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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和19年-町葬執行計画

2008年10月31日 05時33分39秒 | Weblog
 昭和19年(1944)10月13日、社町出身軍人の戦死者の合同町葬が行われました。その執行計画は次の通りです。

   海軍大尉      大橋常孝
故 海軍々属司政官  小寺義一 君ノ合同町葬執行計画
   陸軍兵長      石井 博

一、日時場所  昭和十九年十月十三日午後一時  於社国民学校
二、葬家参列者 (葬家開式ハ大橋家 午前 九時五十分    十一時二十分
              小寺家 〃 十一時二十分    出発ハ 十二時   トス
              石井家 〃 十一時二十分         十二時
   大橋家  助役、分会長
   小寺家  軍友会長、警防団長
   石井家  町長、国民学校長

三、諸要因並材料差出
1.式場設備及材料
 イ.十三日午前八時迄ニ社国民学校ニ左記材料ヲ差出サレ度
   縄約一貫目位(出水)三尺杭十本(鳥居)カケヤ一鎌一(喜田)
 ロ.国民学校上級生ヲシテ式場設備ニ付協力セラレ度
2.儀仗兵
 葬列儀仗兵トシテ各葬家ヘ青年学校ヨリ二名宛指名シ当日出発時迄ニ派遣セラレ度当葬場ノ儀仗モ兼ネラレ度

四、休憩所ノ準備
 国民学校ニ於テ夫々御準備セラレ度従前通リ

五、葬儀委員分担
  町及農業会  町長以下各吏員  全般、受付、庶務、式場係
  町会議員   接待(休憩所係)
  区 長     受付及場内整理
  町 医     救護係
  団体(男子) 整理及団体
  団体(女子) 接待
 各委員ハ正午頃社国民学校ニ参集ノコト(但シ葬家参列者ヲ除ク)

六、寺行別紙ノ通リ

七、其ノ他前例ニヨリ行フ

以上の通りです。別紙には寺院名、配役、人足などが記されています。寺院名の欄には、持宝院、教王院、華蔵院、善龍院、神咒院、東福寺、円妙寺、教福寺、妙仙寺、観音寺などの名が書かれています。
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昭和19年-自許票や待避所設置の通知

2008年10月30日 05時30分33秒 | Weblog
 「昭和十七年以降 社町役場ヨリノ書類綴 社区」の中に、昭和19年10月4日付で、社町長から区長宛に発せられた「自許票」と「待避所」設置についての通知が綴じられています。
 「自許票」は国民服やモンペ服などに縫いつけてある白い名札のようなものです。戦局がきびしくなり、防空体制の強化が進められていたことが伝わってきます。その文書を紹介しましょう。


 昭和十九年十月四日
          社町長    合田常蔵
          社警護団長  藤本綱吉
各部落区長 殿

 自許票及待避所設置ニ関スル件通牒

標記ノ件今般県ヨリ指令ニ依リ自許票ヲ各人附スル事ト相成候 尚待避所ノ設置モ全部落ニ亙リ作成スル様通知有之候ニ付内一般ニ周知徹底被下度此段及通牒候也

◎細部様式
一、待避所ニ附テ
1.三十名内外ノ人員ヲ収容シ得ルモノ
2.各隣保ニ一個所程度
3.防空壕作成ナキ時ハ壕ニ相当スル待避所ヲ急速ニ設定スル事
4.十月十一日 防空教育訓練実施ニ当リ万全ヲ期セラレ度

二、自許票ニ付テ

       3寸(タテ)
      自 許 票

  血 官衙署学校工場所属機関名及自分
2 液 本籍
寸 型 現住所
    氏名 生年月日

 1.白布ヲ以テ作成スル事
 2.縦三寸横二寸ノ白布
◎3.社町外ニ他出場合ハ必ズ附スル事

◎附着個所
 男子 国民服ノ場合   左前ノ裏
 女子 モンペ服ノ場合  右前ノ裏
  和服ノ場合ハ男女共 上前ノ裏

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昭和19年-疎開対策

2008年10月29日 05時49分47秒 | Weblog
 「昭和十七年以降 社町役場ヨリノ書類綴 社区」の中に、昭和19年(1944)の8月の文書の中に、防空対策としての疎開に関する文書が綴じられています。
 疎開者のための住宅の斡旋、疎開該当者などが示されており、疎開がどのように行われていたのかを知るうえで参考になる資料です。


 防空対策ニ関スル件

一、一班疎開者ノタメ住宅斡旋

1.疎開ハ家族制度ヲ破壊セズ一家族ヲ揃ヘテ実施然レバ住宅ノ不足ヲ生ズ
2.疎開者ノタメ極力住宅ノ供出ヲ切望ス
3.各区ニ於テ左記ニ該当スル家屋ハ本月二十八日迄ニ取纏メ申告願タシ
イ.一戸ヲ構ヘ得ルモノ
ロ.一部改造ニ依リ一戸ヲ構ヘ得ルモノ
ハ.間貸シノ出来得ルモノ  以上

申告様式
 所在地 所有者名 種別 坪数 畳数 収容予定人数 炊事場有無 備考

4.疎開者受入ノタメ一部改造ヲ要スルモノニハ県補助金アリ
   弐千円以下ニ限ル  六割
5.以上一戸ヲ差スハ一家庭ノ離座敷又ハ一世帯ノ住居出来得ル如キモノヲ云フ

二.疎開該当者トハ(一般及縁故者ヲ有スルモノヲ含ム)

1.一定ノ仕送リヲ受ケテ生活ヲ営ムモノ
2.職業ト名ノ附ク仕事ナク生活ヲ成スモノ
3.出征家族ノ婦女子ノミ生活スルモノ
4.老幼病者
5.其ノ他防空活動ニ立働ク事ノ出来ヌモノ
◎此際疎開該当者ハ速カニ実施セラル様県方針ハ七月中ナリ

三,其ノ他

1.疎開者ニ対スル配給物資ノ斡旋及指導ヲ特ニ依頼

四.縁故者関係

1.疎開該当者ヲ有スル縁故関係者ハ勧状ヲ持ッテ引取方ノ促進ヲ計ラレタシ

五.参考
1.老幼病者トハ
イ.老者  六拾五歳以上ノモノ
ロ.幼者  初等科六年以下ノモノ
ハ.病者  永病人 ブラブラノモノ

六.罹災避難者収容ニ要スル寝具ノ供出ニ関スル件
1.都市(神戸市、尼崎市)空襲ノタメ罹災者収容ニ備ヘテ布団ノ供出ヲ願フ
2.一戸当リ二枚以上準備サレタシ 掛一枚、敷一枚
3.各区ニ於テ何時デモ供出出来得ル如ク用意願度
4.供出数量及個所ハ近日中ニ具体的ニ通知スル筈
5.空襲時罹災者 社町割当人員ヲ参考ニ記入
   割当人員  五千八百九拾六人


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昭和19年-大政翼賛会主催で講演と映画

2008年10月27日 05時43分31秒 | Weblog
 昭和19年(1944)、大政翼賛会社町支部主催の講演と映画の会が開催されています。海員充実運動の一環として行われたようですが、社の佐保座は郡公会堂とともに戦時中こうした映画会や講演会、慰安会などの催し会場としてよく使われていたことがわかります。
 翼賛会支部長から区長宛の通知を紹介します。


社翼第  号
 昭和十九年五月二十四日
     大政翼賛会社町支部長  合田常蔵
社区長殿

 海員充実運動実施ニ関スル件

標記運動実施ニ関シ左記ノ通リ講演ト映画会開催相成リ候条御参集相成リ度此段及通知候也

    記

一、主催    大政翼賛会   後援 神戸新聞社
一、日時    五月二十九日午後一時(時間励行)
一、場所    社町佐保座
一、参集範囲  青年学校、国民学校高等科 生徒 同教職員、地方協力者、婦人会幹部

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昭和19年-食糧増産慰安大会

2008年10月23日 05時43分34秒 | Weblog
 この歴史ブログも気がつけば500回に達していました。今回が501回目です。無尽蔵のふるさとの歴史をこれからも見出し発信し続けていきたいと思います。
 さて、今日は昭和19年(1944)秋に開催された農業会主催の慰安大会の案内と入場券を紹介します。案内文中の佐保座は、社にあった劇場です。また、農業会長の大橋実次氏は社町長、日本運送の創業者として活躍された郷土の偉人です。


謹啓 秋冷の候貴職益々御清適賀奉候
戦局ハ愈々苛烈悽愴の度を加へ量を恃む驕敵に断乎一大反撃を慣行せんとするこの秋銃後の食糧生産の増産確保こそ今より大なるは無しと思考す
この秋に当りあらゆる食糧増産緊急対策に逼迫せる労力資材難を克服し土地改良事業に或は旱魃対策に御敢闘を願ひ予期以上の成果を収め豊饒の秋を迎へたることは邦家の為慶賀の至りと存候本会に於ても之れが労苦に対し深く感謝感銘致し居り候
就ては農家各位に聊かなりとも御慰安をと念ずる意を持って今回佐保座にて(本月二十五日)慰安会を相催し度候条公私御多用中誠に恐縮には候共万障御繰せの上是非御参列被下度此段及御案内候也
 九月二十四日
        社町農業会長
               大橋実次
       殿

入場券(写真)

   食糧増産慰安大会

日 時  昭和十九年九月二十五日
場 所  社町 佐 保 座

 入 場 券(一人一葉限)

晝  晝ノ部  午後一時ヨリ
      主催  社町農業会
□夜ノ入場券ハ晝ハ無効
□子供ノ入場ヲ禁ズ


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昭和19年-祈誓文

2008年10月22日 05時18分44秒 | Weblog
 「昭和17年以降 社町役場ヨリノ書類綴 社区」には、戦局が厳しくなるなか、戦勝祈願祭や出征奉告祭などの案内状が多く綴じられています。そうしたなかで、一枚の「祈誓文」がありました(写真)。
 これは、昭和19年(1944)4月下旬に実施された軍人援護強化運動の中で各、町内会で行われた軍人援護祈念式の祈誓文だと思われます。



 祈誓文

一、皇恩ノ深キヲ思ヒ各職分ニ応ジ奉公ノ誠ヲ尽サムコト
一、戦ガ如何ニ長期ニ渉ルトモ凡ユル困苦欠乏ニ堪ヘ勇往邁進セシムコト
一、隣保共同、一億一心トナリ断乎国難ニ対処セムコト
一、自我功利ノ観念ヲ排シ殉国奉公ノ実践者タラムコト
一、護国ノ英霊ニ感謝シ皇軍将兵ノ労苦ヲ偲ビ彌々軍事援護ノ徹底強化ヲ図ラムコト

 右祈誓ス
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忠魂碑に勇士の名を入魂-昭和19年

2008年10月20日 05時38分24秒 | Weblog
 朝のウォーキングのコースに明治館(加東市社)の庭にある忠魂碑が入っています。
 国道372号線から旧道に入り、下川(社川)を渡って、50段余りの階段をのぼると目の前に忠魂碑が立っています。毎朝、この碑の前で静かに英霊の御霊に静かに感謝を捧げます。忠魂碑には西南戦争(明治10年)から大東亜戦争まで、祖国のために戦って戦陣に散った240余の英霊の尊名が刻まれています。
 さて、戦前はこの忠魂碑の前でさまざまな儀式が行われていましたが、昭和19年の春季招魂祭、勇士名入魂式の案内状を紹介します。


謹啓 春寒料峭ノ候御高堂愈〃御清栄奉賀上候
 陳者来ル三月二十一日春季皇霊祭ノ当日ヲトシテ第二十六回春季招魂祭及(殉国勇士(左記記入)ノ入魂式ヲ左記ニ依リ挙行致スベク候間御多繁ノ御事トハ存候モ御繰合セ御参列相成度
此段 御案内申上候           敬具
 昭和十九年三月十七日
                帝国在郷軍人会社町分会長 菅井良吉
                社 町 軍 友 会 長     神崎福麿

      殿

 左記
一、日時  三月二十一日  午前八時三十分
一、場所  社町忠魂碑前(郡公会堂庭)
一、入魂勇士名
 故陸軍兵長   岸本次男
 故陸軍一等兵  石井鴻太郎

 
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青年学徒錬成場の歴史を今に-八紘寮

2008年10月19日 05時38分46秒 | Weblog
 県立嬉野台生涯教育センター(加東市上久米)の一角に木造の八角形の建物があります。「うれしの資料館」の看板が掛かっていますが、この建物は、同センターの前身である県立公民研修所、さらにその前身の県立嬉野学徒錬成場で宿泊施設として使われていた「八紘寮」を復元してその歴史を伝えようとしたものです。
 現在の生涯教育センターは昭和54年に県下の社会教育の拠点として開設されたもので、来年30周年の節目を迎えます。その歴史の淵源をたどると、今の県立教育研修所(加東市山国)のあたりにあった上記の施設だったのです。
 「八紘寮」という名前は戦前のスローガンである世界を一つの家となすの意味である「八紘一宇」から付けられたものだそうです。八角形の建物の中は柱がなく、真ん中に囲炉裏があり車座になって語ることができるようになっています。この形は今も踏襲され、生涯教育センターの青少年宿泊棟は鉄筋コンクリート造りですが同じ形になっています。
 嬉野台地は現在も教育施設が集中していますが、その先駆であった県立嬉野学徒錬成場の歴史を今に伝えるのがこの八紘寮です。
 
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昭和19年-暦頒布

2008年10月18日 05時27分19秒 | Weblog
 大東亜戦争中の昭和19年(1944)、暦頒布の通知が社町長から各区長宛てに発せられています。別紙の割当表には各戸数も書かれており、当時の各の戸数もわかります。


 昭和十九年一月二十八日
            社町長   合田常蔵

各区長殿

  昭和十九年度暦頒布ニ関スル件

今回昭和十九年度暦ガ頒布割宛有之候条左記事項御了承ノ上頒布ニ関シ格段ノ御配慮相成度此段及通牒候也

     記

一、頒布数ハ左表ノ通リ(本日末迄ニ役場ニテ受領サレ度)
一、頒布料ハ暦一冊ニ付五銭(頒布金ハ各区取纏ノ上二月五日迄ニ役場ヘ納付)

頒布割当表

   戸数   頒布数   頒布料
社    五五九  五一〇  二五、五〇
山国   一五八  一四五   七、二五
松尾    三九   三五   一、七五
出水    五三   五〇   二、五〇
田中    三六   三二   一、六〇
鳥居    三六   三二   一、六〇
貝原    三二   二八   一、四〇
野村    六二   五七   二、八五
西垂水   二五   二三   一、一五
窪田    九一   八三   四、一五
上中    六九   六三   三、一五
梶原    四〇   三六   一、八〇
喜田    三八   三四   一、七〇
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佐保神社の明神講

2008年10月17日 05時07分45秒 | Weblog
 加東市社の佐保神社では明神講が開かれ、秋の祭りが行われました。秋晴れの澄み切った空の下、昼前に講員が参集し、拝殿において祝詞をあげ明神をお祭りしたあと、社務所で直会が行われました。
 『佐保神社誌』によれば、明神講というのは、佐保神社附属の講社で、明神を祭る敬神結社のことだとあります。昔は正月・5月・9月の年3回開講されていたようですが、今のように春と秋の年2回の開講となったのは明治以降のようです。
 その創設時期を示す文書はないようですが、文化(1800年初頭)の頃には連名帳に講員の名が記されているということですから、およそ200年前には明神講が組織されていたということになります。講員の数は30人前後で増減してきたようです。
 文化の頃の講員の連名帳の屋号を挙げてみます。

 東実屋  廣野屋  わた屋  たばこ屋  ならや  三木屋  たまや  表具屋  きく屋  富士屋  かわら屋  いずみ屋  うをや  信濃屋  こめや  家原屋  かどや  おけや  吉田屋  福田屋  大工  八百屋 

などです。地名、職業、商売などを表す屋号ですが、中には今も使われている屋号があり、歴史の古さを感じます。
 
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山国原田池からの夕日

2008年10月16日 06時10分59秒 | Weblog
 加東市山国の東には、大きな溜め池や田圃が広がり、西を臨めば青野原が地平線となって視界が広がっています。標高100メートルあたりの台地面にいくつか大きな溜池があります。口ノ森池、原田池、王子が池などです。
 15日(水)の夕方、神戸からの帰り道、よく晴れ渡っていたのでこの見晴らしのよい原田池あたりから夕日を見ようと車を走らせました。間に合いました。今日の夕日は今日だけのもの。空を茜色に染めて夕日が青野原の向こうに沈んでいきます。ここも加東の美しい夕日を見るポイントの一つです。
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昭和19年-軍人援護強化運動

2008年10月15日 05時44分45秒 | Weblog
 昭和19年(1944)4月、大東亜戦争の戦局が厳しさを増す中、社町長から各区長宛てに「軍人援護強化運動実施」についての通知が発せられています。趣旨に書いてあるように銃後の国民が一億一心で前線で戦う兵隊さんを援護するための祈念式の実施するように、というものです。どのからもそして家からも出征兵士があったわけですから、こうした祈念は切実そのものだっただろうと思います。



昭和十九年四月十七日
          社町長  合田常蔵
各区長 殿

  軍人援護強化運動実施ニ関スル件

来ル四月二十四日ヲ中心ニ軍人援護強調運動実施ニ際シテハ夫々関係各団体ニ於テ活発ナル運動ヲ展開シ時局柄一段ト援護ノ適正ヲ期シ其ノ徹底ヲ図ルタメ左記要項ニ依リ本運動ヲ実施致スコトト相成候条貴ニ於テモ是レガ実施上萬遺憾ナキヲ期セラレ度此段及移牒候也

  左  記

  部落会、町内会軍人援護祈念式要項
一、趣旨
 戦局愈々苛烈深刻ニシテ決戦段階ニ突入セルノ秋、銃後一億一心軍人援護ノ徹底ヲ期シ前線将兵ヲシテ後顧ノ憂ナカラシメンコトヲ御神霊ニ祈念ス
二、期日  昭和十九年四月二十四日午前七時
三、場所  部落会、町内会毎ニ所在神社境内又ハ神聖ナル広場
四、参加範囲 各戸一名洩レナク参加
五、実施事項及順序
 祈念式
 一、開式ノ辞
 一、宮城遙拝
 一、国歌奉唱
 一、祈  念
 一、主催者挨拶(部落会、町内会長)
 一、万歳奉唱
 一、閉式ノ辞

 一
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昭和18年末-米や味噌醤油の配給切符

2008年10月14日 07時14分18秒 | Weblog
 「昭和十七年以降 社町役場ヨリノ書類綴 社区」には、役場から区宛てに発せられたさまざまな通知が綴じられていますが、昭和18年(1943)の年末、翌年度の配給通帳の送付に関する通知がありました。
 米、味噌、醤油、砂糖等毎日の食事に欠かせないものばかりです。区、隣保では配給のために世帯やその人員の把握、報告、配布などを行っていたことがわかります。



 昭和十八年十二月二十二日
             社町長  合田常蔵

社区長殿

 昭和十九年度各種切符送付ニ関スル件

標記切符(通帳)左記ノ通リ送付候条御面倒乍ラ別記ニ依リ記入捺印ノ上十二月三十日迄(成ベク至急)役場迄御届ケヒ下度
此段及依頼候也
  追而 米穀通帳ハ特ニ急ヲ要スルモノナルニ付御了知相成度

   記

一、家庭用米穀購入通帳    四二〇枚(受配給者ノミ)
一、家庭用砂糖購入券(回数) 五五〇枚
一、醤油通帳         五五〇枚(受配給者ノミ)
一、味噌通帳         四八〇枚(受配給者ノミ)
  上記枚数ハ推定ニテ送付シタルニ付不足ノ場合ハ申出ラレ度
  尚過数アル場合ハ返還セラレ度
一、醤油配給消費者登録台帳三四枚

別記
一、米穀通帳ニ就テ
1.注文票及通帳ノ住所及氏名並ニ世話人人員欄等○印箇所ニ所要事項ヲ記入セシメ部落会長捺印箇所ニハ部落会長印ヲ隣保長ノ捺印箇所ニハ夫々捺印ノ上提出ノコト
2.重労働者等増配ヲ受クルモノハ役場ニテ労働者証ノ交付ヲ受ケシメラレ度
二、醤油通帳ニ就テ
1.住所氏名ト町部会長印欄ヲ捺印ノ上提出ノコト(人員記入ヲ要ス)
3.味噌通帳  醤油ニ同ジ
4.砂糖購入券 醤油ニ同ジ
五.醤油台帳ハ社区ハ組毎ニ其ノ他ハ内隣保順ニ氏名記入世帯人員記入ノ上提出ノコト
六.味噌醤油ハ配給台帳ニヨリ製造者ニハ交付セザルモノトス
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昭和17年-光明寺花まつり法要変更のお知らせ

2008年10月13日 08時51分09秒 | Weblog
 播磨高野とよばれる真言宗の古刹、加東市の五峰山光明寺では、毎年5月3日に「花まつり」(お釈迦様の誕生日)が行われ、多くの参詣者で賑わいます。この「花まつり」はもとは4月8日に行われていたのですが、太陽暦の普及する中、昭和17年から5月8日開催に変更されました。ここにその変更を知らせる通知があります。


拝啓春暖之候貴区内各家益々御安泰之條奉大賀候
陳者甚ダ突然御迷惑之儀ニ候ヘ共左記要項御一覧ノ上貴区内各位ヘ可燃御伝達被成下度此段御依頼申上候      敬具
 昭和十七年四月二十日
        兵庫県加東郡瀧野街光明寺 光明寺住職大慈院住職  松本瞱
区長殿御中

 左記要項
一、卯月八日花まつり法要ヲ本年ヨリ毎年五月八日ニ日時変更ノ件
 従来当山ノ例祭ヲ陰暦四月八日ト定メ奉安ノ日本一幅善導大師自画尊像ノ御開扉ヲ仰ギ其御宝前ニ於テ新亡霊及有縁幽縁ノ聖霊水向塔婆供養ノ法儀ヲ厳修シ諸霊ノ追善菩提ヲ祈念シ来リ申候
然ルニ時代ノ進運ハ此旧暦踏襲ヲ許サス迷信打破ニ災サレテ遂ニ陰暦削除トナリ幾百年来伝統的ニ勤メ来ル所謂卯月八日ノ日時変更ノ止ム無キニ立チ至リ申候
就テハ本年ヨリ毎歳
  陽暦五月八日、九日
ヲ以テ善導大師開扉ト定メ従来通リ大師尊像御宝前ニ於テ一般参詣者ノ水向塔婆供養ノ恒例法要ヲ修行仕リ十方檀縁ノ新亡霊ノ離苦得脱往生極楽ヲ祈念シ有縁幽縁ノ各聖霊ノ頓生菩提ヲ追願申度候御面倒恐入候ヘ共何卒貴区内各家ヘ此旨御伝達下サレテ当日近隣御誘合賑々敷御参詣下サル様特ニ御宣伝方御懇願申上候
一、花まつり法要と殉国英霊供養ノ施行
 法道仙人開基以来一千三百五十年ノ古キ歴史ヲ持ツ当山光明寺ハ大悲観音応現ノ霊域ニシテ未来成仏ヲ司ドル善導大師ト合セ現当二世利益全キ名刹ニ御座候
然レバ支那事変勃発以来既ニ六星霜此間醜ノ御楯トナリテ護国ノ神ト化セラレシ数万ノ英霊ハ靖国ノ宮居ニ永劫ニ神鎮マリ玉フト雖モ又永年日本仏教ノ宗教的儀式ニ於テ仏ト祭リ読経仍ツテ此花まつりヲ厳修スルニ際シ各有縁ノ忠霊ヲモ共ニ供養シ奉ル事ガ則宗教報国ノ一端カト存ジ候
就ハテ甚ダ御手数恐入候ヘ共若シ貴区内ニ英霊ヲ持ツ名誉ノ家有之候節ハ別項ヘ御記入御届下サレバ当寺備付ノ台帳ヘ書写シ当日ノ供養ハ勿論永久ニ祭祀可申候間宜敷御取計ラセ下サレ度重ネテ御以来申上候


この通知のあとに、六柱の英霊の一覧が綴じられています。その戦死年月日、戦死の場所は次の通りです。
昭和13年10月 7日   支那事変 中支
昭和13年10月15日   支那事変 北支
昭和15年 8月14日   支那事変 北支
昭和16年12月17日   南洋群島方面
昭和13年 2月13日   支那斉寧紋上附近
昭和13年11月13日   南支 広東

                     
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佐保神社の秋祭り-上組屋台

2008年10月12日 06時21分20秒 | Weblog
 今年も佐保神社(加東市社)の秋祭りが始まりました。11日(土)は宵宮、12日(日)が本宮です。本宮には4台の太鼓屋台が繰り出します。宵宮には社の上組、下組の2台が市街地を巡行し、夜には佐保神社の門前でそろいます。
 上組では秋祭りに備えて、若鯱会(保存会)の若者らが1ヶ月前から準備にかかり、太鼓倉では毎晩、屋台の飾り付けや太鼓の練習に取り組んできました。太鼓の乗り子の小学生も若者の指導で腕をあげてきました。10日(金)には倉の前で前夜祭が開かれ、雨になりましたが多くの人が倉を訪れ、豪華な屋台と威勢のいい祇園囃子を堪能しました。写真は11日夜の電飾の上組屋台です。
 いよいよ12日は本宮。今年も立派な宮入りを皆さんに披露したいと思います。
 
 
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