先週末は映画とライブを楽しんだ。土曜(19日)は新宿武蔵野館で封切り当日、「ひつじ村の兄弟」(15年、グリームル・ハゥコナーソン監督/制作=アイスランド、デンマーク)を観賞し、日曜(20日)は「オルタナミーティングVol.8 友川カズキ~生きてるって言ってみろ」(阿佐ヶ谷ロフト)に足を運ぶ。
まずは映画から。アイスランドは小国(人口30万)だが、平和度、男女平等度、医療の充実、人権意識の高さで世界トップの民主主義国家だ。俺にとって、ビョークとシガー・ロスの生まれた極寒の地でもある。本作の舞台は人々が牧羊を生業にする小さな村だ。
冒頭の品評会のシーンで、激情家の兄キディーと常識人の弟グミーとの確執が明らかになる。ともにプライドが高いが、僅差で栄誉に輝いたのはキディーだった。早めに宴を切り上げたグミーは会場の外で兄の羊に触れ、ある疑いを抱く。キディーの雄羊がスクレイピー(伝達性海綿状脳症の一種)に感染していたことが判明し、村中の羊の殺処分が決定する。キディーは行政に抵抗し、グミーはしたたかな策を講じる。
指呼の間に暮らす兄弟は40年以上、口を利いていない。両者を繋ぐのは〝伝書犬〟である。キディーを嫌った父がグミーを相続人に選んだことが発端だった。親族の軋轢は古今東西、ありふれた話だが、兄弟の絶対的な孤独を思うと胸が痛くなる。本作は普遍の物語を寓話の域に昇華させた。
神話では仲違いした兄弟が数多く登場する。聖書には羊や羊飼いについての喩えが頻繁に現れる。過酷な試練――本作では羊の感染症――が魂を再び紡ぐ宿命に根差した展開に、キリスト教徒ではない俺も、心を激しく揺さぶられた。破滅と和解に至る雪中の道行きに、神々しいカタルシスを覚えた。
ジングルベルが浮薄に聞こえる時季だが、イエスの本質に迫りたいなら「奇跡の丘」(64年、パゾリーニ監督)を見てほしい。同性愛者かつマルキストが描くイエスは鮮烈で清々しい。現在、世界に流通するキリスト教のまやかしに気付くこと請け合いだ。
以下に、映画館で見た作品から15年のベストテンを挙げておく。
①「妻への家路」(14年、チャン・イーモウ)
②「おみおくりの作法」」(13年、ウベルト・パゾリーニ)
③「独裁者と小さな孫」」(14年、モフマン・マフマルバフ)
④「6才のボクが、大人になるまで。」(14年、リチャード・リンクレター)
⑤「トラッシュ」(14年、スティ-ヴン・ダルトリー)
⑥「マミー」(14年、グザヴィエ・ドラン)
⑦「ボーダレス 僕の船の国境線」(14年、アミルホセイン・アスガリ)
⑧「きっと、星のせいじゃない。」(14年、ジョシュ・ブーン)
⑨「イミテーション・ゲーム」(14年、モルトン・ティルドゥム)
⑩「ひつじ村の兄弟」(15年、グリームル・ハゥコナーソン)
「オルタナミーティングVol.8~友川カズキ~生きてるって言ってみろ」(阿佐ヶ谷ロフト)では、前座のバンドと主催者との間で行き違いがあり、予定されたセッションは中止になる。友川は楽屋の様子を逐一報告し、「自分が火種なんで、何かあったら飛んでいかなくちゃ。命日になっても構わない」と面白おかしく語っていた。
物販されていた最新作「復讐バーボン」(14年)でライブ後に復習したほどで、全くの〝友川初体験〟だった。しかも、「最近、作りました」と前置きして数曲歌ったから、復習は役に立たなかったようだ。詩、小説、映画、絵画に造詣が深い友川は、様々な表現者からインスパアされたエキスを曲に織り込んでいる。情景が浮かんでくる視覚的な曲と、酒や競輪への思いを込めた曲が坩堝でグタグタ煮えたぎっていた。
「飯場で働きながら出版社に詩を送っていた」、「上京するたび、育ててもいない子供と美術館に行く」、「貧乏だから金以外、目がくらまない」etc……。MCも最高で、「飲んだくれのチンピラ」を自任する友川の偽悪的、自虐的な佇まいが気に入った。友川はあたかも<日本のブコウスキー>で、58歳でパンク精神が横溢した「懲役人の告発」を著わした椎名麟三が重なった。
ナインティナインの岡村が大ファンで、DJを務める深夜放送にも呼ばれた。本も売れ、「普段は2月ぐらいが仕事納めなのに、今年は今日が最後。43本目のライブ」と話していたようにブレーク状態にある。客席には森達也氏ら著名人が集っていたらしい、業界人風の若い女性の姿が目立っていた。俺は〝友川ワールド〟に迷い込んだばかりだが、いずれCDを聴いて予習し、友川のライブに再度、足を運びたい。
音楽でもベストテンをといきたいところだが、今年買ったCDは30枚ほどで、新作は少ない。材料が少ないので、心に染みたアルバムとして、ステレオフォニックスの「キープ・ザ・ヴィレッジ・アライヴ」、遠藤ミチロウの「FUKUSHIMA」の2枚を挙げておく。
「ひつじ村の兄弟」で兄弟を演じた俳優はそれぞれ66歳と60歳、友川は65歳で、俺は59歳……。老いといかに向き合うべきかを考えさせられた週末だった。アメリカ化に邁進する安倍政権によって、日本の医療と年金はマイケル・ムーアが「シッコ」(07年)に描いた悲惨な状況に近づいてきた。俺も下流老人、病院難民になってしまうのだろうか。
まずは映画から。アイスランドは小国(人口30万)だが、平和度、男女平等度、医療の充実、人権意識の高さで世界トップの民主主義国家だ。俺にとって、ビョークとシガー・ロスの生まれた極寒の地でもある。本作の舞台は人々が牧羊を生業にする小さな村だ。
冒頭の品評会のシーンで、激情家の兄キディーと常識人の弟グミーとの確執が明らかになる。ともにプライドが高いが、僅差で栄誉に輝いたのはキディーだった。早めに宴を切り上げたグミーは会場の外で兄の羊に触れ、ある疑いを抱く。キディーの雄羊がスクレイピー(伝達性海綿状脳症の一種)に感染していたことが判明し、村中の羊の殺処分が決定する。キディーは行政に抵抗し、グミーはしたたかな策を講じる。
指呼の間に暮らす兄弟は40年以上、口を利いていない。両者を繋ぐのは〝伝書犬〟である。キディーを嫌った父がグミーを相続人に選んだことが発端だった。親族の軋轢は古今東西、ありふれた話だが、兄弟の絶対的な孤独を思うと胸が痛くなる。本作は普遍の物語を寓話の域に昇華させた。
神話では仲違いした兄弟が数多く登場する。聖書には羊や羊飼いについての喩えが頻繁に現れる。過酷な試練――本作では羊の感染症――が魂を再び紡ぐ宿命に根差した展開に、キリスト教徒ではない俺も、心を激しく揺さぶられた。破滅と和解に至る雪中の道行きに、神々しいカタルシスを覚えた。
ジングルベルが浮薄に聞こえる時季だが、イエスの本質に迫りたいなら「奇跡の丘」(64年、パゾリーニ監督)を見てほしい。同性愛者かつマルキストが描くイエスは鮮烈で清々しい。現在、世界に流通するキリスト教のまやかしに気付くこと請け合いだ。
以下に、映画館で見た作品から15年のベストテンを挙げておく。
①「妻への家路」(14年、チャン・イーモウ)
②「おみおくりの作法」」(13年、ウベルト・パゾリーニ)
③「独裁者と小さな孫」」(14年、モフマン・マフマルバフ)
④「6才のボクが、大人になるまで。」(14年、リチャード・リンクレター)
⑤「トラッシュ」(14年、スティ-ヴン・ダルトリー)
⑥「マミー」(14年、グザヴィエ・ドラン)
⑦「ボーダレス 僕の船の国境線」(14年、アミルホセイン・アスガリ)
⑧「きっと、星のせいじゃない。」(14年、ジョシュ・ブーン)
⑨「イミテーション・ゲーム」(14年、モルトン・ティルドゥム)
⑩「ひつじ村の兄弟」(15年、グリームル・ハゥコナーソン)
「オルタナミーティングVol.8~友川カズキ~生きてるって言ってみろ」(阿佐ヶ谷ロフト)では、前座のバンドと主催者との間で行き違いがあり、予定されたセッションは中止になる。友川は楽屋の様子を逐一報告し、「自分が火種なんで、何かあったら飛んでいかなくちゃ。命日になっても構わない」と面白おかしく語っていた。
物販されていた最新作「復讐バーボン」(14年)でライブ後に復習したほどで、全くの〝友川初体験〟だった。しかも、「最近、作りました」と前置きして数曲歌ったから、復習は役に立たなかったようだ。詩、小説、映画、絵画に造詣が深い友川は、様々な表現者からインスパアされたエキスを曲に織り込んでいる。情景が浮かんでくる視覚的な曲と、酒や競輪への思いを込めた曲が坩堝でグタグタ煮えたぎっていた。
「飯場で働きながら出版社に詩を送っていた」、「上京するたび、育ててもいない子供と美術館に行く」、「貧乏だから金以外、目がくらまない」etc……。MCも最高で、「飲んだくれのチンピラ」を自任する友川の偽悪的、自虐的な佇まいが気に入った。友川はあたかも<日本のブコウスキー>で、58歳でパンク精神が横溢した「懲役人の告発」を著わした椎名麟三が重なった。
ナインティナインの岡村が大ファンで、DJを務める深夜放送にも呼ばれた。本も売れ、「普段は2月ぐらいが仕事納めなのに、今年は今日が最後。43本目のライブ」と話していたようにブレーク状態にある。客席には森達也氏ら著名人が集っていたらしい、業界人風の若い女性の姿が目立っていた。俺は〝友川ワールド〟に迷い込んだばかりだが、いずれCDを聴いて予習し、友川のライブに再度、足を運びたい。
音楽でもベストテンをといきたいところだが、今年買ったCDは30枚ほどで、新作は少ない。材料が少ないので、心に染みたアルバムとして、ステレオフォニックスの「キープ・ザ・ヴィレッジ・アライヴ」、遠藤ミチロウの「FUKUSHIMA」の2枚を挙げておく。
「ひつじ村の兄弟」で兄弟を演じた俳優はそれぞれ66歳と60歳、友川は65歳で、俺は59歳……。老いといかに向き合うべきかを考えさせられた週末だった。アメリカ化に邁進する安倍政権によって、日本の医療と年金はマイケル・ムーアが「シッコ」(07年)に描いた悲惨な状況に近づいてきた。俺も下流老人、病院難民になってしまうのだろうか。