセウ
十二、各自ガ出来ルダケ野菜ヲ貯ヘタリ乾燥シタリシテ品枯レ時ニ備ヘマセウ

右申合事項ニ基イテ其ノ町内会、ニ於テ適切ナル申合事項ヲ決メ実践セラレ度シ

 昭和十八年一月

 隣保回覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする