今日は午後から、第9回「土と平和の祭典」(日比谷公園)に足を運び、代々木のネットカフェで当稿を更新している。イベントの感想等については、次稿の枕で記したい。
2015年安保ともいわれる一連の流れは、60年、70年安保と比べて継続性を保っており、〝祭りのあと〟の空気にまだ覆われていない。過去と比べると答えらしきものがおぼろげに見えてくる。60年安保の直後に発足した池田政権は所得倍増を掲げた。闘争のシンボルだった浅沼社会党委員長が刺殺されたにもかかわらず、自民党は議席を伸ばす。70年安保後は「赤信号をみんなで渡った」若者が消費社会に戻ってきた。
2015年はどうか。格差と貧困は拡大し、戻るべき生活基盤が揺らいでいる。世代、性差を超えて多くの人々が喘ぎ、もがいているのだ。理念だけでなく、生活実感に根差した運動は簡単に壊れない。当ブログで頻繁に取り上げている欧米の動きは、リベラルシフトというよりラディカルシフトといっていい。反資本主義を日本でいちはやく演説に取り入れた山本太郎参院議員は、体制にとって危険な存在なのだろう。
旅行したり、部屋掃除に励んだり、所用が重なったり、ドラマ「アカギ」(全10回)にハマって繰り返し見たりで、この秋は読書が捗らなかったが、星野智幸の新作「呪文」(河出書房新社)を一気に読了した。前作は南米のマジックリアリズムに通底するスケールの大きい迷宮だったが、今回のテーマは身近で手触り感がある。帯に記された桐野夏生の「この本に書かれているのは、現在日本の悪夢である」はピンポイントの評といっていい。
星野の作品の底にあるのは多様性の尊重、アイデンティティーの浸潤だ。世紀が変わる頃から<1999年が日本のファシズム元年>と位置付け、憲法の精神を捻じ曲げたイラク派兵に抗議し、日本人の沈黙と集団化に警鐘を鳴らしてきた。小泉元首相、安倍首相が暴走する前に似たキャラを小説に登場させるなど、日本を最も深く理解している識者といっていい。差別、貧困の問題にも個人として取り組んでいる。
本作の舞台は、都内にある寂れゆく松保商店街だ。読み始めて重なったのが徒歩数分のK商店街で、まさにシャッター通りといっていい。畳む店が相次ぎ、夜逃げ同然で消える者もいる。本作の主人公はトルタ店経営者の霧生で、複数の主観の結節点になっている。貧困と格差が前提になっているが、物語はネット社会の病巣、意識の集団化に重心を移していく。
松保の救世主として登場したのが図領だ。組合理事長の娘婿であるだけでなく、アイデアマンとして定評があり、人気居酒屋「麦ばたけ」を経営している。深夜に訪れ諍いになった客は、日々の鬱憤を晴らし、ネットで拡散する「ディスラー総統」こと佐熊だった。被害は他店にも及び、ネットには悪意に満ちた根拠のない書き込みが蔓延する。
インターネットが登場した時、<自分の世界を広げ、グローバルに繋がるためのツール>と喧伝したひとりが、〝知性の巨人〟立花隆だった。だが、凡人は優れたツールを使いこなせず、同レベル、同じ考えを持つ者とタコ壷を形成し、閉じられたまま沈んでいく。佐熊の仕掛けで炎上した図領のブログだが、反転攻勢に打って出て、〝神〟になる。奇跡が松保に起きたのだ。
図領の説く希望に、霧生は距離を置き始める。メキシコで料理を学び、現実と幻想が混然一体となった当地に魅せられた霧生はまさに作者の分身で、金を媒体に画一性を志向する図領とは、対極に位置するからだ。だが、そんなき霧生でさえ、判断停止状態に陥る。「呪文」のベースにあるのは星野の旧作「ロンリー・ハーツ・キラー」と星野が推奨した中島岳志著「血盟団事件」だと思う。絶望して自分の価値を見失い、死をも含めコントロールされている者は決して少なくない。
権力中枢の政治家と話す機会が多かった知人がいる。15年以上前、「インターネットって、可能性はあるんですか」と知人が尋ねたら、その政治家は「いずれ金と力を持っている者に操られる」と答えたそうだ。悲しいことだが、現実はそのように進んでいる。〝ネット右翼〟を動かしているのは、果たして……。
<その衝動に支配されたら、いわば呪われたようなもので、自分の力だけではどうにもできない(中略)。でも、そのまわりの人も全員衝動に支配されていたら、どうなる(中略)? それが今の松保であり、世の中。それどころか、衝動に支配された人が無限に広がってる>
この湯北の言葉で、霧生は呪文から解かれ、個へと立ち戻る。本作はファシズムの本質を小さな商店街をモデルに抉っている。星野の洞察力に改めて感嘆させられた。
2015年安保ともいわれる一連の流れは、60年、70年安保と比べて継続性を保っており、〝祭りのあと〟の空気にまだ覆われていない。過去と比べると答えらしきものがおぼろげに見えてくる。60年安保の直後に発足した池田政権は所得倍増を掲げた。闘争のシンボルだった浅沼社会党委員長が刺殺されたにもかかわらず、自民党は議席を伸ばす。70年安保後は「赤信号をみんなで渡った」若者が消費社会に戻ってきた。
2015年はどうか。格差と貧困は拡大し、戻るべき生活基盤が揺らいでいる。世代、性差を超えて多くの人々が喘ぎ、もがいているのだ。理念だけでなく、生活実感に根差した運動は簡単に壊れない。当ブログで頻繁に取り上げている欧米の動きは、リベラルシフトというよりラディカルシフトといっていい。反資本主義を日本でいちはやく演説に取り入れた山本太郎参院議員は、体制にとって危険な存在なのだろう。
旅行したり、部屋掃除に励んだり、所用が重なったり、ドラマ「アカギ」(全10回)にハマって繰り返し見たりで、この秋は読書が捗らなかったが、星野智幸の新作「呪文」(河出書房新社)を一気に読了した。前作は南米のマジックリアリズムに通底するスケールの大きい迷宮だったが、今回のテーマは身近で手触り感がある。帯に記された桐野夏生の「この本に書かれているのは、現在日本の悪夢である」はピンポイントの評といっていい。
星野の作品の底にあるのは多様性の尊重、アイデンティティーの浸潤だ。世紀が変わる頃から<1999年が日本のファシズム元年>と位置付け、憲法の精神を捻じ曲げたイラク派兵に抗議し、日本人の沈黙と集団化に警鐘を鳴らしてきた。小泉元首相、安倍首相が暴走する前に似たキャラを小説に登場させるなど、日本を最も深く理解している識者といっていい。差別、貧困の問題にも個人として取り組んでいる。
本作の舞台は、都内にある寂れゆく松保商店街だ。読み始めて重なったのが徒歩数分のK商店街で、まさにシャッター通りといっていい。畳む店が相次ぎ、夜逃げ同然で消える者もいる。本作の主人公はトルタ店経営者の霧生で、複数の主観の結節点になっている。貧困と格差が前提になっているが、物語はネット社会の病巣、意識の集団化に重心を移していく。
松保の救世主として登場したのが図領だ。組合理事長の娘婿であるだけでなく、アイデアマンとして定評があり、人気居酒屋「麦ばたけ」を経営している。深夜に訪れ諍いになった客は、日々の鬱憤を晴らし、ネットで拡散する「ディスラー総統」こと佐熊だった。被害は他店にも及び、ネットには悪意に満ちた根拠のない書き込みが蔓延する。
インターネットが登場した時、<自分の世界を広げ、グローバルに繋がるためのツール>と喧伝したひとりが、〝知性の巨人〟立花隆だった。だが、凡人は優れたツールを使いこなせず、同レベル、同じ考えを持つ者とタコ壷を形成し、閉じられたまま沈んでいく。佐熊の仕掛けで炎上した図領のブログだが、反転攻勢に打って出て、〝神〟になる。奇跡が松保に起きたのだ。
図領の説く希望に、霧生は距離を置き始める。メキシコで料理を学び、現実と幻想が混然一体となった当地に魅せられた霧生はまさに作者の分身で、金を媒体に画一性を志向する図領とは、対極に位置するからだ。だが、そんなき霧生でさえ、判断停止状態に陥る。「呪文」のベースにあるのは星野の旧作「ロンリー・ハーツ・キラー」と星野が推奨した中島岳志著「血盟団事件」だと思う。絶望して自分の価値を見失い、死をも含めコントロールされている者は決して少なくない。
権力中枢の政治家と話す機会が多かった知人がいる。15年以上前、「インターネットって、可能性はあるんですか」と知人が尋ねたら、その政治家は「いずれ金と力を持っている者に操られる」と答えたそうだ。悲しいことだが、現実はそのように進んでいる。〝ネット右翼〟を動かしているのは、果たして……。
<その衝動に支配されたら、いわば呪われたようなもので、自分の力だけではどうにもできない(中略)。でも、そのまわりの人も全員衝動に支配されていたら、どうなる(中略)? それが今の松保であり、世の中。それどころか、衝動に支配された人が無限に広がってる>
この湯北の言葉で、霧生は呪文から解かれ、個へと立ち戻る。本作はファシズムの本質を小さな商店街をモデルに抉っている。星野の洞察力に改めて感嘆させられた。