ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

社の朝-大池、忠魂碑、佐保神社、大師殿

2015年12月31日 05時18分22秒 | Weblog
  

  

 30日(水)の朝も日の出の少し前に朝のウォーキングに出ました。この1年もあと二日となりましたが、今年もよく歩きました。季節のよって歩く時間は変わりますが、四季それぞれの景色を楽しみながら、40、50分歩きます。
 定番は、自宅から社中央公園、松尾大池、忠魂碑、佐保神社、大師殿をめぐる40分ほどのコースです。
 公園の金屋谷池の堤からは、眼下に市街地、遠くは五峰山はじめ加西や多可の山々、青野原の地平線や小野の山も見渡せます。環状線を歩いて下ると松尾大池にさしかかります。静かな池面に映える夜明け前の景色が荘厳です。そして、忠魂碑のある明治館広場へと階段を上ります。忠魂碑に参り、佐保神社への参道を歩きます。大けやきが季節の訪れをいち早く伝えてくれます。参拝をして若宮、新池へと歩きます。新池では関西電力社営業所の鉄塔が池面に映り込み、まるで天と地を貫く軸のようにも見えます。そして、最後は持寶院大師殿に参ります。日本一の弘法大師様の木像に対面し静かに手を合わせると心が落ち着きます。
 この一年も朝のスタートをこのウォーキングで切らせていただきました。今朝の風景も素晴らしいものでした。写真で紹介します。大池、佐保神社、忠魂碑、大師殿です。
 大晦日には、大師殿のある持寶院で除夜の鐘をついてぜんざいをいただき、佐保神社に初詣。一年の締めくくりです。
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冬の朝-鉢の氷と空に鉄塔

2015年12月30日 05時35分56秒 | Weblog
  

 29日(火)の朝、よく冷えた冬の朝でした。庭のハスの鉢の水が氷っていました。今年の冬、初めて見た氷ではないでしょうか。
 愛犬さつきを連れて裏の駐車場に出ると、霜が降りて枯れ草の葉は白く氷っていました。空を見上げると、雲一つないまぶしいばかりの青い空が広がっていました。
関西電力社営業所の社屋の屋上に立っている鉄塔を見上げると、青い空を小さく光る飛行機が飛んでいます。そして、下の方には月が白く光っていました。
 冬の朝の凛とした空気を感じました。
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上鴨川の道標-横断歩道の両側に

2015年12月29日 06時37分29秒 | Weblog
 



 昨日、加東市上鴨川の鴨川起点の標識を紹介しましたが、その小さな橋を渡って上鴨川の集落の東、国道372号線と交差する所に出ると、横断歩道のこちら側と向こう側に道標が立っていました。向こう側の民家の玄関先に建てられている背の高い道標は、大きな文字が深々と刻んであるのでよく目立ちます。以前にこの歴史ブログでも紹介したことがありますが、字の一部がもう深彫りで、隣の面の字とつながってしまって穴があいているほどです。表面には下のように刻まされいました。
 「左 京 いせ ふるいち ささやま」「右 きよ水 三田 大阪」「左 ほつけ山 や志ろ たきの」
 この立派な道標の建立は大正3年(1914)です。この交差点辺りは国道ができる前には民家があったと地元の方から教えていただきました。

 さて、こちら側の道標は交差点近く山裾にコンクリートで囲われた一画に数本の石造の像や碑が安置されており、見てみると、その中に道標もありました。表面は風化して字は読みづらくなっていますが、上部に仏像、下部の左には「左 ほつけ・・」とかすかに読めました。建立は文政時代のようです。背の低い石碑もありましたが、よく判りませんでした。

 この交差点には横断歩道が付けられており、地区の小学生数人が通学のために渡っています。しかし、国道は長い坂道の上、迫る山際にそって曲がっているためにトラック便などがスピードをあげて走っていると急には止まれない危険な横断歩道となっています。急ブレーキをかけていることもしばしばだということです。かつては静かな巡礼道、街道の分かれ道だったのでしょう。今は京都丹波方面と播磨を結ぶ重要な幹線ルートになっています。20年前の阪神淡路大震災では迂回ルートになりそれ以降交通量が増えたといわれています。
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鴨川の起点標識-加東市上鴨川

2015年12月28日 04時49分28秒 | Weblog
          

 加東市上鴨川、中心部の集落の中の旧道を通っていると、小さな橋にさしかかりました。橋の手前右手に一本の標識が建てられています。石のように見えますが、コンクリートのようです。
 「兵庫県」「一級河川 鴨川起点」という文字が刻まれていました。目の前の小さな川が鴨川の上流で、この地点が起点になっているということです。よく通る道で、この標識も見ていましたが、あらためて紹介します。
 鴨川は上鴨川の集落のさらに上流の貯水池から流れ出て、上鴨川、下鴨川を流れて、東条湖に注いでいます。東条湖は鴨川に造られたダムによってできたダム湖です。鴨川ダムができる前は土井の集落を流れ、黒谷、古家から東条川に合流していました。東条川は兵庫県最長の一級河川である加古川の支流です。鴨川はその支流です。
 道路の起点となる道路元標は道路沿いに建てられているので目にすることがありますが、河川の起点を間近かに見ることができて何か嬉しくなりました。
 
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分かれ道-明治館前広場への橋、坂道、階段

2015年12月27日 05時04分19秒 | Weblog
        

          

 朝のウォーキングで歩いているコースで、加東市社の市街地の外周となっている社環状線(国道旧372号)を時計回りに歩きます。そして、県道(旧国道175号)との松尾交差点の手前、稲岡材木店の西にある細い小径に入り、ほんのしばらく歩くと、写真の景色の場所に出ます。
 市街地の南を流れる下川、この川に架かる橋、その向こうに明治館前の広場に上がる石段と縁をまわって市街地へと上っていく坂道が見えます。
 56段の石段を上ると、そこには忠魂碑と明治館のある広場に出ます。この石段は江戸時代に造られたもので、明治初期にはこの広場にあった「八城学校」(社小学校の前身)の瀟洒な校舎があり、子供はこの石段を上って登校したということです。
 手前の橋は今はどこにでもありそうな橋ですが、かつては石組みの「神橋」とよばれる橋だったのです。この道は佐保神社への参道にあたり、神橋を渡り、石段をのぼって、佐保神社へとつながる参詣の道だったということです。
 坂道は広場のある台地面へと崖の縁を曲がりながら上る道で、市街地を南北に貫く通りへと繋がっています。
 下川は「しもかわ」と読みます。社の町の南(下)を流れるので下川と言われていますが、「白川」(しろかわ)が訛ったものという説も聞きました。「白川」の名の由来は、三草山合戦で平家を討った源義経の軍が社まで追ってきて陣を張った折りに兵士がこの川で米をといだために白く濁ったことから付いたというものです。この説の方がロマンがあっていいと思っています。
 早朝のウォーキングではまだ世の中が動き始める前の静寂があります。時間を超越した時間帯がそこに現出することもあり、いろいろなことを思い浮かべながら歩いています。
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社小の児童から手紙-ふるさと学習

2015年12月26日 04時44分49秒 | Weblog
  

 今日、自宅に社小学校の児童から手紙が届きました。封筒の中には担任の先生の手紙が添えられていました。総合的な学習の時間で「ふるさと社」の学習を行ったときに、この歴史ブログを見て調べるきっかけにしたり、参考にしたということでそのお礼状でした。
 秋に開催された社小の「ごりょうが丘フェスティバル」で学習発表を行っていたことを思い出しました。また、先日の赤穂義士祭では観音寺で見学に来ているところでも出会いました。自分の目と足でふるさとの歴史を調べることは大切な学習です。大人になっても興味が尽きません。昨日お越しになった高齢者大学の歴史グループの皆さんも旺盛な探究心をお持ちでした。
 身近な郷土の歴史を調べるのは楽しい、おもしろいと思うことが大切なことだと思います。児童の手紙の中にも、「社はすごい所だなあと思いました」、「近いところにとてもすごい物があるとは思いませんでした」といった言葉がありました。この思いがさらなる探究心の基になるのだと思います。
 これからも「ふるさと加東の歴史再発見」のブログを書き続けますので参考にしていただければ幸いです。写真はごりょうが丘フェスティバルでの発表のようすを撮したものです。
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明治館(元加東郡公会堂)前の坂道-大正10年の騒ぎ

2015年12月25日 05時20分37秒 | Weblog
 24日(木)の早朝、路面はまだ濡れていましたが、気温は高く、水蒸気が立ち上って風景はうっすら白くかすんでいました。

 加東市社の市街地の中央を南北に貫く道を歩いていくと、南端の明治館の前辺りで下り坂になっています。市街地が加古川の河岸段丘の台地面になっているため社の街は坂道があるのが特徴です。

 さて、写真の右手は明治館、すなわち元の加東郡公会堂です。明治45年の建築で堂々たる建築物です。白壁の塀は昭和時代に行われた改修の際に造られたものですが、大正時代の郡制時代には、加東郡議会がこの公会堂で行われており、加東郡(元加東市と小野市域)の政治の中心でもありました。

 大正10年(1921)、加東郡議会では女学校の移転問題が話し合われていました。県立に移管された小野実科高等女学校を社町(旧)に移転することになり、この協定をめぐって南部(小野町)、北部(社町)の間で紛糾し、臨時郡会が開かれる郡公会堂辺りは多くの住民が集まるなどして不穏な事態となっていました。非常事態に備えて多くの警察官が出動したと伝えられています。

 坂道にさしかかり、そんな百年近く前の歴史をふと思い浮かべてしまいました。
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赤穂義士の寺観音寺-「薦誠碑」建立協力者の碑

2015年12月24日 04時46分59秒 | Weblog
 赤穂義士の寺として知られる加東市家原の観音寺境内にある四十七士の菩提所の入口の脇に大きな石碑があります。碑の表面には漢文が刻まれています。これが「薦誠碑」です。
 赤穂義士の150回忌にあたる弘化4年(1858)、赤穂藩ゆかりの観音寺の境内に浅野内匠頭、四十七士の墓碑が建立されました。この「薦誠碑」の碑文は、建立のために寄付を募った善龍院の僧、明範の依頼で、赤穂藩の分家である家原浅野氏の当主、浅野長祚(あさのながよし)が書いたものです。
 碑文には四十七士の墓碑建立の経緯、明範の呼びかけで、義士を偲びその忠義を讃える人々の寄付によって建立されたことなどが書かれています。難しくて読解できませんが、解説によるとそういうことだそうです。

 その「薦誠碑」の隣に碑が建てられています(写真)。「薦誠碑」建立の協力者の碑です。表面の字は読みづらくなっていますが、下部の方には、村名が刻まれているのがはっきり読めます。鳥居村、梶原村、喜田村、田中村、垂水村、貝原村、家原村、中村。垂水村は現在の加東市西垂水、中村は加東市上中のことです。
 地域の歴史を伝える大切な石碑です。一度じっくり見て下さい。
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今年最後の登校見守りーろうばいと霧の中

2015年12月23日 05時40分10秒 | Weblog
 

          

 22日(火)の朝、いつものように自宅近くの通学路の交差点で登校見守りに立ちました。この通学路は「学校道」と呼ばれ、加東市社の旧い通りである田町通りから社小学校に通じる道です。市街地の子供達が通学班の列をつくって今朝も元気に登校していきました。
 今日は2学期の終業式が行われます。これで今年の登校見守りも終わりです。次は来年1月7日の朝です。
 今朝は霧が出て、交差点の角の家のろうばいの黄色い花とスイセンの白い花が子供達を見守っているようでした。一緒に見守りに立っている方の愛犬2匹もこれでしばらく会えません。子供達はこの犬にタッチしながら通っていきます。まさにワンタッチです。
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夜明けの山氏神社

2015年12月22日 05時40分49秒 | Weblog
 19日(土)の早朝、ウォーキングで加東市社の商店街を歩いていると、山氏神社への参道にさしかかりました。ちょうど東の空が昇る朝日に映えて明るくなり、参道の奧の本殿や鳥居、そして、手前のムクの大木の太い幹と小枝が影絵のように見えました。

 この山氏神社は佐保神社の東の位置にあり、本殿が西向きになっています。廣野屋の屋号をもつ肥田一統の神社とされ、今も祀りを行っておられます。境内には源義経お手植えの松があり、その歴史の古さを今に伝えています。
 境内を横切って東浦に出ようとあるいていると、同じウォーキング風の男性が拝殿で手を合わせて祈っている姿を見ました。
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今上陛下ご降誕記念の国旗掲揚柱-社交番隣

2015年12月21日 05時53分43秒 | Weblog
 もうすぐ12月23日の天皇誕生日を迎えます。今上陛下は昭和8年(1933)12月23日にお生まれになりました。昭和天皇には、4人の皇女がありましたが、皇位を継がれる男のお子様、すなわち皇太子が誕生されたことで、全国各地で喜びの声があがったそうです。

 当時の社町でも町長から各区長宛てに次のような通知が出されています。

「本日午前6時39分 皇太子殿下御誕生遊サレ候ニ付国旗掲揚祝意ヲ表セラレ度謹ミテ御通知申上候」

 12月29日には、、継宮明仁と御命名された皇太子殿下御命名式祝賀会が社小学校の校庭で開かれています。小学校の生徒、職員、全町民各戸一名、各種団体が参列し、遙拝式、祝賀会、旗行列、花火などの催しが盛大に行われたようです。そして、大人にはお酒が、子どもにはキャラメルが配らています。

 さて、写真は加東市社の社中央公園内の加東警察署社交番のある学園道路の交差点(嬉野口)近くにある植え込みの中に建てられている石柱です。20日早朝のウォーキングの際に撮影したものです。
 石柱には「皇太子殿下御降誕記念」、「昭和九年五月二十七日」「社支部建之」と刻んであります。交差点が改良される以前は、確か、池の堤に建てられていたと思うのですが、道路が改修され、公園が整備された際に築山の植え込みに移築、保存されたものだと思います。

 実はこの石柱は、国旗掲揚柱の根元の支柱なのです。当時の青年団社支部の団員らが皇太子のご誕生を祝って建てたものです。青年団長だった父の日記にそのことが書かれています。資金不足で建立が遅くなっていることを気にしている記述もありました。

 今上陛下は今年満82歳におなりになります。昭和64年(平成元年、1989年)に125代天皇に即位されました。父等青年が皇太子のご誕生をお祝いし、この国と郷土の弥栄を祈って建てた国旗掲揚柱の支柱石を見るたびに、その熱い思いを偲びます。もうすぐ天皇誕生日です。国旗を掲げてお祝いし、この石柱も見て下さい。 


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健やかな成長を祈願-佐保神社で

2015年12月20日 06時43分18秒 | Weblog
               

 19日(土)、佐保神社(加東市社)に孫の七五三のお参りをし、産土の神様に孫の健やかな成長を祈願しました。家内の母親も一緒にお参りし、4代が揃いました。
 天気もよく、家族揃っての記念写真も撮ってもらいました。
 この歴史ブログでは、昭和10年代の戦争に関係した祈願祭、奉告祭の文書をよく紹介してきました。また、秋祭りの写真や記事もよく投稿してきましたが、こうして平和な時代に氏神様に家族揃ってお参りできることにあらためて感謝の気持ちが湧いてきます。朝のウォーキングでも参拝していますが、神社と人生、ふるさとの町は深く強く結びついています。
 
 
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暖冬の加東-清掃奉仕と柿の花

2015年12月19日 05時47分35秒 | Weblog
  

 17日(木)の昼頃、加東市藤田の市道で県立社高校の女子生徒らが袋を持って道路のゴミ拾いをしているのが目に入りました。2学期末の清掃奉仕活動なのでしょう。
 この市道は藤田地区から嬉野台地へと続く旧い道。私も社中学校、社高校の生徒だった頃は、走ったり、うさぎとびをしたりした通称「心臓破りの坂」のある道です。夏には坂道のあたりの林に入り、クワガタ、カブトムシ捕りに来たものです。ふと、そんな思い出がよみがえってきました。

 18日(金)の午前、加東市新定の山道を車で走っていると、前方に朱色の花が満開の木が目に飛び込んできました。花のように見えたのは柿の実です。秋にこのブログで紹介した柿の木ですが、周囲の木々が葉を落としたあとも柿の実だけがまるで花のようについていました。人間も鳥も食べないこの柿の実。雪が降ったらまた見に来ようと思ってしまいました。
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12月14日観音寺-義士祭に川柳掲示

2015年12月18日 04時42分50秒 | Weblog
 12月14日(月)、赤穂義士祭が行われた加東市家原の観音寺境内に川柳やしろの皆さんの川柳が掲示され、お参りに訪れた人が焚き火にあたりながら楽しみました。作品をいくつか紹介します。

 テレビ切る何できるのと女房起き   三郎
 老眼鏡かけても読めぬ説明書     聖也
 へそくりの思い出せないかくし場所  まさ子
 国対抗錯覚しそう大相撲       俊昭
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山国原田池の朝

2015年12月17日 19時51分22秒 | Weblog
 17日(金)、朝7時過ぎに加東市山国の県道を走っていると、東の空に明るい光りが広がりました。
 車を原田池の方面に走らせ、池の堤で昇る朝日を眺めました。今朝は冷たい空気が地上に下りてきて、池面には湯気が立ちのぼっていました。
 この原田池は標高約100メートル。この堤から見る夕日は絶景です。この歴史ブログでもよく紹介してきました。今日は朝日です。実に広々として、池面には光る雲が映っていました。ため池が見せてくれる嬉野台地の雄大な自然の光景です。
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