「孝女ふさ」の話もいよいよ最終章です。
四 後の幸福(しあわせ)
父は随分手を尽くして養生もし、またおふさも為(で)きるだけ慰めもし、神仏も祈りましたが、とても助かる見込みのない病気という事が分かりましたので、父はある日おふさを枕許(まくらもと)へ呼びまして
「おふさや、私も年が老(よ)って、こんな大病に罹ったので、今度はとても助かるまいと思う。私に働きの無いばっかりに、幼いお前に大そう苦労を掛けてついぞ今まで親らしい事もせないが、奉公に出したのさえ恨まず、こうやって時々尋ねて来れる孝心は、死んでも忘れる事はできぬ。村中のお方が、おふささんは孝行じゃ、おふささんは感心じゃと言われる毎に、私の肩身が広うなって、お前のような娘を持った仕合せを有り難う思います」と、涙と共に喜びました。
まもなく父は病死しましたので、おふさは天地も覆るように悲しみましたが、その中でも母への孝養を怠りませんでした。主人持ちでは思うような助けも出来ませんので、家へ帰って孝養を尽くしたいと思いまして、その事を主人に頼みましたが、おふさが忠実(まめまめ)しく働いてくれるので、主人は惜しがって容易に暇を呉れませんでした。それで暇のある毎に家へ帰って、母の心を慰めては
「お母さま、ご心配なさいますな。随分心を大きく持って在らっしゃい。その内にお暇を戴いて、お母さまを安息に致します」と云い云いしました。
母は良人(おっと)に死に別れても、後にお房が居ますので、おふさを杖に生きて居ました。おふさは主人大事と働きながら機(おり)があると主人の前へ出まして
「お母さん一人で淋しがって居りますから、どうかお暇を下さりませ。長の年月の御恩は忘れません。その内、母を見送りましたら、一生涯御奉公をして、これまでの御恩を送ります」と頼みました。
その心を推察して、主人はとうとう暇を呉れました。おふさは歓んで家へ帰り、母の綿つむぎの手伝いをして、乏しいながら心安い世を送りました。
おふさの孝心がいつの間にか役人衆の耳へ入りまして、御褒美のお金を戴きました。それが段々世間の噂になって、諸方から同情を得まして、後には大へん幸福な生涯を送りました。
以上が『孝子物語』にある「孝女ふさ」の物語でした。
四 後の幸福(しあわせ)
父は随分手を尽くして養生もし、またおふさも為(で)きるだけ慰めもし、神仏も祈りましたが、とても助かる見込みのない病気という事が分かりましたので、父はある日おふさを枕許(まくらもと)へ呼びまして
「おふさや、私も年が老(よ)って、こんな大病に罹ったので、今度はとても助かるまいと思う。私に働きの無いばっかりに、幼いお前に大そう苦労を掛けてついぞ今まで親らしい事もせないが、奉公に出したのさえ恨まず、こうやって時々尋ねて来れる孝心は、死んでも忘れる事はできぬ。村中のお方が、おふささんは孝行じゃ、おふささんは感心じゃと言われる毎に、私の肩身が広うなって、お前のような娘を持った仕合せを有り難う思います」と、涙と共に喜びました。
まもなく父は病死しましたので、おふさは天地も覆るように悲しみましたが、その中でも母への孝養を怠りませんでした。主人持ちでは思うような助けも出来ませんので、家へ帰って孝養を尽くしたいと思いまして、その事を主人に頼みましたが、おふさが忠実(まめまめ)しく働いてくれるので、主人は惜しがって容易に暇を呉れませんでした。それで暇のある毎に家へ帰って、母の心を慰めては
「お母さま、ご心配なさいますな。随分心を大きく持って在らっしゃい。その内にお暇を戴いて、お母さまを安息に致します」と云い云いしました。
母は良人(おっと)に死に別れても、後にお房が居ますので、おふさを杖に生きて居ました。おふさは主人大事と働きながら機(おり)があると主人の前へ出まして
「お母さん一人で淋しがって居りますから、どうかお暇を下さりませ。長の年月の御恩は忘れません。その内、母を見送りましたら、一生涯御奉公をして、これまでの御恩を送ります」と頼みました。
その心を推察して、主人はとうとう暇を呉れました。おふさは歓んで家へ帰り、母の綿つむぎの手伝いをして、乏しいながら心安い世を送りました。
おふさの孝心がいつの間にか役人衆の耳へ入りまして、御褒美のお金を戴きました。それが段々世間の噂になって、諸方から同情を得まして、後には大へん幸福な生涯を送りました。
以上が『孝子物語』にある「孝女ふさ」の物語でした。