目が覚めてテレビをつけたら、阪神淡路大震災の追悼イベントが映し出されていた。出身地の近畿で起きたにもかかわらず、当時の俺は亡くなった方や被災地に思いを馳せることなく、享楽的な生活を送っていた。冷血動物は齢を重ねて少し優しくなったが、せいぜい温血動物といった程度。人間になってから死にたいというのが、俺の切なる願いである。
大島渚監督が亡くなった。巨匠の死を心から惜しみたい。20歳の頃に見た作品群の衝撃は決して色褪せない。文芸坐のオールナイトで4週連続、計20本を見終えた時、俺の志向と感性は以前と別物になっていた。スクリーンから次々飛び出てくる強烈なパンチに打たれ、俺は麻痺しつつ覚醒した。
大島は縦軸と横軸――歴史認識と社会の構造――を組み立ててから物語を構築する。骨組みが頑丈だから、作品も重量感に溢れている。以下に印象に残る作品について簡潔に記したい。
<松竹ヌーベルバーグ>の魁になった「青春残酷物語」(60年)は若者の破滅と退廃を描いているが、対比されているのは矜持を失くした戦中派だ。意外と言うと失礼だが、大島は女優を使うのがうまい。「青春――」で桑野みゆきをスターダムに乗せた大島は、貧困と絶望を描いた次作「太陽の墓場」(60年)で、触れたら火傷しそうな炎加世子の魅力を引き出した。「夏の妹」(72年)では<アメリカ―日本―沖縄>の構図の上に、14歳だった栗田ひろみの可憐な花を咲かせている。
最大の問題作は、4日で上映を打ち切られた「日本の夜と霧」(60年)だ。高橋和己の「憂鬱なる党派」、吉本隆明の「擬制の終焉」とともに<共産党=前衛>の神話を打ち砕いた作品で、津川雅彦の棒読みの台詞回しが臨場感を高めている。60年代を牽引した大島、高橋、吉本の直感は鋭く、共産党はその後、彼らの想像通りの道を辿る。<闘いの現場から姿を消す運動の桎梏>として、いまも〝破れた前衛の仮面〟を被っている。
日本と朝鮮半島の関係をメーンに据えた作品の頂点に位置するのが「絞死刑」(68年)だ。差別と死刑という重いテーマを、ユーモアを織り交ぜながら抉る力技に圧倒された。出演した佐藤慶、渡辺文雄、戸浦六宏、小松方正の同志も鬼籍に入っている。あの世で映画について語り合う5人の姿が目に浮かぶようだ。
録画作品はないかと捜していたら「少年」(69年)が出てきたので、追悼の意味を込めて久しぶりに見た。当たり屋を生業にする父(渡辺文雄)、母(小山明子)、少年(阿部哲夫)、チビ(木下剛史)の4人家族が全国を転々とするロードムービーで、クレジットなしのナレーターを戸浦六宏、小松方正が務めている。
父は戦争で傷を負ったという設定で、少年に威圧的に接するが自分は車に当たらない。体を張るのは母と少年の役だ。血の繋がらない母子だが、気持ちは少しずつ通じていく。繰り返し日の丸が画面に現れたり、小山が時に茶髪に染めてパンパンガール風のファッションに身を包んだり……。大島の秘められた作意にようやく気付いた。
大島には実験的、前衛的な作品も多いが、「少年」はドキュメンタリータッチのオーソドックスな作品だ。とはいえ、少年の一人芝居やブルートーンの幻想的な映像を挿入するなど、時代の空気を反映させている。69年といえば俺は中学1年生で、少年の目を通した街の光景にノスタルジックな気分になった。
祖父が孫娘を殺したり、孫が祖父母を殺したりと悲しい事件が続いているが、「少年」の家族は罪を重ねながら絆を紡いでいく。ラストに救いを感じる作品だった。
最後に、大島作品で最も記憶に残った台詞を挙げる。<静止画によるモンタージュ>といえば聞こえがいいが、スクリーンに映し出された紙芝居というべき「忍者武芸帳」(67年)で、主人公の影丸は以下のように語る。
<大切なのは勝ち負けではなく、目的に向かって近づくことだ。俺が死んでも志を継ぐ者が必ず現れる。多くの人が平等で幸せに暮らせる日が来るまで、敗れても敗れても闘い続ける。100年先か、1000年先か、そんな日は必ず来る>……。
大島は自らの思いをこの言葉に込めたに違いない。3・11を経た今、大島の作品は見ていなくても、遺志を継ぐ者はかなりの数に上るはずだ。彼らに希望を託したい。
大島渚監督が亡くなった。巨匠の死を心から惜しみたい。20歳の頃に見た作品群の衝撃は決して色褪せない。文芸坐のオールナイトで4週連続、計20本を見終えた時、俺の志向と感性は以前と別物になっていた。スクリーンから次々飛び出てくる強烈なパンチに打たれ、俺は麻痺しつつ覚醒した。
大島は縦軸と横軸――歴史認識と社会の構造――を組み立ててから物語を構築する。骨組みが頑丈だから、作品も重量感に溢れている。以下に印象に残る作品について簡潔に記したい。
<松竹ヌーベルバーグ>の魁になった「青春残酷物語」(60年)は若者の破滅と退廃を描いているが、対比されているのは矜持を失くした戦中派だ。意外と言うと失礼だが、大島は女優を使うのがうまい。「青春――」で桑野みゆきをスターダムに乗せた大島は、貧困と絶望を描いた次作「太陽の墓場」(60年)で、触れたら火傷しそうな炎加世子の魅力を引き出した。「夏の妹」(72年)では<アメリカ―日本―沖縄>の構図の上に、14歳だった栗田ひろみの可憐な花を咲かせている。
最大の問題作は、4日で上映を打ち切られた「日本の夜と霧」(60年)だ。高橋和己の「憂鬱なる党派」、吉本隆明の「擬制の終焉」とともに<共産党=前衛>の神話を打ち砕いた作品で、津川雅彦の棒読みの台詞回しが臨場感を高めている。60年代を牽引した大島、高橋、吉本の直感は鋭く、共産党はその後、彼らの想像通りの道を辿る。<闘いの現場から姿を消す運動の桎梏>として、いまも〝破れた前衛の仮面〟を被っている。
日本と朝鮮半島の関係をメーンに据えた作品の頂点に位置するのが「絞死刑」(68年)だ。差別と死刑という重いテーマを、ユーモアを織り交ぜながら抉る力技に圧倒された。出演した佐藤慶、渡辺文雄、戸浦六宏、小松方正の同志も鬼籍に入っている。あの世で映画について語り合う5人の姿が目に浮かぶようだ。
録画作品はないかと捜していたら「少年」(69年)が出てきたので、追悼の意味を込めて久しぶりに見た。当たり屋を生業にする父(渡辺文雄)、母(小山明子)、少年(阿部哲夫)、チビ(木下剛史)の4人家族が全国を転々とするロードムービーで、クレジットなしのナレーターを戸浦六宏、小松方正が務めている。
父は戦争で傷を負ったという設定で、少年に威圧的に接するが自分は車に当たらない。体を張るのは母と少年の役だ。血の繋がらない母子だが、気持ちは少しずつ通じていく。繰り返し日の丸が画面に現れたり、小山が時に茶髪に染めてパンパンガール風のファッションに身を包んだり……。大島の秘められた作意にようやく気付いた。
大島には実験的、前衛的な作品も多いが、「少年」はドキュメンタリータッチのオーソドックスな作品だ。とはいえ、少年の一人芝居やブルートーンの幻想的な映像を挿入するなど、時代の空気を反映させている。69年といえば俺は中学1年生で、少年の目を通した街の光景にノスタルジックな気分になった。
祖父が孫娘を殺したり、孫が祖父母を殺したりと悲しい事件が続いているが、「少年」の家族は罪を重ねながら絆を紡いでいく。ラストに救いを感じる作品だった。
最後に、大島作品で最も記憶に残った台詞を挙げる。<静止画によるモンタージュ>といえば聞こえがいいが、スクリーンに映し出された紙芝居というべき「忍者武芸帳」(67年)で、主人公の影丸は以下のように語る。
<大切なのは勝ち負けではなく、目的に向かって近づくことだ。俺が死んでも志を継ぐ者が必ず現れる。多くの人が平等で幸せに暮らせる日が来るまで、敗れても敗れても闘い続ける。100年先か、1000年先か、そんな日は必ず来る>……。
大島は自らの思いをこの言葉に込めたに違いない。3・11を経た今、大島の作品は見ていなくても、遺志を継ぐ者はかなりの数に上るはずだ。彼らに希望を託したい。