真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「SMクレーン宙吊り」(昭和61『緊縛・SM・18才』の2007年旧作改題版/製作:国映/配給:新東宝映画/監督:片岡修二/原作:春野妖鬼『地獄のローパー』より/脚本:片岡修二/撮影:志村敏雄/照明:斎藤正明/編集:酒井正次/助監督:橋口卓明/音楽:芥川たかし/撮影助手:下元哲/照明助手:坂本礼・伊藤裕/緊縛指導:リャン・ハン・C・バリー/車輌:JET RAG/出演:早乙女宏美・杉下なおみ・清川鮎・最上美枝・更科詩子・下元史郎・池島ゆたか・福田彰・外波山文明)。監督助手に力尽きる。
 SMクラブ「倒錯の館」を、一人の男が訪れる。店のオーナー(池島)は、客(外波山)にそれぞれのコース内容と料金とを説明する。曰くSコースはサド≒サードといふことで野球選手、特に三塁手に人気であるだとか、女装コースは助走が必要といふ訳で陸上の跳躍選手に人気があるだのと、外れてしまはないのが不思議ですらあるオヤジ・ギャーグ(オールナイト当時の大槻ケンヂ風に読む)が、Mコースに関しては思ひつかなかつたのか割愛しつつも矢継ぎ早に繰り出される。とはいへオチのスカトロコースが、「スカッとろ爽やかコッカコームインー♪」なんてので官庁勤めの役人に人気だなどといふのは、幾ら何でも流石に力技に過ぎるか。浣腸≒官庁といふ駄洒落だけでは、あまりにあんまりだといふ判断ならば酌めぬでもないが。観客のテンションを投影してか呆れかけた外波山文明が投げやりにSコースを注文したところで、「キュイーン♪」と訳の判らないSEと共にタイトル・イン。
 現れたM嬢・マリア(杉下)を、外波山文明は手酷く鞭で痛めつける。痛めつけただけで気が済んだのか、そのまま交はるでもなく金を払ひ立ち去らうとする外波山文明を、池島ゆたかは呼び止める。女に対する明確な憎悪が看て取れる外波山文明は、かといつてSではなければ、無論Mでもない。とはいへ確かに、倒錯の世界の住人ではある。対して外波山文明は打ち明ける、自分の恋人が、暴走族「ボンバーズ」にさらはれた。今頃は陵辱の限りを尽くされてゐる最中に違ひない、だから女が憎いのだ、と。犯されてゐる恋人の方が憎いのか?と池島ゆたかが首を傾げると、外波山文明は補足する。ボンバーズは女暴走族で、さらはれた恋人といふのは、美少年・ワタル(福田)であるといふのだ。SでなければMでもないが、確かに倒錯性癖の持ち主である筈の外波山文明が実は男色といふのは、ギャグの落とし処として見事に秀逸。と素直に感心させられかけた矢継ぎ早、次のカットから片岡修二はギアをトップの更にその先に、無理から押し込んで捻じ壊してしまふ。ボンバーズ殲滅を果たすべく、池島ゆたかは一人の男を呼び込む、「完璧なサディスト、地獄のローパー!」。すると文字通り「ジャーン♪」といふファンファーレに乗り、マカロニ・ウエスタンも通り越し殆ど東映特撮ヒーローもののノリで、乗馬靴とドクロ入りの眼帯を左目にキメた地獄のローパー(下元)登場。カッコいいことはカッコよ過ぎるくらゐなのだが、一体何なのだこの映画?ホルスターから抜いたロープを投げ縄の要領で放つと、ロープはマリアの体に絡みつく。操り人形でも弄ぶかのやうに緊縛したマリアの自由を封じたローパーは、三味線屋の勇次よろしくロープをピン!と弾く。するとマリアは身悶え今や身も心もローパーの為すがまゝ、秒殺で調教が完了してしまふのであつた。センス・オブ・ワンダー!とでもしか言葉が見つからない、何をいつてゐるのか早くも我ながら判らないが。
 所変りボンバーズアジト、ベッドに大の字に縛り上げたワタルに、リーダーの真知子(清川)が無理矢理跨る。ボンバーズのメンバーは他に、爆乳といふか直截にいへば太い方もしくはデカい方(最上)と、細い方あるいは小さい方(更科)。三人の前に、“男に負けない”といふチーム・ポリシーに惹かれた、謎のスケバン・メグ(早乙女)がボンバーズ加入を求め現れる。一方、険しい山道を、ローパー以下一行がアジトを目指して進む。外波山文明が差し伸べた手を、自分を助けて呉れるものかとマリアが勘違ひしてゐると、同性愛者の外波山文明が助けようとしたのは、女のマリアではなく足の不自由な―設定で松葉杖を突いてゐる―池島ゆたかであつた。といふこれ又よく出来た小ネタを挿みつつ、いざアジトに辿り着くとローパーは、「ここから先は足手纏ひだ」と残る三人を追ひ返す。「ぢやあ何で皆でこんなところまで来たんだ!」と憤慨する外波山文明に対し、池島ゆたかは「間がもたないと思つたんでせう?」。ギャグになのかアンチ・ヒーローになのか、軸足を何処に置いてゐるのか冷静に考へてみるとよく判らなくもなつて来る作劇は、まとまりを欠くといへなくもないが、最終的には、比類ない破壊力が全てを圧倒する。
 ここから先のローパー対ボンバーズ戦以降は、ピンクだとかSMだとかいふ領域を軽やかに越え、いはば何でもアリな荒唐無稽アクション映画のスペクタクル。小用に立つた更科詩子は降つて来た仕掛け網に捕らへられると、媚薬を塗り込ませたバイブの餌食に。投げロープにキャプチュードされた最上美枝は、真知子が駆けつけたところ憐れな羽虫の如く、部屋中に蜘蛛の巣のやうに張り巡らされたロープに絡め捕られてゐた。真知子はロープの巣越しにローパーを狙つて銃を抜くが、弾丸がロープを一本切る毎に、最上美枝の体は一層締めつけられ、苦悶の果てに終には絶頂といふ屈服を迎へるのであつた。何が何だか判らないが、兎に角凄い世界であるのは疑ひない。近年の凡庸なVシネしか知らぬ若造―といふほど若くもないのだが―ピンクスにとつて、解き放たれんばかりの勢ひで羽ばたく片岡修二の縦横無尽なイマジネーションは、あまりにも強烈。
 昇天した最上美枝の姿にローパーの調教への思慕を禁じ得ない真知子は、何と堂々と織井茂子の主題歌まで繰り出しての、「君の名は」ならぬ君の縄のパロディも経つつローパーの愛の軍門に下る。といふか、この期に改めて気づいてみたがそもそも真知子ではないか・・・・!勿論、ショールを肩から下に垂らすのではなく上に頭部を包(くる)むやうに巻く、いはゆる「真知子巻き」も披露する、松竹はこのことを知つてゐるのか。昭和61年当時、勢ひに任せドサクサに紛れたであらう雰囲気は兎も角、それをのうのうとこの期に新版公開してみせる新東宝もいい度胸だ。
 不甲斐ないボンバーズに、メグは見切りをつける。かつてローパーの左目を潰したのは、実はメグであつた。その際ローパーに抱かれるも、メグは決してローパーの調教に屈服しはしなかつた。翻る鉤十字の大旗もバックに、ナチスの軍服に身を包み、メグはローパーとの最終決戦に赴く。何でまた選りに選つてナチなのかは、大した理由は多分全くなかろう。頑強に非服従に徹さんとするメグと、ナチズムの暴力と恐怖による支配とは相反するやうにも思へなくもないが、さういふ野暮を吹いてゐる場合ではない。対するローパーは、クレーン車を運転し現れる!一言で困惑にも似た興奮をいひ表すならば、こんな映画観たことねえよ、何処まで行くのか片岡修二。港湾地帯の一角にて、終にローパーとメグが再び対峙する。ロープとチェーンの対決は余裕綽々のローパーに軍配が上がるものの、なほも怯むことなく、ならばとメグはヌンチャクを取り出す。早乙女宏美のヌンチャク捌きはまるで素人芸なのだがそんなことはさて措き、メグのカウンターの一撃はローパーの残つた右目も潰す。自由自在の攻撃面は兎も角、どうやらローパーはディフェンスに難があるやうだ。光を失ひながらも、ローパーのロープは、苛烈な筈の調教を裏支へる愛は、終にメグを捕らへる。するとローパーはメグを、クレーンで

 地上数十メートルに宙吊りにする。

 実は今作には、二つの連続した物語としての前作が存在するとのこと。前作「逆さ吊し縛り縄」(昭和60/監督・脚本:片岡修二/主演:早乙女宏美・下元史郎)に於いて、ローパーが縄師になつた由来や、メグがローパーの左目を潰した因縁も描かれるといふ。二作に跨つたメグとローパーの壮絶な大ロマンは、ここに性的興奮とか何とかいふ領域を遙斜め上に突き抜けた、壮観なファンタスティックに結実する。といふかクレーン車の全景を丸々捉へるほどのロングにカメラが引いてしまへば、いふまでもなくオッパイだのお尻だのといつてまともに見える訳がない。この期にいふまでもなく、そもそもさういふ平板な、価値観の範疇に収まり切るシークエンスではないのだ。加へて全篇を通して、ピンク映画といふカテゴリー上不可避な、予算規模の小ささから拭ひ切れない物理的映像のチャチさは目につかなくもないとはいへ、そんなことも最早瑣末だ。規定された脱ぐ女優の人数と、濡れ場の回数。それさへクリアされてあれば、後は何をやつても構はない。しばしばさういふ形で語られるピンク映画の、作家主義観点から肯定的に捉へられる自由な側面。かつてそれを極限まで推し進めたとへば映画の撮り方を覚えてゐた頃の瀬々敬久の、プログラム・ピクチャーの枠組みを完全に突き抜けた轟音大傑作群を送り出した国映からは、その以前に、毛色は全く異なれど斯くも偉大な怪作が生まれてゐたのか。片岡修二も国映も、昨今の箸にも棒にもかゝらぬ体たらくからはまるで窺へない、などといふ憎まれ口はこの際控へよう。甚だ俗つぽい物言ひにもなつてしまひ恐縮ではあるが、今からでも、たとへばクエンティン・タランティーノ辺りに今作の脚本を渡したならば、十二分に世界を獲れるのではなからうか。“今からでも”とはいふものの、今作に追ひつき得る時代など、「せえの」で全人類が一斉にニュー・タイプに覚醒でもしない限り、終には訪れ得まい。随所で狂ひ鳴く、疾走するリズムに勇壮な男声コーラスを乗せた、エモーションが燃え滾るメイン・テーマも捨て難く、正しく総合芸術としての面目躍如。全てを超えるといふのが些かの過言でない、ハチャメチャながらも同時にれつきとした一つの想像力の到達点である。

 新東宝は余程ノリノリなのか、新版ポスターの惹句も絶好調。「謎の縄師VS男を犯す女暴走族集団のアルティメット・バトル!」といふハクいメイン・キャッチに続いて、“チェーンが唸る!”、“縄が締める!”、“裸女を吊るしたクレーン車が爆走する!”、“狂気のSM世界を描いた必見の異色作!”と怒涛の畳み込みを見せる。アヴァンギャルドな本篇の内容に概ね即してはゐるが、幾ら早乙女宏美とはいへ、流石に吊らされたままクレーン車が爆走しまではしない。ところで、新東宝は尚更イケイケなのか、今作の前作「逆さ吊し縛り縄」も順番を前後して本年、「激しいSEX 異常愛撫」として改題新版公開されてゐる!そちらの方も、機会に恵まれたならば是が非とも決死の覚悟で観戦したい。


コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )