真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「奔放マダムは…とつてもエロかつた」(1993『朝吹ケイト お固いのがお好き』の2012年年旧作改題版/製作:旦々舎/提供:Xces Film/監督:浜野佐知/脚本:山崎邦紀/撮影:稲吉雅志・片山浩/照明:秋山和夫・荻久保則男/音楽:藪中博章/助監督:女池充/制作:鈴木静夫/ヘアメイク:斉藤秀子/スチール:岡崎一隆/出演:朝吹ケイト・哀川うらら・璃緒奈・平賀勘一・栗原良・森純・ジャンク斉藤・山本竜二)。最近辿り着いた事実だが、照明部セカンドの荻久保則男は、まんたのりおと同一人物。
 燃え盛る炎を手前に置くメソッドが昭和の時代も偲ばせる、主演女優のイメージ風濡れ場を一頻り見せた上でのタイトル・イン。
 後述する、ヒポポタマスの説明台詞によると一応女優らしい、アマンダ(朝吹)が電話で写真家の高野冬夫(平賀)と痴話喧嘩。諍ひの理由は、アマンダが北川(会話中に名前が上るだけ)と寝たとかいふこと。尻軽女と罵られたアマンダは欠片も意に介せず、「お生憎様、私は“超”尻軽女よ」と明後日に開き直る。あちらこちらに高野撮影によるヌード写真が闇雲に飾られた、ミサトニックなアマンダ邸でのホーム・パーティー。多分八名のその他パーティー客要員が、潤沢に見切れる。アマンダは露出過多な赤のビザール衣装で颯爽と登場、一堂の注目を集める。セックス・シンボルとして一世を風靡するアマンダに、同業者の桑島香苗(哀川)はポップな嫉妬心を燃やし、モデルの仰木はるか(璃緒奈)は覚束ない憧憬を向ける。ここで最終的に脱ぐのは共に一幕限りの、イーブンな2.5番手ともいふべき哀川うららと璃緒奈に関して簡略に整理しておくと、哀川うららは素直に成熟したプロポーションを誇りつつ、首から上は綺麗な馬面ならぬ河馬面。名義から漠然とした璃緒奈は、ある意味名は体を表すともいへようか、全般的に心許ないギャル。端的には、二人仲良く朝吹ケイトの噛ませ犬を従順に務める格好となる。現れるなり服飾デザイナーの古藤祐二(栗原)を見初めたアマンダは、そのまま自室に連れ込みベッド・イン。早い、早過ぎるよ、4.5分もかかつてゐない。一方、遅れて到着した高野は、カバもとい香苗に捕獲。随分な心性でもあるが、アマンダと古藤の情事を見せつけ傷心の高野を、香苗は捕食する。同時進行による二連戦の事後、古藤ははるかがアマンダに抱くリスペクトも利して、言葉巧みに接近する。
 森純は、ジョギング中のアマンダに狙ひを定める、一応プレイボーイ?な安城隆。ジャンク斉藤は、安城の兄貴格あるいは・・・・兎も角スペイン帰りの弓田公彦。安城が弓田に献上する形で、二人でアマンダを拉致監禁、陵辱する。弓田に対しては、ゲイ的な視線を送る素振りも絶妙に窺はせる安城ではあるが、促されると、二穴責めにも参加する。アマンダが殆ど放置と同義で解放される現場に、自転車で通りがかる山本竜二は、設定上はクールな伊達男・車田和夫。アーネスト・ボーグナインやジョン・ボイド並の演技力があれば別だが、幾ら何でも画面(ゑづら)上の無理が甚だしい。
 ロマンポルノでのデビューからAVを経ての、朝吹ケイトのピンク映画初陣。因みに、結構間の空いた第二作は工藤雅典の本篇デビュー作「人妻発情期 不倫まみれ」(1999/脚本:橘満八・工藤雅典/主演:小室友里)助演で、再び主役を張つた最終第三作が「馬を飼ふ人妻」(2001/監督:下元哲/脚本:石川欣)。当時十二月終盤の公開であつたところをみると、朝吹ケイトを金看板に戴いた正月映画といふ寸法なのか。アマンダは、人の話を聞いてゐるのかゐないのかよく判らないはるかに諭す、「オチンチンで磨いた知性が、女を強くするの」。下手に勿体ぶつた口跡は色んな意味で堪らないが、何はさて措き完成された肉体美を誇る朝吹ケイト演ずるアマンダが、男達の欲望にその身を任せるやうにもみせて、主体的に性と生とを謳歌する。如何にも麗しく浜野佐知らしい物語と受け取れなくもないものの、「セックス・シンボルだつて恋はするのよ」なる名台詞を生み出しはする、アマンダと車田とのロマンスが、山竜のコメディ顔を見てゐるとどうしても冗談にしか見えない辺りは如何せん苦しいか。男優部の徒な分厚さが、話の散漫さに繋がつてしまつた印象も否定し難い。そんな中、劇中最たるキャラクター的な薄さには反し、ベクトルの正否は兎も角最大の絶対値で気を吐くのが、スペインからは矢尽き刀折れ逃げ戻つて来た風情も匂はせる弓田。アマンダを手篭めにしながら、不敵に宣つて曰く「拉致監禁てのも、スペイン流の愛情表現でね」、

 無敵艦隊激怒

 無茶苦茶にもほどがある、山邦紀は何かスペイン人に恨みでもあるのか。背骨の首が据わらぬ故、そこかしこのチャーミングを生温かく楽しむのが吉の一作ともいへ、とりあへず、黙つて朝吹ケイトの裸だけ眺めてゐればそれで元は取れる。劇映画のことは、いつそ雄々しく忘れてしまへ。

 最後に、元題がズバ抜けて優れてゐるだけに、エクストリームに際立つのは新題の適当さ加減。奔放マダムが、とつてもエロい。いつてゐることは、特に間違つてゐる訳でもないのだが。


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