真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「緊縛の情事」(昭和54/製作:若松プロダクション/配給:新東宝映画/脚本・監督:高橋伴明/撮影:長田勇市・倉本和人/照明:磯貝一・西池彰/編集:酒井正次/音楽:田中丈晴/助監督:磯村一路・福岡芳穂/録音:銀座サウンド/現像所:ハイラボセンター/出演:岡尚美・島明海・沢木みみ・悪源太義平・宮田諭・鶴岡八郎・下元史朗・馬津天三・森忍)。出演者中、沢木みみがポスターには沢木ミミで、音楽の田中丈晴がポスターでは浪漫企画。
 いはゆるM字開脚の足を閉ぢた形を、尻側から象つたオブジェ。多分ゴールデン街ら辺のバー「もんきゆ」?―看板の、大きく弄つた平仮名が正直正確には判読不能―の手洗ひ、夏子(岡)と心許ない消去法で森忍がせゝこましく情を交す。用を足さうとしたノコ(沢木)が店を任されてゐるクミ(島)を呼び、中で致してゐる気配に唖然とする。漸く現れたマスターのロク(悪源太)は、女子二人が二の足を踏むその場に脊髄で折り返して介入、男を先に排除する。ところが夏子は、十年前ロクと同棲してゐた仲だつた。ロクの店とも知らず、刹那的な男漁りに耽つてゐた夏子は、「ロクちやん、老けたね」と言ひ残し摘み出されることなく「もんきゆ」を去る。夏子が翌日も「もんきゆ」に昨晩の粗相を侘びがてら顔を出すと、今度はクミが遅れて現れる。空気を読んだ夏子がそゝくさ捌ける一方、ロクに想ひを寄せるクミは、割と露骨に恨めしがる。
 配役残り、何か知らんけど議論してゐたりする若者で埋まる―時は埋まる―十人弱くらゐの、その他大勢「もんきゆ」要員、カウンター左端が定位置の馬津天三が僅かに特定可能。宮田諭は、ノコの大体ボーイフレンド・トシちやん。プロアマ不明ながら、童話を嗜む。件の十年前、当時自称芝居バカのロクと一緒に暮らしてゐたナンバーワン・ホステスの夏子が、後妻の座を狙ひ鞍替へした弁護士が鶴岡八郎、尤も籍は入れて貰へなかつた模様。大概ぞんざいに飛び込んで来る下元史朗は、ロクと夏子がライオンファイアした焼けぼつくひにすつかり捨て鉢なクミが、名前も名乗らないまゝ連れ込みに入る男。潔く御役御免で駆け抜けて行く、完遂しないけれど。
 九作前の「ある女教師 緊縛」(昭和53/音楽:PUPA)同様、Nazarethの6thアルバム「Hair of the Dog」(1975)を大絶賛無断サントラに使用する高橋伴明昭和54年第四作。掘つて行けば、まだまだ見つかると思ふ。
 谷でなく、丘の方のナオミでより泥臭く、なほ実戦的なサドマゾを。例によつてそんなところであつたのではと思しき新東宝の企画意図に対し、一昨日から蘇つて来た、夏子にロクをカッ浚はれたクミが胸を痛める構図は所詮横道であつたにせよ、思ひ詰めた風情が素晴らしく画になる、美少女系として2021年でも全然通用し得よう島明海を二番手に据ゑてゐる時点で特に問題もなく肯ける。ところが高橋伴明が前半の大半を費やすのは、生きよ堕ちよを地で行くロクと夏子の、覚悟と限りなく同義の情愛。簡単に片付けるとロクが十年ぶりに抱いた夏子は、鶴岡センセイ(仮名)にすつかり縄の味を仕込まれ、普通のセックスでは感じない体になつてゐた。要はそれだけといへばそれだけの、至つてシンプルな、もしくはカテゴリー上ありがちなお話にしては、重たい再会に手数を割くのに感(かま)けてゐるうちに、夏子の回想―または告白―の形で漸く本格的なSM映画の火蓋が切られるのが、尺の折返しも既に越えてからといふのは、些かでなく遅きに失する。さうなると、処女はトシちやんに投げ売りしたクミが次々偶さかな男と寝るのに並走して、ロクと夏子がずぶずぶ深みに嵌つて行く後半は、単純な、あるいは物理的な女の裸比率にだけ目を向ければふんだんではあるものの、ひとつひとつの絡みを中途また中途で等閑に使ひ捨てて行くしかなく、直截には拙速も通り越しガッチャガチャ。ロクが臆面もなく「もんきゆ」の敷居を跨がせた夏子を終に切羽詰まつてクミが刺したところ、コートの下はあらうことかパンティ一枚の、夏子の体にはしかも緊縛が施されてゐた。衝撃を受けたクミが、ちんたら股縄を喰ひ込ませてみる他愛ない自縛が間の抜けたタイトルバック。の末の、「判んなあい」と結局クミが匙を投げる泣き言がオーラス、俺にも何がしたい映画なのか判んなあい。隣の間から抜ける和室と、安コーポの六畳間といふロケーション自体の根本的な差も否み難いとはいへ、頻繁にカットバックする夏子の対センセイ対ロク二つの“緊縛の情事”、奥行きなり陰影のキマッた前者に、後者がパッと見の画面(ゑづら)で既に負けてしまつてゐるのも如何せん厳しい。
 酷い酷いと逆の意味で滅法評判の悪源太義平(a.k.a.関谷義平/一昨々年死去)は、アングラ演劇畑ではそれなりに名前の通つた人物であつたらしい。昭和世代には有名な、スキー帽を被つた心霊写真―ではないのだが―にも似た無表情すれすれの馬面と、恐らく何処訛りでもない謎抑揚を駆使してのける、伊藤猛よりも朴訥としたある意味エクストリームな口跡は良くも悪くもワン・アンド・オンリーではあれ、台詞を放り込む間には確かな輝きか鋭さを窺はせ、地味に強い佇まひは、エモーションを決して感じさせなくもない。ただ、それでもこの映画の死因は、矢張り悪源太義平なんだなこれが。なんとなれば、まあこの人途轍もなく濡れ場が下手糞。近年外様作が連れて来る筆卸男優部でも、ここまで動けなくはないといふくらゐ全く何にも出来ない上に、高橋伴明がどうにかぽんこつマシンをどやしつけようとした苦戦の形跡も、別に見当たりはしない。ビリング頭に誰を連れて来てどんな物語を如何に撮らうとて、折角の女優部を介錯するのが大根以下の木偶の坊では、流石に裸映画は始まらぬ。


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