武器輸出反対ネットワーク(NAJAT)代表の杉原浩司さんと話す機会があったので、「アイ・イン・ザ・スカイ」(1月8日の稿)の感想を聞いた。<映画としての出来はいいけど、現実はあれほど甘くないですよ>が答えだった。米英の軍や諜報機関はヒューマニズムと無縁で、ターゲットを攻撃する際、一般人を巻き込むことなど一顧だにしないというのが、杉原さんの見解だった。
<自分の人生経験だけでは足りないのだから、人類の遺産の文学作品を読まないと、人間は一人前にならない>……。仕事先の夕刊紙で紹介されていた黒澤明の〝名言〟だが、説得力はあまり感じない。半世紀近く小説を読み続けた俺だが、一人前には程遠い。文学とは人生の深奥を彷徨う旅で、読み込むほどに闇は密度を増していく。
<敗戦とともに始まった文学の黄金期は1980年代に終わった>という〝迷信〟から解き放たれたのは、平野啓一郎の「決壊」がきっかけだった。俺はこの数年、日本文学の豊饒な海に抜き手を切っている。上記の平野、池澤夏樹、星野智幸、中村文則、島田雅彦、奥泉光、阿部和重etc……。出会えた魚(作家)たちについて記してきたが、吉田修一もそのひとりだ。
昨年末までに読了した小説は「路(ルウ)」(12年)と「森は知っている」(15年)の2作のみ、映画「悪人」(10年)はピンとこなかった。今年に入ってWOWOWで録画した「さよなら渓谷」(13年、大森立嗣監督)を観賞し、「太陽は動かない」(12年、幻冬舎文庫)を読む。感想を併せて記したい。
「さよなら渓谷」は愛の深淵を描く傑作だった。山あいの景勝地にひっそり暮らす尾崎俊介(大森信満)とかなこ(真木よう子)は、男児殺害事件の喧噪に巻き込まれる。逮捕されたのは隣に住む母親で、彼女との関係が疑われた俊介にも捜査の手は伸びる。
俊介とかなこの回想の旅行きシーンが秀逸で、畢竟の名作「情婦マノン」(1948年、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督)に通じるものを感じる。かなこの絶望、狂気、稚気が蒼い焔になって寂寥たる光景に貼り付いていた。不器用に赦しを乞う俊介は大森のハマリ役で、「赤目四十八瀧心中未遂」の与一を彷彿させる。
夫婦の過去と現在を追うのが、俊介に自分を重ねる雑誌記者の渡辺(大森南朋)と部下の小林(鈴木杏)だ。両者の好演も本作を支えている。「私たちは幸せになろうと思って一緒にいるんじゃない。私が決めることなのよね」……。こう言い残してかなこは消える。贖罪の意識を愛に昇華した俊介の旅は、エンドロールの後も続くのだ。
「太陽は動かない」は壮大な群像劇だ。本作のスピンオフ(前日譚)、「森は知っている」で少年だった鷹野一彦が縦横無尽に駆け回る。吉田修一に馴染んでいない俺は、「さよなら渓谷」と「太陽は動かない」の整合性が見いだせない。「怒り」(16年)で映画化7本目になる吉田は、純文学の枠を超えた作家なのだろう。
福島原発事故が色濃く反映した「太陽は動かない」のメーンテーマは、太陽光発電を巡る日中米の暗闘だ。鷹野は明晰な頭脳、直感、強固な意志、強靭な肉体で窮地を脱し、甘さが残る田岡も鷹野の下で鍛えられていく。「路」では新幹線を軸に日本と台湾を洞察していたが、中国が舞台になる本作では、必然的にスケール感がアップしている。
香港の銀行頭取、中国の国営エネルギー会社幹部、ウイグル独立を目指す女闘士、日本のエネルギー分野を牛耳るドン、マイクロ波研究の第一人者(京大教授)、画期的な太陽光パネルを開発した若者、大手電機メーカー役員、若手衆院議員、中国の少壮政治家……。多岐にわたる個性を造形し、歯車として軋ませながら物語を編む吉田の構想力に感嘆するしかない。愛とはいわないが、〝愛未満〟もちりばめられていた。
少年時代から鷹野のライバルだったデイビッド・キム、謎の美女AYAKO、CIA、中国の闇社会黒幕らも暗躍する。冷酷な組織原理に貫かれているかに見えるAN通信だが、鷹野、上司の風間、田岡の3人は疑似家族の匂いがある。カタルシス、癒やし、予定調和的な匂いを感じるのは、作者の嗜好の反映だろう。
日本では難しそうだが、「ミッション:インポッシブル」のスタッフなら、設定を多少変えての映画化は可能だと思う。鷹野役には心身ともに強靭さが求められる。徴兵制度で鍛えられた韓流スターなら大丈夫だ。
<自分の人生経験だけでは足りないのだから、人類の遺産の文学作品を読まないと、人間は一人前にならない>……。仕事先の夕刊紙で紹介されていた黒澤明の〝名言〟だが、説得力はあまり感じない。半世紀近く小説を読み続けた俺だが、一人前には程遠い。文学とは人生の深奥を彷徨う旅で、読み込むほどに闇は密度を増していく。
<敗戦とともに始まった文学の黄金期は1980年代に終わった>という〝迷信〟から解き放たれたのは、平野啓一郎の「決壊」がきっかけだった。俺はこの数年、日本文学の豊饒な海に抜き手を切っている。上記の平野、池澤夏樹、星野智幸、中村文則、島田雅彦、奥泉光、阿部和重etc……。出会えた魚(作家)たちについて記してきたが、吉田修一もそのひとりだ。
昨年末までに読了した小説は「路(ルウ)」(12年)と「森は知っている」(15年)の2作のみ、映画「悪人」(10年)はピンとこなかった。今年に入ってWOWOWで録画した「さよなら渓谷」(13年、大森立嗣監督)を観賞し、「太陽は動かない」(12年、幻冬舎文庫)を読む。感想を併せて記したい。
「さよなら渓谷」は愛の深淵を描く傑作だった。山あいの景勝地にひっそり暮らす尾崎俊介(大森信満)とかなこ(真木よう子)は、男児殺害事件の喧噪に巻き込まれる。逮捕されたのは隣に住む母親で、彼女との関係が疑われた俊介にも捜査の手は伸びる。
俊介とかなこの回想の旅行きシーンが秀逸で、畢竟の名作「情婦マノン」(1948年、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督)に通じるものを感じる。かなこの絶望、狂気、稚気が蒼い焔になって寂寥たる光景に貼り付いていた。不器用に赦しを乞う俊介は大森のハマリ役で、「赤目四十八瀧心中未遂」の与一を彷彿させる。
夫婦の過去と現在を追うのが、俊介に自分を重ねる雑誌記者の渡辺(大森南朋)と部下の小林(鈴木杏)だ。両者の好演も本作を支えている。「私たちは幸せになろうと思って一緒にいるんじゃない。私が決めることなのよね」……。こう言い残してかなこは消える。贖罪の意識を愛に昇華した俊介の旅は、エンドロールの後も続くのだ。
「太陽は動かない」は壮大な群像劇だ。本作のスピンオフ(前日譚)、「森は知っている」で少年だった鷹野一彦が縦横無尽に駆け回る。吉田修一に馴染んでいない俺は、「さよなら渓谷」と「太陽は動かない」の整合性が見いだせない。「怒り」(16年)で映画化7本目になる吉田は、純文学の枠を超えた作家なのだろう。
福島原発事故が色濃く反映した「太陽は動かない」のメーンテーマは、太陽光発電を巡る日中米の暗闘だ。鷹野は明晰な頭脳、直感、強固な意志、強靭な肉体で窮地を脱し、甘さが残る田岡も鷹野の下で鍛えられていく。「路」では新幹線を軸に日本と台湾を洞察していたが、中国が舞台になる本作では、必然的にスケール感がアップしている。
香港の銀行頭取、中国の国営エネルギー会社幹部、ウイグル独立を目指す女闘士、日本のエネルギー分野を牛耳るドン、マイクロ波研究の第一人者(京大教授)、画期的な太陽光パネルを開発した若者、大手電機メーカー役員、若手衆院議員、中国の少壮政治家……。多岐にわたる個性を造形し、歯車として軋ませながら物語を編む吉田の構想力に感嘆するしかない。愛とはいわないが、〝愛未満〟もちりばめられていた。
少年時代から鷹野のライバルだったデイビッド・キム、謎の美女AYAKO、CIA、中国の闇社会黒幕らも暗躍する。冷酷な組織原理に貫かれているかに見えるAN通信だが、鷹野、上司の風間、田岡の3人は疑似家族の匂いがある。カタルシス、癒やし、予定調和的な匂いを感じるのは、作者の嗜好の反映だろう。
日本では難しそうだが、「ミッション:インポッシブル」のスタッフなら、設定を多少変えての映画化は可能だと思う。鷹野役には心身ともに強靭さが求められる。徴兵制度で鍛えられた韓流スターなら大丈夫だ。