65歳になったら、ブログのタイトルの〝浪人〟を〝老人〟に変えるつもりだったが、先を越された。日本老年学会は政府と阿吽の呼吸で、<高齢者の定義を65歳から75歳に引き上げるべき>との提言をまとめた。75歳になるまで老人にしてもらえないらしい。<国民は年金抜きで死ぬまでこき使う>が本音で、フリッツ・ラングのデストピア「メトロポリス」(1927年)そのままの奴隷制が日本の未来か。
なんて書くと、「おまえはアホか」との声が聞こえてきそうだ。アベノミクスの崩壊、格差と貧困の拡大、生存権を脅かす原発の再稼働、風前の灯になった憲法と民主主義……。俺如きがいくら安倍内閣批判を繰り返したところで仕方ない。支持率は67%にも達している(JNNの世論調査)。寒風にそよぐ少数派は、俺だけじゃないだろう。
前稿「The NET 網に囚われた男」に続き、新宿シネマカリテで「幸せなひとりぼっち」(16年、スウェーデン)を見た。ベストセラ-小説の映画化で、ハンネス・ホルム監督が脚本も担当している。孤独な中高年が小さなきっかけでカラフルな世界の扉を開けるというパターンは、「おみおくりの作法」、「孤独のススメ」(ともに13年)と共通している。ヨーロッパ映画のトレンドかもしれない。
「幸せなひとりぼっち」の主人公オーヴェ(ロルフ・ラスゴード)は気難しく頑固で、口癖は「馬鹿者」だ。オーヴェはある朝、43年勤めた鉄道局をクビになり、懇願することもなく職場を去る。俺より老けて見える(と勝手に思っている)ものの、歩くスピードは速いし、生活の知恵に溢れていて、近所であれこれ修理を頼まれている。
日本で俺みたいな還暦前後の男がリストラされたり、減給を言い渡されたりしたら、下流老人一直線だ。でも、舞台はスウェーデン。失業したって家も愛車サーヴも失わないし、病気になっても安泰だ。オーヴェの威厳の源泉は、高福祉にあるのだろう。
攻撃的に映るオーヴェだが、妻の墓前で「すぐそっちに行くよ」と語り掛けるように、内面は弱っていた。自殺を試みるも、家の近くが騒がしくて頓挫した。イラン人一家が隣に引っ越してきたのだ。パルヴァネ(奥さん)が差し入れてくれたペルシャ料理がおいしかったこともあり、オーヴェは一家と親しく付き合うようになる。
現在の孤独、そして少年時代から、妻ソーニャとの出会いと不幸な事故……。時間の糸が紡がれて、オーヴェの心情が浮き彫りになっていく。オーヴェはブルーカラー、ソーニャは教師志望とタイプは異なるが、恋に落ちるのは早かった。可憐なイーダ・エングヴォルは、高邁な意志を持つソーニャを演じ切っていた。ストーリーが進むにつれ、オーヴェこそがソーニャの最高の生徒であることが明らかになる。
オーヴェは車椅子生活を余儀なくされたソーニャが夢を叶え、維持するため、心血を注いだのだろう。ソーニャの死は、自身の夢の終わりでもあった。喪失感は大きかったオーヴェだが、<ソーニャならどうするだろう>といつも考えていたはずだ。
前半のオーヴェを見て、「移民が嫌いだろう」と決めつけていたが、真逆の寛容な人間だった。パルヴァネの波瀾万丈の人生に心を寄せているし、捨て猫もゲイの青年も迎え入れる。もう一つの長所は反骨精神で、役人や高級車を乗り回す者が「馬鹿者」の筆頭格なのだ。<仏作って魂入れず>の福祉国家の負の側面も描かれており、かつての親友に、恩讐を超えて手を差し伸べる。命の尊厳こそが最高の価値だとオーヴェに教えたのも、ソーニャだったはずだ。
この1カ月、カナダ生まれのシンガーたちの作品を繰り返し聴いていた。レナード・コーエン(享年82)の遺作「ユー・ウォント・イット・ダーカー」は静謐なレクイエムで、モノローグが心に染み込んでくる。ニール・ヤング(71)のメッセージ性を前面に押し出した「ピース・トレール」からは、〝俺はまだ死なんぞ〟という気概が伝わってくる。
オーヴェと同世代の俺は本作を見て、今後いかに生き、死ぬべきか考えてしまう。今は腰がふらついているが、10年後はニール・ヤングのように熱く、20年後はレナード・コーエンのように枯れることができたら最高だ。
なんて書くと、「おまえはアホか」との声が聞こえてきそうだ。アベノミクスの崩壊、格差と貧困の拡大、生存権を脅かす原発の再稼働、風前の灯になった憲法と民主主義……。俺如きがいくら安倍内閣批判を繰り返したところで仕方ない。支持率は67%にも達している(JNNの世論調査)。寒風にそよぐ少数派は、俺だけじゃないだろう。
前稿「The NET 網に囚われた男」に続き、新宿シネマカリテで「幸せなひとりぼっち」(16年、スウェーデン)を見た。ベストセラ-小説の映画化で、ハンネス・ホルム監督が脚本も担当している。孤独な中高年が小さなきっかけでカラフルな世界の扉を開けるというパターンは、「おみおくりの作法」、「孤独のススメ」(ともに13年)と共通している。ヨーロッパ映画のトレンドかもしれない。
「幸せなひとりぼっち」の主人公オーヴェ(ロルフ・ラスゴード)は気難しく頑固で、口癖は「馬鹿者」だ。オーヴェはある朝、43年勤めた鉄道局をクビになり、懇願することもなく職場を去る。俺より老けて見える(と勝手に思っている)ものの、歩くスピードは速いし、生活の知恵に溢れていて、近所であれこれ修理を頼まれている。
日本で俺みたいな還暦前後の男がリストラされたり、減給を言い渡されたりしたら、下流老人一直線だ。でも、舞台はスウェーデン。失業したって家も愛車サーヴも失わないし、病気になっても安泰だ。オーヴェの威厳の源泉は、高福祉にあるのだろう。
攻撃的に映るオーヴェだが、妻の墓前で「すぐそっちに行くよ」と語り掛けるように、内面は弱っていた。自殺を試みるも、家の近くが騒がしくて頓挫した。イラン人一家が隣に引っ越してきたのだ。パルヴァネ(奥さん)が差し入れてくれたペルシャ料理がおいしかったこともあり、オーヴェは一家と親しく付き合うようになる。
現在の孤独、そして少年時代から、妻ソーニャとの出会いと不幸な事故……。時間の糸が紡がれて、オーヴェの心情が浮き彫りになっていく。オーヴェはブルーカラー、ソーニャは教師志望とタイプは異なるが、恋に落ちるのは早かった。可憐なイーダ・エングヴォルは、高邁な意志を持つソーニャを演じ切っていた。ストーリーが進むにつれ、オーヴェこそがソーニャの最高の生徒であることが明らかになる。
オーヴェは車椅子生活を余儀なくされたソーニャが夢を叶え、維持するため、心血を注いだのだろう。ソーニャの死は、自身の夢の終わりでもあった。喪失感は大きかったオーヴェだが、<ソーニャならどうするだろう>といつも考えていたはずだ。
前半のオーヴェを見て、「移民が嫌いだろう」と決めつけていたが、真逆の寛容な人間だった。パルヴァネの波瀾万丈の人生に心を寄せているし、捨て猫もゲイの青年も迎え入れる。もう一つの長所は反骨精神で、役人や高級車を乗り回す者が「馬鹿者」の筆頭格なのだ。<仏作って魂入れず>の福祉国家の負の側面も描かれており、かつての親友に、恩讐を超えて手を差し伸べる。命の尊厳こそが最高の価値だとオーヴェに教えたのも、ソーニャだったはずだ。
この1カ月、カナダ生まれのシンガーたちの作品を繰り返し聴いていた。レナード・コーエン(享年82)の遺作「ユー・ウォント・イット・ダーカー」は静謐なレクイエムで、モノローグが心に染み込んでくる。ニール・ヤング(71)のメッセージ性を前面に押し出した「ピース・トレール」からは、〝俺はまだ死なんぞ〟という気概が伝わってくる。
オーヴェと同世代の俺は本作を見て、今後いかに生き、死ぬべきか考えてしまう。今は腰がふらついているが、10年後はニール・ヤングのように熱く、20年後はレナード・コーエンのように枯れることができたら最高だ。