憲法、原発、TPP、辺野古移設といった個別の課題では「NO」なのに、与党はなぜ圧勝したのか……。外国人にこう問われ、説得力ある答えを示せる人は少ないだろう。日本の現実でさえ把握していないのだから、バイアスが掛かった海外の動きを理解するのは難しい。
アメリカとキューバが国交正常化に踏み出したが、共和党サイドは冷ややかだ。いわく「キューバの民主化が前提と」……。2011年の反組合法デモ⇒オキュパイ運動のスローガンは、「アメリカに民主主義を」だった。そして今、黒人青年を射殺した警察官が不起訴になったことで、人権と平等を求める抗議活動が全米で広がっている。
アメリカを民主国家と信じている人は、日本人ぐらいか。ちなみに、貧しさが喧伝されるキューバだが、医療制度の充実は世界トップレベルで、家族が病気になったら一家破産に至るアメリカとは対照的だ。国交が正常化されたら、ハバナの病院は困ったアメリカ人を温かく迎えるはずだ。
仕事先の夕刊紙が報じていたが、介護サービス事業者に支払われる「介護報酬」が引き下げられるという。介護スタッフ、高齢者にとっては深刻なニュースで、アメリカに倣った弱者切り捨ての典型といえる。日本の医療体制と保険制度の崩壊は、TPP参加で拍車が掛かるだろう。初期高齢者(58歳)の俺にとって他人事ではない。
いかに死ぬべきかがテーマになりつつある俺の心に、「最後の注文」(グレアム・スウィフト著/新潮クレスト・ブックス)は、優しい雨のように染み渡った。スウィストは「ウォーターランド」以来、2作目になる。マジックリアリズムに通じる刺激的な同作と異なり、「最後の注文」はしっとりした温もりを感じた。
舞台は1990年のロンドンだ。3人の男がジャックの最後の注文を受け入れ、散骨のため車で海辺の街を訪れる。ジャックは肉屋で、若い頃は医者志望。保険屋のレイは、ジャックの妻エイミーに惚れていた。八百屋のレニーは戦争でボクシングの王者になる道を閉ざされている。やさぐれ感の強い3人と比べ、ジャックの葬儀を執り行ったヴィックは、家業を継いで波の小さい人生を送っていた。
4人は幼馴染みで、いずれも第2次大戦に従軍し、除隊後は毎週のようにパブ「馬車亭」で顔を合わせる。シリトー風のシニシズムが全編に漂い、ブラーが格好のBGMになる。俺の年になると人間関係は先細り、そこに行くと必ず仲間に会えるなんて場所は見当たらない。パブで紡がれる絆が羨ましくなった。
男たちはワーキングクラスとミドルクラスの中間といったところか。ヴィック以外は蹉跌を抱えているが、前稿で紹介した「ゴーン・ガール」とは違い、描かれるのは普遍的な〝家族の問題〟の範囲内で、「うちも似たようなもんかな」と感じる読者も多いはずだ。
フーガ形式で半世紀を、主観をカットバックさせながら繋いでいく。軸になっているのはレイだ。レイはジャックと同じ部隊に配属されて生き残り、妻エイミーと息子ヴィンスとも交流が深い。博才もあって〝ラッキー・レイ〟と呼ばれているが、妻は去り、娘は海外で暮らすなど、孤独な日々を送っている。
ジャックとエイミーは長年、家庭内別居状態だった。施設で暮らす娘をジャックが一度たりと見舞わなかったことで、夫婦の亀裂は決定的になる。ヴィンスを含めた4人の男が遺灰をまきにいった当日、エイミーは同行を拒み、施設に娘を訪ねていた。
各自のモノローグで、悔恨、絶望、葛藤、行き違い、嫉妬といった負の感情が吐露される。来し方が語られ、ささやかな謎が少しずつ明らかになる。いがみ合いながらも、互いを心に留めておく。麗しき腐れ縁というべきか。空と海が雨に煙って一体になり、ジャックと残された4人の思いは混ざり合って昇華し、天に飛翔していく。
小さなことで衝突する彼らだが、戦没者の墓地で生と死の境に思いを馳せ、敬虔な気持ちになる。セピア色に彩られた秀逸なロードノベルを読み終え、俺は想像してみた。彼らと同じ年齢に達する10年後、どこで、誰と、どのように暮らしているのだろうと……。俺の未来図はまだ、真っ白なままだ。
アメリカとキューバが国交正常化に踏み出したが、共和党サイドは冷ややかだ。いわく「キューバの民主化が前提と」……。2011年の反組合法デモ⇒オキュパイ運動のスローガンは、「アメリカに民主主義を」だった。そして今、黒人青年を射殺した警察官が不起訴になったことで、人権と平等を求める抗議活動が全米で広がっている。
アメリカを民主国家と信じている人は、日本人ぐらいか。ちなみに、貧しさが喧伝されるキューバだが、医療制度の充実は世界トップレベルで、家族が病気になったら一家破産に至るアメリカとは対照的だ。国交が正常化されたら、ハバナの病院は困ったアメリカ人を温かく迎えるはずだ。
仕事先の夕刊紙が報じていたが、介護サービス事業者に支払われる「介護報酬」が引き下げられるという。介護スタッフ、高齢者にとっては深刻なニュースで、アメリカに倣った弱者切り捨ての典型といえる。日本の医療体制と保険制度の崩壊は、TPP参加で拍車が掛かるだろう。初期高齢者(58歳)の俺にとって他人事ではない。
いかに死ぬべきかがテーマになりつつある俺の心に、「最後の注文」(グレアム・スウィフト著/新潮クレスト・ブックス)は、優しい雨のように染み渡った。スウィストは「ウォーターランド」以来、2作目になる。マジックリアリズムに通じる刺激的な同作と異なり、「最後の注文」はしっとりした温もりを感じた。
舞台は1990年のロンドンだ。3人の男がジャックの最後の注文を受け入れ、散骨のため車で海辺の街を訪れる。ジャックは肉屋で、若い頃は医者志望。保険屋のレイは、ジャックの妻エイミーに惚れていた。八百屋のレニーは戦争でボクシングの王者になる道を閉ざされている。やさぐれ感の強い3人と比べ、ジャックの葬儀を執り行ったヴィックは、家業を継いで波の小さい人生を送っていた。
4人は幼馴染みで、いずれも第2次大戦に従軍し、除隊後は毎週のようにパブ「馬車亭」で顔を合わせる。シリトー風のシニシズムが全編に漂い、ブラーが格好のBGMになる。俺の年になると人間関係は先細り、そこに行くと必ず仲間に会えるなんて場所は見当たらない。パブで紡がれる絆が羨ましくなった。
男たちはワーキングクラスとミドルクラスの中間といったところか。ヴィック以外は蹉跌を抱えているが、前稿で紹介した「ゴーン・ガール」とは違い、描かれるのは普遍的な〝家族の問題〟の範囲内で、「うちも似たようなもんかな」と感じる読者も多いはずだ。
フーガ形式で半世紀を、主観をカットバックさせながら繋いでいく。軸になっているのはレイだ。レイはジャックと同じ部隊に配属されて生き残り、妻エイミーと息子ヴィンスとも交流が深い。博才もあって〝ラッキー・レイ〟と呼ばれているが、妻は去り、娘は海外で暮らすなど、孤独な日々を送っている。
ジャックとエイミーは長年、家庭内別居状態だった。施設で暮らす娘をジャックが一度たりと見舞わなかったことで、夫婦の亀裂は決定的になる。ヴィンスを含めた4人の男が遺灰をまきにいった当日、エイミーは同行を拒み、施設に娘を訪ねていた。
各自のモノローグで、悔恨、絶望、葛藤、行き違い、嫉妬といった負の感情が吐露される。来し方が語られ、ささやかな謎が少しずつ明らかになる。いがみ合いながらも、互いを心に留めておく。麗しき腐れ縁というべきか。空と海が雨に煙って一体になり、ジャックと残された4人の思いは混ざり合って昇華し、天に飛翔していく。
小さなことで衝突する彼らだが、戦没者の墓地で生と死の境に思いを馳せ、敬虔な気持ちになる。セピア色に彩られた秀逸なロードノベルを読み終え、俺は想像してみた。彼らと同じ年齢に達する10年後、どこで、誰と、どのように暮らしているのだろうと……。俺の未来図はまだ、真っ白なままだ。