朝の便で、羽田へ。
京急で東銀座へ。そこで地下鉄日比谷線に乗り換えて、神谷町へ。
ロシア大使館を警備しているおまわりさんの物々しさに驚きながら、麻布台ビルへ。
全国公営競馬獣医師協会の事務所へははじめて来た。
午後、総会。
そのあとで、1時間、競走馬の骨折の応急処置と治療について語らせていただいた。
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研修事業に20年協力してきたことに感謝状と立派な記念品をいただいた。

懇親会の三次会から抜けて、外へ出たら、東京タワーが輝いていた。
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また早朝の便で北海道に戻り、昼過ぎに職場へ出たら、午前中に開腹手術があったとのこと。
午後にも当歳馬の疝痛がやって来た。
(私は先生より少しだけ年上だと思います。)
それが先生たちの努力で、治る、競走馬に復帰もあり得るケガになったのかなと思います。
私の競走馬の骨折には以下の思い出があります。
(持)ヤマニンペニーという馬の育成時代にアルバイトで世話に関わり(背中にも跨がった)ました。
ヤマニンペニーは父ニジンスキーの持込馬で自分はオープン特別(今はほとんどG3に格上げされている)を勝って繁殖に上がりました。
初子がヤマニングローバルだったと思います。若い武豊を擁し3歳(当時は数え年齢だったので)で重賞を制覇し、気の早いマスコミは次のダービー馬とも言われていました。ところがダービー前のレースで蹄骨(だったと思います。)骨折、終わってしまったと思われていました。
当時はこのことだけで新聞ネタとなるボルト固定で再起を目指しました。
再起まで1年以上かかり、復帰後レースを重ね目黒記念かアルゼンチン共和国杯を勝ちました。もう30年程前のことです。
たぶんボルトを付けた初の重賞勝ち馬だったと思います。
このブログを読んでいると技術の進歩、時代を感じます。
ヘロヘロに疲れそうですが、戻るなり早速に。
このカメラは見えたままに写すのでしょか?東京タワーもネギ間のような標識もどこか意味深げ。
馬整形外科が飛躍的な進歩を遂げた30年だったと思いますが、先人の努力や周囲の理解があればこそだと思います。
そして、世界の最先端はもっと先を行っています。遅れずついて行かなければ、と思っています。