真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「性欲タクシー 走る車内で」(1999『痴漢タクシー エクスタシードライバー』の2012年旧作改題版/製作・配給:新東宝映画/監督:新里猛作/脚本:大河原ちさと/企画:福俵満/プロデューサー:友松直之/撮影:中尾正人・田宮健彦/音楽:GAIA with S.Mitani/編集:酒井正次/助監督:石川二郎/監督助手:斉藤一男/制作応援:原田厚志・根本強史/車輌協力:マエダオート・村上公教/制作協力:㈲幻想配給社/協力:坂本礼・千葉朋明・㈲ペンジュラム・㈱アクトレスワールド/キャスティング:寺西正己/スチール:佐藤初太郎/録音:シネキャビン/現像:東映化学/出演:田中要次・奈賀毬子・佐倉萌・風間今日子・け―すけ・隆西凌・山科薫・久保新二・草野陽花・ナリオ・一生・ヒロチビ太・奥田智・高城剛・千葉尚之・工藤剛・石川雄也・神保俊昭)。出演者中、ナリオがポスターには成尾文敏、一生以降は本篇クレジットのみ。高城剛といふのは、まさか噂の半ズボン氏?
 工藤昌弘(田中)と、恋人以上正式な婚約者未満の和美(佐倉)の婚前交渉。二人は工藤のニューヨーク転勤を見据ゑ、和美がついて行く形で結婚する予定であつた。ところが事後、紐育行きが決まつてゐたといふとそれなりのエリートかとも思ひきや、何事か派手に仕出かしたのか工藤がリストラされた旨を告白すると和美は脊髄で折り返して臍を曲げる。呆然とする工藤を、けんもほろゝに和美は自室から追ひ返す。夜の街を走る、タクシーの車外灯を押さへてタイトル・イン。
 「新宿交通」のタクシー乗務員に、仕方なく転職した工藤は綾瀬行きの客(不明)を乗せるも、道をよく知らないことから機嫌を損ね、路上で車を停めさせられると無体に無賃乗車。重ね込まれる不自然にタクシーを探す男(矢張り不明)にも、綾瀬氏(仮名)は工藤の車を排斥する。黒鷹組と赤叉組の抗争状態を伝へるゴシップ誌記事を落として、この道二十五年の久保新二が、新米の工藤にタクシー乗務員の遣り甲斐を説く。ワンカップ酒を呑み呑み地下鉄の駅に掃ける久保チンの背中に、「マトモな会社に就職出来なかつただけぢやねえか」、と工藤が投げる蔑視も露な憎まれ口が途中で切れるのは、プリントが津々浦々を巡る過程での、よもやマーケティング的な作為を感じ取ればよいのか。
 そんなある日、工藤のタクシーにスケコマシの木島(隆西)に追はれた、援交女の中田沙織(奈賀)が逃げ込む。そのまゝとりあへず走る車、沙織は工藤のノルマを達成させるため、不意を討ち相乗りさせた田中(山科)を車中で抜き、無理矢理大枚を毟り取る。引き続き当てもなく車を走らせつつ、沙織は自分語りを始める。田中に出任せた、貧しい育ち云々は真赤な嘘であつた。沙織の家は裕福ではあつたが、兎にも角にも頻繁な転居を繰り返し、それゆゑ常に身の置き場を見つけられない生活に嫌気が差し家出して来たものだつた。工藤も、この時点に於いては“身を落とした”認識の、タクシーに乗り始めた経緯を話す。冒頭話にも上つた、和美と年下美容師の新しい彼氏(草野)の一戦挿んで、工藤は今度は、既に泥酔状態かつ戯画的にテンパッたチンピラ・竹本(けーすけ)を乗せる。黒鷹組事務所を目指す竹本は、選りにも選つてカチ込む腹の赤叉組構成員。けーすけ一流の竹本が下手に弾けるすつたもんだの末、工藤のタクシーには、一丁の回転式拳銃が残されてゐた。千葉尚之と石川雄也が、黒鷹組若い衆の中に含まれてゐるのは確認出来た。ある意味も何も当然でしかないが、千葉尚之が恐ろしく若いのも通り越し、殆ど幼い。
 配役残り風間今日子は、工藤のタクシー後部座席にて、断りも憚りもない車内プレイに燃える女・陽子。それにしても、つくづく客運のない男である。藪から棒に髪が目にも鮮やかなオレンジ色のナリオは、陽子の小生意気な連れ・孝。堪忍袋の緒を切らし車を急停車させた工藤が、入手したばかりの拳銃を突きつけ孝を追ひ払ふまではいいとして、続きが疑問手。単に車から降ろさうとしたところ、わざとらしく尻を向け怯える陽子を工藤がその場の勢ひで犯すのは、ルーチンルーチンした絡みの導入でなくして果たして何であらう。もう一人、都合二度登場する、工藤が住む安アパートの明らかに背の低過ぎる大家は、この人がヒロチビ太?
 先行する二本の薔薇族に続いての、新里猛作ピンク第一作。結果的にはあるいは事実上、新里猛作にとつて純然たるピンク映画といふのは、翌年の「買ふ妻 奥さま《秘》倶楽部」(脚本:高木裕治/主演:望月ねね・時任歩・松永えり)と二作きりではある。公開から三十六年の歳月を経て今なほ、全世界のボンクラ供のやさぐれた魂を鷲掴みし続ける、映画史上屈指のアンチ・ヒーローたる我等がトラヴィス・ビックルと、マキシマム好意的に受け取つたとて、自堕落ながらタクシー運転手としての成長物語を平板に通過する今作の工藤とは、設定も造形も当たり前だろ!と、自分で話を振つておいて思はず筆も荒げたくなるほどに全く異なつてゐる。とはいへ木島に追はれた沙織が工藤のタクシーに飛び込んで来る、即ちアイリスとスポーツがほぼそのまんまの形で登場するに及んで、「エクスタシードライバー」が案外律儀にもしくは向かう見ずにも、「タクシードライバー」(1976/米/監督:マーティン・スコセッシ/脚本:ポール・シュレイダー/主演:ロバート・デ・ニーロ)を明確に意識してゐる蛮勇が判明する。間を大幅に端折つてオーラスに際しても、和美がベッツィーの座に納まり結構臆面もない、もとい忠実なトレースが展開される。とはいへとはいへ、アイリスがトラヴィスのタクシーに乗り込むまではそれはそれとしても、沙織と工藤がそれぞれの辛気臭い身の上話をモタモタ始める辺りからみるみる雲行きは怪しくなり、ヤクザが出て来た時点で完全に何時もの類型的な日本映画。ドミノ倒しのやうにバタバタと三人死ぬ中盤の修羅場は、一人目はまだしも、三人目の死に様はグルッと一周して清々しく酷い。そもそも、何の情報も持ち合はせまいに、沙織と木島が黒鷹組事務所周辺に上手いこと居合はせる豪快なラックも、幾ら虚構内の方便ともいへ流石に随分である。蛮勇にといふか直截には身の丈も弁へずに、兎も角「タクシードライバー」をやらうとしてゐる中で、何を考へればそれとも考へなければ、斯くも間抜けな一幕をのうのうと盛り込めるのか、非感動的に理解に苦しむ。されども、それでそのまゝ終らない辺りが、映画の面白いところ。すつかり匙を投げかけた終盤、「タクシードライバー」になり損ねた「エクスタシードライバー」は「タクシードライバー」の無謀な模倣に頼らない、「エクスタシードライバー」であるがゆゑの輝きに辿り着く。あの奈賀毬子が―どの奈賀毬子だ―見たこともないくらゐに可憐な、工藤から貰つた“勇気が出るお守り”を胸に、沙織が案の定居場所はないのかも知れない日常に勇気を出して飛び込んで行く件。上手く行くにせよ行かないにせよ、前に進まうとしてゐる人間の背中をさりげなく押す陽性の娯楽映画鉄板のシークエンスが、入念な積み重ねの末に優しくも力強いエモーションを撃ち込む。少なくとも、小生の貧しき心は確かに撃ち抜かれた。この際、「タクシードライバー」に気兼ねなど要るものか。奈賀毬子ラスト・カットの一点突破だけで、「エクスタシードライバー」も胸洗はれる一作と堂々と公言し得よう。久し振りにいふが、私選ピンク映画最高傑作といふと今でも「淫行タクシー」であるのだけれど、それはまた画期的に別の話か。

 木に竹を接ぎ気味に和美がベッツィーのポジションに滑り込むラスト・シーンではあるが、さうなると作劇上、イケメン映画監督・草野陽花扮する美容師の存在の是非に関しては本格的な議論の分かれ処ともなりかねない。尤も、佐倉萌の濡れ場二回戦に、如何にも等閑な回想により済まさない節度と同時に重きを置く―その場合、どうしても“新しい男”が必要となる―ならば、ピンク映画的には必ずしも無下に不要と斬つて捨てられる訳でもない。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )