D810 + AF-S NIKKOR 24mm f/1.4G ED

大きな画像

ある靴店で、革製品を作る専門家の方と話す機会があった。
海外の有名タンナーの高品質な革を使い、鞄や小物などを製造している。
日本人ならではの、非常に丁寧な仕上がりで、細部までカッチリと作られている。
その製品は、海外でも高く評価されているという。

その方が、お店にあったオールデンや古いアメリカ製の靴を見て言われた。
「どうしてもこの味が出せないんだよなあ・・・」
ため息混じりに、そうつぶやいた。

丹精こめて、丁寧に作ることは出来る。
日本人の得意とするところだ。
だが荒っぽく作ることは難しい。
意図したものではなく、「天然」の荒っぽさなのだ。

恐らく最初から、そういう感性の持ち主である工場のおじさんたちが作っているのだ。
くわえタバコで、汚れたエプロンを着けて、太い指を器用に動かしながら、あらよって感じだ。(あくまで想像)
何かと細かい日本人と比べると(いい意味で)ビット数が少ない。
こればかりは、真似しようとしても出来ない。

その結果、あの味のあるアメリカ靴が出来上がる。
縫い目は荒っぽく、ところどころホツレもある。
左右の形が少し違っていたりもする。

だが何ともいえないエネルギーが感じられる。
靴そのものに迫力があるのだ。
存在感は強烈で、持っているだけで嬉しくなる。
確かにこれは、真似は出来ないだろう。

欧州のメーカーには、後継者がみつからず、日本人の職人に仕事を託すところもあるという。
自国の若者は、厳しい師弟関係など我慢できない。
器用で勤勉な日本人の方が信頼できる・・ということらいい。

しかし、その国の人に流れる血にしか、表現できないものがある。
ただ品質が高ければいい、というわけではないのだ。
趣味のものだからこそ、言葉で表現するのが難しい、特別な価値を求めたくなる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )