酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「だから荒野」~女たちは荒野を目指す

2024-03-03 23:08:45 | 読書
 棋王戦第3局は藤井聡太棋王(八冠)が伊藤匠七段を破り、2勝1持将棋と防衛に王手をかけた。持将棋の可能性もあったが、鮮やかな飛車切りから優位を築いた。藤井といえば先日行われたA級順位戦最終全5局の解説で将棋ファンを驚嘆させる。大盤解説会に加わり、次々とスクリーンに映し出される対局を瞬時に把握し、ポイントを的確に指摘する。モンスターというしかない。

 ナチスのホロコーストは被害の側にも加害の側にも傷痕を残した。イスラエルは被害の記憶を反転させ、ガザで集団虐殺を進行させている。国連パレスチナ難民救済事業機関への資金拠出を停止したドイツに対し、ニカラグアはジェノサイドを幇助したとして提訴した。自由と民主主義を掲げる世界の人々の間でパレスチナ支持が広まっている。バンクシーもそのひとりで、パレスチナを何度も訪れ、イスラエルが造った分離壁に壁画を描いたり、ホテルを経営したりとパレスチナを精神的にも経済的にも支援していることが「アナザーストリーズ」(NHK)で紹介されていた。

 「だから荒野」(桐野夏生著、文春文庫)を読了した。NHKでドラマ化されており、ご覧になった方も多いだろう。桐野の小説をブログで紹介するのは8作目になる。主人公の朋美は専業主婦で、夫の浩光や長男の健太、次男の優太から軽んじられていると感じている。自身プロデュースの46歳の誕生パーティーだが、ひきこもりの優太は厚化粧をなじってパスし、浩光と健太にレストランをボロクソにけなされた。プレゼントはおろか、「おめでとう」の一言もなく、朋美は怒りを抑えきれずに中座する。

 夫にとって朋美は運転手だから、誕生日でも酒は飲めない。毎朝、ティアナを駆って駅に送るのも朋美の役目だ。夫が運転するのはゴルフ場に向かう時だけで、コンペ仲間の送迎役を務めている。最近は人妻に懸想していて、週末が待ち切れない様子だ。朋美はレストランを出たまま、ティアナに乗って家出する。結婚前に付き合っていた男の故郷である長崎が目的地だ。

 朋美は平凡な主婦だが、旅を続けるうちに、女性の生理、情念、憤怒、悲哀を表現する桐野ワールドの登場人物らしくなっていく。売春婦に間違われたり、夫に捨てられ着の身着のままの女性を助けたものの、車を奪われたりとドン詰まりになる。そんな朋美を救ってくれたのが高齢の山岡だった。山岡は出会った時から朋美に猛々しさを感じたという。朋美は野性を身に纏っていたのだ。

 桐野は反原発の思いを作品に反映させている。「東京島」に現れるトウカイムラは臨界事故を起こした東海村がヒントになっている。「バラガ」の主人公は<反原発のシンボル>としてネット上で拡散する甲状腺がんと闘う美少女だ。「夜の谷を行く」では連合赤軍のメンバーが3・11によって波乱の日々を呼び覚まされ、40年前と現在がカットバックして物語は進行する。そして本作の山岡は3・11以降、被爆体験の語り部として、助手の亀田が運転する車で全国を行脚している。

 夫の浩光は桐野の小説に登場する駄目男の典型だ。桐野は同世代の男たちを拠って立つ基盤がなく、空気に振り回される脆弱で覚悟がないと斬って捨てる俺も似たようなものだ。浩光は常連になっているスナックで客の男に<家族なんてね、実は危うい均衡の上に成り立っているものなんですから。言うなりゃパズルみたいなもんです。一個外れりゃ、成り立たない。そして、二度と元に戻らない>と忠告される。その言葉通りに進行する。

 山岡宅に居候している朋美の元に優太がやって来た。環境を変えたいという優太を山岡は温かく迎えてくれたが、母子の心情に変化が表れる。<自分が変わらなくては、荒野は沃野にならない>ことに気付き、東京に戻るのだ。軌道を外れてドラスチックに展開することが多い桐野の作品にしてはソフトランディングだが、家族の重さを教えられる作品だった。
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