ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

中秋の名月 どこで眺めてもいいお月さんでした

2023年09月30日 04時57分38秒 | Weblog

 

 29日(金)、神戸から加東に戻る頃、東の空低く、ぽっかりと満月が浮かんでいるのが目に入りました。そうだ今日は中秋の名月でした。

 車を止めては、名月を眺めました。上り始めた月は黄色く光り、やがて明るさを増して光り、そして、30日(土)の早朝には、西に傾いて、白く光っていました。東の空低くに明けの明星も輝いていました。

 デジカメやスマホで撮る名月。都市部に住む娘もLINEで写真を送ってきました。今日はよく晴れて、どこにいてもまん丸い中秋の名月を観ることができ、静かに時が過ぎていきました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の宝物ー事務所に栗が届けられました

2023年09月29日 05時28分23秒 | Weblog

 

 神戸から加東に戻り、事務所に立ち寄ると、机の上に栗が置いてありました。この栗は加東市内の三草山の麓にお住まいの方で、毎年、自宅に生った栗を持ってきてくださいます。今年は猛暑で栗の生りがどうかと案じていましたが、いがのついた栗や栗の実を届けてくださったのでした。

 議長、副議長の時にも秋の色ということで、部屋の入口にこの方からいただいたいが栗を飾りました。今年も議運の委員長室に飾りたいと思います。

 写真は、事務所の受付に置いたものです。竹細工と栗。竹細工も支援者の方が作られたものです。秋の色、そして宝物です。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オオカナダモの花が咲いていました

2023年09月28日 04時21分16秒 | Weblog

 

 先週、庭の大甕の水面にちらっと白いものが見えたので、見てみるとオオカナダモの花でした。今年は6月頃に咲きましたが、秋にも咲きます。去年も9月の半ばに咲きました。

 このオオカナダモは3年前に加東市社の南を流れる下川(しもかわ)から採ってきたものです。毎年初夏と秋のはじめに咲きます。可憐な白い小さな花が咲くとなんだか楽しく嬉しい気分になるものです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雄大な夕景-加東市への帰り道

2023年09月27日 04時50分26秒 | Weblog

 神戸市から加東市への帰り道、神戸市北区の山田町のコンビニから見た夕景です。西の山に沈んだ夕日が雲を下から照らして茜色に輝いて見えました。

 山田川を堰き止め、呑吐ダムがつくられ、衝原湖ができました。県道85号線神戸加東線を走り、稲刈りが始まっている山田の中を通り、衝原湖方面を見渡せるところにあるコンビニからの景色です。写真右下の山が切れているところが衝原湖への入口辺りです。この場所からの夕景色が絶景でした。刻々と色が変わっていく夕空を眺めていると、一日の終わりをしみじみと実感します。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の夜に上弦の月 

2023年09月26日 04時57分46秒 | Weblog

 23日の秋分の日の翌日の夜、ふと見上げると、ぽっかりと月が浮かんでいました。半月から、ほんの少し膨らんでいます。

 今月の末には満月になりますが、満月へと少しずつ大きくなっていく月も楽しみです。デジカメを通してみると、月面のクレーターがくっきりと見えます。今、各国が月面着陸をめざしています。少年の頃、アポロ11号が月面に着陸し、人類が初めてその足跡をつけた時の映像と感激は今も忘れられません。アームストロング船長の名も刻み込まれています。

 静かな秋の夜、こうして月をみていると、ふと、宇宙船が横切らないかな、などと期待してしまいます。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山田錦の里・東条の秋景色ー稲穂と彼岸花

2023年09月25日 04時02分38秒 | Weblog

 24日(日)は、まさに秋晴れの一日でした。加東市東条は酒米山田錦の特A地区で知られています。

 東条岡本地区のとどろき荘では、5年ぶりに開催される「山田錦の里探訪ウォーク」の出発式が行われました。実行委員長の石田和伸さんは、挨拶の中で、この美しい山田錦の里の秋景色を満喫しながらウォーキングを楽しんでほしいと話されました。黄金色に色づき始めた山田錦の穂が頭を垂れて、畦には、暑さのために咲くのが遅れたのか、彼岸の中日が過ぎてから彼岸花が咲き始めています。

 応募で参加した約200名が出発し、静かになったとどろき荘の東側の田圃に行ってみると、以前と同じ場所に真っ赤な彼岸花が咲いていました。本当に咲き始めたばかりという瑞々しさで稲穂を讃えているようでした。やはり、この景色を見ないことには、秋が来た、という実感が湧いてきません。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和12年の尋常小学修身書巻四の「祝日・大祭日」を読む

2023年09月24日 05時22分24秒 | Weblog

 

 秋分の日の今日、手許にある戦前の修身教科書を開いてみました。昭和12年(1937)発刊の『尋常小学修身書巻四』大阪書籍発行、同級生から譲り受けたもので、実際に尋常小学校で使われていたものです。

 その第十七項は、「祝日・大祭日」の題目で、祝祭日の紹介と意義が書いてありました。

 はじめに「新年・紀元節・天長節・明治節は、我が国の祝日でございます。これらの祝日は我が国にとってまことに大切な日で、宮中では、おごそかな御儀式を行はせられ、国民は、真心をこめてお祝ひいたします。」と祝日について書かれています。

 次に「元始祭・春季皇霊祭・神武天皇祭・秋季皇霊祭・神嘗祭・新嘗祭・大正天皇祭は、我が国の大祭日でございます。」と大祭日のことが書かれています。その中で、秋分の日、戦前は秋季皇霊祭と呼ばれていましたが、この日について、「此の日には、御代々の皇霊をお祭りになります。」と説明があり、「これらの大祭日も、祝日と同じく、我が国にとってまことに大切な日で、宮中では、天皇陛下御みずから、おごそかなお祭りをあそばされます。」、「私たち臣民は、祝日・大祭日が我が国にとってまことに大切であるいはれをわきまへ、我が国がらの尊いこと思ひ、忠君愛国の精神を深くしなければなりません。さうして、其の日には、国旗を立てて真心をあらはさなければなりません」と締めくくられていました。教科書には、宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)の挿絵が描かれています。

 戦前の祝日・大祭日は明治6年に定められましたが、春季、秋季皇霊祭は明治11年に祭日に加えられました。しかし、昭和20年の敗戦後、GHQによる神道指令、22年の日本国憲法の制定、GHQの指示で、皇霊祭・神殿祭は廃止され、別の休日にすることになりました。昭和23年、国民の祝日に関する法律が成立し、その中に春分の日、秋分の日の名前で、祝日に定められました。

 秋分の日の意義は「祖先をうやまい、亡くなった人々をしのぶ」日とさされちます。今日の秋分の日は、お墓参りなどをして祖先のことを偲び、感謝する日であるということを忘れてはならないなと思いました。 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐保神社秋祭りー上組太鼓屋台の飾り付け、太鼓の練習

2023年09月23日 06時25分34秒 | Weblog

 

 今年、4年ぶりに佐保神社(加東市社)の秋祭りが行われます。来月⒎日が宵宮、8日が本宮です。その祭りに向けて、上組(加東市社地区の北部)の屋台倉では、屋台の飾り付けと太鼓の練習が始まっています。

 夜7時30分から乗り子の子供達の練習が始まり、指導歴37年という超ベテランが腕の上げ方や力の入れ具合、テンポ、そしてかけ声の練習を指導します。補助役も20年ほどこの役目を続けています。3年間の空白ができてしまい、継承がうまくいくかどうか案じられましたが、小学4年生から中学生までの子供が集まってきて練習に励んでいます。

 9時になると、それまで倉の中で屋台の飾り付けをしたり、倉の前で話をしていた保存会の若鯱会のメンバーが伊勢音頭の練習を始めます。威勢のよい歌声と力強い太鼓の音で、一気に祭り気分が高まります。あの子は誰?あれは誰それの孫、などと次々と太鼓を叩く若者を見ながら話をするのも楽しい時間でした。

 私が若かった頃は、青年団がなくなっていたので、消防団員が太鼓の飾り付けをし、太鼓に乗っていました。その後、若鯱会が結成され、地域の若者が上組の太鼓の保存や町内運行などを取り仕切るようになりました。今やその若鯱会も高齢化が進んでいます。もちろん、息子があとを継いでメンバーとなったり、乗り子の小学生だった子供が大学生や若者に成長して会員になっているケースもあります。地域の宝を継承してくれる頼もしい存在です。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和34年伊勢湾台風襲来の加古川、千鳥川の増水、氾濫

2023年09月22日 05時13分18秒 | Weblog

 

 

 

 今年は猛暑と大雨で、各地で被害が発生しています。自然災害の多い日本で、毎年必ずやってくるのが台風です。台風は強風と大雨をもたらし、河川の氾濫や土砂崩れなどを引き起こします。

 平成30年のこの歴史ブログで、昭和34年(1959)9月26日に襲来した伊勢湾台風による加古川の増水、氾濫のようすを伝える写真(父のアルバム)を紹介しました。64年前の台風被害状況の写真を再度紹介します。

 現在、加東市域の加古川の河川改修工事が進められています。また、老朽化し、地震や大水に危険がある福田橋の撤去工事や大門橋の架け替え工事が進められています。

 写真は、福田橋、大門橋、平安橋(千鳥川)、千鳥川と加古川の合流点の増水のようす、福田橋から河高方面(上流)、同じく下流の安取方面を見たものです。 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和34年夏のヒロシマー父のアルバムより

2023年09月21日 05時50分50秒 | Weblog

 

 父のアルバムをめくっていると、昭和34年(1959)の7月5日の広島市の原爆ドームの写っている写真がありました。

 被爆後14年後の原爆ドームや周辺の景色が写っています。また、広島平和記念資料館での父の写真もありました。この資料館は昭和30年に開館しており、33年には広島復興大博覧会が開かれ、父が訪れたのはその翌年でした。

 今年はG7広島サミットが行われ、世界の注目が集まりました。世界の首脳が平和公園を訪れ、平和資料館を見学し、原爆の被害の実相を見たことは、核兵器の脅威にさらされている今の世界に大きな意義があったと思います。

 64年前の広島の写真を見ながら、大学生時代に訪れたこと、副議長の時に新しい資料館を訪れた時のことなどを思い出しました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学校の歴史遺産ー教育、地域の貴重な歴史を伝えるお宝の保存

2023年09月20日 04時38分37秒 | Weblog

 

 令和5年の秋、市内の小、中学校の運動会を回ってみて、一つ思ったことがあります。それは、長い歴史を持つ学校には、創立、移転、再建等の変遷を経ながらも、現在も残っている記念物などが少なくないということです。その代表例として、このブログでも紹介してきた二宮金次郎像があります。戦前の金次郎は多く戦争に出征(供出)しましたが、戦後、再び寄贈されるなどして、今も子供達を見守っています。また、石造の国旗掲揚柱も残っています。そのほかにも、額や瓦、ベル、教科書、歴代校長の肖像画や写真、歴代校舎の写真、手紙などの文書などもあります。各学校の創立記念誌、百年誌などが作成された時には、そうした歴史資料も収集されたことでしょう。こうした遺物、文書、写真類は地域の先人の学校づくりの苦労や思い、児童生徒の学びの足跡を辿ることができる貴重な資料となります。

 私も父親の日記に書いてあった青年団時代の活動の記念物を社小学校の校庭で発見したことがあります。それは、令旨塔建立の記録でした。写真を手がかりに校庭を調べてみると、令旨塔の石碑や台石などの石を見つけました。こうした歴史的記念物をきちんと記録し、保存していくことを真剣に考えていかなければなりません。

 子供の減少が続き、学校の統廃合が全国各地で進んでいます。廃校となった学校の跡地利用が話題となっていますが、校舎の撤去などの際、学校の歴史を物語る遺物、資料等の扱いはどうなっているのか気がかりです。確かにあった二宮金次郎像が移転後の学校に移設されず、その後どうなったか誰もわからないという例もあります。学校に残る貴重な歴史的資料(遺物、文書、写真等)を地域のお宝として保存し、未来に伝えて行くことが大切です。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明智光秀の築いた福知山城(復元)

2023年09月19日 05時00分52秒 | Weblog

 

 

 18日(月)、京都府福知山市の福知山城に行ってきました。明智光秀が築いた城として知られていますが、今の天守閣は、昭和時代(61年)に復元されたものです。

 駐車場から見上げると、丘の上に聳える天守閣は見上げるほど高さを感じました。大きな太鼓橋を渡って、急坂を歩いて登ると、天守閣がある頂上部に着きました。こじんまりした天守閣ですが、3層4階になっており、堂々とした存在感がありました。石垣は野面積。その石垣の石には墓石や五輪塔、宝篋印塔の台石などが多く転用されていました。ガイドの方によると、敵地に急いで築いたため、石垣の石が足らず、寺院のこうした石を転用した、とのことでした。

 中に入ると、4階建てで、明智光秀にまつわる資料が展示されていました。また、シアタールームでは、光秀をテーマにした映像を鑑賞できました。内容が濃くドラマ仕立ての見応えのある映像でした。

 階段を上りきり、4階に達すると、天然の涼風が開放された窓から吹いてきて、疲れも一気に吹き飛びました。眼下には由良川。城下町の市街、遠く丹波の山々が望め、その眺望は大きく広がっていました。しばらくその展望を楽しみました。天守閣のある頂上部を下から見上げると、高い石垣が迫ってくるようでした。

 加東市とは、国道175号線で一本に結びつき、地道でも1時間20分余りの近さです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

創立150周年の鴨川小で地区体育祭

2023年09月18日 05時01分46秒 | Weblog

 

 

 17日(日)、加東市平木の市立鴨川小学校で、第61回鴨川地区体育祭が開催されました。鴨川小学校は、全校生18名の学校です。西国二十五番霊場御嶽山清水寺の麓にあり、豊かな自然に恵まれ、150年の歴史を誇る学校です。

 今回の体育祭は、昼休みをはさんで午後の部も予定されていました。暑さ対策のために、ふるさと太鼓、御嶽太鼓、踊り、閉会式は体育館で行うと変更されていました。

 地区体育祭には、鴨川保育園、中学生、平木、上鴨川、下鴨川の3地区の皆さんが参加し、障害物競走、リレー、綱引きなどの地区対抗種目では、各テントから大きな声援が飛び交いました。

 鴨川小学校のグラウンドには、桜の古木が植わっており、また入場門近くには、とてつもない大きな木が枝を広げ木陰を提供してくれています。元同小校長の市議会議員さんから、桜の木の根は運動場に長く伸びている、というお話も伺いました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加東市内6小学校で運動会 午前中開催の短縮型

2023年09月17日 05時47分28秒 | Weblog

 

 

 

 16日(土)、加東市内の6つの小学校で秋の運動会が開催されましたた。どの学校も午前中の短縮型の開催で、凝縮されたプログラムの中で、子供達は元気一杯に演技や競走などを繰り広げました。

 開会式が一番早かった社小学校では、開会式、応援合戦を参観、次の福田小学校では開会式、ラジオ体操、徒競走を、滝野南小学校でも徒競走を、滝野東小学校では、3・4年生、5・6年生の表現、三草小では、買物リレーと低学年の表現、そして、米田小では、こども園の園児と保護者、児童の綱取り合戦を参観しました。米田小学校では、創立150周年種目のくす玉玉入れも行われました。

 コロナの影響で、午前中開催の短縮型が行われてきましたが、この形式が今後も定着するのかどうか。また、9月の高温化対策も課題です。旧社町域の小学校は、令和7年の小中一貫校開校予定のため、来年が最後の運動会になる予定です。時代、社会の変化で、運動会も変わりつつあることを実感しました。明日は、鴨川地区運動会が鴨川小で行われます。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こども園の二宮金次郎像

2023年09月16日 05時22分31秒 | Weblog

  

 先日、加東市上滝野にある社会福祉法人天理滝野愛児園のこども園を訪ねました。五峰山の麓に新しく建てられた園舎の玄関に、二宮金次郎の像がありました。あれっ、以前はなかったはずと思い、保育士さんにお尋ねすると、初代の園舎にはあったのですが、その後は建てられず、この新園舎に設置されたとのことでした。

 市内の小学校にはそれぞれ二宮金次郎像が今もあり、このブログでも何度も紹介してきました。しかし、保育園、こども園の金次郎像は見たことがありませんでした。

 土台のプレートには、「昭和18年建立 旧天理滝野愛児園」と刻まれていました。詳しいことはまたの機会にお尋ねしようと思いつつ、珍しい金次郎像に思わず見とれてしまいました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする