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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和10年-社町の財政説明

2013年05月31日 05時37分20秒 | Weblog
 昭和10年(1935)当時の社町(現在の加東市立社小学校区)の財政について、社町長から区長に対しての説明が綴じられています。小学校の改築のために緊縮予算を組んだことが述べられており、また、前年に奉安殿や平安橋などが造られたことも分かります。学校の校舎改築は町を挙げての一大事業だったんですね。写真は新築間もない頃の社小学校本館です。



昭和十年一月十七日
            社 町 長

区 長 殿

昭和十年度社町歳入歳出予算町会ヲ一月十五日開会原案通決定相成候条内容御通知申上候

昭和十年度歳入歳出予算ハ明年ヨリ小学校改築工事ニ着手スルタメ総テニ亘ツテ緊縮主義ヲ採リ積立金ヲ四千五百参拾円、基本財産造成費ヲ七百弐拾六円、基本財産積戻金ヲ壱千五百参拾弐円合計六千七百九拾壱円ヲ後年ニ残シ前年度ニ比シ繰越金過年度収入ノ見積リニ於テ壱千弐百弐ノ過少計上ヲナシ以テ町財政ノ堅実ヲ加フルコトニ努メタリ尚小学校ノ改築ハ之レヲ四期ニ区分シ要スレバ起債ヲ為サズ徐々ニ其ノ目的ヲ達シ町民ノ負担過重ヲ極力避クルコトトセリ
十年度一般付加税並ニ戸数割課税ハ九年度同様トナシタリ(本郡ノ最低)
九年度ニ於テ裁判所判事官舎新築(三、四八〇円)、平安橋(五、五〇〇円)、町道改修二線(五〇〇円)、奉安殿(二、五〇〇円)、郡団体事務所其他ノ新、改築等ノ行ハレタルタメ町財政ノ内容御心配ヲカケタルモ事実ニ於テ前年ニ比シ繰越金ノ増加ヲ来ス予定ニテ返ツテ強固ニナリツツアリ(町会ニ於テモ右ノ報告ヲ致シマシタ)
右ノ次第ニテ御陰ヲ以テ次第ニ安因ヲ加ヘ居候条此段御安堵相成度尚一層ノ御援助ノ程願上候
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昭和10年-産業組合の映画会

2013年05月30日 04時58分07秒 | Weblog
 昭和9年~10年(1934~1935)にかけての社町社区事務所の往復文書綴の中に、社信用購買販売利用組合が主催する映画会の区長宛ての案内が綴じられています。
 社信用購買販売利用組合が産業組合の宣伝と組合員の慰安を兼ねて映画会を開催するもので、会場は元加東郡公会堂(現加東市明治館)とされています。ビラも綴じられています。

 昭和拾年四月拾三日
        社信用購買販売利用組合

社区長
 宮野太吉 殿

拝啓百花爛漫の候益々御清祥の条奉賀候
陳者産業組合趣意宣伝と組合員慰安を兼ね
本日拾七日午後七時より社町元郡公会堂に於て活
動写真会相催すべく候に付ては御繁用中御面倒相
掛け甚恐縮に存□貴区内各位に御伝達可成
多数御観覧ヒ下様御配意相煩し度特に御願ひ
申上候

 追て配布用宣伝ビラノ用意無之候ニ付可然方法にて宜敷
 御願いひ申上候

産業組合 映画会

  場所 社町元郡公会堂

  日時 四月拾七日午后七時

       社信用組合
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昭和20年-社警防団の決算報告

2013年05月29日 05時25分18秒 | Weblog
 昭和20年(1945)の2月、加東郡社町社(現加東市社)の警防団が社区長に対して19年度の決算報告を提出し、欠損額の補助を請求しています。その決算書が昭和十六年以後の各種報告書綴に綴じられていました。社警防団第一分団長の署名は父、藤本豊治の名がありました。


 昭和十九年度(自一月一日至十二月卅一日)決算書
                  社警防団第一分団

 収入之部

前年度繰越金        二百二十四 三弐
出初式祝金(本団ヨリ)         五 〇〇
出席手当( 〃 )            四 二〇
社区補助金(前年度追加)      八〇 〇〇
  〃  (本年度分)        四〇〇 〇〇
寄附金                  三〇 〇〇
 収入合計 金七百四拾参円五拾弐銭也

 支出之部

昭和十八年度団員手当       四弐 〇〇
昭和十八年度団員表彰費      四〇 〇〇
出初式祝金               七三 〇〇
慶弔費                  三一 〇〇
議品費(腰掛其他)           五八 八二
退職記念品料              五〇 〇〇
警鐘台建設費              三三 三〇
勤労奉仕補助費(リヤカー台)    三〇 〇〇
修繕費                 四一七 五五
 〃                     三 弐五
燃料費                  三三 八一
出動費                  八四 四二
消耗品費                  二 五四
雑費                    一五 一〇
 支出合計 金九百四拾四円七拾九銭也
右差引
 金壱百七拾壱円弐拾七銭也 本年度欠損金

       請求書
一金壱百七拾壱円弐拾七銭也
 昭和十九年度ニ於テ右決算書ノ通リ欠損相成候条御補助相成度此度請求候也

 昭和二十年二月十五日
         社警防団第一分団
          分団長  藤本豊治

社区区長
 神崎壽景 殿
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昭和6年-加東市社の持寶院で新年奉祷会

2013年05月28日 05時08分58秒 | Weblog
 昭和6年(1931)の新年、聖壽万歳と国家安泰を祈願する真言宗の法会が持寶院(加東市社)で行われています。その案内状が当時の社区長の雑書綴に綴じられています。葉書より少し大きい用紙に活字印刷されています。写真は持寶院大師殿です。

謹テ新年ノ御慶芽出度奉賀候
陳バ来ル本月十一日午後一時社町持寶院ニ於テ奉祷会ヲ修行シ
聖壽ノ万歳ト国家ノ安泰ヲ祈願シ奉リ聖恩ノ万一ニ奉答致度候付テハ御繰合ノ上御参拝被成下共ニ御祈念願上度候   敬具

追テ右法要ハ彼京都東寺灌頂院ニ於ケル後七日御修法(御衣加持ノ勅会)ノ中日ヲトシ去ル明治四十五年以来毎年当播磨支所下各郡交番ニテ厳修致シ来リ奉リ本年ハ加東郡ノ当番ニ相成居候

 昭和六年一月五日

   主催  真言宗播磨宗務支所
   当番  加東郡真言宗寺院
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昭和5年-駿豆地方震災への義捐金

2013年05月27日 04時53分20秒 | Weblog
 昭和5年(1930)11月26日、駿豆(すんず)地方に大地震が発生しています。北伊豆大地震でマグニチュード7.3という大きな地震だったようです。
 この被災地への義援金が兵庫県で取り扱われており、当時の社町役場で受け付けています。その通知文を紹介します。

 社通一第二四四一号ノ一
   昭和五年十一月二十九日
                 社 町 長
各区長殿

 駿豆地方震災義援金取扱ニ関スル件

今回伊豆三島地方ヲ中心トシテ静岡、神奈川県下ヲ襲ヒタル大地震ニ就テハ新聞紙上ニ於テ既ニ御了知ノ事ト存候処其ノ被害ハ掃討甚大ナル状況ニ有之本県ハ先年北但地方震災ニ際シ同地方ヨリモ多大ノ同情ヲ寄セラレタル特別関係モ有之候条本県ニ於テハ掃討救援ニ努ムル事ト相成不取扱敢義援金ノ取扱致シ候条左記各項御含ミノ上可然御取扱相煩シ度此段及通知候也

   記

一、義捐金ハ本町役場ニ於テ受附取纏メ可致候間十二月迠ニ御送金ノコト

一、物品ハ可成取扱ハサルコト

一、義捐金ノ処分方法ハ県ニ一任ノコト
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昭和5年-社町農会が漬物講習会

2013年05月26日 05時09分55秒 | Weblog
 今から83年前の昭和5年の12月、社町農会の主催で漬物講習会が開催されています。会場は社小学校、講師は徳島県の漬物組合の組合長が招かれています。当時の社区長の雑書綴に綴じられている通知を紹介します。

社農第一五九号
       昭和五年十二月十七日
                       社町農会

区長殿

  漬物講習会開催ノ件

左記要項ニヨリ漬物講習ヲ開催致可候条御勧誘相成度特ニ家事調理ニ属スル事ニ候間是非貴部内婦人会、処女会等ヘ周知方御取計相成度此段御依頼候也

  記

一、開催日時場所
    十二月十九日午前九時
    社町小学校

一、講師 徳島県漬物組合長

一、講習 漬物(大根)ノ漬方実習
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昭和5年-神戸沖に天皇陛下行幸で国旗掲揚

2013年05月25日 04時37分44秒 | Weblog
 昭和5年(1930)、社町長から各区長に宛てて、国旗掲揚に関する通知が出されています。
 これは当時の社町社区長の雑書綴に綴じられているもので、神戸沖で行われる海軍の特別大演習後の観艦式を天皇陛下が御親閲になることから、その期間、社町社の各戸に国旗を掲揚するようにという内容の通知です。
 

 昭和五年十月二十日
              社 町 長

各区長 殿

 国旗掲揚ニ関スル件通知

首題ノ件ニ関シ其ノ筋ヨリ左記ノ通リ通牒有之候ニ付キ当日ハ各戸ニ国旗掲揚相成様御伝達相成度
天皇陛下海軍特別大演習御統裁後観艦式御親閲ノ為神戸沖ニ行幸被為在候ニ付テハ本月二十二日二十五日及二十六日ノ三日間各戸ニ国旗掲揚相成様致度此段及通牒候也
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昭和13年-支那事変一周年のビラ

2013年05月24日 04時35分59秒 | Weblog
 昭和13年(1938)7月7日、社町では支那事変勃発一周年を記念する事業が実施されました。この歴史ブログでも平成20年にその内容を紹介しましたが、当時の地区文書綴に綴じられていたビラの写真とともに再度紹介します。当時配布されたビラに印刷された日の丸、尽忠報国などの赤い色が鮮やかです。

 尽忠報国

 支那事変勃発一周年記念事業社町実施要綱

一、趣 旨
 来る七月七日は支那事変勃発一周年に当り聖戦の意義及時局の重大性を更に深く認識し銃後の熱誠堅忍持久の精神を増進し且物心両方面の総動員態勢を具現し以て挙国一致時艱克服に邁進するの決意を益々昂揚すると共に戦没将兵の英霊に対し感謝をなし併せて出征将兵の労苦を偲ばむとす

二、当日は早朝より国旗を掲げて下さい

三、祈願祭並に追悼祭 黙 祷
 七月七日午前七時より社町元郡公会堂社町忠魂碑前に於て皇軍武運長久祈願並に戦死者の追悼祭を開催致しますから可成多数御参拝下さい(尚正午太鼓を以て合図を致しますから自己の職場居所で一分間の黙祷を捧げて下さい)

四、慰問(町に於て計画を実施す)

五、一菜主義を励行して下さい
 当日は質実剛健勤倹力行を主眼とし衣食住に之を実践する事特に各家庭各勤務先に於は一菜主義を励行し以て出征将兵の労苦を偲び併せて困苦欠乏に堪ふる訓練を行ふこと
尚当日は旅館、料理店、食堂に於ても一菜主義による特別献立を行ふこと

六、一戸一品金物類廃物献納
 消費節約資源愛護の国民訓練として当日家庭内の廃物中特に左記金物類中一品を選び之を献納して下さい
1.献納品目
(イ)鉄類
 古釘、ブリキ缶、金属製玩具、鉄棒片、其の他鉄屑
(ロ)銅、黄銅(真鍮)亜鉛
 古銅錫、古銅鋼、銅又は黄銅製火箸、銅線、黄銅金具片、其の他
(ハ)鉛
 鉛管片、鉛製玩具、其の他
(ニ)錫
 錫箔、錫製チューブ、ブリキ鑵、其の他
(ホ)アルミニユーム
 古弁当箱、古アルミニユーム鍋、アルミニユーム製匙又は箸、アルミニユーム箔(煙草の銀紙)アルミニユーム製チューブ(歯磨容器)其の他
2.注意
(イ)献納品は家庭内の廃品を以て充て特に之がため物品を購入は絶対せないこと
(ロ)献納品の量は各戸の自由とす
(ハ)献納品は今回は金物類のみとし「ボロ」等の消毒を要するものは取扱はず
3.蒐集
 七月七碑午前九時迄に献納品を取纏めて置かれ度(国防婦人会員は之を慫慂す)
 午前九時頃より青年団員が集めに行きますから献納品をお渡し願ひます

                      社町役場
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昭和5年-郡公会堂で農業経営講演会

2013年05月23日 04時35分37秒 | Weblog
 昭和5年(1930)、元加東郡公会堂(現明治館)で社町農会主催の農業経営講演会が開催されています。講師は県の農会技師と実践農家で、その案内通知が当時の社町社区(現加東市社)の雑書綴に綴じられています。(写真は昭和10年代の元郡公会堂)

社農第一三一号
     昭和五年九月二十八日
                 社町農会

区長殿

   農業経営講演会開催ニ関スル件

標記ニ関シ来ル二十九日午前九時ヨリ元郡公会堂ニ於テ本県農会技師石原次郎氏及び農林省農業経営改善指定農家 松本種吉氏ノ講演アリ貴内熱心家多数出席セシメラレ度ク候様御勧誘相成度候也
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数奇な運命の道標-田町法蓮寺

2013年05月22日 04時47分47秒 | Weblog
 朝のウォーキングで通る社の田町(たまち)通りの東の端に法蓮寺があります。その境内の一角に「左 きよみず」「右 ほつけ山」と刻まれた大きな道標が立っています。道標の裏にはこれを建てた人物の名と、これを発見し再建したその子孫の名が刻まれています。
 まず建立者は「施主 甲州 肥谷井角右衛門」と太い字で刻まれています。遠く山梨県の人です。そして、もう一面には、「昭和十六年四月八日発見」「同年十月廿五日再建」と発見、再建の年月日が刻まれ、その下部に「山梨県西都留郡西桂村小沼 肥谷井 遠孫 渡邊顕二 母 たけ」と地名と名前が刻まれています。この道標についてはこの歴史ブログで何度か紹介してきましたが、この道標が辿った数奇な運命をあらためて紹介しましょう。
 
 
 今から200年ほど前、甲州(今の山梨県)の絹問屋の肥谷井角右衛門(ひやい・かくえもん)さんが商売のために西国を巡った帰りに、社の清水寺の辺りで道に迷い、寒さと疲労のために倒れてしまいました。幸い、そこを通りがかった大名行列に助けられ一命をとりとめることができました。角右衛門さんは、この経験から、旅人のために播州の街道に10本の道標を建てました。そのうちの一本がこの道標なのです。
 昭和になって、角右衛門さんの子孫が、先祖が播磨に道標を立てたという伝承の真偽を確かめるために社に来られ、肥田文旅館(現在の商店街駐車場イベント広場にあった)に泊まりました。その話を聞いた米屋を営んでいた上月泰治郎さんは、かつて本町通りに立っていた道標がそれにあたると思いましたが、その道標は社の街の拡大と交通の発展で邪魔になり、あちこちに移されたり売られたり、また買い戻されたりして、行方が転々としていました。そして、果ては佐保神社の境内の林の中に倒されていたのでした。
 上月さんはその子孫と出会い、昭和16年に京都への街道筋にあたる田町の法蓮寺の境内に再建したのです。その後、昭和40年代に、清水寺の麓で同じ形式の道標が見つかり、これも10本のうちの一本だということが分かりました。
 法蓮寺の道標には以上のようなエピソードがあったのです。これは、今は亡き上月輝夫先生(郷土史研究家)から教えていただいた話です。
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昭和3年-海軍入団、陸軍退営通知

2013年05月21日 04時46分03秒 | Weblog
 昭和3年(1928)の11月末、郷土から海軍に入団する兵の告別式と陸軍を退営する兵の歓迎の通知が社町長から各区長に出されています。毎朝ウォーキングの途中に参拝している佐保神社では、戦前はこうして郷土から出動したり帰還した際に奉告の儀式が行われていたんですね。
 この通知は、当時の社町社の「雑書綴」に綴じられているもので、文面は次の通りです。

  通 知

海軍兵入団告別式ノ件
一、日時 十一月二十九日午前八時
一、場所 於佐保神社
一、入団兵 家原 大久保隆  梶原 宮田宗夫 弐名

陸軍兵退営歓迎ノ件
一、日時 十一月三十日午後一時三十五分社駅着
一、場所 於社駅ヨリ佐保神社迠
一、退営兵 社 吉田徳一  山国 宮野秀雄 弐名

右入団兵及退営兵之有誠ニ御多忙中ニワ候ヘ共御繰合セノ上御出席被下サレタク候
右御通知申上候

昭和三年十一月三十七日

          社町長  松本兼蔵

各区長 殿
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昭和3年-郡公会堂で肥料講演会開催

2013年05月20日 04時37分59秒 | Weblog
 そろそろ田植えが始まります。すでに田圃は水を入れる準備が整い、池には水が溜められています。社農会では今週末に溝普請が行われます。
 さて、今から85年前の昭和3年(1928)の5月18日、元加東郡公会堂(現加東市明治館)で、肥料研究会主催の肥料講演会が開催され、講師に元農商務省の技師が招聘されています。当時の社区(現加東市社)の雑書綴に社町農会から発せられた案内が綴じられています。


社農第七九号
 昭和三年五月十六日  社町農会

各区長殿

 肥料講演会開催ニ関スル件

来ル十八日(明後日)正午ヨリ元郡公会堂ニ於テ本邦肥料学ノ大家元農商務省技師鈴木千代吉先生ヲ聘シ肥料研究会主催ノ下ニ土壌学及肥料学ニ関シ講演会開催相成候右ハ稲作ヲ目前ニ控ヘ最モ有意義ナルモノト被存候ニ付キ一般当業者ハ勿論青年団消防組員、在郷軍人等周知セシメ多数聴講候様御配意相煩度此段及通知候也
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昭和3年-9月1日「酒なし日」の通知

2013年05月19日 04時51分42秒 | Weblog
 「加東市で日本酒で乾杯条例の制定」が新聞に掲載され話題になっています。酒米の王様、山田錦の生産地である加東市で日本酒の需要を高めていこうという趣旨だそうですが、日本食が世界で高い評価を得ているなか、日本酒の輸出も増えており、減る一方の国内消費を伸ばしていこうとする取り組みに期待したいと思います。
 さて、「昭和参年四月 雑書綴 社町社」(1928)の中に「酒なし日」の取り組みの通知が綴じられていますので紹介します。これは禁酒運動ですから冒頭の話題とは反対ですが、関東大震災による犠牲者の慰霊といった意味で、震災後、9月1日に「酒なし日」を実施して禁酒運動の拡大が行われていたようです。禁酒運動そのものは明治時代から行われていたということですが、震災記念日に合わせて一斉に呼びかけられたようです。
 通知は次の通りです。


 社通第一七八四号ノ一
  昭和三年八月二十八日
               社 町 長

各区長殿

 九月一日(酒ナシ日)挙行ニ関スル件

九月一日ハ関東大震災ノ記念日ニ相当シ財団法人国民禁酒同盟会ニ於テハ当日ヲ期シ酒ナシ日ヲ実施スルコトヽ相成候趣其筋ヨリ通牒ノ次第モ有之候ニ付貴職ニ於テ適切ナル方法ニ依リ之カ普及徹底ヲ期スル様御配意相煩度
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大ケヤキの生命力漲る-佐保神社

2013年05月18日 05時02分29秒 | Weblog
 佐保神社(加東市社)の瑞神門の前の大ケヤキは日一日緑を増しています。この大ケヤキは樹齢数百年と伝えられていますが、昨年瑞神門の修復工事のために高い枝が伐られました。しかし、その枝から勢いよく新しい枝が伸び、葉を生い茂らせようとしています。季節を感じるのが早いケヤキですが、今頃はその緑の葉に生命力が漲っており、見上げる者に生命パワーを感じさせてくれます。
 以前は瑞神門の脇にトイレがありましたが、修復工事で撤去され新しい玉垣が造られ景色もすっきりしました。
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若宮神社-佐保神社から北へ

2013年05月17日 05時22分07秒 | Weblog
 朝のウォーキングで佐保神社に参拝したあと、境内を北へ抜けて、神姫バス社営業所を左にみながら市街の若宮町に入っていきます。
 そこには若宮神社があります。佐保神社の御祭神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)の子、天押雲命(あめのおしくものみこと)、その子の天種子命(あめのたねこのみこと)が祀られています。若宮の名前の由来はここにあります。
 この若宮神社の境内の手水石は明治31年(1898)と刻まれています。また、その側に古い石燈籠がありますが、これには「寛政十二年」(1800年)の建立年が刻まれています。水色に塗られた鉄の支柱などで支えられながら、今日もバスで出勤したり登校する生徒を見守っているようです。私も社前で立ち止まり一礼してから持寶院へと向かいます。
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