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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

佐保神社の手水屋の水盥

2009年12月31日 06時01分15秒 | Weblog
 いよいよ大晦日。平成21年も最後の朝を迎えました。今年最終のこのブログは佐保神社の手水屋の水盥を紹介します。新年は氏神様の佐保神社に参拝する予定ですが、瑞神門(楼門)をくぐって、すぐ左手に手水屋があります。ここにも如何にも古そうな石の水盥(すいかん)があります。普段、早朝ウォーキングで参拝するときにも気になる存在ではありましたが、じっくり観察することもありませんでした。

 正面には「奉寄進」と太い大きな字が刻まれています。裏面にあたるところには寄進年と寄進者の名が刻まれています。「宝暦四甲戌九月十六日」と刻まれています。宝暦4年は西暦1754年ですから256年前になります。やっぱり古いものだったのです。寄進者の名前は読み取りにくくなっていますが、「余田屋 理兵衛」の他、木兵衛、嘉兵衛、市兵衛、宗兵衛・・・といった屋号と名前が刻まれています。

 どっしりと構えてそこに在る、といった存在の水盥。250年余りの間、この神社に参拝する人々を迎えてきたこの水盥に気をとめてほしいなと思います。それでは来年もよろしくお願いします。 

 
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佐保神社の玉垣

2009年12月30日 07時27分48秒 | Weblog
 神社の境内を囲む玉垣。いつもなら見過ごしてしまっていますが、じっくりとその柱の一本一本を見てみると、寄進をした人の名前が刻まれており、その住所や職業などの幅広さに驚きます。
 佐保神社(加東市社)の瑞神門(楼門)脇の玉垣には、高砂、姫路、大坂久宝寺、加古川、大坂、京都・・・と遠方の寄進者の名前が刻まれています。
 広い佐保神社の境内をめぐる玉垣のうち、北側の玉垣にも寄進者の名が刻まれています。また、境内の中の円柱形の玉垣にも大坂や京都の地名が刻まれているものが数多く見られます。大阪や京都、高砂、加古川などの商人の名前、屋号、印などがあり、社のまちと佐保神社が商売を通じて広くこうした地域と結びついていたことがわかります。
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佐保神社の瑞神門の前の石燈籠

2009年12月29日 06時58分35秒 | Weblog
 新年の初詣には氏神様である佐保神社に参拝します。昨日はその佐保神社の百度石を紹介しましたが、今日は瑞神門(楼門)の前の石灯籠を紹介します。如何にも年代の古さが感じられる石燈籠で、鉄柵で保護してあります。
 まず建立年を見ると、延享三年丙寅年九月吉□と刻まれています。延享とは余り馴染みのない年号だなと思いつつ調べてみると、西暦1746年でした。今から264年も前のものでした。
 正面には「正一位 佐保社」、そして裏側には「恵美酒講中」の建立と刻まれていました。恵美酒講がこの石燈籠を江戸時代中ごろに建立したということです。
 延享ですが、18世紀の半ばで、少し前に享保、少し後に宝暦といった年号があります。歴史教科書では百姓一揆や打ち壊しが増えた時代とされており、ヨーロッパではモンテスキューが『法の精神』を著した頃です。そんな時代にこの石燈籠が建てられたのですね。初詣の際にはこの石燈籠に気をとめて下さい。
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佐保神社の百度石

2009年12月28日 05時47分00秒 | Weblog
 朝のウォーキングで佐保神社(加東市社)に参拝します。瑞神門(楼門)をくぐると正面に能舞台、その向こうに拝殿、本殿が一直線に見通せます。その能舞台の前にお百度石がどんと据えられています。
 お百度をふんでいる人を見かけたことは一度もありません。見られてはならないということだからかもしれません。私自身一度もお百度をふんだことはありません。だから、いつも門をくぐるときに正面に大きく「百度石」と刻まれた石が目に入っているのですが、これまで正直言ってあまり気にとめていませんでした。
 先日、ふと「この百度石はいつごろの建立?」ということが気になって調べてみました。台座の石には

 世話人
  英保重□・・
  萬屋宗右□
  柴屋平兵□
  木屋藤兵□

と刻まれているのが読み取れました。下部は地面の下になっているようで分かりません。

 上部の円柱の石には大きく「百度石」と刻まれており、側面に「文政五年壬牛春 三月吉日」と建立年が刻まれていました。文政5年ですから1822年。今から約190年ほど前ということになります。教科書では文化文政の時代ということで町人文化の化政文化の頃として覚えた時代です。
 萬屋、柴屋、木屋などの屋号の商人が建立したということですね。これまで何とも思っていませんでしたが、190年の歴史をもつこのお百度石は少し違って見えます。
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昭和17年-正月用物資の配給

2009年12月27日 05時33分53秒 | Weblog
 昨日に続いて、社町社区事務所の配給関係資料に綴じてある昭和17年(1943)年末に出された正月用物資の配給に関する資料を紹介します。
 ゴボウ、イリコ、サケ、タマゴの配給についての通知ですが、その他にも砂糖や塩、味噌、醤油などについても記されています。戦時中の物資不足の中にあって、正月料理に必要な品を買い揃えるのも大変だっただろうなと思います。
 

昭和十七年十二月二十八日
          社 町 長   合 田 常 蔵
各区長 殿

 正月用物資割当購入券送付ノ件

左記物資入荷ニ付キ正月用品トシテ隣保配給致ス可ク御手数ニハ存ジ候ヘ共指定店ニ於テ購入ノ上配給相成度候

  左記

一、ゴボー  総量百六拾貫 農家以外ノ家庭一戸当約二百五十匁
二、サケ   総量百足 拾参戸ニ対シ約一足ノ割
三、イリコ  総量四拾五貫 一戸当リ約三十五匁
四、タマゴ  総量四拾貫 一戸当リ約三十匁

二伸
十二月二十三日付調査報告ヲ願ツテ居リマス年令別並家族人員別調査表ハ砂糖、塩、味噌、醤油ノ購入券記入ニ必要アルニ付キ年内ニ御提出相成度願上候

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昭和17年-新年用物品の配給

2009年12月26日 15時43分33秒 | Weblog
 もうすぐ正月を迎えます。各地の正月準備や買い物客でにぎわう市場などの光景がニュースになっています。
 ところで、昭和17年(1942)の年末、ちょうど67年前の年末はどうだったのでしょうか。ここに社町社区事務所の配給関係資料があります。精肉、カヅノコ、カツオブシ、スボシの配給割当が記されています。


 昭和十七年十二月二十六日
              社 町 長 合 田 常 蔵
各区長殿
   
 新年用各種物品購入券送付ノ件

昭和十八年一月元旦用トシテ特ニ左記物品ノ割当相成候就ハ別紙購入券ノ通リ割当候条左記標準ニ依リ各戸ニ配給相成度候
購入ニ関シテハ取纏メ購入相成度猶購入先ハ記入店ニ於テ又特ニ「カヅノコ」ノ信用組合ヨリ購入スルハ二十八日其ノ他ハ三十日ニ購入相成度
一、精肉配給ハ本月二十九日(切符ニハ二十八日トアルモ特ニ)指定期日ヲ改ム
  割当大体三戸ニ対シ五十匁券一枚社区ハ各戸ニ五十匁券一枚宛
二、カヅノコ割当基本一戸当リ約四十七匁宛
三、カツオブシ割当基本一戸当0.七本ニ付キ拾戸ニ対約七本位
四、スボシ割当基本一戸当約三匁弱宛
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昭和17年-ラヂオ無料相談所

2009年12月25日 05時05分16秒 | Weblog
 社町社区事務所の配給関係資料の中に、昭和17年(1942)にラヂオの無料相談所開設の通知が綴じられています。
 当時、ラヂオは情報の重要な伝達・入手手段であり、昭和16年の真珠湾攻撃も、そして昭和20年の終戦の玉音放送もラヂオで行われました。国民にとってラヂオ放送は楽しみなものでありまた戦争に関する情報も得ることができました。日本でラジオ放送が始まったのが大正14年(1925)です。昭和17年当時どの程度普及していたのか分かりませんが、どの家にもあったというわけではないでしょう。役場では故障したまま放置されているラヂオの修理などの相談を無料で受ける相談所を開設しています。


昭和十七年十一月四日
        社町長  合田常蔵

各区長殿
   ラヂオ無料相談所開設ノ件通知

首題ノ件別紙回覧板ノ通リ放送局ヨリ時局柄ラヂオ必要ナルニ之ガ修繕ニ資材等ノ関係上相当高価ナル為メ其ノママ放置シアル向相当多数アルヤニ聞キ及ビ之ガ実費ヲ以テ修理シ一般家庭ノ便ヲ計ランガ為メ今回社町役場ニ出張無料相談致ス事ニ相成候就ハ貴内ラヂオ所有者ニ於テ故障等ノアル方ハ来ル十一月十一日午前九時ヨリ午後四時マデノ間ニ社町役場ニ御持参御相談相成ル様一般ニ伝達相成度此段及通知候也

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昭和17年-素麺と砂糖の配給

2009年12月24日 05時51分47秒 | Weblog
 昭和17年(1942)、7月と8月分の素麺と砂糖の配給についての通知が社町社区事務所の配給関係書類綴の中にありました。
 当時は、清酒、味噌、醤油、塩、油等々家庭で日常的に使う食料品の配給が行われていましたが、それぞれ月当たりの配給割当が町長から区長に通知され、区長から各戸に購入券が配られるというシステムだったようです。
 戦時とはいえ、あらゆる物資が不足し、配給が行われていたということは知識として持っていても細かいところは分かりません。このような通知や配給割当表を見てあらためて厳しい時代状況だったんだということが少し感じられるということです。


昭和十七年七月二十四日
         社 町 長   合 田 常 蔵
各区長 殿

 七月分家庭用素麺配給割当並八月分家庭用砂糖配給割当ノ件

七月分家庭用素麺ヲ左記ノ通リ割当候条本月中ニ上月米屋ニテ各如ニ購入シ各戸ニ配給相成度一人当リ百匁単価卸格価百匁ニ付キ二十一銭一箱四貫八百匁ニ有之候
八月分家庭用砂糖〇、四斤ヲ本月二十七ヨリ従来ノ販売店ニ於テ販売致ス事ニ相成候条一般ニ御伝達相成度

   記

七月分家庭用素麺割当表

※一覧表は略
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昭和17年-シンガポール陥落を祝い清酒の特別配給

2009年12月23日 05時47分00秒 | Weblog
 昭和17年(1942)、大東亜戦争開戦から約3ヶ月経った2月、日本はシンガポールを陥落させています。これを祝って、清酒の特別配給がおこなわれました。社町社区(現在の加東市社)の配給関係の資料の中に、特別配給の通知が綴じられています。
 シンガポールは東洋に於けるイギリスの根拠地でした。そのシンガポールを日本軍が攻略し降伏させたわけですから当時国内は奉祝で湧いたことだろうと思います。通知は2月10日になっています。陥落したのは2月15日ですからその前に陥落を予想しての通知であったことがわかります。軍は2月11日の紀元節を陥落目標にしていたのですが、15日までかかったわけです。
 


昭和十七年二月十日
         加東郡社町長   合田常蔵
各区長 殿

 清酒配給ニ関スル件

今回酒類販売株式会社 社支店ヨリ シンガポール陥落ノ際奉祝ノ意味ヲ加フルタメ清酒一戸当エイ二合ノ割合ヲ以テ特別配給相成候 就ハ貴部内ヘ別表ノ通リ送付候条シンガポール陥落奉告祭終了後山本酒店ニテ御受領配給相成度此段及送付候也

 左記別表

名  戸数    清酒割当
社    五四八   一石一斗
山国   一五六   三斗一升
松尾    三八     八升
出水    五三   一斗一升
田中    三六     七升
鳥居    三四     七升
貝原    三〇     六升
野村    六四   一斗三升
西垂水   二五     五升
窪田    八六   一斗七升
家原    七九   一斗六升
上中    六八   一斗四升
梶原    三九     八升
喜田    三七     八升
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昭和13年3月21日父の日記から

2009年12月21日 06時09分44秒 | Weblog
 昭和13年(1938)3月21日の父の日記を読んでみると、春季皇霊祭でこの歴史ブログで詳しく紹介した故宮野幸重陸軍上等兵の入魂式のことや戦地から届いた弟、義夫からの葉書のこと、大陸での戦争のことなどが書き込まれていました。約70年前のことですが、今の世の中とはまったく違った状況、空気の中にあったことが伝わってきます。しかし、入魂式が行われた元郡公会堂(現明治館)には忠魂碑があり、その英霊の御名簿の中に宮野幸重の名前も刻まれています。時は過ぎても過去の記憶は静かに刻まれて今も在るのです。
 写真は義夫(叔父)が戦地で乗っていた戦車です。日記文中のハチは犬です。


(日記)
○午前十時と言ふのに郡公会堂に行くと皆揃ってゐた。故陸軍歩兵上等兵宮野幸重君の入魂式だ。青年団も相当に参加してゐた。青年団を代表して焼香をする。
○帳簿に閉口した。可成りに長い間帳簿をしてゐなかつたので尚更だ。
○久方振りで義夫から便りがあつた。長い間戦斗を続けてゐないのに不思議に便りがないと思つてゐると風を引いて寝てゐたらしい。無理をした結果が相当に重かったらしい。先づ元の体になれた事が大きいものだ。
○戦争も長□抗戦と言ひ乍らに北支のには長びいてゐるが、南支は帰つてゐるが、どうなつてゐるんだらうか。
○ハチを連れて出る。
散髪
受藤本義夫
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加東四国八十八ヶ所霊場八十三番東実の阿弥陀堂

2009年12月19日 06時09分36秒 | Weblog
 17日(木)、加東ライオンズクラブのクリスマス訪問例会で市立福田幼稚園を訪問しました。会員が分担してサンタクロースになって市内の保育園幼稚園を訪れる恒例の行事です。その途中、東実(とうじつ)の南端にあるお堂の入口に立っている石柱を撮影しました。
 これは、加東四国八十八ヶ所霊場の第八十三番、東実の阿弥陀堂の標柱です。冬の朝日に照らされて、今も道行く人に霊場であることを示しています。
 加東四国八十八ヶ所霊場は、四国八十八ヶ所霊場を加東郡(今の加東市と小野市域)に写したもので、大正時代の半ば頃に開かれ、多くの参拝者があったようです。この歴史ブログでも何度も紹介してきましたが、この地域にはお堂や道しるべが数多く残っています。ちなみに、一番は滝野の光明寺大慈院(日本一幅善導大師)、八十八番は社の持寶院(阿弥陀如来)になっています。時間をつくって、ふるさとにあるこの霊場巡りをしてみたいものです。
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昭和13年-社町経済更生計画(区長会)②

2009年12月18日 06時56分39秒 | Weblog
 昭和13年(1938)の社町の経済更生町村への指定について、7月6日開催の区長会に提出された資料の続きを紹介します。
 この区長会には防空訓練、日支事変一周年記念事業に関する事項の他、隣保協同組織の整備強化に関することも提出されており、経済更生計画実施に関する件とともに戦時体制の強化が推進されていることが分かります。 


(昨日のつづき)
一、社町経済更生計画経費之件

1.県費補助金    弐百円
2.町費       百五拾円
   計       参百五拾円


1.委員会費     五拾円
2.大会費      八拾円
3.印刷費      壱百円
4.委員旅費     五拾円
5.消耗品費     五拾円
6.通信運搬費    弐拾円
   計       参百五拾円
外ニ指導団体(町農会)へ縣農会ヨリ百五拾円補助アル見込

一、社町経済更生計画事項
1.経済更生委員会ノ設置
 社町経済更生計画ノ樹立及実行ノ指導統制機関トシテ委員会ヲ設置ス
 委員会ハ計画樹立ノ方法及進行予定期日ヲ定メ委員会内部ニ於ケル部属ヲ制定スルト共ニ調査並計画樹立ノ完璧ヲ期スル為ニ更ニ各ニ経済更生委員会ヲ組織スルモノトス
 委員会ノ部属ハ統制部、生産部、経済部、教化部等ノ各部門ニ分ケ各委員ヲ其ノ所属団体等ノ職能ニ応シテ夫々適当ナル部門ニ充テ適材ヲ適所ニ配置シテ活動セシムルト共ニ計画ノ実行ニ当リテハ各団体等トノ連絡ヲ図ルニ努メシメ以テ統制アル活動ヲ促進スルモノトス
 経済更生委員会ハノ幹部ヲ以テ組織セシメ町経済更生委員会ノ統制ノ下ニ活動スルモノトス

2.全町教育
 経済更生委員会ノ構成ト並行シテ全町教育ヲ行ヒ町内農工商家全般ニ経済更生ノ趣旨及其ノ計画樹立ニ関スル順序方法ノ徹底ヲ図リテ協力セシムルト共ニ自覚発奮ヲ促ガスモノトス

3.基本調査
 基本調査ハ之ヲ以テ経済更生計画樹立ノ基礎資料トシ又一面町民ノ自覚発奮ヲ促カス為ニ実施スルモノナルヲ以テ必要事項ヲ主眼トシテ調査スルモノトス

4.現状批判

5.経済更生計画ノ樹立

 

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昭和13年-社町経済更生計画の趣旨(区長会)

2009年12月15日 05時52分15秒 | Weblog
 昭和13年(1938)の社町経済更生計画に関して、7月6日開催の区長会に提出されたする資料がありました。その趣旨について説明した文を紹介します。


 社町経済更生計画ニ関スル件

一、本町農工商家ノ疲弊現状ニ鑑ミ之ヲ匡救シテ町民心ヲ安定セシメ更ニ進ンデ将来ノ福利増進ヲ図ルハ刻下ノ緊要事タリ
縣ニ於テハ曩ニ政府ノ施設ニ従ヒ応急的匡救策ヲ樹テ今ヤ着々之レガ実施ニ最善ノ努力ヲ竭サレツツアリト雖モ之レ等施設ヲシテ当面ノ一時的効果ニ止マラシメズ農工商家ノ経済生活ヲ安定セシメ民力ノ涵養ヲ図ランガ為メニハ現下疲弊ノ素因ガ啻ニ内外経済界ノ不況ニ由ルノミナラズ農村経済の運営及組織ノ根底ニ欠陥アル実況ヲ明ニシ町民ノ覚醒ヲ促シ勤労自立ノ精神ヲ振作シ以テ本町ニ於ケル産業及経済ノ計画的組織的刷新ヲ企図セザルバカラズ政府及縣ガ経済更生計画ニ関スル諸般ノ方策ヲ実施セラルルノ趣旨モ亦茲ニ存スルモノト思考ス今ヤ日支事変ハ長期持久ノ段階ニ入リ各地方ニ於テハ自奮更生ノ意気勃興シツツアルノ秋ニ当リ叙上ノ趣旨ノ徹底ヲ図リ経済更生ニ邁進スルハ格好ノ機会ナリトス
然レドモ其ノ事タルヤ永年ニ亘リ逐次其ノ効果ヲ収ムヘキモノナルヲ以テ堅実適切ナル計画ノ樹立実行ヲ為スト共ニ他面各種産業団体及精神教化運動トノ連絡協調ヲ密ニシ官民一致大イニ自奮更生ノ民風ヲ振作シ本町ノ経済生活ノ整備更新ヲ図リ以テ更生ノ実践ヲ挙クルニ遺憾ナキヲ期セラレン事ヲ望ム
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昭和13年-社町経済更生町民大会の宣言と決議

2009年12月14日 06時00分39秒 | Weblog
 昭和13年(1938)の社町経済更生計画についての資料を紹介してきていますが、今日は8月22日に開催された全町大会での「宣言」と「決議」文を紹介します。



   宣  言

今次ノ事変勃発以来皇軍ノ赫々タル武勲ニ依リ国威益々宇絃ニ輝キ皇国ノ基礎牢固トシテ天地ヲ貫ク此レ素ヨリ上
歴代至尊ノ御稜威ニ依ルト雖モ内忠勇義烈ノ将士在リ、食糧自給ノ豊沃ナル田園ノ存スルアリ、而モ此ノ将士ヲ出シ此ノ田園ヲ死守セル農村ハ積年ノ偏重政策ニ禍セラレ疲弊困憊愈加ハリツツアリ護国ノ根幹ヲナス吾等町民ハ将ニ此ノ秋、起タヅンバ又何レノ日アランヤ、茲ニ建国伝統ノ大精神ニ基キ
皇祖ノ遺訓ヲ奉體シ農村立国政策ノ復活実現ヲ期スルト共ニ相互一段ノ恪勤精励ヲ契ヒ以テ本町経済更生ノ徹底ニ努メンコトヲ期ス

 昭和十三年八月廿二日

          社町経済更生町民大会


  決  議

今次事変ノ進展ニ伴ヒ農業生産力ノ維持増進、農村経済ノ安定向上ハ益々其ノ急ヲ要ス吾等ハ自奮自励克ク時艱ニ対処スルト共ニ左記事項ノ実現ヲ期ス
一、本町ノ経済更生ハ計画的ニ其ソ進路目標ヲ定メ之レヲ明示シ協力競進セシムル事最モ緊要ナルヲ以テ速カニ経済更生計画ノ樹立並農村経営改善事業ノ普及徹底ニ努ムル事

右決議ス

 昭和十三年八月廿二日

          社町経済更生町民大会

   
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昭和13年-社町経済更生計画の実行順序

2009年12月13日 06時34分10秒 | Weblog
 昭和13年(1938)、経済更生町村に指定された社町(旧社町のこと)では、計画樹立と実行計画の概要を決めています。その内容を紹介します。



 社町経済更生計画樹立実行ノ順序

一、社町経済更生委員会ノ開催
1.部属ノ制度
 一 生産部-農会
 二 経済部-産業協会
 三 商工部-商工会
 四 教化部-小学校長
 五 統制部-役場当局
2.計画樹立ニ関スル実施事項
 進行ノ順序方法決定事項
3.基本調査事項及方法ノ打合
4.全村教育実施ニ関スル協議其ノ他

二.経済更生委員会組織(八月中)
 幹部ヲ以テ経済更生委員会ヲ組織スルコト

三.全町教育
1.全町教育ハ町民全体ニ経済更生計画樹立ニ関スル趣旨ノ徹底ヲ図リ併セテ基本調査ノ正確ヲ期スル目的ヲ以テ実施スル
八月二十二日午前八時一堂入場着席
1.別紙順序書通リ 午前中
2.経済更生委員会 午後一時ヨリ二時
  委員及委員会ノ使命遂行其ノ他ニ関シ県係員等共ニ協議懇談ス

四.基本調査
 全町教育実施ノ直後ヨリ調査ヲ開始シ九月二十日迄ニ完成スルコト

五.基本調査ノ作成 役場吏員ヲシテ分担指導シ当ラシム 九月末日
1.基本調査書ノ作成
2.委員会ノ部長会於テ現状調査書ヲ作成ス
  基本調査書及現状批判書ハ各委員ニ配布ス

六.委員会         十月末日
 現状ニ基キテ批判検討シ経済更生計画ノ大綱目標及計画事項等ヲ協議決定ス

七.計画        十壱月末日
 各委員ハ分担シテ委員ト共力シ民ニ現状ヲ説明シテ自覚セシメ更ニ計画ノ目標並計画ノ大綱及計画事項等示シテニ適当ナル計画ヲ立テシム

八.各部族委員会      十二月末日
 各部属毎ニ小委員会ヲ開キ計画ヲ審査検討シ同時ニ町村経済更生計画ノ部門毎ノ原案ヲ立テ統制部及常任委員ハ総合計画ノ原案ヲ作成シ委員会ニ提案ス

九.委員会(計画ノ綱目ヲ決定スル委員会)  十二月末日
 原案ニ基キテ再検討ヲ加ヘ総合シテ実行方法ヲモ協議決定シテ計画ヲ確定ス

一〇.実行計画ノ競艇及確定   二月上旬
 第壱年度実行計画案ヲ作成シ委員会ニ諮リ実行主体幹部ノ協議会ヲ開催シテ実行事項実行ニ伴フ経費ノ捻出計上等ノ打合セヲナス

一一.団体ノ予算編成    二月中旬
 更生計画ノ実行ニ要スル経費ヲ各団体毎ニ計上シテ予算ヲ整備編成ス

一二.更生計画ノ実行ヲ宣誓スル町民大会  三月末日
 1 開会ノ辞
 2 修祓
 3 降神
 4 献餞
 5 祝詞奏上
 6 委員長宣誓
 7 玉串奉奠
 8 撤餞
 9 昇神
10 計画大要説明
11 講演
12 閉会

一三.経済更生委員会
 委員会ハ月例的ニ開催シ実行ノ促進並確保ニ努ムルコト
 殊ニ実行組織ノ整備強化各戸計画ノ確立等ニ充分意ヲ注ギ計画全体ノ遂行ニ努ムルコト

一四.部落常会
 計画実行ヲナスタメ常会ヲ開催スルコト

  
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