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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

竹藪の道標の続報ー窪田地区

2019年02月27日 05時46分59秒 | Weblog
 昨年の6月27日(水)にこのブログで紹介した、加東市窪田地区の竹藪の中に道標の続報です。窪田地区内の旧道の分かれ道の竹藪の中にあった道標の根元をさらに掘り下げてみた、という報せがあったのは昨年の11月の頃だったと思います。その後、その時の写真をいただきました。
 最初に見たときには、地上に出ている部分の字しか読めませんでしたが、掘利下げられた写真を見ると、相当深くまで埋まっていたことがわかります。正面には「右 をの□□・・ たかさご□□・・・」しか読めなかったのですが、埋まっていた部分には、「きたざいけ」「あかし」の文字がきざまれていました。右側面の「すぐ 志んま□□・・・」の下に「たか□□」と刻まれていました。
 この道標は、加古川下流の小野、高砂方面と社、大阪方面への分かれ道だったということが分かります。昔のことをご存知の地区の方によれば、この道は旧道で、堤防ができる前は北側を流れる千鳥側の対岸の穂積地区に通じる板橋があり、さらに北野、新町へと通じていたということでした。また、幕末に起こった加古川筋一揆もこの道を下ったのではないか、とのことでした。建立年はわかりませんが、「当村」の文字がきざまれていることから、建立者は窪田地区の人ではないかと思われます。この写真は掘り出した友人からいただいたものですが、貴重な歴史遺産を大切にし、次の世代にしっかり伝えていきたいと思います。
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通学路のスイセン、庭の梅

2019年02月26日 05時57分49秒 | Weblog
 

 朝、自宅近くの社小学校に通じる通称「学校道」の交差点に登校見守りに立っています。角のお宅の庭のスイセンが咲いて、子供達の登下校を見守っているようです。長い間咲いていたロウバイの花が地面に落ちる頃にスイセンが咲き春の到来を実感します。
 わが家の庭の梅の花も明るい春の日射しに白く光っています。平成のはじめの頃、母は亡くなりましたが、その母が寄せ植えしていた鉢から直か植えした梅の木が大きく育って枝の先に花を咲かせています。
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今朝も来たー庭のヒヨドリとジョウビタキ

2019年02月25日 04時25分55秒 | Weblog
 

 24日(日)、今朝も来ました。柿の木にヒヨドリ。じいっと見ていると、ふと小さな鳥がすばやく飛んできて別の枝に止まりました。
 カメラを向けてズームすると、スズメぐらいの大きさで茶色に白が混じったその姿、たしかジョウビタキ。ほんの十数秒止まっていましたが、次の瞬間には飛び去ってしまいました。
 朝は野鳥の時間です。野鳥を見ていると心が休まります。
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今朝も庭にヒヨドリがきました

2019年02月24日 06時24分07秒 | Weblog
 

 23日(土)の朝、曇っていた空から日が射しました。ふと見ると、庭の柿の木に今朝もヒヨドリがきていました。パートナーはどこ?すると、すっと飛ぶ姿が見え、サザンカの木の向こうに止まりました。その顔に日が射して、ここにいる、という感じでした。とにかく、朝は鳥の時間帯です。
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冬の朝の鳥の景色-ハシビロガモ、カラス、ヒヨドリ

2019年02月23日 05時57分49秒 | Weblog
  

 朝のウォーキングや登校見守りでは、活動している鳥をよく見かけます。佐保神社から大師殿へと向かうときに新池の堤を歩きます。水位が下がった池面にカモが数羽浮かんでいます。調べてみると、ハシビロガモでした。色鮮やかなオスと茶色系の地味な色のメスが対になって泳ぎ、水中に首を突っ込んでは動き回っています。朝食タイムでしょう。
 登校見守りに立っているときには、電線や近くの教会の十字架など高いところに止まっている鳥を見かけます。白い十字架の上で見張っているのか黒いカラス。パートナーを待っているのかヒヨドリが電線に止まっていました。
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21日の大師殿

2019年02月22日 05時43分13秒 | Weblog
 21日の朝のウォーキングで、忠魂碑から佐保神社、新池の堤を通って持寶院の境内に入ると、大師殿の建物が正面に。ちょうど住職が大師講の幟を立てておられました。
 そう、今日は弘法大師入定の日、大師講の日でした。多くの参拝者があるのでしょう。朝の時間に一人静に大師像に手を合わせることができました。お話では、遠い道のりを歩いてお参りされる高齢の方も少なくないとのことでした。
 
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霧に浮かぶ明治館と佐保神社瑞神門

2019年02月21日 05時19分44秒 | Weblog
 

 20日(水)の朝、加東市社の街は霧に包まれていました。早朝の街は出勤のために神姫バス社営業所に向かって歩く人、自転車で社中学校や社高校へ登校する生徒と出会います。中学生が「おはようございます」と挨拶をしてくれたので「おはよう」と返しました。
 市街の南端にある明治館(元加東郡公会堂)の堂々とした建物が霧の中にしっとりととけ込んでいました。前広場の奥に忠魂碑があります。
 明治館から北へ続く参道を歩き、佐保神社の瑞神門まで来ると、大石灯籠と隣の旧家の高い塀がやはり霧の中に浮び、清澄な雰囲気に包まれていました。
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残しておきたいふるさと北播磨写真コンテスト-加東の景色

2019年02月20日 04時56分43秒 | Weblog


 16日(土)、県立フラワーセンターで開催された北播磨地域夢会議の会場に「残しておきたいふるさと北播磨写真コンテスト」の入選作が展示されていました。
 どの作品も素晴らしく、あらためて北播磨の自然や文化の豊かさを実感しました。その中で加東の景色をさがしてみると、闘流灘の筧漁のそばに止まるサギ、東福寺の護摩焚き、高室池の水上スキー、上鴨川住吉神社の神事舞、雪の清水寺の石段などの作品が目に止まりました。それらを紹介します。
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雪の山氏神社-命の力感じる

2019年02月19日 05時01分17秒 | Weblog
 加東市社の市街地から東に向かって延びる参道があり、朝のウォーキングでは立ち止まって、参道の奥まったところにある山氏神社(やまうじじんじゃ)に手を合わせて拝礼します。
 冬の朝、東の空が昇る朝日で輝く頃、境内の大木の太い幹と曲がりくねった枝がくっきりと浮かび上がります。過日の雪が降った朝は、その枝に雪が付き、まるで水墨画のようでした。大木はムクノキだと思いますが、雪に耐えて聳える姿に神々しい生命の力を感じました。
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酒米試験地に新しい研修センターが-加東市沢部

2019年02月18日 06時06分26秒 | Weblog
 

 

 今月5日(火)の午後、加東市沢部にある兵庫県農林水産技術総合センター酒米試験地を訪れました。その時のようすは「百聞百見」(私の議員活動ブログ)に報告しましたが、この歴史ブログでも紹介したいと思います。
 現在、同試験地の元作業倉庫があった場所で、酒米研修センター(仮称)の建築工事が急ピッチで行われています。同試験地は、昭和3年に酒造米試験地として設置され、作業倉庫は当時建てられたままのもので、既に90年が経過していたということでした。昨年の台風などで雨漏りなど傷みがひどくなり、県では建て替えをすることになったものです。
 この試験地の初代主任だったのが、藤川禎治さんで、昭和11年の山田錦の誕生の中心的な役割を果たしたことで知られています。品種改良に心血を注いだ藤川さんの手書きのスケッチも保存されていました。
 新しく生まれ変わる建物は、木造2階建てで、1階には広い作業倉庫や研修室、2階には事務室、研究室などが計画されています。オール県産木材が使用され、また和風の屋根には淡路瓦が葺かれる予定です。また、バスが駐車できる広さの駐車場も確保されており、酒造米の研究、栽培方法の研修、酒造メーカーとの共同研究、県民や小中高大学生などの見学、研修など兵庫県が誇る酒米生産について多くの人が訪れ、学ぶことができるセンターに生まれ変わります。完成が楽しみです。写真は建築中の建物と試験地正面にある事務棟の一角に展示されている稲の見本や山田錦契約田の幟、酒瓶などです。
 
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社のおにわ亭-古民家・店舗でにぎわい復活

2019年02月17日 06時42分48秒 | Weblog
 

 16日(土)、先日までの寒さはどこへやら。春を感じさせるぽかぽか陽気の下、加東市社の商店街では、古民家・店舗を活用してマルシェが開かれ、多くの人が訪れました。
 「社のおにわ亭」と題したこの企画はこれで3回目。3回目にしてようやく好天に恵まれた、とスタッフの笑顔。今回は兵庫県150年県民連携事業としても行われ、また、こうづき亭(上月邸)では2階も会場として開放されました。上月邸は昭和初年の頃、陸軍の演習時の宿営で将官の宿泊所となったとも聞いています。
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雪の大師殿と関電タワー

2019年02月15日 04時56分30秒 | Weblog
 

 11日(月)の朝、加東市社の街は、早朝から降り始めた雪で白く化粧しました。ウォーキングで見るいつもの景色もこの日はちがって見えました。
 佐保神社から新池を通って持寶院大師殿へと歩いていると、雪の新池から関電タワーが見え、池面にはカモの姿がありました。大師殿も境内の桜や竹も白く化粧をしまるでモノクロの世界になっていました。滅多に雪が降らないこの地方の珍しい雪景色でした。
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雪の朝の大けやき-佐保神社境内で

2019年02月14日 04時35分07秒 | Weblog
 11日の建国記念の日の朝、早朝に佐保神社に参拝しました。朝方から降り始めた雪で、境内は白くなっていました。その広い境内に立つ大けやきは、枝の先までも雪がつき、その姿は神々しいものでした。雪国とちがって、播州平野では、一冬に雪が積もることは何度もありません。子供の頃から雪が降るとわくわくしたものでした。
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大日ったんが始まる前-雪景色の上久米東光寺

2019年02月13日 05時38分41秒 | Weblog
 

 

 2月11日(月)、加東市上久米の東光寺では、「大日ったん」と親しまれている大日如来祭りが行われました。
 今年は朝から雪が降り、昼頃には止んでいましたが、まだ屋根や田圃に雪が残っていました。祭りは午後から執り行われるのですが、今年は神戸で行われる天皇陛下御在位30年奉祝式典に出席するため、昼頃参拝しました。
 駐車場では地元上久米の消防団員が警備に、また、寺の前の田圃では山伏の皆さんが準備を行っておられました。護摩焚きは午後2時頃から始まり、最後に火渡りをするのが毎年の楽しみなのですが、今年は残念ながらできません。本堂にお参りし、護摩焚きで焚きあげていただくお札に無病息災への願いを書いてお願いしました。
 東光寺の境内の一角に「日露戦役従軍記念碑」が建てられており、23名の氏名が刻まれていました。明治時代に国家の存亡をかけてロシアと戦った戦争にこの上久米村から23名もの兵士が出征されたのだなと思いを馳せました。石碑は大正12年に建立されています。
 東光寺で行われる大日ったんの由来、法会の次第を紹介します。由来は、社町時代の「広報やしろ」第10号(昭和35年3月5日発行)に掲載されているものです

 「郷土の探究」(8)
 社町にも北播三大祭の一つとかぞえられるものに、上久米にある東光寺の恒例祭とされている「大日如来祭」がある。昔から牛馬の守り仏として有名で毎年二月二十八日には播州一円の農家が参拝し、境内せましと思わせる。この日北播一帯の青年有志大相撲が展開されるとともに参道に列をなす植木をはじめ農機具などの多くの露店は、まさに社町のなかでの最大の祭りでもあり、北播三大祭の一つでもある。

 昔はこのように賑やかな祭りだったようですが、現在はかつての賑わいがありませんが、地区の古老によると、護摩焚きの行われる田圃のすぐ下には、米田村役場、小学校、駐在所などがあったことや参道には露店が立ち並び、参詣の人並みが続いたようです。
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雪景色の中で伝統の河高八幡神社厄除け祭り

2019年02月12日 05時45分35秒 | Weblog
  

 2月11日(月)、建国記念の日、紀元節です。この日は玄関に国旗を掲げ奉祝の意を表します。そして、恒例の加東市河高の八幡神社で厄除け祭りが行われました。県立播磨中央公園の中にあるこの八幡さんには毎年参拝していますが、今年は、早朝から降り出した雪の中の祭りになりました。そのようすを紹介します。
 河高八幡神社は、今から約480年余り前の天文4年の創立とされており、「厄除けの霊験頗る顕著」なお宮さんとして知られています。厄除けのお祭りが毎年1月19日に行われ、この日には旧加東郡や加西、多可郡から多くの人が参詣し賑わってきました。近年は2月11日に行われています。
 この厄除祭では、地元出身の成功者や厄年の人たちが神社のある山の頂の祠のある大岩の前でお金(賽銭)や菓子、餅などをまき、それを子どもたちが拾うという行事が行われることでも知られています。
 神社本殿で参拝を済まし、山頂へと続く道を登って居いくと、巨岩の前の広場には法被姿の子供たちが群れて、周囲を家族や消防団員が囲んで眺めていました。
 そこへ袋やお盆に賽銭(硬貨)やお餅、菓子などを持った人たちが現れ、巨岩の上の祠にそれをお供え、拝んだあと、子供の方に向かってまきます。子供たちは歓声をあげながらそれを拾って用意した自分の袋に入れていきます。
 戦後の一時期、女の子も参加したようですが、今は地区の男の子だけが参加できることになっています。この祭りを「奇祭」とよび、子どもがお金を拾うという行為を好ましくないなどという観点から一部の批判があったことは確かで、かつて毎年新聞でそのようなコメントが付けられていました。しかし、このお祭りは厄除けの祭り、伝統文化、地域社会などの観点から見るとそのような表面的な見方だけの批判は的はずれといわざるを得ません。子ども達は拾ったお金を特別なお金として大切に使い方を考えたと聞くきました。また、拾っている姿を見ていると、年長の者が年少の者に配慮しながら拾っている姿もありました。成功した人が地域に感謝の気持ちを示すというこうした姿勢をこの子ども達がまた継承していき、地域の維持発展につながることになると思います。
 今年は雪景色の中での厄除け祭りとなりました。子供たちは寒さも吹き飛ばすように元気に声をあげて拾っていました。本殿脇でいただく恒例だったうどんが今年からラーメンに変わっていました。お世話をされていた地元のレインボークラブから消防団OBの河友会の皆さんへと継承されています。「ぽかぽの湯」の温泉たまごを買って帰りました。 
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