ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

明治館、忠魂碑への石段

2013年04月30日 06時01分38秒 | Weblog
 朝のウォーキングコースで、写真の石段を上ります。この石段は、明治館(旧加東郡公会堂)と忠魂碑のある加東市社の市街地の南端の急な崖にあります。その下(南)を下川が流れています。下川には以前、神橋とよばれる石の橋があったのですが、今は鉄製の橋に架け替えられています。ウォーキングでは、環状線から細い道に入り、橋を渡って石段を登ります。この石段を上るときの体の軽さで体調がわかります。
 さて、この石段は、昔は佐保神社への参道として、また、明治時代のはじめには、八城学校(現社小学校の前身)が今の明治館の場所にあり、通学路として多くの人々が上り下りしたようです。石段の両側にはどんぐりの木が生えており、石段にはどんぐりがたくさん落ちています。
 石段は、今から約300年前の元禄14年(1701)に造られたとの記録があります。昔は、80段の階段を登りきると、佐保神社まで真っ直ぐにのびた参道があったようです。(『佐保神社誌』)
 石段を上りきり、忠魂碑に参拝します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋津住吉神社で伝統の雨乞い「西戸百石踊」

2013年04月29日 07時17分50秒 | Weblog
 28日(日)、青空から差す日差しがまぶしい加東市秋津の住吉神社境内で、何百年もの伝統を今に伝える「百石踊」が奉納されました。去年から4月29日の「昭和の日」に奉納されることになっていましたが、今年は東条地区で大きな行事が重なっているために28日に変更しておこなわれとのことでした。
 すでにこの歴史ブログで紹介しておきましたが、うれしいことに知り合いのご夫婦がブログを見て、踊りを見に来られたとのことでした。地元の方はもちろん、多くのカメラマンも訪れていました。
 この雨乞い踊りの説明を再掲します。
 秋津百石踊は、「旱魃の時には住吉神社の神前で踊って雨乞いをせよ」という神功皇后の言葉があったと伝えられている住吉神社の神事です。パンフレットの解説では、実際は室町末期から桃山初期の頃に雨乞い踊りとして始まったものだろうとされ、この踊りを一度催すと、百石分の経費を必要とすることから百石踊りと云われているそうです。もとは住吉神社の氏子村が参加していたそうですが、今では西戸(さいど)地区保存会だけが伝えています。昭和47年に兵庫県の重要無形文化財に指定されています。最近では、平成6年の日照りの年に雨乞い祈願で奉納されています。
 私もこれで5度目ではないかと思いますが、独特のリズム、問答形式の掛け合いなどちょっとコミカルな感じがしてだんだん引き込まれています。人口減少社会に入り、こうした地域の貴重な伝統芸能の維持継承はますます困難になってきます。しかし、そうした状況を乗り越えて大切に守り続けておられる保存会の皆さんに敬意と感謝の気持ちでいっぱいです。ふるさと加東の、そして兵庫の大切な宝ものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

廻淵の道標-お堂の入口に

2013年04月28日 04時59分17秒 | Weblog
 加東市廻淵の朝光寺へ向かう道と東条おもちゃ王国へ向かう道と分かれ道の北側の山の中腹にに真新しいお堂があります。27日、おもちゃ王国での迷宮の城のオープン式典の帰りに天気がよかったので寄ってみました。
 去年の1月にも来ましたが、お堂の下の古い墓地も木が伐採され見通しがよくなっていました。もう一度石碑や道標をよく見てみようと思ったのです。地元の人が「お大師さん」と呼んでいるこのお堂(阿弥陀堂)には、阿弥陀如来とお大師様が祀られ、加東四国八十八ヶ所霊場の番外の霊場になっています。第二十二掎鹿寺から廻淵の阿弥陀堂、畑の大師堂を経て、二十三番朝光寺へと巡る途中の霊場になっています。元はもう少し下の場所にあったものを新築移転したものです。
さて、以前訪れたときにこのお堂の入口のところに立っている道標を紹介しましたが、刻まれている文字がよく判りませんでした。ところが今回は天気が良く刻まれた文字がくっきりと見えたのです。
 上部に仏像が刻まれ、その下に「左 きよ水」と文字が刻まれていました。その右に建立年らしき文字が刻まれおり、「文政・・」と見えますがはっきりしません。今は役目を終えて、分かれ道を見下ろす位置でお堂にお参りされる地元の方を迎えているようでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4月28日は秋津百石踊へ

2013年04月27日 05時22分19秒 | Weblog
 4月28日(日)、午前11時から加東市秋津の住吉神社境内で、この地に古くから伝わる雨乞い踊りの百石踊が奉納されます。
 秋津百石踊は、「旱魃の時には住吉神社の神前で踊って雨乞いをせよ」という神功皇后の言葉があったと伝えられている住吉神社の神事です。パンフレットの説明によれば、実際は室町末期から桃山初期の頃に雨乞い踊りとして始まったものだろうとされ、この踊りを一度催すと、百石分の経費を必要とすることから百石踊りと云われているそうです。もとは住吉神社の氏子村が参加していたそうですが、今では西戸(さいど)地区保存会だけが伝えています。
 昭和47年に兵庫県の重要無形文化財に指定されています。最近では、平成6年の日照りの年に雨乞い祈願で奉納されています。その後、東条とどろき荘で披露され、さらに一昨年には5月3日、昨年は4月29日に披露されました。
 ふるさとの貴重な伝統芸能を多くの方に見ていただきたい思っています。ぜひお越し下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千鳥川畔の石板-村境の印?

2013年04月26日 05時17分48秒 | Weblog
 桜から新緑へと、千鳥川畔の景色は一気に変わっていました。加東市社の市街地の北側を西に向かって流れる加古川の支流、千鳥川。社から滝野へと旧175号線が通り、千鳥川には明治橋が架かっています。赤岸の交差点から明治橋に向かい、橋の手前を左折し、堤防上の道路を東へと向かうと、道路脇の木の下に立っている石板が目に入りました。
 基礎部分はコンクリートで固められて新しさがうかがえますが、その石板そのものは古さを感じます。古墳の蓋?平板な表には溝のような枠取りがありますが、表面は字も模様も判別できません。裏は自然石のままです。表をよく見ると、2体の仏像のようなものが浮かび上がっているようにも見えますが、錯覚でしょうか。地元の人の話では、元は別の場所にあったものを移したということですが、千鳥川の上流の木梨地区と家原地区の村境に建てられているとのことでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝の大池

2013年04月25日 05時33分27秒 | Weblog
 毎朝歩いていますが、途中に社(加東市社)大池の畔を通ります。このブログでも冬の朝の大池や鯉の姿などを紹介してきましたが、つい先日の冷え込んだ朝、池面には気温と水温の差から湯気が立っていました。
 この朝は鯉の姿も見えず、ただ静寂の中で湯気だけがゆらゆらと立っているのみでした。早朝の世の中が動き出す前の自然の世界の時間帯に一人自分だけがここに居る、そんな感覚というか、自然の中に溶け込んでいくような感じに包まれます。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名勝闘龍灘の碑

2013年04月24日 05時32分36秒 | Weblog
 加東市滝野の闘龍灘は加古川の流れをせき止めるように露出した奇岩と全国で一番早い鮎漁の解禁で知られる名勝です。その上滝野側に「闘龍すくえあ」があり、奇岩を展望するポイントになっています。すくえあには高瀬舟の水路を開いた阿江与助の像や水神様を祀った社、闘龍灘を詠んだ河東碧梧桐の句碑などがあります。
 そして、その水神様の玉垣の傍らに石碑が立っています。「名勝 闘龍灘 兵庫県」と刻まれており、裏には「昭和二年」とありました。戦前は屋形船が浮き、賑やかだったとよく聞きます。
 もうすぐ花まつり、鮎まつりです。奇岩を照らす花火は圧巻です。ぜひ、5月3日は闘龍灘へお越し下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

播州清水寺の道標

2013年04月23日 05時02分42秒 | Weblog
 21日(日)、播州清水寺(加東市平木)の桜まつりが開催されました。車で登山道を走っていると、中腹辺りで激しい雨に見舞われました。しかし、山の天気は変わりやすく、山上の駐車場から仁王門をくぐる頃には青空からまぶしい光が差し込んできました。しかし、雨の天気予報の影響か、実際に降ったり止んだりの空模様で人出は例年に比べて少なかったように思いました。
 大講堂の手前の放生池の傍らに一本の道標が立っています。「右 なかやま」「左 なれあい」と刻まれています。これは、西国三十三ヶ所巡礼の24番中山寺(宝塚市)と28番丹後成相寺(宮津市)への道を示す道標であることがわかります。建立年は天保15年(1844)とあり、「西国供養同行中 西戸村 大川瀬村 大谷村」と刻まれています。元は他の場所にあったものをこの場所に移したものでしょう。西国巡礼の順序は24番の中山寺から25番清水寺、そして26番法華山一乗寺(加西市)となるのですが、近世には一乗寺から清水寺を経て、篠山を通って成相寺へ順番に参る逆打がさかんだったようです。
 雨に濡れた道標ですが、今では訪れる多くの人々を静かに見守ってくれているようでした。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

根元に顔を出した妖怪?

2013年04月21日 17時01分26秒 | Weblog
 わが家の東の玄関の入口にナンキンハゼの木が植わっていますが、その根元に何とも奇妙な顔というか、目を閉じて、腕を組んでいるのか、足を組んでいるのか、頭は三角にとんがっている妖怪の顔のようなものが出ています。
 映画で見た岩の妖怪?魔王?いや魔物の侵入を守ってくれる守神ですね、きっと。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木梨の八幡神社の合社の屋根瓦

2013年04月21日 06時16分57秒 | Weblog
 昨日のブログで紹介した加東市木梨の八幡神社の屋根の「合社」の文字が刻まれた屋根瓦の写真です。昨日紹介したように木梨地区にあった5つの神社の祠をこの拝殿の中に合祀してあります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木梨の八幡神社とムクの大木

2013年04月20日 05時40分18秒 | Weblog
 今月13日(土)に行われた三草ふれあい広場の「ワクワク探検」で、木梨地区の八幡神社を訪れました。国道372号、県道西脇三田線などを走っていても、遠くからよく見えるムクの大木が境内にあり、地元の人の話によれば、昔はもっと枝振りが大きかったようで、ふくろうが棲んでいたということでした。
 神社本殿の屋根瓦には「合社」と印が彫られていました。説明では、木梨地区の各所にあった小さな神社、祠を一カ所に集めて本殿を造ったもので「合社」としたのだそうです。中をのぞいてみると、確かにそれぞれ形、大きさの違った祠が5つ見えました。
 『加東郡誌』によれば、大年神社、御霊神社、山神神社、若宮神社、熊野神社が合祀されている、とあります。祭神は、応神天皇、伊邪那岐命、迦具土命、大年神、大山祇命、仁徳天皇、藤田三郎太夫行泰とあります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下三草の諏訪八幡神社の手水鉢

2013年04月18日 05時15分10秒 | Weblog
 13日(土)に行われた三草ワクワク探検(三草ふれあい広場主催)で、以前にこの歴史ブログで紹介した下三草の諏訪八幡神社を見学しました。区長の樹梨林三さんから神社の由来や石造鳥居、古い石灯籠などについて丁寧な説明が行われました。
 その八幡神社の境内へと上がる石の階段の下、鳥居の脇に石造の手水鉢があります。文化10年(1813)と彫られていますので、ちょうど200年前のものです。一緒に参加した地元の人の話では、小さい頃、この神社の境内で野球をして遊んだとのことでした。また、山から管でこの手水鉢に清水が送られてきていたとも聞きました。今は枯れて水はありませんが、200年前のまま参拝者を迎えているようでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

社の大池の鯉-頭を寄せて早朝会議?

2013年04月17日 04時45分55秒 | Weblog
 早朝ウォーキングの途中、加東市社の市街地の南にある大池で、鯉数匹がその頭を寄せて大きな口をぱくぱくさせながら泳ぐ姿を見かけます。
 だいたい午前6時過ぎから30分頃に大池辺りを歩くことが多いのですが、堤に近いところの静かな水面に波が立っているところがあり、よく見ると、大きな鯉数匹が黄色い大きな口を水面の上に出して、まるで何か早朝の会議をしているような格好です。静かに近寄ってシャッターを押しました。鯉は2つのグループに分かれていることもあり、また、一匹だけで悠々と口ぱくをやっている光景も見られます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アライグマ侵入の穴-北山庵寺

2013年04月16日 05時25分07秒 | Weblog
 三草ワクワク探検(13日実施)で加東市木梨の北山の庵寺を見学した折り、庵寺の裏の屋根近くの壁に穴が開いているのを地元の人が見つけました。よく見ると、その穴に通じる板には爪痕がはっきりついていました。アライグマが板壁をよじ登り屋根裏へ侵入したのです。
 庵寺の創建がいつのことなのかは判らないそうです。今も毎月地蔵講で、地元の高齢者が集まって読経をしているとのことでした。それにしてもアライグマは空き家やこうした寺社の屋根裏に侵入したり、庭の池の鯉をとったりするなど住宅地での被害も多く出ていると聞いていましたが、爪痕、侵入穴を間近に見たのは初めてのことでした。早急に駆除しなければなりません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木梨-大日如来祠

2013年04月15日 05時57分31秒 | Weblog
 加東市木梨の北山の庵寺の同じ敷地に大日如来の祠が祀ってありました。三草ふれあい広場のワクワク探検で庵寺を見学したときに教えていただきました。
 もとは庵寺の下にあったようですが、圃場整備で移されたとのことです。昔は農家には牛が飼われていましたので大日如来はその守神ですので、盛大に祭りが行われていたと聞きました。
 階段の上に低い石垣が組まれ、その上に石造の祠があります。今は北山から南に広がる豊かな田圃を見守っているように見えました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする